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活動リポート

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2015年11月23日

フォーラム「認知症700万人 当事者が語る新時代」東京と大阪で開催しました

11月14日(土曜日)に東京で、11月23日(月曜日)に大阪で、NHKハートフォーラム「認知症700万人 当事者が拓く新時代〜先進地スコットランドからの提言〜」を開催しました。
スコットランドで認知症の当事者グループを世界で初めて立ち上げたジェームズ・マキロップさんを招き、これからの日本がめざすべき認知症施策について考えました。介護関係者や当事者、そのご家族など、東京と大阪あわせて1000人近くの方にお越しいただきました。

「私たちはいかにして『声』を獲得したか」

最初はジェームズ・マキロップさんから、どのようにして当事者のグループを立ち上げ、社会に向けて「声」を発信し、スコットランド政府に働きかけるまでに至ったのかについて講演をいただきました。

ジェームズさんの講演全文をこちらからご覧いただけます。

続いて日本認知症ワーキンググループ共同代表の藤田 和子さんが檀上へあがり、ジェームズさんと話しました。
藤田さんはワーキンググループにとっての「ワーク」の意味を質問し、ジェームズさんは、「当事者同士で語り合うだけではなく『社会へ働きかける活動』が『ワーク』であり、それをするのがワーキンググループです」と答えました。

「希望を持って暮らせる社会の実現へ向けて」

第二部では、まず藤田さんが、認知症になってからの思い、そして日本における当事者活動について話しました。
藤田さんは認知症と診断された時、「ただ病名をつけられただけでした。生活に必要な情報は何も得られなかった」と振り返り、「人としての価値が無いかのような扱いを受けた感覚があった」と話しました。診断はされても支援がない「空白の期間」が大きな問題であるという指摘です。
その後で藤田さんは、周りの人たちが自身の体験をしっかりと聞いて、一緒に考えてくれたことで救われたといいます。
藤田さんはその体験から、認知症への理解を広げるためには自分自身から発信していくことが大切と考え、当事者のグループを立ち上げました。
「認知症の人々が希望と尊厳を持って生きられる社会づくりは、認知症の人の参画無しには実現しない」としたうえで、今後の活動について、「これから認知症になるすべての人が、認知症になることを恐れなくてもいい社会を作るために動きます。認知症の私達が力を発揮できるように、皆さんも力を貸してください」と会場に語りかけました。

後半はパネルディスカッション

最後はジェームズさん夫妻、藤田さんに加えて、永田 久美子さん(認知症介護研究・研修東京センター研究部長)、粟田 主一さん(東京都健康長寿医療センター研究所研究部長)、水谷 忠由さん (厚生労働省認知症施策推進室長)を交え、パネルディスカッションを行いました。

藤田さんからは「認知機能は低下しているが、介護は必要がないという期間に、「『あなたはまだ大丈夫でしょ』とほったらかしにしないで、たくさんの支えがあると進行の度合いもゆっくりになると思う。本人が一番不安なときに話せる人が必要」といういま必要な支援の提案がありました。
粟田さんは、当事者と医療者の関わりについて「我々は医師であるので、診断もつけますし、病気についての説明もするし、そして治療もする。しかしそれと同時に、一人の友人として共に生き、認知症と生きる大変さや困っていることを聞いて、共に考えていくという歩みをすることもできるはずです」と話しました。
水谷さんは行政の立場から、「これからは、診断を受けてから支援を得られない『空白の期間』を無くすために、認知症の初期段階の方の二ーズを把握し、どういう仕組みで対応していくのがいいのか考えていきたい」と今後の方向性を示しました。
永田さんは今後の施策について「本人の声を聞いても、今までの制度には合わないことが多い。そのとき『ないですね』で終わらず、つくり出せるように一緒に動くべきときだと思います」と話しました。
さらに、ジェームズさんは支援のあり方について、「何でもやってあげるのが支援ではない。私が自分でできるのに、代わりに『やってくれてしまう』ようなことは違うと思う。私が言いたいのは、『頼まないのに助けないでください。問題がある時には助けて下さい』ということです」と呼びかけました。

大阪では丹野 智文さんが講演「認知症とともに生きる」

大阪では、日本側の当事者として、日本認知症ワーキンググループの丹野 智文さんが講演しました。
39歳で若年性アルツハイマーと診断された丹野さん。診断前は営業の仕事をしていましたが、ある日、毎日顔を合わせているスタッフの名前も出てこなくなりました。病院へ行き、診断を受けた時は深く落ち込みましたが、その後家族会へ参加する中で「認知症になって10年経っても元気でいられることが分かり、不安が解消された」と言います。
その後、自分が障害者だと見た目では分からないことに不便を感じ、家族の賛成を得て病気をオープンにしようと決意しました。
周りの環境が良ければ笑顔で生活できることを知ったという丹野さんは、支援のあり方について「最初のころは周りの人をサポーター(助けてくれる人)だと思っていましたが、その後、一緒に行動するうちに、出会った人たちをパートナーだと思うようになりました。医師や行政の人も、パートナーという意識を持つことで、本人の望みに沿った支援をすることが可能だと思います」と話しました。
最後に、「今まで通りの生活を出来なくなることは良い意味で諦め、受け入れることで新たな人生が始まります。認知症と診断されてからでも、新たな人生を作ることが出来ることを、私が活動している姿を見て知って欲しい」と話しました。

大阪会場でも、最後に全員でパネルディスカッションを行いました。
永田さんは講演を受け、「丹野さんやジェームズさんのように自分の言葉で話すことができる人は特別なケースだと思われがちですが、我々介護する側がそういった本人の力を見過ごしてきた一面があります。教科書の情報をあてはめるのではなく、本人の言葉を聞き、思いを知ることが重要」だと話しました。
水谷さんは当事者との関わりについて、「『かわいそうな認知症の人が、一方的に恩恵を受ける』というのではなく、『いつ認知症になるか分からない状況の中で、どうすればよいか教えてくれるひと』という、双方にメリットがある関係であるという認識を持ち、助け合うことが今後必要」と話しました。
今後の活動について、丹野さんは「本日ジェームズさんのお話を聞いて、勇気を持って発言し続けるということが必要だと改めて感じました。これからも、症状が進んだ姿を見せながらでも講演活動を続けるつもりです」と話し、会場から大きな拍手が湧きました。


来場者アンケートより

来場者のアンケートでは、
「当事者の方がこの様に長時間、しかも即時に質疑にもこたえておられるので驚きました。当事者の方が質問をされていたのにも驚きました。認知症にならないようにとの運動が広がった陰に、認知症の人の生き方まで思いが至らなかったことを私達は十分考えなければならないと反省しました」(70代、家族)
「早期診断のあとに、天から地に落下するような絶望があることを踏まえ、診断の後に受け止め介入する人たちがほぼ同時に必要だということを考え、自分自身の今の立場で何ができるのかをあらためて考えてみたいと思います」(40代、介護関係者)
といった感想が寄せられました。  

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