清水千秋 ―生きている 線― HEARTS & ARTS VOL.112
公開日:2025年1月27日
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今回ご紹介するのは、「やまなみ工房」(甲賀市)の清水 千秋(しみず・ちあき)さんの作品です。
キュレーターは中津川 浩章さん(画家、美術家、アートディレクター)です。
作者紹介……清水 千秋(しみず・ちあき)
30年近く刺繍作品の制作に取り組んでいました。その時々に流行したお笑い芸人やダンスパフォーマー、身近な大好きな人をテーマに布に下書きを行い、チェーンステッチを使って刺繍で絵を描いていました。刺繍作品は「お母さんがお金ないからウチも頑張る」という思いで刺繍に取り組んでいたと聞いています。
障害特性の一つで少しずつ認知面の低下が見られ始めたのは2020年。まず針に糸が通せなくなり、色彩感覚がとてもあった色の感覚が少しずつ分からなくなってきました。だんだんと認知面が低下していくなかで何か他に出来ることはないだろうか?と始めたのが筆と絵の具を使用した思いのまま描く絵画作品(ドローイング)です(2022年)。描きだした当初は動物や好きなスタッフたちで形にもなっていましたが、絵画作品も日に日に形が見えなくなり、タイトルも伝えることが難しくなっていきました。絵画作品は何か出来ることはないかと取り組みだした作品のため、本人がどのような思いで作品を作り上げたかはわかりかねますが、描き出したころは表情もよく楽しそうに描いておりました。(やまなみ工房・上西 明日美)
キュレーターより 《中津川 浩章さん》
清水千秋 ―生きている 線―
一昨年、コロナ禍の規制が解け始めたころ、ひさしぶりに訪れたやまなみ工房でダイナマイト級のドローイング作品に出会った。なんと、それが清水千秋の作品であると聞いて衝撃を受ける。ドイツの画家G・バゼリッツを彷彿させる線のドローイング。人物を描いていると思われるほぼ単色の線。密集したりまばらであったり、荒々しく喚起力に富んだ線。線は戯れ、認識と感覚のあいだにある少しのずれが不協和音を響かせている。彫刻のような構築性があり、そのリアリティと美しさにめまいがした。
清水千秋の作品を最初に見たのは2014年。川崎市岡本太郎美術館で開催した「岡本太郎とアールブリュット―生の芸術の地平へ―」展のキュレーターとして滋賀のやまなみ工房を訪れた時だ。絵画ではなく刺繍の作品。清水は前にいた施設で教わった刺繍が得意で、当初はポーチ作りの装飾としての刺繍仕事だったというが、ある時、ポーチになる前の刺繍を額に入れるというスタッフの“発見”をきっかけに、清水の「表現」はアートへと変化していく。気に入った写真にインスピレーションを受け、糸や布、色などをスタッフとコミュニケーションしながら決める。針と糸の細かな作業に集中力を傾けじつに面白い作品を生み出していた。ユニークでユーモラスで強い。かなり大きなサイズの作品数点を岡本太郎美術館で展示することになり、その後さまざまな展覧会にも出展するようになる。清水は刺繍アーティストとしてのスタイルを確立し認知されていった。
2020年ごろ、清水の刺繍に変化が現れる。針目が妙に雑になったりバランスがおかしい。刺繍が以前とは違う。異変に気付いて診断を受けると、ダウン症特有の退行現象が進み脳も萎縮しているという。さらに同じころ母親が亡くなり、一気に状態が進んでしまう。清水は刺繍ができなくなった。彼女にできる表現方法を模索する支援員に促され、そして絵を描き始めるのだ。言葉でやり取りして紙も色も自分で選ぶ。じつは白内障も進んでいて、よく見えない状態で描いていたらしい。そんな背景があって生まれた絵画作品だ。
迷うことなく、ぐいぐいと線が生まれる。自由だ!これぞ絵画、新しい感覚の扉を開けてくれる。清水の描く線は生きて表現することの自由を強く感じさせる。人を描いていながら人の内側にある内臓を描いているような、目に見えないけれど確かに在るもうひとつの世界。アールブリュットや障害者アートを越えて芸術だ。まさに生きていることの痕跡。認知症が進んで最後の方の作品はなにを描いているのか判別できない。3年ほどの間に生み出した奇跡のような48枚。作品はここに生きている。清水は今、病院の認知症病棟に入院している。担当だった上西支援員も、同い年の山下施設長のことももう思い出せない。30年余りを過ごしたやまなみ工房のこともすっかり忘れてしまったというのがなんとも悲しい。
プロフィール
中津川 浩章(なかつがわ・ひろあき)
記憶・痕跡・欠損をテーマに自ら多くの作品を制作し国内外で個展やライブペインティングを行う一方、アートディレクターとして障害者のためのアートスタジオディレクションや展覧会の企画・プロデュース、キュレ―ション、ワークショップを手がける。福祉、教育、医療と多様な分野で社会とアートの関係性を問い直す活動に取り組む。障害者、支援者、子どもから大人まであらゆる人を対象にアートワークショップや講演活動を全国で行っている。
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