今回ご紹介するのは、「みぬま福祉会」(埼玉・川口市)の渡辺 孝雄(わたなべ・たかお)さんの作品です。
キュレーターは中津川 浩章さん(画家、美術家、アートディレクター)です。

作者紹介……渡辺 孝雄(わたなべ・たかお)

キュレーターより 《中津川 浩章さん》

渡辺 孝雄「無題」
初めて会ったのがいつで、その作品を見たのはいつだったろう。だいぶ前のことでよく覚えていない。「工房集」を建てるより前の「川口太陽の家」のときに出会ったはずだ。23年前、みんなで建築中の工房集にアートプロジェクトで絵を描いた。「その時の孝雄さんの表情が良くて」とスタッフに言われて思い出した。渡辺が絵を描くようになったのはそれからだ。

最初は画用紙にクレヨンで描いていた。グルグルグルと渦巻きを重ねていくパワフルなスクリブル。色彩と線描のリズミカルな構成から溢れ出すリリカルな感覚。ひたすらクレヨンを重ねる「行為」は、キャンバスに絵の具を塗り重ねる「行為」へと移行。クレヨンから水彩そして油彩へゆっくりと変化していった。

今回ご紹介するのは、油彩画「無題」シリーズ。物質的な重量を感じさせる存在感のある作品だ。初期の油彩画はアメリカの抽象表現主義の画家マーク・ロスコの画面を思わせる。四角いキャンバスの中に現れてくる四角い色彩。積み重なった色面は崩れ、絵の具の物質感がどんどん増していく。絵の具は色彩を表すエレメントであることをやめ、物質そのものに変容する。それは土から生まれた絵の具が再び土に帰っていくようでもあり、再び生きる準備をして誰かに声をかけてもらうのを待っているようでもある。さらにいうとそれは障害がある渡辺孝雄の言葉にならない叫びや悲しみ、感情や思いが蓄積した地層のようにも感じられる。

渡辺孝雄は57歳になる。知的障害がありいつも独り言をつぶやいている。言葉のやり取りはできる。彼の絵は展覧会にもたびたび出品され、本人もそれを喜んでいるのだが、作品が展示されるのがうれしいというよりも、スタッフや周りから「よかったね~」と声を掛けられること、それがなによりもうれしそうなのだという。
所属する「みぬま福祉会」が大切にしている「働くことは人間の権利である」という理念。渡辺も絵を描くことは仕事ととらえている。工房集にいた頃は毎日制作していたが、現在入所している施設「はれ」では、制作は一週間に1,2回。身体的変化や介助が必要なことなど種々の理由があってのことだが、みずから「油絵やる! やりたい!」と訴えることもあるという。

彼は絵を描くことが大好きだ。色を決め、絵の具を塗る。ドンドンと叩くように同じ所に筆を重ねる。その行為がずっと続く。はっきりとした絵の完成はない。スタッフがこのあたりでどうかとタイミングを見計らって終わりにしてもらう。時にはぐじゃぐじゃになるまで描き続ける。「行為」の中から今まで見たことがないものが、絵画のようで絵画を越えた「何か」が生まれる。それが面白い。一年に一作品。みぬま福祉会に来た当初は5分と座っていられなかった渡辺が、今ではじっくり時間をかけて絵画に向き合っている。

渡辺孝雄が参加している展覧会情報です。

「こつこつと手さぐる」

会期: 2025年7月26日 – 2025年10月13日
会場:はじまりの美術館(福島県耶麻郡猪苗代町新町4873)
出展作家:安斎隆史+支援員、入江早耶、小野サボコ、櫛田拓哉、栗原巳侑、似里 力、渡辺孝雄

詳しくは、はじまりの美術館のサイトをご覧ください。(NHK HEARTSのサイトを離れます)


プロフィール

中津川 浩章(なかつがわ・ひろあき)

記憶・痕跡・欠損をテーマに自ら多くの作品を制作し国内外で個展やライブペインティングを行う一方、アートディレクターとして障害者のためのアートスタジオディレクションや展覧会の企画・プロデュース、キュレ―ション、ワークショップを手がける。福祉、教育、医療と多様な分野で社会とアートの関係性を問い直す活動に取り組む。障害者、支援者、子どもから大人まであらゆる人を対象にアートワークショップや講演活動を全国で行っている。


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