• 今回ご紹介するのは、健さん(埼玉・越谷市)の作品です。
    キュレーターは中津川 浩章さん(画家、美術家、アートディレクター)です。

作者紹介……健(けん)さん

学生時代から周囲の人たちと交流関係をうまく育めず、孤立することが多かったという健さんは、5年前家族の提案により相談支援センターに相談したことがきっかけで、医療機関につながり発達障害と診断を受ける。
幼少期より、絵を描くことや本を読むことで空想の世界に入り込み、時間を過ごしていた。
本人いわく、作品を発表することが目的ではなく、あくまで自身の空想を映し出す行為であるとのこと。鉛筆とノートといった身近な画材を主に使用し、思い通りの線が引けるまで描いては消すを繰り返すため、ノートには消えた線の痕が数多く残っている。
(企画展「ドキュメントとしての表現」より)

キュレーターより 《中津川 浩章さん》

「ノートブック」健

長い間、描きためていた「ノートブック」。そこにあるのは日常的に表れては消える思考や感情の断片。日々のログ・記録のようなドキュメント。
「いちばん好きな動物はウマ、つぎがトラ、架空の動物の龍も好き」、モチーフについて健ははっきりと明解に語る。

神話の中の魔物や勇者たちの姿、みずから考案したアニメチックなキャラクターの姿もある。
ラファエロ、レンブラント、ルーベンスといったオールドマスターたちの作品の鉛筆模写も目を引く。筆圧が強いはっきりした線、微細な強弱、細部へのこだわり。それぞれの画家に対して抱く思いが伝わってくる。レンブラントの光と影、リューベンスの肉感的な表現に動かされ、倣いながら、なにかを探り当てようとする線。けっして上手いと言えない。だが、どこか強く迫ってくるものがあるのはなぜだろうか。

モノトーンの鉛筆模写は、彩色されることなく、完成もなく、途中でプツンと糸が切れたように終わる。思うような線が引けるまで描いては消すことを繰り返すため、ノートには消えた線の痕跡が残る。この不完全性が放つリアリティ。表現することへの恐れや戸惑いと、それでも表現せざるを得ない強い衝動が同時にある。線の持つ震えと確信の両義性が、言葉を超えて見る側にゆっくりと入ってくる。
描くことの意味は、何が描かれているかではない。「描くこと」「模写すること」自体に意味がある。自分の存在と世界との距離感を確かめているかのような、描いていないと不安に押しつぶされそうになるその切実感が、見るものに迫ってくるのだ。

5年前、家族の勧めで相談支援センターにつながり医療機関を訪れた健は、発達障害との診断を受ける。学生時代には周囲の人たちと交友関係をうまく育めず、孤立することも多かったという。小さい頃から漫画やアニメキャラクターを描くのが好きだった彼は、絵を描くことや本を読むことで空想の世界に入り込み一人過ごしていた。彼にとって描くことは、自身が生きているその世界を紙の上に映し出す行為。模写しながら巨匠たちと対話し、動物やキャラクターたちと交わる。みずから固有の世界をつくり出しそこに生きることで、孤独な感覚を埋めていく。
就労継続B型作業所で仕事をしている現在も、合い間の20分ほどの休憩時間を使って毎日描き続けている。油彩にも挑戦したいと語る彼の次の展開が楽しみだ。


プロフィール

中津川 浩章(なかつがわ・ひろあき)

記憶・痕跡・欠損をテーマに自ら多くの作品を制作し国内外で個展やライブペインティングを行う一方、アートディレクターとして障害者のためのアートスタジオディレクションや展覧会の企画・プロデュース、キュレ―ション、ワークショップを手がける。福祉、教育、医療と多様な分野で社会とアートの関係性を問い直す活動に取り組む。障害者、支援者、子どもから大人まであらゆる人を対象にアートワークショップや講演活動を全国で行っている。


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