6月29日、30日に、障害者スポーツのトップアスリートが小学校や特別支援学校を訪問する「パラリンピアンがやってきた!子どもたちとの交流教室」を、甲府市の小学校2校で開催しました。

今回の講師はブラインドサッカー元日本代表の葭原 滋男(よしはら・しげお)選手と、葭原選手が所属する東京のブラインドサッカーチーム「乃木坂ナイツ」でゴールキーパーをつとめる藤井 彬選手、瀧澤 大作監督。選手のプロフィール、ブラインドサッカーについてはこちらをご覧ください。

善誘館小学校

29日は、甲府市の中心部にある善誘館小学校を訪問。10時半から、体育館で全校児童150人にあいさつしました。

ブラインドサッカーの前には、走り高とびや自転車競技で活躍していた葭原選手。練習ではいろんな人にアイデアをもらいながら、「ダメだ、またダメだ…あっ、できた!」の繰り返しで、少しずつ記録を伸ばしたそうです。これをくり返すうちに、失敗をこわいものとは思わなくなり、「失敗は、より良くなっていくために必要なもの」と考えるようになったと伝えました。

その後はアイマスクをつけ、体験の時間へ。3、4年生、5、6年生は歩く練習をしたあと3人1組になり、ブラインドサッカー用の鈴の鳴るボールを使ってパスに挑戦。アイマスクをした子どもに向かって1人がパスし、止められなかった場合は、もう1人が場所を言葉で教えるなどサポートします。

最初は怖がっていた子どもたちもすぐに慣れ、さいごは、3分間で何回ボールをコーンにあてられるかを競争。
各学年ともに、必死に言葉をかけあってボールをけりました。

続いて1、2年生。まずは選手の呼ぶ声を頼りに、 おそるおそる歩く練習。

20160629_05最後はともだちが声を出して守るゴールに向かって、順番にドリブルシュート!
勢いあまってうわばきを飛ばす子もいるなど、みんなせいいっぱい楽しんでいました。

20160629_06質問の時間には、普段目の見えないことで何が大変か聞かれ、葭原選手は 「周りにいる人が声をかけてくれないこと。例えば電車では、空いている席を探そうにも、座席を杖でつつくわけにはいかないので、声をかけられないかぎり座れない。そういったとき、しっかり話しかけてくれると、とてもありがたい」と、声かけの大切さを伝えました

 

中道南小学校

20160629_07翌30日は、甲府市の郊外にある 中道南小学校へ。
自然の中で元気に日焼けした子どもたちと 交流しました。
当日は9時半から、葭原選手が体育館で全校児童82人を前に講演。
自分でどんなに頑張ってもできないことが、仲間と協力することで可能になるというブラインドサッカーの魅力について話しました。

20160629_08その後、まずは1〜4年生がブラインドサッカーを体験。 アイマスクをつけただけで、子どもたちはすでに大はしゃぎです

20160629_09選手の誘導で歩く練習をすると、すぐに慣れ、シュート体験では、力強くボールをけりました。

20160629_10続いて5、6年生の体験。
パスの練習でボールを見失ったともだちに、子どもたちはなかなかうまく場所を案内できません。
そこで葭原選手から「『こっち』『そこ』ではなく『1メートル先』『右足の前』など、 具体的に話す」ようアドバイスされると、一生懸命言葉を考え、ともだちに言葉をかけるようになりました。

20160629_11最後はコーン当てゲームで、ともだちの声をたよりにボールをけって、命中するたびにとびあがって喜びあっていました。

20160629_12体験が終わったあと、選手たちは6年生の教室を訪問。サッカーが好きという子どもたちに、葭原選手もスキーやサーフィンを楽しむと教え、みんながびっくりしていました。

子どもたちのアンケートから

<善誘館小学校>
「(視覚障がいは)たいへんだと思いました。でもちょうせんすればなんでもできると思いました。」(3年生・女子)
「さいしょ、目をかくして歩くということは、とてもこわかった。でも、ボールをけったりして、楽しく、良い経けんができました。」(6年生・男子)

<中道南小学校>
「めがみえなくてもさっかあや、じてんしゃや、はしりたかとびができてすごい。できないからってやめちゃだめ」(1年生・男子)
「目かくしをしてふあんだったけど、友だちが声を出してくれてたから、すこし安心して楽しめた。」(6年生・女子)

選手プロフィール

葭原 滋男選手

1962年生まれ、53歳。 東京都出身
1992年  バルセロナパラリンピック 走り高跳び(視覚障害者F10-11)4位
1996年  アトランタパラリンピック 走り高跳び銅メダル
2000年  シドニーパラリンピック自転車1kmタイムトライアル金メダル(世界記録)、 スプリント銀メダル
2004年  アテネパラリンピック 自転車スプリント銀メダル
2007年~ ブラインドサッカー日本代表 「PK職人」と呼ばれる
2011年  ブラインドサッカーチーム「乃木坂ナイツ」創立 

藤井 彬選手

1984年生まれ、31歳。乃木坂ナイツ所属、ゴールキーパーを担当

瀧澤 大作監督

1969年生まれ、46歳。乃木坂ナイツ監督

ブラインドサッカーは、視覚障害者のために考案された5人制サッカー。 全盲のB1と弱視のB2、B3に分かれ、B1はゴールキーパー以外がアイマスクを着用してプレーする。ゴールキーパーは晴眼者か弱視者が担当する。 おおまかなルールはフットサルと同じだが、ボールは転がると音が出る特殊な鈴入りのボールを使用。全盲の選手たちもボールの位置や転がりがわかるようになっている。 危険な衝突を避けるため、フィールドプレーヤーはヘッドギアを着用し、ボールを持った相手に向かって行く時には、「ボイ!」と声を出さなければならない。 また、監督と「コーラー」とよばれるガイド役の2名がコートの外におり、声をだして状況を伝えたり指示を出したりする。

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