「交流教室 パラリンピアンがやってきた!」を神奈川県横浜市で開催しました
公開日:2025年11月30日

【220名の子どもたちが感じた車いすバスケの迫力と希望】
2025年11月6日。秋が深まりつつある穏やかな朝、神奈川県横浜市立公田小学校の体育館に、全校児童220名が集いました。この日、彼らを迎えたのは、車いすバスケットボールのパラリンピアン、宮島 徹也選手・三宅 克己選手と、神奈川県の車いすバスケットボールチーム『川崎WSC』に所属する齋藤 美佳選手の3名です。
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【挫折を乗り越え、前向きになれた道のり】
交流教室は、選手たちの自己紹介から始まりました。宮島選手(愛称:てっちゃん)は、「今、僕は左脚がありません」という率直な言葉から、人生の大きな挫折を乗り越え、いかにして再び前を向けるようになったのか、その道のりを語ってくださいました。
また、健常者でありながら車いすバスケを始めた齋藤選手(愛称:みかちゃん)は、「障害のある人への接し方は、隣にいる友達と何ら変わらない」というメッセージを伝えます。
子どもたちは、ふだんの生活ではなかなか聞くことのできない、心が折れてから立ち直るまでのお話に、真剣な眼差しで聞き入っていました。
【想像を超えたスピードと迫力のデモンストレーション】
自己紹介の後、体育館の空気が一変します。選手たちが競技用車いすを自由自在に操るデモンストレーションでは、くるくると軽やかにターンし、まるで疾風のように体育館を駆け抜けます。想像を超えたスピードと車いすがぶつかり合う迫力に、子どもたちの顔には驚きと興奮の色が広がりました。
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【「難しさ」と「楽しさ」を体感する】
いよいよ、子どもたち自身が競技用車いすに乗る体験の時間です。
最初は恐る恐る車いすに体を預け、大きなタイヤを回すことの難しさを実感。それでも、練習後のグループ対抗車いす競走では、仲間たちの「はやく!がんばれー!」という大きなエールを受け、集中して走ります。車いすがまるで手足になったかのように動き、風を切る楽しさを知るとともに、操作の難しさも身をもって理解した瞬間でした。
さらに、ビブスを着けての車いすバスケットボール対抗戦。車いすが「ガシャン!」とぶつかり合う音と仲間たちの大きな声援が体育館に響く中、片手でボール、片手でタイヤを回しながらゴールを目指す真剣な表情が見られました。
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【宮島選手と児童の対話から】
交流教室では、宮島選手への質問タイムも設けました。
Q.『車いすに乗ってる時は大変ですか?』
A.『僕はふだん生活するときは、「義足」も使うし、「義足」だけで歩くのも疲れちゃうので生活用の車いすにも乗るんだけど、大変なのは、道に段差があるときとか、芝生みたいな所。車いすで進もうとすると結構大変。
みんな、「バリアフリー」って知ってる?
体育館の入口とか、みんなの学校の玄関とかも段差がないように「スロープ」があるよね。「スロープ」があればいろんな所にいける。
スロープがない階段だと、僕が車いすから降りて、車いすを誰かに2階に運んでもらわないといけないので、そういうのが大変だね。』
Q.『どういう経緯で車いすバスケを始めたんですか?怖い事ってないんですか?』
A.『もともと僕は小学生の頃からバスケをやっていたの。中学2年の時にケガをして、またバスケをやるために受けた手術が失敗して、足がなくなっちゃって。最初は、病院に閉じこもってました。
足がない姿、いわゆる「障害者」になった自分が、怖くて、誰にも見せたくなくて。
でも毎日の放課後、学校の友達が僕の病室の前まで来てくれてたの。でも会えなかった。怖くて。
それでも彼は、3か月間、毎日来てくれて。僕も、「何て言われるんだろう。何て思われるんだろうな」と思いながらも、ちょっと、会う気持ちになったの。
そしたら彼は、今までと何にも変わらない接し方で
「早く学校来いよ!おまえ居ないとつまんない。2階にある教室まで、車いすも荷物も全部運んでやるから、来い!!」って。
当たり前に接してくれたことがすごくうれしくて。それで気持ちが少し楽になったときに、別のことにも気づいた。
入院生活の間、お母さんがずっと僕のサポートをしてくれてたんだけど、お母さん、こんなにやつれてたっけ?白髪がいっぱいだったっけ?
足がなくなったのは僕だから、僕が一番つらいと思ってたんだけど、今まで元気に育ててくれたお母さんが、もしかしたら僕よりもつらいのかな。じゃあ僕はこのまま病室に閉じこもってちゃだめだ!って思って。
大好きなバスケをもう1度したいって思ってたときに、車いすバスケをしていた高校生の選手が僕に会いに来てくれて、車いすバスケを教えてくれたの。車いすバスケで日本代表とか、パラリンピックを目指せるって教えてくれた。
友達のおかげだったり、お母さんだったり、会いにきてくれた選手がいたり。そうして僕は、車いすバスケの選手になることが、出来ました。』
宮島選手は子どもたちのすべての質問に、丁寧に誠実に答えてくれました。宮島選手が伝えたい思いを、子どもたちはしっかりと頷きながら、真剣な眼差しで受け止めてくれていました。
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【心の交流から得た心のお守り】
朝9時から3時間以上にわたる交流教室は、子どもたちの心に深く残るものとなりました。
参加した子どもたちからは、うれしい感想が寄せられています。
「先生から障害者スポーツのことを聞いていたけれど、障害があってもこんなに運動ができることを知りました。」(4年生の男の子)
「車いすバスケは楽しかったけど、ドリブルしながら車いすを操ることは本当に難しかった。脚を切断した人の気持ちに初めて触れ、どういう気持ちで立ち直れたのかを知ることができました。また、大切な人の思いに寄り添える“みかちゃん”の考えもステキだと思いました。」(6年生の女の子)
最後に、三宅選手(愛称:ミヤッキー)から、「これからも自分を信じる力を子どもたちに伝えていきたい。どんな自分でも認めてあげることで、他者のつらさも受け止めて、優しくできるのかもしれません」という、温かいメッセージをお預かりしました。
220名の子どもたちは、この交流教室を通じて、障害があっても普通に接すること、街で車いすに乗っている人に気軽に声をかけることの大切さ、そして、三宅選手のお話から、どんな困難があっても乗り越えることができる心のお守りを受け取ってくれたにちがいありません。
体育館を出る子どもたちの表情は、朝よりもずっと明るく、晴れ晴れとしていました。この3時間の経験が、子どもたちがこれから歩む長い人生の道のりで、迷子になりそうな時に足元を照らしてくれる一助となれば。そんな希望を感じた交流教室となりました。
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