「東京2020を盛り上げよう~千葉からのメッセージ~」NHKハートフォーラムを開催しました
公開日:2017年9月11日
9月2日千葉市の千葉ポートアリーナで、千葉市幕張メッセが競技会場となる4競技の中心メンバーや、オリンピックで2大会連続の銀メダルを獲得したフェンシングの太田雄貴さん、地元の学生たちが集まって、2020年東京パラリンピックをどう盛り上げていくか考えるフォーラムを開催しました。メンバーの詳しいプロフィールはこちらをご参照ください。
このフォーラムは、さまざまなパラスポーツを体験できる「パラスポーツフェスタちば2017」と同時開催され、138人が来場しました。
午前11時、NHK「ひるまえほっと」の松尾衣里子リポーターの紹介で選手たちが登場!
(写真右から)ゴールボールの中嶋茜選手、シッティングバレーボールの真野嘉久監督。
(右から)車いすフェンシングの藤田道宣選手、パラテコンドーの伊藤力選手、そして日本フェンシング協会会長でもある太田雄貴さんです。
千葉市が2016年に行ったアンケートによると、障害者スポーツに関心がある人は4割いるのに対し、各競技を知っていると答える人は2%~15%ほどです。
これについて中嶋選手は「ロンドンパラリンピックでは観客との一体感が強かったのが印象的でした。日本の試合ではまだまだ観客が少ないので2020年までにはもっと知ってもらいたいです」とコメント。
藤田選手は「日本は欧米に比べ極端にパラ競技の練習会場が少ない。まずは魅力的な選手が育つ環境を整えることが必要」と話し、問題意識を共有しました。
その後は千葉県の中高大学生3グループが、夏休みを使って調査・検討を重ねた渾身の「パラリンピック応援プラン」を披露!
出場選手の等身大パネルを設置し、一般の方とのツーショット写真1万枚から成る巨大なモザイクアートを作成し、参加意識を高める「みんなでつくる・参加する2020」プランを発表した帝京平成大学の皆さん。
昭和学院秀英中学校、高等学校の生徒会チームは、幕張メッセ周辺の「バリアフリーマップ」を作成。障害のあるひとの目線に立ったまちづくりをすすめる「世界に誇れるバリアフリータウン・幕張へ~私たちが考えるおもてなし~」を発表しました。
最後のプレゼンは一人ひとりの障害に合わせた新しい障害者スポーツを作り、一人でも多くの人がパラリンピックに興味を持つようにと考えた「パラコネクトプロジェクト」。発表したのは千葉大学を中心とした学生団体「おりがみ」のみなさんです。
プレゼンを受け、選手たちからは「モザイクアートに自分の写真を使われることで、パラリンピックに参加しているんだという気持ちになれると思います」「バリアフリー設備を充実させることに加えて、困っている人がいたら声をかけられる雰囲気づくりも大切ですね」といった感想が。他にも「新しい競技を0から作るというよりは、既存のパラスポーツをさらに工夫していく形もいい」といった具体的なアドバイスもあり、プランの改善や、実現の可能性をさぐりました。
最後は全員で記念撮影!フォーラム終了後も学生と選手たちの交流があり、2020年に向けて結束を固めました。
ハートフォーラム終了後は、メインアリーナや隣の新宿中学校体育館で、各種パラ競技の体験教室が行われ、大変盛り上がりました。ウィルチェアラグビー体験に飛び入り参加し、大活躍したのは太田さん。独走状態になり、喜びの咆哮!
プロフィール
中嶋 茜(なかしま あかね)選手
競技:ゴールボール
1990年生まれ。岐阜県出身。先天性の視覚障害がある
2012年ロンドンパラリンピック 金メダル
真野嘉久(まの よしひさ) 監督
競技:シッティングバレーボール
1965年生まれ。大阪府出身
2000年シドニー、2004年アテネパラリンピック男子日本代表監督、2008年北京、2012年ロンドンパラリンピック女子日本代表監督などを歴任。現在日本シッティングバレーボール協会会長と日本女子チームの監督を兼任
藤田 道宣(ふじた みちのぶ)選手
競技:車いすフェンシング
1986年生まれ。熊本県出身。19歳の時、頸椎(けいつい)を損傷し、下半身麻痺となる
2016年 アジア選手権 6位
2017年 ワールドカップ ハンガリー大会 16位、ポーランド大会16位 など
伊藤力(いとう ちから)選手
競技:パラテコンドー(東京パラリンピックで初めて正式種目となる)
1985年生まれ。宮城県出身。2015年、事故により上腕切断
2016年1月より練習を開始し、2017 US OPENにて初優勝
太田 雄貴(おおた ゆうき )さん
元フェンシング日本代表選手 1985年生まれ。京都府出身。
2008年 北京オリンピック男子フルーレ個人で日本フェンシング史上初の銀メダルを獲得
2012年 ロンドンオリンピック男子フルーレ団体戦で日本史上初の団体銀メダル獲得
2016年 リオデジャネイロオリンピック出場後、現役引退を表明
現在日本フェンシング協会会長、世界フェンシング連盟理事