Q阪神・淡路大震災の直後に、NHKの「ラジオ深夜便」の仕事で神戸に行かれたそうですね。
A「震災の街角から」というシリーズでしたが、僕と精神科医の方がコンビで被災地に入り、現地の情報をどんどん流していきました。たくさんの人に出会って話を聞き、その声をスタジオで紹介したり、被災された方や様々な活動をされている方にスタジオにお出でいただき、体験を話していただきました。
一番の目的は、ラジオを通して、被災地の人たちに、ほかの被災された人たちとつながっているよ、被災地の外の人ともつながっているよ、ということを常に発信すること。それを聞いて全国の方々が何らかのサポーターになってくれること。そのために自分たちで現地へ行って、目と耳と心で聞いたことを、皆さんに報告しようという番組だったんです。そのリポートを1年半ほど続けました。僕にとってはとても貴重な体験になりました。
Q特に印象に残っていることはどんなことですか。
A
港のそばに避難所となっている学校がありました。
その体育館の道具入れに寝袋で泊めさせていただいたんです。
僕らはとにかく足で歩いて、毎回飛び込みでそうした避難所におじゃまして取材をしていました。
その避難所では、福井市から来た病院の院長が、毎日、かぜや肺炎の患者さんを診ていました。
その方は、病院をスタッフに任せ、自らボランティアで被災地に入り込んで、そこに診療所を作られていたんです。
その先生から伺った話がとても印象的でした。
先生は、寝食を忘れて本当に忙しく患者さんを診ていたのです。でもその忙しい合間をぬって、スタッフと一緒にお年よりの救出にも出かけていたんです。
「お年よりは、自分のいた場所から出たがらないものだから、必ずどこかに閉じこもったままでいるはずだ」と、ごみごみとした町の中や雑居の奥にあるマンションに分け入って探していくんです。
そうすると案の定、2〜3階建てのアパートに、お年よりが一人でいるのを発見するわけです。
お年よりは、体力も落ちていて風邪もひきかかっているので、スタッフは、早速もっと衛生管理の良い避難施設に連れて行こうとするわけです。
でもお年よりは、がんとしてそこを動こうとしない。「ここじゃ、とんでもない」とお年よりを説得しようとするスタッフに、先生は言うんです。「ここでいいんだ。お年よりがいたいなら、ここを病院にすればいいじゃないか」ってね。
暖かいお湯で体をふいて温めて、きれいにしてあげて、そこでできる処置をして「その方の心がおちついたら移動しましょう。そういう対応をされたんですね。
僕たちは、つい“こういうときにはこうするべきだ”という、マニュアルに全部当てはめようとしてしまう。
でもその先生には“さじ加減”というものがあったんだと思うんですね。それで、患者の都合に合わせた臨機応変な対応をされた。
もしかしたら僕たちは“やりくり” “さじ加減”というものを、現代社会の仕組みの中で置き忘れてきてしまったのかもしれない、とその先生に出会って思いました。
その先生のエピソードとしてもう一つ。
先生は、福井からトラックいっぱいに水仙の花を運ばせたんですね。
それを「どうぞ持っていってください」って避難所の片隅に置いたんです。
震災直後のまだ大変な暮らしのときに、水仙どころじゃないっていう考えもあるだろうから「はたしてどうかな」って先生自身も思ったそうです。
でもその花をみんなが少しずつ持って行って、避難所のそれぞれのスペースに飾ったそうです。
Q小室さんは、以前から障害のある人たちとのお付き合いをされてきたそうですが、阪神大震災のときは、障害のある人たちの状況をどのように感じましたか。
A神戸に、10人から20人の身体障害や知的障害のある人たちが通っている小さな作業所があるんです。
作業所として借りていた建物は、地震で半壊しました。
でも1年後に、何とか追い出されることもなく、立て直すことができました。
ところが、建ぺい率やらなんやらをきちっと整備したことによって、前より面積がすごく狭くなってしまったんです。
それによって、みんなが一緒に作業をできなくなるとか、その人たちがそれまで作業所で営んできた生活ができなくなってしまったんです。
でもそのことに対するケアはない。
それまでだって作業所に通っていた人たちは、決して豊かな生活ではなかったけども、現状に戻る事はおろか、さらに窮屈な生活を強いられる。
それを甘んじて受けていかなければいけないっていうのは、とても理不尽なことだなあと思いました。
地震という災害によって、スポイルされたことがスポイルされたまま、未だに置き去りにされているって言うことが、あると思います。
あるいは見落とされて後回しにされているということもずいぶん見えましたよね。
障害のある人たちが必要なことに対して、それがまわってくるのは、優先順位のずいぶん後の方ですよね。
街がきれいに整備されて、観光地神戸としてアピールすることは、僕はもちろん大事だと思うんです。
でもこれより先にすることがあるだろう、ということはたくさんありましたね。
人々が生き生きと、神戸という街で生きている。それがあの街の魅力だったんじゃないですか。けっして街をきれいに飾ることではないと思うんですよね。
Q小室さんは、阪神大震災の5ヵ月後に立ち上がったNPO法人「ゆめ風基金」の世話人代表を務めていらっしゃいます。
ゆめ風基金は、阪神大震災をはじめ、東海集中豪雨や新潟中越地震、海外ではトルコ西部大地震や台湾大地震など、これまで35被災地の被災された障害のある人たちに救援金を送ってきたそうですね。
A
僕たちがやっている「ゆめ風基金」というのは、障害のある人たちにとって、今、必要なことに対して、出来ることをすぐにしていこうという活動です。
災害が起こると、すぐ現地にスタッフが駆けつけます。
例えば、この壊れた作業所を修復するには50万円必要だと、スタッフが帰って報告すると、翌々日くらいには救援金50万円を持って、また現地に行くわけです。
「ゆめ風基金」は、障害当事者が中心に始めた活動で、阪神大震災の直後に、置き去りにされたという立場から、「置き去りにされないようにしていこう」とアピールしているわけです。
つまり「優先順位がおかしいんじゃないの?」「今、必要な事をなぜしてくれないんだよ!」って社会に対して投げかけているわけです。
ゆめ風とは、慈善の運動じゃなくて、じつは怒りの運動なんですよね。
もちろん何よりも優先されるべきかはわからないです。
でも少なくとも“障害を持った人が被災した時には、今、欲しい援助がある”という事実があるということです。
それは福井の先生がやったことと同じです。
避難所や特設診療所で来る人を待つのではなくて、「今は、閉じこもっているお年よりを探しに行くべきだ」って言う優先順位。
「そこから今、一番SOSが発せられているはず。我々はそれをキャッチしよう。そのSOSをキャッチするには、自分の足でその発信源を探しに行かなくてはいけない」ということです。
Qゆめ風基金の活動を通して、小室さんが大事だと思っていることは何ですか。
A
それは「おかしいんじゃないの」って自分が言うこと。
なるべく一人ひとりが、自分の居場所で声を上げられる方がいいと思う。
おかしいと思うことは「おかしい」と言える世の中でありたいし、おかしいと思うことに、僕は「おかしい」と言っていきたい。
大震災のときに、僕が「おかしい」と思ったことについて、同じようにおかしいと思った人がそこにもいた、というのが「ゆめ風基金」なんです。
障害のある人との付き合いから世の中がよく見えてきます。
障害のある人にとって置き去りにされていることは、障害のない人にとっても置き去りにされていること。
出来る限り自分の目と耳と心で情報をキャッチする。
一人ひとりの障害のある人と付き合うことで、新聞を読むよりも重要な情報を手に入れることが出来て、そしてその手に入れた情報を元に新聞を読むと、新聞から発せられている情報の読み取り方も違ってくるんです。
僕がボランティアをするのは、音楽家であるまえに、一人の人間としてこの社会の仕組みの中で生きていくときに、僕にとって必要な出来事に関わり合う、ということなんです。
取材 大和田恭子