「交流教室 パラリンピアンがやってきた!」を東京都八王子市で開催しました
公開日:2020年12月13日
NHK厚生文化事業団、NHK、東京都障害者スポーツ協会が主催し、小学校・特別支援学校の子どもたちにパラリンピアンとのふれあいの場を提供する「交流教室 パラリンピアンがやってきた!」。
2020年度 第3回を11月19日に開催しました。
会場は、東京都の八王子市立船田小学校。先生方は、子どもたちが小学校6年間のあいだに生きる上で本当に大切なことは何なのか、考える力を育むために、オリンピック・パラリンピック教育をはじめ、普段から多くの取り組みを行っています。
今回は、「障害に関係ない、生きる力」を子どもたちに伝えるために、ぜひ来てほしい、と応募をいただきました。
今回のパラリンピアンは陸上競技の鈴木徹選手。
鈴木選手は走り高跳びでパラリンピックに5大会連続出場している、日本初の義足陸上選手であり、世界でただ1人の現役 義足2メートルジャンパーです。すでに東京パラリンピック出場権も獲得しています。
高校卒業直前に、運転していた車で交通事故を起こし、右足膝下11センチを残して切断。リハビリがきっかけで走り高跳びを始めたところ、わずか3カ月でシドニー2000パラリンピックの大会参加基準である1メートル73センチをクリアし、日本人初の走り高跳び選手として出場しました。
5歳の時、鈴木選手は2つの病気を抱えていました。一つは、「徐脈性不整脈」。心臓が弱く、やりたくてもやれないことの辛さをこのとき経験したそうです。
もう1つは「吃音」。妹が川に落ちて溺れかけた時、母親の元へ助けを求めに駆けつけたものの、ショックのあまり言葉が出ず、それから吃音の症状が出るようになります。小学校に入っても吃音の症状は続き、どもってしまうたびにからかわれました。それが嫌で、どんどん無口になったそうです。
おとなしかった鈴木選手が唯一、自分を表現できたのが体育の時間でした。もともとスポーツが得意で好きだった鈴木選手は、体育の授業で活躍することで、みんなに認めてもらえるようになっていきました。その時から今も、鈴木選手にとってのスポーツは「生きること」そのものだといいます。
3、4年生128人は、真剣なまなざしで鈴木選手の話に耳を傾けていました。
講演の次は、鈴木選手と先生代表による走り高跳びのデモンストレーション。
この日のために練習してくれた先生は、子どもの身長ほどもあるバーを「ベリーロール」で飛び越える大活躍!しかし先生がさすがにとべなくなった高さを鈴木選手が「はさみ跳び」で軽やかに飛んでみせてくれて、子どもたちは大盛り上がりでした。
今回は鈴木選手を支えるゲストとして、障害者国体『100m走』40歳以上クラスで日本記録を持っている水谷憲勝選手、おふたりが使う義足を作っている義肢装具士の臼井二美男さんにも来校して頂きました。
臼井さんは、今年厚生労働省により「現代の名工」にも選ばれた日本を代表する義肢装具士です。2000年シドニーパラリンピックから前回のリオパラリンピックまで、日本代表選手のメカニックとして同行しています。鈴木選手、水谷選手のふたりは、膝から下を切断する大事故のあと臼井さんに出会って、足を失っても義足でスポーツをすることができる喜びを知りました。
義足体験のコーナーでは、子どもたちも臼井さんが作った体験用義足にチャレンジ!ついさっきまで義足で力強く飛んだり走ったりする選手たちを見ていたものの、実際につけてみると、選手たちに手を支えてもらいながらこわごわ足を前にだすのが精いっぱい。でも少し歩くとすぐに義足に慣れて、サポートなしでも堂々と歩けるようになりました。
最後に、子どもたちみんなと選手、先生も加わって、かけっこリレー大会です。よく晴れた校庭で、競技用義足を履いた鈴木選手・水谷選手が美しいフォームで走る姿に大きな声援が飛び、選手と一緒に走った素敵な思い出ができました。