おはようございます。今日は、たくさんの現場の先生を含めてお話をしていただきます。現場の先生から、いろいろ具体的な話が出てくるだろうと思いますので、私の方では、2007年4月からスタートした特別支援教育のポイントと現状、それから、学校は、これからどのように変わっていかなくてはならないのか、といった、基本的な話をさせていただこうと思います。
まず、特別支援教育の対象となる子どもは何人くらいいるのか、ということですが、次の表をご覧ください。
特別支援教育対象児
場所 | 割合(%) | 人数 |
特別支援学校 | 0.52 | 54,000 |
特別支援学級 | 0.96 | 105,000 |
通級学級 | 0.38 | 41,000 |
計 | 1.86 | 200,000 |
場所 | 割合(%) | 人数 |
LD ・ADHD・高機能自閉症等 | 6.3 | 680,000 |
(義務教育対象人数 10,860,000人)
ADHD、高機能障害等で6.3%という数字が出ていますが、実際に学校を回りますと、8%くらいあります。いままでの障害児教育の対象は、平均して1.5%程度と言われていますから、この辺を全部入れて合計すると、義務教育対象の1割近くの数字になっていると思います。1%台の特殊教育の時代から10%台の特別支援教育の時代へ移行した、ということを、まずご理解ください。
1%台の時は、「あの子は障害児学級の子だ」とか、「あの子は養護学校の子だ」ということで、通常学級の先生が関心を持たなくても、指差されるようなことはありませんでした。これからは大変です。ほとんどの子が通常の学級にいたり、あるいは通常の学級から特別支援学級の方へ出て行ったりして、通常の学級の先生が理解しない限りは一歩も進まない時代が、とうとう来たということです。
特別支援教育は一言で言うと、「学校と教員の意識改革」です。「ここまで一人一人の先生のレベルを上げないといけない」とか、「学校自身が変わらなくてはいけない」ということです。学校側に様々な要求が突きつけられています。
それからもうひとつ。保護者は、これを契機に、「学校に丸投げ」するのではなく、親の責任を充分果たした上で、学校がしなくてはいけないことと、親がしなくてはいけないことと、その両方の理解を充分持ってください。何か問題があったら、全て「学校学校」と言うのではなく、親自身が持たなくてはいけない責任が強く出てきました。
個別指導計画とか個別教育支援計画と言って、これから高等学校を出て行くまでのその子どものビジョンを明確にし、さまざまな情報を入れてプログラムを作っていかなければならないのですが、当然、それには、親が参画しないとできません。
繰り返しますが、学校ができることと、親がやらなくてはいけないことを明確にしていかなくてはいけない、そういう時代です。
そのために学校側が、あるいは担任の先生が、それぞれレベルを上げていかなくてはいけない時代です。
特別障害教育は、法律的には、幼稚園・小・中・高等学校で実施するものです。ただし、現在、幼稚園・高校はモデル事業で、それぞれの地域で手を上げた学校だけがやっています。小学校・中学校から始まり、だんだんと、幼稚園、高等学校を含んでいくことになります。
また、特別支援教育は、今までの重度障害の子どものたちの指導をおろそかにしてLDをやりなさい、と言っている訳ではありません。今までやってきた子ども達にはちゃんとした指導をやりなさい、と、それにプラスアルファして、LD、ADHD、高機能自閉症等の子どもたち、6.3〜8%が入ってくるんです。ここを間違えるとんでもないことになります。
特別支援教育は、平成19年に始まりました。今年から47都道府県全て、3万4千校の小中学校で始まりましたが、温度差が大きすぎます。ものすごく上手く動いているところと、これからやろうかなと周りを見ながら動くところがあります。このままですと、どんどん差が広がっていくかもしまれせん。
すべての学校で、現場の先生ができるところからスタートして、少しずつ、確実に、全体のレベルを上げていかないといけない、というように思います。
さて、特別支援教育の基本的な考え方ですが、これは、「生徒一人一人の教育ニーズを把握して指導します」ということに尽きます。
特別支援教育の基本的考え方
この「一人一人の教育ニーズ」ということを、一番分かりやすい例でお話します。
例えば、40人学級の1年生のクラスがあるとします。担任の先生が来ました。「はい、みなさんこちらを向いてください」。当然、みんなこっちを見ます。しかし、真ん中に座っているAさんは下を向いています。
「Aさん」。最初は、やさしく声をかけます。「Aさん!」。ちょっと大きめに声をあげます。まだ、こちらを見ません。周りの子が「また、あいつだ」と言っています。どうも、名前を呼ばれても、いつも下を向いているようです。2回呼んでも返事がなく、こちらを向かないので、ちょっと先生も声を荒げて、「Aさん!!」と言いました。やっと、彼は、先生の顔を見ました。けれど、何が起こったのか分からないから、おろおろしています。周りの子は笑っています。「また、あいつだ。ほら、また、言われた」。
「平成19年度からは、これをしてはいけない」というのが、特別支援教育です。特別支援教育の中では、名前を呼んでその子がこちらを見なかったとなると、いくつか調べないといけないことがあります。
一番に、「耳が聞こえていないのではないか」という聴力の問題。二つ目は、「聞いていなかったのではないか」という不注意の問題。三番目は、「言われている意味が、本人に全く伝わっていなかったのではないか、知的障害の問題かもしれない」ということです。他には、「こちらを見なさい」と言えぱ、こちらを見ますが、話を聞いていない子がいます。アスペルガーの子は、「こちらを見なさい」と言えば、見ます。でも、「こちらを見て、先生の話を聞きましょう」と言わないと駄目です。
話をAさんに戻します。四番目があります。この子は、全部分かっているんです。言われている意味も分かっているし、見なくちゃいけないことも分かっているんだけど、彼の頭の中には、常に優先順位というのがあって、その優先順位は、先生の常識とは違うわけなんです。彼の優先順位の一番は、「下に落ちている魅力的なものを観察する」ことであって、先生の話は大したことじゃないから、優先順位は2番目なんです。
それを確認しないで、「Aさん!Aさん!Aさん!」と、むやみやたらに名前を連呼するだけ、というのが、今までの教育です。特別支援教育は、一人一人の教育ニーズを拾って、それに合わせた指導をしていかなければならないのです。「なぜその子ができないのか」、「どこでつまずいているから、そういう行動を取るのか」ということを、しっかり把握して関わりなさい、ということです。
特別支援教育は、一人一人の子どもが、どこでつまずいているかを、ちゃんと調べないといけません。だから、親も調べさせてくれないと、いけません。「ちょっと検査させてください」と言ったら、「なんでうちの子だけ検査なの!」。それでいて「うちの子をちゃんと見て!」と言うのは、おかしいことですね。今は昔と違って、どこでつまずいているのか、ちゃんと調べられるテストがあります。それで、その子が助かるということを、ご理解いただきたいと思います。
特別支援教育が学校に求めているのは、次のことです。
スタートした特別支援教育
19年4月から、全部の学校に、コーディネーターの先生がつくようになりました。
特別支援対象の生徒は、最低6.3%います。ということは、500人生徒がいたら、少なくとも30人は、特別支援教育対象の生徒がいるわけです。この30人は、今までの特殊教育対象とは別です。盲ろう養護学校、障害学級の子は別にして、これだけの生徒がいます。
そして校務分掌には、「校内委員会を作ってください」と書いてあります。この委員会は、問題があったらすぐ開くので、1週間に1回くらい開かないといけないような委員会です。
そしてその中で、個別教育支援計画と個別指導計画を作ります。今年の4月くらいに、文科省から全ての学校の校長先生宛てに、文書がいっています。特別支援教育における校長の責務ということがその中に書かれてあって、「個別教育支援計画を作るのは校長の責務です」と書かれています。
では、この個別教育支援計画とは、どういうものか、お話しします。
個別の教育支援計画
「個別教育支援計画」というのは、1冊の本です。乳幼児の頃から高等学校を卒業するまで、その子どもが持っている力を十二分に発揮させて、どういう子どもに育てていこうとしているか、その子の将来ビジョンを作っていくのが、個別教育支援計画です。そのために色々なところと連携し、様々な情報を入れながら、本を作っていきます。
その1冊の本の1ページを「個別指導計画」といいます。「今何するの」、「今週何をしたらいいの」ということです。例えば、ちょろちょろうろうろして、先生の話を聞いていなくて、一言多くて、45分授業の中で20分くらいは一人でしゃべっている子どもが、いるとします。この子、A君が、黙って座って授業が聞けるようにすることが目標だとすると、そのために、具体的に、どういう対応策を考えていくか。
個別指導計画というのは、「元気な子どもに育てよう」のように、誰にでも該当するものを書いてはいけないのです。A君に特化した、A君の問題点にしっかり関係した内容が入っていなくてはならないのです。これが1ページ1ページ積み重なって、個別教育支援計画に繋がっていかなくてはならないんです。
この特別支援教育に、発達障害者支援法がドッキングして、一生涯の生涯発達ビジョンというものができてきます。0〜6歳まで、まずは厚生労働省から始まって、文科省につないで、卒業後、就労で厚生労働省につなぐという、この二つの法律がうまくドッキングして、一人一人の子どもの生涯発達ビジョンを作っていこうというのが国の考えです。
ですから、校長先生が「そんなの聞いてなかった」と言うと、これはとんでもないくらい学校が動かなくなります。これを動かすのがPDCAです。
個別の指導計画(Plan)、実践(Do)、校内委員会や専門家チームで効果の有無を確認する(Check)、再実践(Action)というサイクルを確立することです。
子どもの検査をしっかりやって、どこでつまずいているかを調べて、それに基づいて個別指導計画を作って、実践に移していった内容がちゃんとしているかどうか確認し、修正を加えて、また行動に移す。企業が使っているPDCAを、今、特殊教育、特別支援教育両方で使っていきます。
次に、特別支援教育コーディネーターの話をします。コーディネイターの役割は、次の通りです。
コーディネーターの役割
コーディネーターは今年から始まったので、今、コーディネーターに責任を全部負わせるのは難しいですが、最終的に、コーディネーターというのは、「連絡調整」と「担任に対する支援」をしていかなければなりません。
とりわけ、担任への支援は重要です。担任の相談から状況を整理する、偏りのない多面的な情報を収集したり、担任と一緒に生徒を理解して、この子はどこでつまずいているかを言えるようになってくると、このコーディネーターはプロです。
コーディネイターに求められる資質・技能をまとめてみました。
コーディネイターに求められる資質・技能
コーディネイターは、非常にいい人間関係が取れる人でないといけません。校長先生、教頭先生とうまくチームワークが組めるような人、明るい人です。また、WISC-㈽などの検査が取れること。これが将来的に入ってきますので、今すぐは出来なくてもいいけれども、こういうことが出来てくると周りの見る目が変わってきます。
コーディネーターだから周りがついてくるわけではありません。「よく勉強していて、この人の言っていることはすごいな!」「この生徒について、こういう見方があるんだな」と、担任の先生が認める。そうすると学校が動き始めます。ですから、「わたしはコーディネーターです」って胸張っているだけでは駄目です。「私は本当はしたくなかったんだけど、校長から言われて・・・」と言う先生も駄目です。初めから「自信がない」と言っている先生には、できるだけさせないでいただきたいと思います。
註:WISC-㈽。子どもの知能を検査する方法のひとつ。子どもの発達の特徴を、多面的総合的に把握できると言われている。
特別支援教育は、メタ認知がある先生が求められています。メタ認知というのは自分はどこまでできて、どこまでができないかを言えることなんですね。「僕はここは強いけど、残念ながらここは弱いです」ということをはじめから言える先生。こういうクラスに入れた時には安心できるんです。知らないことは知らないと言えるから、知っている先生がサポートに入れるんです。
今は、担任の先生が、がんじがらめに自分のところのドアを閉めてしまっている例が多々あります。コーディネーターが入れてもらえないんです。周りの先生も、その先生のやり方がめちゃくちゃなのを分かっているのですが、「担任だから」口出しできないんですよ。
どうか、知らないことを「知らない」と言える先生になってください。そのためにサポートがいるんです。専門家チームがいるんです。各都道府県が専門家チームを持っているんです。少しでもこじれることがないようにしようと、努力しているんです。そのために協力してください。あなたの面子がつぶれるわけではありません。
私が、学校の巡回指導を続けていた時に見えてきたことを例に、話をしましょう。
A君っていう3年生の子がいました。アスペルガーの子です。めっちゃくちゃ荒れていました。担任の先生は、「この子はこういう問題があって!」と言うのですが、よく聞いてみたら「別の教師が担任をしていた2年の時は、とても良かった」ということなんです。
2年生の担任の先生はすごく上手に関わったために、この先生には何でもしゃべれるんです。ところが、3年生になったときの先生は、「この子はいい加減な子で、分かっているくせにしない。ただ自分がやりたくないからしてないだけで、これは親のしつけの問題です」と思いこんでしまい、厳しくその子に当たりました。A君は、心の中で、「この人は敵です!」と、なってしまったんですね。
私は、現在の担任に、「あなたのせいですよ」と言いました。それでどうしたらいいか。「あなたの面子はつぶれないから、この子の窓口は2年生の先生にしてください。3年の担任のあなたとはコミュニケーションがとれません。だけど2年生のときの担任とはとれます。"2年生の先生はこの子の担任ではないから、その先生のところには行かないでください"なんて、あなたが言うのは、もうやめてください。この子が、どうやったら、うまく学校に適応できるかを、最優先してください。優先順位はそちらです。あなたの面子は、優先順位の2番目です」というように処理をしたことがあります。
次に校長です。特別支援教育を進める上で、私は、校長のやる気がまず大切だと考えています。
誰が旗を振るか
校長がやる気を見せる。行動する。そうすると、周りがついていきます。まずは管理職がビジョン出してください。そうするとチームワークがとれます。そうすると今度はコーディネーターがついてきます。こういうことを、校長研修の時に、びしっと言わないとだめなんです。
(図 藤井 2006)
これからの学校は、校長先生が寝ていたら駄目です。校長先生がきちんとしたリーダーシップを取れるかで決まります。校長が学校をどう経営していくか、経営計画の中に特別支援教育が入ってないといけないんです。
これが入っていることが分かると、教育者のモチベーションも上がって、校内の支援体制がちゃんとしてきます。校長先生は校長室に閉じこもらず、各クラスを常に回って、「職員会議でも話が出てたけど、2年1組のA君は今日はどうしているかな?」と担任の先生に声をかける。「4年1組の、アスペルガーと言われている子どもは、今日はちゃんとパニック起こさないでじっとしているかな?」と覗きに行く。まずは、学校長のリーダーシップです。
文科省のガイドラインでは、校長の役割を次のように定めています。
校長の役割(ガイドラインから)
法的根拠に基づいて適切に特別支援教育を推進するという「法令順守活動」が、支援学校管理者に求められています。発達障害児童に適切な教育を行わなかった、ということになると、学校の校長先生が「配慮義務違反」で、法的に責任を問われます。校長先生は、「なになにちゃんはアスペルガー障害があります、なになにちゃんはADHDがあります」ということがわかっていて、そのことについて、担任が適切な指導を子どもにしていなかった、という場合は、校長先生が責任を問われることになるんです。
さあ、学校と教師の意識改革です。このことを、まずは、理解してください。
ここで、二次的障害について話をします。二次障害というのは、次のようなものです。
二次障害とは
二次的障害には何があるか
この二次障害の問題は、大体、4年生くらいから出ます。特に不安障害です。人が笑っていると、「僕のことを笑っているな」。人が話をしていて、ちらっとこっちを向いたら、「僕の悪口を言っているに違いない」。こういう被害妄想的なものが、だいたい小学校4年生くらいを境に、強く出てきます。こういう種類のものを全て二次障害といいます。不登校もひきこもりも二次障害です。さらに、身体にはチックが出たり、おねしょが始まったりということも出ます。鬱的な状態になる子どももいます。
こうした二次障害を防ぐためためにも、適切な特別支援教育を行う必要があるのです。
適切な教育、ということについて、まず、LDの子どもの例で説明します。
コーディネーターの先生と学校の関係の中で、LDの子どもさんが必ず持つであろうといわれる障害は、「コミュニケーション・スキルの障害」と「アカデミック・スキルの障害」です。読み・書き・計算・話す・聞く、という分野の障害ですね。
「ソーシャル・スキル」は、弱い子も強い子もいます。「モーター・スキル」、つまり、感覚運動系の問題も、ものすごく問題がある子もいますし、逆に、問題がない子もいます。
LDの子どもさんの場合、色々調べていって最近わかってきたのは、耳の問題、目の問題、もう一つ、記憶の問題です。こうした事もふまえて、これからの特別支援教育を考えなければなりません。
ここで、過去20年くらいの流れを見てみます。法律的に、国で、LDのことを考えて、通級の問題の中に入れようという討議が始まったのが、1992年です。LD学会ができたのも、1992年です。親の会が動き始めたのが、1990年です。
最初の10年間で、読み・書き・計算障害の子がクラスにいた時に行った方法が、3つありました。「ゆっくり教える」、「繰り返して教える」、「教材を易しくして教える」です。ゆっくり話をして、繰り返し繰り返し教える。例えば3年生だったら、1年生の教材を使い教える。あるいは量を減らす。宿題が10問だったら、この子だけ3問に減らす。これが、今まで、遅れのある子ども、発達に問題がある子どもに対して担任ができる、ぎりぎりの線でした。
これは、間違いではないんです。間違いではないのですが、しかし、特別支援教育の時代、これだけでは、不十分です。
あらためて、LDの子どもさんがどこでつまずいているのか整理すると、次のようになります。
LDはどこでつまずいているか
3番目に、音韻認識力の低下、というのがあります。ひとつ例を話します。音節数と文字数の問題です。
「切手」は、発音は「きっ・て」です。「きっ」は促音で1音節ですから、「きっ・て」の音節数は2です。文字で書くと「きって」ですね。ですから、文字数は3です。「切手」は、音節数と文字数が異なるのです。
LDのお子さんは、しゃべっていてそれが何文字であるか、とか、書いた文字を発音するとか、聴覚に関連した様々な音韻の部分についての理解が、非常に弱いです。声で「きって」と言うと、聞こえているのは、「き」と「て」だけです。聞こえているとおり書く子は「っ」を抜かします。間に文字が入っていることに気づきません。「っ」に気づいてもらおうと、「き・つ・て」と発音すると、そのまま「きつて」と書いてしまいます。
その他、「さいふ」っていうのは3つの文字で成り立っている、ということが解らなかったり、あとは「りんご」を反対から言ったら「ごんり」だっていうことが言えなかったり、あるいは「りんご」の「ご」を使ってしりとりをすると、しりとりがどうも分かってないな、という子どももいます。こういう子どもたちに、特殊音節、伸ばす音、詰まる音、濁音、と、こういうことを教えていきますと、全く覚えないことになります。
こういう子どもたちに教える時には、どうすれば良いのか。例えば、「切手」の場合は、「本当はもうひとつ音が入っているのよ。聞こえてないけど音が入っているよ」ということを教えるわけです。その次は、先生が言った言葉を書く練習です。こういうことを徹底してやっていくと、音に対する気づき、音(おん)に対する気づきというのが生まれます。そのことが結果的、文字を飛ばさないで、抜かさないで読み書きできることにつながっていきます。
LDの子どもに見られる、聞くことの弱さについて、まとめました。
聴覚的弱さを持つ
このように、聴覚的な弱さだけでも、様々なことがあるのですから、単に、「ゆっくり教える」「繰り返し教える」「教材を易しくして教える」だけではやっぱりうまくいきません。その子どもがどこでつまずいているか見極めなければなりません。「耳だ」ということがわかると、そのつまずいていることに関連した教材を使って、そのレベルの指導をしていくということが、特別支援教育の専門性になってきます。これからの教師に要求されるのは、こういうレベルです。
その他に、眼の問題もあります。次にまとめてみました。
視知覚の障害
次に、ADHDの問題を見ていきます。ADHDの子どもの主な症状は、図のように、「多動性」、「衝動性」、「不注意」です。
多動は、動き回るだけが多動ではありません。例えば、しゃべっている時に、相手の話と関係なく、どんどんどんどんおしゃべりをし過ぎるというのも、実は多動です。それから、話が飛ぶのも、多動のひとつです。この話からあの話へ、次の話へ、となると、「Aさんごめんね。要するに、あなた何が言いたいの?」ということになります。これは、ものすごく多動性の子に強いです。
落ち着いてじっとしている「多動」の子どももいます。そうした子どものお母さんが、「先生、うちの子の、どこが多動なんですか?」と言ったら、先生は「おたくの子どもさんは、頭の中が多動です」言いました。「いっぱい情報を詰め込んでいるけど、まとめる力が弱くて整理整頓ができなくて、どこから見ても多動性の要素を持っています」と。
多動というのは動きだけではないんですね。そういうこともあるので、いい面では、多動の子どもの中には、ひらめきの強い子がいます。
この三つ目の「不注意」というのがあります。「多動な子というのは、わざと動き回っているんじゃないんだよ」と。「もう、身体が生理的に動かないといけない状況になっているんだよ」ということは、まずわかってあげてくださいね。以前、こんなことがありました。「あなたは動き回ってますから、2時間目と3時間目の休み時間には外にでてはいけません。クラスにじっと座っていなさい」ということを言われた子がいました。私はその先生に、「もっとひどくなるよ」と言いました。休み時間の自由時間こそ、多動を解消する時間なんですよね。これを「ガス抜きの時間」と言います。
よく多動な子どもの場合はこういうお願いをしています。次の時間はテストです、静かにして椅子に座ってやってもらわなければなりません。だったら、その前の休み時間に、先生と一緒に運動場を三周してください。「はっ、はっ、あーもう先生疲れたわー」というくらいやると、少なくとも30分持ちますから。マラソンとかジョギングをした後、集中できるという研究があるんですよ。子どもだけやらせると単なるいびりで終わりますから、「先生も一緒に走ろうね」ということです。だから先生は体力がないといけないですね。特に多動性の子がいるクラスでは。だから多動な子に、お仕置きとしてじっとさせるというのは逆効果です。
ソーシャルスキルを身に付けさせる場合は、「肯定的な文章」と「リハーサル」が大切です。
「廊下は走らないで」という標語の学校がたくさんあります。普通の子は「廊下は走らないで」と書いてあると、ゆっくり歩きます。「廊下は走らないで」という文章の意図は、「廊下はゆっくり歩きましょう」になるんです。ところが、アスペルガーには、これは通用しません。「廊下は走らない」ではなくて、「廊下はゆっくり歩きましょう」と、肯定的な文章に変えてください。
次に、リハーサルです。まず、先生がゆっくり歩いて見せます。そして、低学年の場合は一緒に手をつないでゆっくり歩きます。そして、本人一人で歩かせます。子どもにさせてみせて確認をする、これが、ソーシャルスキルの鉄則です。
衝動性のタイプの子は、特にリハーサルが大切です。リハーサルの中で、「こうやったらこうなるな」という予測が入るんです。見通しの弱い子には、こちら側が見通しを立ててあげてあげないといけないんです。
不注意な子どもの場合は、自己管理能力が低く、忘れっぽいです。注意力のない子どもへの指示命令は明快に簡潔にしてください。そして視覚情報をたくさん使ったほうが集中しやすいです。ちょっとした工夫も、これから担任に要求されることであります。
ADHDの根本的問題は集中力ではなく自己コントロール力である(ラッセル・バークリー)
ADHDというのは、基本的に360度あらゆる方向に注意が向いている子のことを言います。ADHDタイプの子どもが教室を飛び出すとき、注意・集中力が駄目なわけではなくて、ひとつのことに集中できないだけで、あらゆるところに注意・集中しているんです。要するに注意配分がうまくできない子どものことをいいます。ですから、「自分がこれを見たいんだ。聞きたいんだ。僕は今からポケモンのテレビをしっかり見るんだ」と決めたら、誰よりも集中して見ることができます。注意・集中が駄目なわけではないのです。私たちが注意・集中してほしいものに集中していないだけなんです。
隣のB君が消しゴム落をとしたら、拾ってあげています。親切なんです。こちらのC君が椅子をがたがたさせたら、立ち上がって押してあげています。なんて親切な子! しかし、肝心な先生の話は何一つ聞いてない、というこういうことが多いんです。
ADHDの子どもが教室からポンと飛び出すのは、「あ、救急車やな!あの救急車どこに行くんだろう!」「あ!今隣の部屋で笛の練習してる!」。そう思ったら立ち上がって、そっちに行ってしまう子です。もっと魅力的なものに引きずられる子なんです。
アスペルガーや高機能の子どもが部屋を飛び出すのは、ADHDの子と違って、今いるところが、生理的にもう駄目なんです。「いやです!この子の隣は嫌です!今の先生のあの一言許せません!」と飛び出します。子どもが飛び出しても、ADHDが飛び出す時と自閉系の子が飛び出す時では、理由が違うことがあります。行動だけで判断したら駄目なんです。
次に、自閉症スペクトラムの子どもの話をしましょう。自閉症には様々なタイプがあり、それが連続していることから、自閉症スペクトラム、と呼ばれています。
図に示したように、自閉の障害が比較的軽く、知的なレベルが比較的高い人たちには、「高機能自閉症」と「アスペルガー障害」があります。高機能自閉症というのは、0歳から6歳の間に言葉の発達に問題があり、アスペルガーは言葉の発達に問題なしという、これが二つを分ける大きな違いです。
オゾノフというアメリカの有名な自閉症の学者は、「30歳を過ぎるとこの二つの差がないのでひとつにしてもいい」と言っています。日本でもこの二つを分けない先生がいます。ただ、指導プログラムを組む幼児期の場合は、この二つは明らかに違うので、分けておいたほうがいいように思いますが、成人になると、これは一つにしてもいいかなと思っています。
アスペルガーなどは、言葉は非常に流暢で、語彙も豊富で、表現力も豊かです。しかも、教えないのに様々なことができるので、親はひそかに心の中で、「とうとううちに天才が生まれた」と思います。で、調べてみたらアスペルガーだった。
天才と言われている人は、ほとんど間違いなくアスペルガーなので、ある意味では間違っていないわけです。今、アスペルガーで世界で一番有名なのはビル・ゲイツだし、歴史的な人物で一番有名なのはアインシュタインです。ノーベル賞をとっている方の、2分の1はアスペルガーだろうと思います。
ということはアスペルガー=「障害」ではないんですよ。ADHD=「障害」ではないんです。
テンプル・グランディンさんという方がいます。世界でも一番有名なアスペルガー障害だったんですけれども、彼女が、「学校や家庭で絶対に教えなくちゃいけないことがひとつあります。本当に悪いことは何かを教えて下さい」と言うのです。それは何かっていうと、「人は殺してはいけません。人のいのちは大切です」ということなんです。
わたしたちは「1を聞いて10を悟る」とか、「親の背を見て子は育つ」とか、そういう世界で生きています。友達を見ながら、兄弟を見ながら、成長発達できます。それに対して、教えたことしかわからないのが高機能、アスペルガーです。ですから、はじめに「人は殺してはいけません」と教えます。なぜそうなのかということも、ちゃんと教えなくてはなりません。
高機能、アスペルガー症候群は、99%、事件とは何の関係もない世界に生きています。けれども、適切な指導が全然受けられない状態にしておくのは、リスクファクターとなってきます。「親子の絆がしっかりしていますか?」「小さい時から、ちゃんと指導プログラムを受けてきていますか?」。この2つがイエスの場合、事件に巻き込まれるケースはまず殆どありません。
アスペルガー障害の特徴
アスペルガーの場合は、「人の気持ちがわからない」、「場面理解ができない」、「スライド型反応」、「ルールに厳格」といった特徴があります。これを全部、指導プログラムに載せていかなくてはなりません。また、感覚系の問題もありますので、これも載せていかなくてはいけないです。
最終的には不快体験を積み重ねないようにしてゆく必要があります。不快体験を積み重ねると、どこかでフラッシュバックが起きます。フラッシュバックが起きると、様々な問題行動につながってきます。二次障害にもつながります。
例えば、今日校長先生とすれ違ったとき、校長先生があいさつをしてくれなかった。「あ!きっと、僕がトイレの洗面所を壊した犯人だと思っているに違いない」と思います。そして次は、「僕は退学だ!」と思います。
また、「作文を読んだ時、僕だけが誉められなかった。ということは、僕は、文章が下手だったんだ」とか、悪いほうに悪いほうにとるんです。こういう子が不安障害になっていきます。
このようなことは、自閉系の子の中には全然気にならない子もいますが、LDの子にも多いですし、ADHDの子にも多いです。ですからまずは二次障害を予防するために、自尊感情を上げていく、自己有能感を高めて達成感を常に持てるよう、学校の先生方は、その子どもがクラスに入った時に対応していく必要があります。
そして、自分を理解してくれる人、大人になったらその人のようになりたいと思う「カリスマティック・アダルト」を、一人作ってあげてください。居場所がある生活が子どもを救うひとつの道です。そういう学校にして欲しいなと思います。
これは、ハワイの水亀の写真です。水亀を陸の上に上げると、もう、おたおたしてる、どう生きていったらいいかわからない。当然、やる気を起こす楽しい環境ではありません。
この状態で指導しているようでは、駄目なんです。特別支援教育で、一人一人の子どもが、のびのびと、持てる力を発揮できる環境を作ってあげてください、その環境の中で伸ばしていかなければ、駄目なんです。
ご静聴ありがとうございました。
アズベリー大学卒。ピッツバーグ大学大学院 言語障害学科 修士課程修了。慶應大学医学部大学院 医学研究科修了。
現在、大阪教育大学 名誉教授、大阪医科大学小児科 客員教授。日本LD学会 常任理事。日本LD学会 特別支援教育士資格認定協会 会長。日本インリアル研究会 会長。大阪医科大学 LDセンター 顧問。
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