1月26日に、東京都の目黒区立八雲小学校で「交流教室パラリンピアンがやってきた!」を開催しました。
今回の競技は、「陸上 義足体験」。

ゲストには、東京2020パラリンピックで、6大会連続の入賞を果たした鈴木 徹(すずき・とおる) 選手、障害者国体の陸上競技「100m」で、40歳以上クラスの最速記録を持つ水谷 憲勝(みずたに・のりかつ)選手、日本を代表する義肢装具士で、鈴木選手・水谷選手の義足も作っている、 臼井 二美男(うすい・ふみお)さんをお招きしました。

今回参加してくれたのは、4年生の児童たち。
水谷選手が、みんなの目の前で生活用の義足を外して、切断した足を見せてくれました。
水谷選手、鈴木選手のふたりは、膝から下を切断する大事故のあと臼井さんに出会って、足を失っても義足でスポーツをすることができる喜びを知ったのだそうです。
続いて、鈴木選手による走り高跳びのデモンストレーション。鈴木選手は2006年のジャパンパラ競技大会で日本記録を更新する2m00cmを跳び、当時世界で2人しかいない義足での2mジャンパーとなりました。
鈴木選手に走り高跳びのコツを伝授してもらった児童たちは、じょうずに跳べるようになりましたが、実際に鈴木選手の跳んだ2mのバーを間近で見せてもらうと、こんなに高いんだ!と驚きの声。鈴木選手のすごさを改めて実感しているようでした。

そしていよいよ児童たちは、臼井さんが作った体験用義足にチャレンジ!ついさっきまで義足で力強く跳んだり走ったりする選手たちを見ていたものの、実際につけてみると、最初のうちは選手やボランティアのお母さんたちに手を引いてもらいながらこわごわ足を前にだすのが精いっぱい。でも少し歩くとすぐに義足に慣れて、サポートなしでも堂々と歩けるようになりました。

最後に、児童たちみんなと選手で、リレー大会です。快晴の校庭で、競技用義足を履いた鈴木選手・水谷選手が美しいフォームで走る姿に大きな声援が飛びます。子どもたちには選手と一緒に走ったすてきな思い出ができました。

鈴木選手への質問タイムも

この日は、鈴木選手への質問タイムも行いました。

Q.「練習はどのくらいするんですか?」
A.「練習は毎日2~3時間くらいしてるんだけど、高跳びの練習は月2回くらい。どうしてだと思う?」
Q.「やりすぎたらいけないから?」
A.「そう!ジャンプする瞬間に自分の体重の10倍の負荷が体にかかるんだ。僕の場合は10倍すると630キロになる。それくらい負荷がかかるから毎日はできないんだよね。そのかわり、毎日筋トレとかで、跳ぶために体を強くしてるんだ。」

Q.「周りの支えてくれる人に対して、どんなふうに感じていますか?」
A.「病院に入院したことあるひといる?
僕も事故したとき、3か月入院しました。最初は足がまだついていて動いちゃダメだったので、自分でできるのはご飯を食べることだけ。トイレにいくこととか、できないことばかりだったので両親やきょうだいに助けてもらいました。
さらに、僕が事故したときは、高校の卒業式の1週間前でした。僕、どこで卒業式を迎えたかというと、病院。担任の先生と校長先生が来てくれて、卒業証書をもらったときはうれしかったです。
健康な時はありがたみがわからないと思うんです。でも自分が事故したり、健康じゃなくなったりしたときわかると思うんです。自分は1人じゃなくて、周りの支えってすごく大事なんだってことを感じました。」

Q.先生「スポーツを続けていくうえで、どんな気持ちをもってここまで続けてこられたのですか?」
A.「僕は24年間、高跳びだけやってきました。それは、みんながゲームをやるのと一緒。楽しいから。スポーツが好きだから。ぼくはやっていて楽しいことが仕事にできてるんだ。
でもさらに、常に勝ちつづけないと仕事にはできない。試合に出て、メダルを目指し続けないといけない。ぼくは、そのプレッシャーもモチベーションにし続けてる。
つまんないことは長くできないと思うんだよね。みんなも、本を読むことが好き、サッカーが好き、いろんな好きがあると思う。
好きなことを長く続けてほしい。10年やる、1万時間やるっていうことが一人前になる方法で、すごく大事。そういうものを見つけてほしい。
でも気持ちが変わることだってあるから、その時は変えたっていい。自分は道を変えたんだって思ってほしい。あきらめたって思ってほしくないんだ。」

鈴木選手にとってのスポーツは「生きること」そのものです。みんなにも、自分が夢中になれるものを見つけてほしい。鈴木選手が伝えてくれた強い思い。まっすぐな目で鈴木選手のお話に聞き入ってくれていた児童のみんなは、きっとその思いを受け止めてくれたに違いありません。

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