2007年3月20日
(講談師)
田辺 鶴英(たなべ かくえい)さん
認知症のおじいちゃんとの
暮らしが楽しくなってきました
田辺鶴英さん(51歳)は、子どもがまだ小さい35歳のときに田辺一鶴に入門。4年前、真打ちに昇進しました。
その鶴英さんが、自宅で、夫の父、晋(すすむ)さんの介護をするようになったのは去年の1月のこと。今でこそ「介護が楽しくなった」と言う鶴英さんですが、最初からそんな気持ちだった訳ではありません。ご自宅で話を伺いました。
Q.晋さんの表情がとても穏やかですね。前から穏やかな方だったのですか?
田辺:とんでもない! おじいちゃんは3、4年まえから認知症だったんですが、去年の正月に脳梗塞で倒れて以来寝たきりになったんです。動けない自分を認知症ながらも受け止められない。なんでこんなになったんだ!なおしてくれよ!っていう、そんな状態ですごくいらいらしてましたね。夜中でも30分おきに叫び声で起こされて、「助けてくれー!」「しょんべんだー!」「腹減ったよー!」って、おじいちゃんのところに行くまでずっと叫んでました。
Q.翌日は講談の仕事、という日もあるでしょうし、たいへんですね。
田辺:
夜30分おきに起こされるでしょ。そうすると、次の日はふらふらになってすぐに起きられないんですね。でもおじいちゃんは叫ぶのを止めない。やっと起きていくと、「なんだ!なんですぐに起きないんだ!バカ!!」って言われて。私もカッと頭にきてね、持ってた手ぬぐいでパシッ!パシッ!って叩いちゃったんですね。手あげて、叩きながら罪悪感ですよ。寝たきりの人に向かって手をあげるなんてと思いながらも、せずにいられないっていうね。
もう罪悪感でいっぱいになって、知り合いのお坊さんに相談したんです。そしたら「人間は誰だってあんたと同じ立場に立たされたら手あげるんだから、それでいい」って言われたんです。それ聞いて、すうっと気持ちが楽になりました。
Q.気持ちが楽になった・・・でも、介護のたいへんさは変わらないでしょう?
田辺:
そうですね。ドクターに相談したら、おじいちゃんの場合、飲んでた薬が合わなくて興奮状態なんじゃないかと言われて、薬の処方を変えてくれました。それが良かったのか自然と落ちついてきたのかわかりませんが、おじいちゃん、徐々に穏やかになってきました。それから、介護保険のサービスもいっぱい使っています。
介護ってつい力を入れて無理してやってしまうところがあるけど、それだと失敗するんです。結局、自分の仕事や趣味を続けられないとか、笑顔が消えてしまうようだと、介護は長続きしないと思うんですよ。今でも夜中に起こされる日がありますけど、前よりは辛くなくなりましたね。むしろ、おじいちゃんとの暮らしが楽しくなってきました。
Q.介護も含めて楽しくなったのですか?
田辺:
そう。あるとき、おじいちゃんに「バカッ!!」って言われて、「バカに介護されてるお前は何なんだ!」って言ったら、じいちゃんは「バカバカだ〜ぁ」って。こっちはシリアスに怒りをぶつけたのに、その辺のやり取りが漫才みたいじゃないですか。「わたし誰?」って言ったら、「知らん!」。「吉永小百合でしょ!」って言ったら、「そんなことあるわけないじゃないか!」だって(笑)。
あとは、背中をかいてあげるときに、(「手のひらを太陽に」のメロディーで)「じいちゃんはいま生きている〜、生きているかゆいんだ〜、死んだらかゆくない〜♪」って歌ってあげるんですよ。最初はね、おじいちゃんは「死んだらお陀仏だ〜♪」って歌ってたんですけど、「死んだらかゆくないでしょ!ねっ!!」って。そうすると「死んだらかゆくない〜♪」って歌うの(笑)。一緒になってやってくれますよ。こっちがさらに遊ぶと、向こうのほうが疲れてね、「もういい!」って。まともになるのは向うのほうが先ですね。おじいちゃんのほうが大人なんですよ。
今度は、お化けのお面を買ってきて驚かそうとか、次に何をやってあげようかなって考えるのが楽しいですよ。
Q.最近は、娘の小むぎさんも、よく介護されているようですね。
田辺: 私が講談で家を空ける日などは、小むぎが介護してくれます。「私の介護も家で頼むね!」って言ったら「分かった!」って。私がおじいちゃんを介護するのを見て、これなら自分でもできる、って思ってるんでしょうね。それから、今までおじいちゃんとは小むぎはあまり付き合いがなかったんですが、今回、おじいちゃんの介護を通じてコミュニケーションができて、おじいちゃんに対して愛情がわいてきた、って言うんですよ。それが、すごくうれしいですね。
田辺鶴英さんは、現在、毎日2回のホームヘルプ、週1回の訪問看護、週1回の訪問入浴の介護保険サービスを利用しています。介護は1人で抱え込まない、家族や近所の人など助けてもらえる人を増やす、というのも、鶴英流介護です。
また、ご自身の体験をもとにした「介護講談」は、「依頼があれば、どこへでも飛んでいきます」とのことです。