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インタビュー

2008年8月 4日

写真:円盤を投げる瞬間のおおい選手 〈陸上・円盤投げ選手〉
大井 利江(おおい としえ)さん


きれいなフォームで投げられたときの感覚が爽快なんです。

陸上競技・円盤投げの大井 利江選手(59歳)は、元マグロ遠洋漁業の漁師でした。漁のとき事故に遭い脊髄を損傷。首と腕以外の感覚を失います。このとき39歳。手にもまひが残り、握力もほとんどなくなります。その後入退院を繰り返し、事故から10年後、陸上競技の円盤投げを始め、2004年のパラリンピック・アテネ大会に初出場し、銀メダルを獲得。2006年には26メートル62センチの世界記録を樹立します。8月に60回目の誕生日を迎える大井選手にお話を聞きました。


Q.事故のあとはどんな気持ちでしたか?

大井:船頭になるという夢を持っていて、ちょうど脂がのってきたところにけがしたものだから、先が真っ暗になって、何にも手が付かなかったです。

Q.気持ちを切り替えるきっかけがあったのでしょうか?

大井:妻の存在が大きいね。妻も中学のときに足をけがして障害があるけれど、自分の出来ないことをサポートしてくれる。あんまり迷惑かけられないし、何でも一生懸命な姿を見て、落ち込んでばかりいられないと思ってね。

Q.それから円盤投げを始めたんですか?

大井:しばらくはリハビリで水泳をしていたんです。最初はリハビリだけのつもりだったけれど、泳いでいるだけだとつまらないから、県の大会に出てみた。そしたらいきなり大会の新記録が出たものだから、自分自身ですごいなと思って。はははは。
その後に水泳を競技としてやっていくうちに、パラリンピックを目指してがんばろうと思ったんです。

Q.はじめは水泳でパラリンピックを目指していたのですね。なぜ今では円盤投げを?

写真:円盤を持つ大井選手。円盤は指にひっかけるようにして持つ

大井:陸上関係の役員の人に、競技にやり投げや円盤投げなどの投てきがあるけど、やってみませんかって誘われたんです。体格も大きいから。わははは。
興味でやってみたんだけど、最初は難しくてね。投げてるのを見ていると簡単そうに見えるんだけど。握力もほとんどないから円盤を持っても落としたり、うまく持てても足にぶつけたり。でも難しいのがまたやりがいがあって、やっているうちにはまったんだね。水泳も面白かったんだけど、円盤投げのほうがもっと魅力的だった。練習するほど記録が伸びて面白かったし、体の軸がぶれずにきれいなフォームでスッと投げられたとき、よく飛んでる。この感覚がとっても爽快なんです。

Q.競技を始めてから10年たちます。年齢を重ねるごとに記録を伸ばしていますね。練習や生活で気を付けていることがあるのですか?

大井:あんまり気をつけてないけれども、夜更かししないことかな。夜は7時にはだいたい布団に入るね。朝は4時、5時ころには起きる。おじいさんも漁師で小さいときから漁の手伝いをしていたから、そのころからの習慣が染み付いているんだね。
あとは毎日の練習かな。家ではゴムチューブを引っ張ったりして、いろんな筋力トレーニングをしているし、プールで泳いで腕の筋力アップや体力作りをすることかな。

Q.漁師のころは100キログラムほどあるマグロを1人で持ち上げていたそうですね。記録が伸びていったのは、そのころの力も発揮されていたのでしょうか?

大井:多少は残っているかも。マグロを持ち上げてかめの中に放り投げる動作が円盤投げの動作と似てる。その力が残っていたのかもね。

Q.腕の力以外にも必要な要素があるのですか?

大井:はい。腕の力だけでは遠くへは飛ばせない。体のバランスと軸がしっかりしていないと。投げた瞬間、バランスを崩して体が倒れるときがあるんです。そんなときは全然飛ばない。だから特に気を付けていることは、体の軸を意識してバランスを崩さないようにすること。バランス感覚を養っていくにはプールが一番。浮いているときや泳いでいるときに体を傾かせないよう練習しています。

Q.北京大会の目標は?

大井:あんまり気負っても仕方ないから、普段通りの気持ちで挑みます。相手に勝つことよりも、自分に喝を入れて。それだけかな。はははは。

陸上競技では障害の種類や障害の程度・運動能力などを考慮してクラス分けされます。大井選手は、障害が重いF53クラスの世界記録保持者です。