今回の会場は、栃木県大田原市の佐良土(さらど)小学校。福祉の授業はあるものの、実際に目が見えない人と接したり、パラリンピック競技を体験したりしたことがないという子どもたちが、2018年6月8日に初めてブラインドサッカー体験をしました。

宇都宮市の北東40キロに位置する豊かな自然に囲まれた小学校で、農家のお子さんが多く通っているそうです。

10時40分、全校児童60人が初めて葭原さんと対面。
葭原さんは中学生のとき病気で目が見えなくなりましたが、大好きなスポーツを続けるため試行錯誤し、複数競技でメダルを獲得するまでになりました。いまでもサッカーのほかサーフィンでも競技生活を続けています。
「できないとおもうことがあってもあきらめず、いろんな方法を考えてチャレンジしてほしい」「普段白い杖をついている人を見かけたら、『信号が変わったよ』など話しかけてみて」という葭原選手からのメッセージに、子どもたちは真剣に耳を傾けました。
話を聞いたあとは4~6年生32人が体育館に残り、いよいよ体験の時間へ。
まずは、アイマスクをつけた状態で、10メートル先にいる友達の声を頼りに歩くことからはじめます。「(呼び声が)聞こえないと怖くて歩けない」と、目の見えない状態での不安な気持ちと、声に出して呼んでくれる安心を実感します。

その後は友達の声に従ってコーンを目標にボールをキック!
作戦会議を行い、どうすれば伝わりやすいか考えたのは実生活にも活かしてほしい大切な時間でした。

最終的には体育館の端から端めいっぱいに距離を伸ばし、声を頼りに思いっきりキック!
作戦を練ったかいがあり、何人もの子どもがボールを当て、自分でもびっくりな様子でした。

目が見えない不安さや、周りの人と協力しながら生活することの大切さを、実感として学ぶ機会になりました。

お昼休みは全校児童が集まるランチルームで一緒に食べました。周りの子どもは話しかけたりサインをもらったり、短い時間を楽しみました。

 

アンケートから

■ぼうを地面についていたので大変そうだなと思いました。そういう人を見つけたら助けたいと思いました。

■目が見えないとき、友達の声などがきこえないと不安になりました。なので、目が見えない人がいたら大きな声で話しかけたいと思います。

選手プロフィール

葭原滋男(よしはら・しげお)選手 東京都出身 55歳
スポーツが得意でスキーや野球、サッカーを経験。10歳のころ、網膜色素変性症を患い、次第に視力を失い、22歳で障害者認定。現在は光が見えて、前の人の輪郭がやっとみえる。
1992年 バルセロナパラリンピック 走り高跳び4位
1996年 アトランタパラリンピック 走り高跳び(視覚障害者F10-11)銅メダル
2000年 シドニーパラリンピック自転車1kmTT金メダル(世界記録)、スプリント銀メダル
2004年 アテネパラリンピック 自転車スプリント銀メダル
2007年~2011年ブラインドサッカー日本代表 現在はブラインドサッカーやブラインドサーフィンに取り組む

開催リンク

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