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活動リポート

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2012年6月10日

東京で「東日本大震災と福祉現場」についてのフォーラムを開催しました。

2012年6月10日(日曜日)、東京・千代田区のイイノホールで、NHKハートフォーラム「東日本大震災 そのとき福祉現場は 〜被災経験から何を学ぶか〜」を開催しました。

写真:舞台上の様子。右から、内出さん、井上さん、菊池さん、青田さん、立木さん、湯浅さん、町永さんの順で座っている。町永さんの隣には手話通訳者、そしてパソコン要約筆記の画面がある。

フォーラムでは、被災地に暮らす障害当事者や支援者、高齢者施設で働く人々の体験報告をもとに、「災害があっても、障害があっても、誰もが安心して暮らすための手がかり」について議論が重ねられました。

出演は、岩手県大船渡市で高齢者施設を運営する内出 幸美さん(社会福祉法人典人会総所長)、宮城県仙台市で暮らす障害当事者の井上 朝子さん(自立生活センターCILたすけっと)と支援者の菊池 正明さん(同)、福島県南相馬市で障害のある人のデイサービス施設を運営している青田 由幸さん(さぽーとセンターぴあ代表理事)、福祉防災学を専門とする立木 茂雄さん(同志社大学教授)、内閣官房震災ボランティア連携室室長として被災地支援にあたっていた湯浅 誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)。司会はTV番組「福祉ネットワーク」(Eテレ)で震災直後から被災地の状況を伝え続けた町永 俊雄さん(TVキャスター)が務めました。

出演者のプロフィールはこちらをご覧ください。


被災地からの報告「生死を分けた情報とネットワーク」

犠牲者を一人も出さなかった高齢者施設

写真:内出さん

まず報告したのは、内出さんです。大船渡市では400人以上の人が津波にさらわれてしまったのですが、内出さんたちの運営する施設からは一人も犠牲者を出しませんでした。その理由として、まず施設の職員が高齢者と接している中で常に聞いていた「地震が来たら津波と思え」という教訓があったこと。2日前にあった地震の際の避難訓練の失敗を活かせたこと。そして、認知症の人を地域の人が知っていたことを挙げました。
また、震災時に地域の人々の避難所として開放したのをきっかけに、地域住民との交流が増えた施設があるとの報告もされました。

障害当事者の支援活動

写真:井上さんと菊池さん

次に報告したのは、井上さんと菊池さんです。井上さんは脳性まひのため車いすを利用して、ヘルパーの補助を受けながら自立生活をしています。井上さんたちは震災直後から、障害のある人たちの自宅に物資を届ける活動を続けてきました。障害のある人は避難所では生活できないという現実が分かったからです。井上さんたちは当事者だからこそ分かる障害者一人ひとりのニーズにできるだけ応えながら、活動を続けていったと報告しました。

「要援護者」が取り残された街の支援活動

写真:青田さん

続いて青田さんが報告しました。青田さんのデイサービス施設は福島第一原発から24キロメートルの位置にあります。原発が水素爆発した後、南相馬市では市民に避難を促しました。しかし、施設を利用している重度の障害のある人や、地域の高齢者の多くは、自宅を離れて生活することが困難であるため、避難できなかったそうです。やむにやまれず青田さんたちは南相馬市に残り、支援活動を続けました。活動する中で分かってきたのは、緊急時に援助が必要な人々が記載されているはずの行政の名簿の不備でした。行政や支援機関とつながっていない「要援護者」がたくさんいることが分かったのです。青田さんたちは行政から提供された障害者手帳所持者の名簿をもとに、一軒一軒を回って必要な支援情報を確認し、支援活動を続けていったことを報告しました。

「何を学び活かすか 〜災害への備え〜」

報告された皆さんが被災時に実感したのは、「つながり」の重要性でした。

写真:

4人の方のお話を受けて、まず立木さんが、「つながりの中で『この人と出会えてよかった』という思いが、一歩を踏み出すきっかけになる。人と人とのつながりはこれからの10年、あるいはそれ以上の期間にわたって、人々の生活の再建を進める上での、一番大きな資産になる」と話しました。

写真:湯浅さん

続いて湯浅さんが、「津波と震災はいろんなものを奪ったが、震災と津波が出会わせたものもあったと思う。それは施設の人と地域の人との出会い。いわば『強いられた出会い』だが、新しい関係が生まれた。これまで日本のコミュニティーを形成していた地縁・血縁・社縁の力は落ちてきており、私たちは自分たちでコミュニティーを作っていかなければいけない。そのためのノウハウを海外の取り組みなどから学ぶ必要がある。それは震災に限らず、地域社会を形成していくうえで、極めて重要なことだと思う」と話されました。

写真:町永さん

最後に町永さんが、「今回の大震災は人々の『ライフ=生命・暮らし・人生』を根こそぎにしたが、被災地の人々から復旧への知恵を教えてもらった感じがする。私たちそれぞれがつながっていく、希望を生み出していく、その答えに向かって現地の人々とともに一緒に第一歩を生み出す、本日はそんな日にしたいと思います」としめくくりました。

参加者の感想

参加者は車いすを利用している方や視覚障害のある方、聴覚障害のある方、高齢者施設や障害のある人の施設で働く人々が多く来場されました。終演後のアンケートには、「災害時の要援護者名簿には、その人がどのような支援を必要としているのかという視点が大事だとわかった」、「今回の体験談の中から、検証、振り返りを行い、次に活かす話を聞けた。出来ることから始めていきたい」といった声がありました。

写真:ロビーに展示してある資料を見ている参加者たち。

なお、会場のロビーでは、障害当事者団体や支援団体などがまとめた東日本大震災の調査報告や防災に役立つ資料などを展示。多くの方々が目を通していました。


出演者

内出 幸美  うちで ゆきみ (社会福祉法人 典人会 理事・総所長)

岩手県大船渡市生まれ。1994年に認知症専門デイサービスを立ち上げ、その後、グループホームや特別養護老人ホームなどを運営。東日本大震災時は津波によりデイサービス施設が全壊したが、迅速な非難により犠牲者はなかった。災害時の緊急介護派遣チームの創設に向けて活動をしている。

井上 朝子 いのうえ ともこ  (自立生活センターCILたすけっと事務局長)

1985年岩手県二戸市生まれ。出生時のトラブルで脳性まひの障害を持つ。2003年、養護学校卒業後、仙台市で「自立生活」を始める。「CILたすけっと」の当事者スタッフとして活動。東日本大震災直後から、障害者一人ひとりに救援物資を届けるなどの支援を展開している。

青田 由幸 あおた よしゆき (NPO法人さぽーとセンターぴあ代表理事)

1954年福島県南相馬市生まれ。2008年「NPO法人さぽーとセンターぴあ」を立ち上げ、「断らない」を合言葉に障害者の生活介護、就労支援事業に取り組む。東日本大震災では原発事故後に避難出来なかった障害者の支援や調査を行った。

立木 茂雄  たつき しげお (同志社大学社会学部教授)

1955年兵庫県生まれ。専門は福祉防災学。阪神・淡路大震災後の被災者復興支援会議メンバーとして生活復興に向けた施策の提言活動を行う。東日本大震災後には、災害時要援護者への対応策を提言。著書に『市民による防災まちづくり』(共著)、他。

湯浅 誠 ゆあさ まこと
(反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局次長)

1969年東京都生まれ。95年よりホームレス支援、2008年「年越し派遣村」村長など、貧困問題に取り組む。著書『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』で大佛次郎論壇賞を受賞。東日本大震災では、内閣官房震災ボランティア連携室室長として被災地支援にあたった。

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主催

NHK、NHK厚生文化事業団

後援

厚生労働省、東京都、日本障害フォーラム(JDF)、NPO法人地域精神保健福祉機構(コンボ)

協力

NHKボランティアネット

 

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