ボラ仲間の活動リポート
宮城県仙台市で障害のある人の「自立生活」をすすめている障害当事者団体「自立生活センター・CILたすけっと」。東日本大震災の直後から、被災した障害のある人々に物資を届ける活動を続けてきました。
心がけたのは、「一人ひとりのニーズに合うものを届けよう」ということ。
「たすけっと」の皆さんに当時のことを聞きました。
車いすでは過ごせなかった避難所
「あちこちからガラスが割れる音や物が落ちる音が聞こえて、怖くてずっと目をつぶっていました」。地震のときの様子を、事務局長の井上朝子さんはこう振り返ります。井上さんは脳性まひのため車いすを利用しており、24時間ヘルパーの介助を受けながら「自立生活」をしています。
地震後、「たすけっと」のメンバーは、事務所から避難所に指定されていた近くの小学校に移動しました。が、到着してびっくり。体育館は足の踏み場もないほど人であふれかえり、車いすでは身動きが取れるような状況ではなかったそうです。トイレは和式だったり、洋式でも、断水のために紙が山のように盛り上がっていて、障害のある人が座れるような状態ではなかったそうです。
「とてもじゃないけど、ここでは過ごせない」。井上さんたちは、事務所に戻ることにしました。
「たすけっと」の事務所の壁や床には亀裂が入り、物も散乱していましたが、幸い断水がなかったため、当面、事務所での「避難所生活」をすることに決めたということです。
障害のある人に物資を届けてほしい
〜東京の支援団体からの打診〜
3月16日、事務所での「避難所生活」を続けていた「たすけっと」のメンバーのもとに、1本の電話が入りました。被災地の障害のある人を支援しようと、全国の障害当事者団体が東京で立ち上げた「東北関東大震災障害者救援本部」(以下、救援本部)からでした。必要な物資を尋ねる電話だったのですが、話が弾み、東京で集まった物資の受け入れ先となって、障害のある人たちに配布してくれないかという打診になりました。
その申し出に、最初、井上さんたちは躊躇しました。自分たちも被災者であり、家にも帰れずヘルパーの手も足りない状態。他の人の支援にまで手を回せるのかと不安だったからです。しかし、避難所には居られないと判断した自分たちの状況を考えると、他の仲間たちも同じではないのか、家の中で困っているのではないだろうか、との思いがあり、「やるしかない」と腹を決めたそうです。
そこで、「たすけっと」ではさっそく「被災した障がい者の皆さんへ」というチラシを作り、仙台市や石巻市、七ヶ浜町など近隣の市町村の避難所や役場、社会福祉協議会、ボランティアセンターなどを回って配り始めました。
地元の人々からも物資の提供が
チラシを配り始めると、すぐに反響がありました。しかし当初は、震災で交通網が寸断されていたため、「たすけっと」への物資の到着が遅れていました。そんなとき、チラシを見た地域の人やボランティアグループから、「困っている人に物資を届けてください」と、オムツや食料などの提供があり、物資の配布を始めることができたそうです。
また、愛知県で障害のある人の自立生活をすすめている「AJU自立の家」からも、いち早く物資が届きました。「AJU自立の家」は、2000年に愛知県を襲った集中豪雨で被災した経験があったため、被災直後の物資の重要性を実感していたのです。そのため、東日本大震災が発生するとすぐに救援物資の手配にとりかかり、受け入れ先の「たすけっと」に水や食料、オムツなどの物資を送ってくれたのです。
井上さんは「私たちが震災後すぐに活動を始めることができたのは、日頃から地域の人や全国各地の人々とつながっていたからこそだと思います」と言います。
生きるために必要なニーズとは
東京の「救援本部」から物資が届き始めると、車を運転できるスタッフがチラシの配布や物資の配送を担当し、井上さんをはじめ車いすを利用しているスタッフが中心となって電話の受け付けをして、被災した障害者のニーズを聞きとっていったそうです。必要とされている物資で多かったものは、オムツ、尿取りパット、暖房器具、酸素ボンベ、医療用のチューブ、風邪薬や胃腸薬など。特にオムツは、サイズや指定のメーカーがあったり、テープでとめるタイプやパンツタイプなど、細かな指定があったそうです。
聞き取った要望は「救援本部」に知らせて、出来るだけニーズに合う物資を届けてもらうようにしました。しかし、東京でも物資の不足が起きていて、当初は、とりあえずあるものを渡していかざるを得なかったそうです。
物資を届けていたスタッフの1人、菊池正明さんは反省を込めてこう言います。「物資が足りないからと、こちらの都合を押しつけてしまっていました。自分たちは障害のある人それぞれの生活スタイルに合わせた自立生活をすすめていたのに、今回救援活動を始めて、画一的な方法を押し付けていたのではないかと改めて気付いたんです。恥ずかしい限りです」。
障害のある人からの細かな要望には、そうしなければいけない理由があったのです。例えば栄養を胃に直接流し込んだり、排尿のために用いる医療用のチューブは、人それぞれに太さや長さが違っているそうです。同じものが使えないと、身体が拒絶することもあるそうです。菊池さんは「細かなニーズに応えることが、その人の生命を守ることにつながっていると、改めて実感しました」と話してくれました。
「わがまま」ではないニーズ
「たすけっと」独自の活動は、3月末まで続けられました。
4月になると、宮城県内の障害者団体や全国からの応援部隊も加わって、「被災地障がい者センターみやぎ」を立ち上げ、訪問範囲も広げることができました。
また、このころになると、必要とされる物資も変わってきました。杖や補聴器などの福祉用具などが求められるようになり、さらには、ゲーム機やDVDプレーヤーが欲しいという声も上がってきたそうです。ゲーム機やDVDプレーヤーは一見、「ぜいたく品」と思われがちですが、理由がありました。
震災から1か月ほどたった避難所では、障害があるために夜中に騒いだり動き回ったりする子どもに対して、周囲から苦情が出るようになってきました。「親のしつけがなってない」と言われる家族もあったそうです。そのため、夜はまだ寒いのに、テントや車の中で寝ざるを得ない状況に追い込まれた家族もいました。菊池さんたちが話を聞いてみると、その子たちはゲームやDVDを見ることが好きで、そういったものがあればおとなしく過ごせるということでした。
そこで、要望があった物資を提供したところ、子どもの気持ちも安定した上、ゲームなどを通じて周りの子どもたちとも仲良くなることもできて、避難所内で落ち着いて生活できるようになったそうです。
菊池さんは「『わがまま』と思われがちなことでも、よく話を聞いていくと、それぞれの事情がわかるということがありました。その人がなぜそれを必要としているのかをきちんと考えることで、問題解決が図られることがあるんです」と力を込めて話してくれました。
400人ほど人がいたある避難所の話です。
ある時、おにぎりが人数の半分の200個しか用意できませんでした。
そのとき、全員に渡すことができないからと、誰にも配らず捨ててしまったそうです。
「平等」を理由に画一化されることが多くありますが、それは本当に「平等」なのでしょうか? もしかすると、緊急時だけでなく、平時でも同じようなことはないでしょうか?
「一人ひとりの事情に耳を傾けて、本当にその人のニーズに合った支援をしていきたい」という「たすけっと」の皆さんの活動が、その答えを導いてくれているように感じました。
2012年6月29日掲載 取材:高橋