フォーラム「認知症の人にゆたかな時間を」抄録2
認知症の人も楽しめる美術活動
---「臨床美術」の方法---
(蜂谷 和郎)

目次

  1. "シンボル的な絵"と"感じて描く絵"
  2. 感じて描く
  3. 量感画を描く
  4. 臨床美術教室の例
  5. 臨床美術の特徴と認知症の人の変化
  6. 講師プロフィール

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"シンボル的な絵"と"感じて描く絵"

写真:蜂谷さん

こんにちは。蜂谷和郎と申します。
今から、会場のみなさんに絵を描いていただこうと思います。受付でお渡しした袋の中に、厚紙と鉛筆がありますね。用意はいいですか? では、これから言う6つの絵を、ひとつ5秒で描いてください。

  1. 太陽
  2. チューリップ

はい、終了です。前の方に、描いた絵を見せていただきましょう。

会場の人が書いた絵 会場の人が書いた絵

似てる感じがしますよね。誰が見ても、これは太陽だな、これは家だなと、すぐわかりますね。ほとんどの人が、これと同じような絵を描きます。
でも、考えてみてください。太陽は、こういう形をしていますでしょうか。月、というと、なぜか三日月が多いです。星も、本当は、こんな形はしていませんね。家。こんな形の家ばかりではない筈ですが、このように描く方が多いです。
こうした絵を、私たちは「シンボル(象徴)的な絵」と呼んでいます。「星」と言われた時に、実物とは関係なく、頭の中に思い浮かんだ「星」を描く。そのように描かれた「星」は、誰が見ても「星」です。でも、それは私たちがシンボル化した「星」で、描く人の感性や個性とは何の関係もない「星」ですね。

では、みなさんに、もう一つ、絵を描いていただきます。描いていただくのは、

今朝の気分

です。10秒で描いてください。
描けましたか? では、前の方、見せてくださいね。

会場の人が書いた絵 会場の人が書いた絵 会場の人が書いた絵

眠かった、という絵ですね。次は、なるほど、朝のお仕事ですね。その次は、・・・よくわからないですが、庭の木でしょうか。
さっきの、太陽、月、星とは違って、「朝の気分」というのは、みなさん、同じ答えにはならないですね。会場に400人いれば、400通りの絵ができます。

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感じて描く

「臨床美術」で大切にしているのは、まず、「感じる」ことです。2枚の写真を見てください。

写真:人差し指を立てた右手と、握り拳を作った左手。 写真:右手と左手。ともに握り拳。

左の写真は、右手と左手の違いが、わかりますよね? ポーズが違いますから。握っているのと、チョキと。
右の写真は、左手は優しく握っています。右手は、強く握っています。見ただけではわからいなですよね。どこが違うんだろうなぁ、と思いますよね。ところが、この違いが、一瞬でわかる人いるんです。皆さん、片手を優しく、片手を強く握ってください。いかがですか? 違いが一瞬でわかるでしょ? そう、本人はすぐわかるんです。なぜかというと、直に感じているからですね。自分の体ですから、感じやすいですよね。感じれば描けます。感じれば表現ができる、という視点に立っているのが、「臨床美術」です。

左手と右手の握り拳のデッサン

握り拳を作った右手と左手を、普通にデッサンすると、こうなります。こういう風に描くと、描写力を問われます。こういうのは結構大変ですよ。これ、私が描いたんですけど、30分くらいかかりました。これは描写力が問われます。

しかし、感じたことを表現すると、どうなるでしょうか。

絵:左側にまばらな線の塊、右側に濃密な線の塊

いかがでしょう? 左側は、優しく握った手です。右側は、強く握った手です。なんとなく伝わってきませんか? 優しい感じと強い感じ。これは私が実感して描きました。

そういう風にして認知症の人が描いた作品を、次に紹介しましょう。

絵:色鮮やかな抽象画

これは、ある認知症の方が、ジャズを聴いて、その音楽をイメージして描いた絵です。ですから、この線は何か、というようなことは、気にしなくていいんですよね。この方がそう感じた。音楽を聴いて、こういう波みたいな曲線を感じた。こういう色を感じた。そういう絵です。

絵:色鮮やかな抽象画

ただ、こういう作品は、誰でもすぐに描けるのか、というと、なかなかそうはいきません。自由に気持ちを表現するために、まず、クロッキーと言いまして、線の練習を必ずします。
いちばん左の赤い線は、下から上に、ただ線を書きます。なるべくゆっくり書きます。その隣の赤い線、これは途中から力を抜きます。すーっと力を抜く。
緑色の線。ちょっと、くねくねくねくね。くねくねしながら、途中で力を抜く練習もします。
右側の青い線。これは、オイルパステルという画材を使っています。それをポキンと折りまして、寝かせて、横にして、下か描いていきます。
このような、さまざまな線を描く練習をすることで、表現の幅が大きく広がります。

横2枚の写真が2列ある

宇野先生が院長をされている病院で、実際に行っている「線の練習」の様子を見ていただきましょう。
線を描いたあと、指でこする。そうすると、また表情が豊かになってきます。
色を重ねる。一色塗ったその上に、別の色を重ね塗りします。
こういう練習を、実際に描く前に行います。

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量感画を描く

先ほどの作品は、ジャズを聞きながら、感じたことを描きました。「臨床美術」では、見たものを描く場合も、「感じる」ことを大切にしています。りんごを描く場合を例に、説明しましょう。

りんごのデッサン

りんごを描く時の、一般的な描き方は、こんな感じでしょう。これを、決して否定しているわけではありません。輪郭線を描いて、ちょっとへたの部分を描いて、色をつけます。こういう描き方があってもいいんですが、じゃあこれをやろうとすると、描写力が問われてしまいます。誰でも描けるということにはなりません。
また、こうやって描いていて、あ、失敗しちゃった、となると、紙を新しくするか、描き加えることになりますが、そうすると、前の線が残ります。描いていて心地よくないんですね。

そこで、誰もが描ける、心地よく描ける「臨床美術」の出番です。私たちは「量感画」と言っています。中身から量を感じながら描いていく方法です。

絵:紙のまんなかに小さな点

画用紙の中に、点を付けます。ここにぽちっと。これは誰でもできますよね。中身の色・重さを感じながら、ぽちっと点を付けます。中身の色というのはりんごの中の色ですよ。

黄色で丸く塗られている

ぽちっとあったのを、だんだんだんだん塗りつぶしながら、りんごの形を作っていきます。
あっ形が違っちゃったな、と思ったら、大きくしていけばいいんですね。塗りつぶせるんですから。あれっ違ったな。どんどんどんどん大きくしていいんです。紙からはみ出たら、紙を足せばいいんです。紙に絵を合わせるのではなくて、絵に紙を合わせればいいのです。

黄色に、赤などほかの色が混じる

そして、中身の色、香り・味など五感で感じた色を、塗り重ねていきます。

赤いりんごの絵

最後に皮の色を観察しながら塗ります。そうしますと、最初から、りんごの皮の色を塗って描いたのと違いまして、色を重ねていっていますので、深みが出てくるんですよ。色の深み、幅、それから重さなどが表現しやすくなるんですね。

実際どういう風に行われているか、見ていただきましょう。

写真2枚。内容は本文と同じ

りんごを両手で包みこむようにして、量を感じます。両手で持つことは、とても大切です。面で、手のひらで持つことによって、量を感じやすくなります。

そして、りんごを叩いて音を聞きます。とんとんとんとん… りんごを叩く場所によって、音が変わります。耳元で叩きますと、音が近くで聞こえてきます。

写真2枚。内容は本文と同じ

香りを嗅ぎます。りんごの裏側は、比較的香りが嗅ぎやすいです。

で、食べます。ちょっとだけですね、食べるときに大切なのは、量は少なく、です。多いと食事になってしまいます。あくまでも、味を感じ取るということが目的ですので、少しでいいんです。

写真2枚。内容は本文と同じ

りんごを切ります。半分に。中身の色を確認しているんです。
切りますから、よりいっそう香りが出てきますね。

結局、最初にりんごが出てきた時に、見ます。香りを嗅ぎます。持ちます。食べて、聞きます。五感を使っているんですよ。すべて自然の流れの中で、りんごというものを全身で感じ取れるようにするわけです。

写真2枚。内容は本文と同じ

そして、描き始めます。
りんごの中身の色は、先ほど切って見ました。しかし、それと同じ色は、16色のオイルパステルの中にはありません。その中で、これがいちばん近いなと思った色で、先ほどの点を打って、描いていきます。色を塗り重ねていきます。香りの色とか、味の色も、同じように重ねていきます。

写真2枚。内容は本文と同じ

中身の色を描きましたら、最後に外側の色を塗ります。持っているのは、割り箸ペン、割り箸を削ったものです。それで削りますと、最初に塗った色が出てきます。どんどんどんどん色が出てきますから。そうやって表情をつけていきます。

写真2枚。内容は本文と同じ

これで終わりかというと、そうではありません。ここで、りんごを切り取ります。それを新しい紙に貼って、構成します。こうやって切ることによって、輪郭線がはっきり出てきます。また、最初から構成して描くのは難しいですが、切り取ったりんごを並べながら考えると、さまざまな可能性を追求できます。新しい絵が生まれてくるわけです。

写真:さまざまなりんごの作品が並べられている

これが、できあがった作品です。
りんごの形をしていないものもあります。でも、それでいいんです。みなさん、りんごの色や香りや味を感じたままに描いてくれているんです。立派な表現ですね。感じれば、表現できる。ここを重視しています。

写真:男性が手にりんごの絵をもっている

指導する臨床美術士は、みなさんに、ひとつひとつの絵を紹介します。「このりんごの、ここがいいですね、ここがすばらしいと思います」ということを、お話しします。

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臨床美術教室の例

写真:臨床美術教室

臨床美術教室の例を紹介します。

臨床美術教室の例

対象者
認知症高齢者 6名〜10名
臨床美術スタッフ
臨床美術士とアシスタントを含む2〜4名(1〜2名)
実施例
1回90分〜2時間 週1回

臨床美術のカリキュラム

  • 「上手い」「下手」という概念からの開放
  • 五感で感じて表現(見る、触る、嗅ぐ、聴く、味わう)
  • 完成させることよりも、制作過程で楽しみながら自己表現することが大切

最後になりますが、完成させることが目的ではありません。完成させることよりも、制作過程をいかに楽しむか。自己表現がどれだけできるか、というところが、大切です。
だからといって、完成しなくていいと言っているわけではありません。完成することによって、達成感というものを味わうことができます。

抽象画

作品の良いところを具体的にほめるのも大切です。
右の絵は、何を描いたかわかりますか? 川です。清流を描いてます。この作品のすばらしいところは、動きを見てください。ぐわーっと、川の動きの迫力が非常に出ています。グリーンとオレンジと黒の組み合わせ、とてもいい色の組み合わせがハーモニーを作っています。そして、光る絵の具を使って川の表面の光を表現している。とても動きが有機的で、楽しい絵ですよね。
というようなことを言うわけです。これは嘘じゃないんです。臨床美術士がそう思ったから言うんですね。褒めなきゃいけないから褒める、というのでは、褒めていることにはなりません。本当にいいと思ったところを、臨床美術士は一点一点伝えていきます。

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臨床美術の特徴と認知症の人の変化

臨床美術の特徴

  • 創作表現活動による自己実現
  • アートコミュニケーションによる制作のサポート
    制作時における個別の対話
  • 作品創作による自信回復と意欲の向上

いちばん最初にありますが、自己実現、自己表現をしていきましょう、ということです。そうすることによって、美術の制作を通じて、コミュニケーションが非常に取りやすくなります。
「どういう風にしたらいいんですか?」「こういう風にしたらいいですよ」「私はこういう風に絵を描いてみたいのですが」「じゃあこうしたらいいですね」というように、会話が生まれます。そうすることによって、押し付けの制作ではなくて、共に寄り添う、一緒に作品を作り上げていくことになります。コミュニケーションが非常に取りやすくなります。
そうすることによって、自信が回復します。やる気、意欲が向上してきます。

写真:指導する臨床美術士

臨床美術士の役割

  • シンボル的な絵を描かないようにする
  • 感じたことを表現する道筋を提供する
    感性を刺激しながら対象をよりよく見るように促す
  • お互いに表現者として参加者と対等に向き合う姿勢

受容・共感・励ましが参加者の意欲につながる

臨床美術士は、感じたことをどうやって表現したらいいか、それを具体的に、カリキュラム、セッションの中で道筋を提供していきます。そして、お互いに表現者として、参加者と対等に向き合う姿勢が必要です。やってあげるとかやらせるとかいうことではなくて、先ほども言いましたように、一緒に作品を作り上げていくのです。

写真:教室

臨床美術士が見た認知症の人の変化

  • 自信が出てくる
  • やる気が出てくる
  • 目に輝きが出てくる
  • 表情が明るくなる
  • 表現することが楽しくなる

  • 特別にデータがあるわけではありませんが、私たちが実際に一緒に作品を作りながら、感じていることをあげてみました。
    先ほども宇野先生が、「7年間通われてる方がいる」と言われました。嫌だったら来なくなりますよね。やはり、何かを表現することが心地よかったり、それが受け入れられる環境があると、意欲の向上につながっていくということで、7年間通われているのだろうと思います。ほかのところでは、1996年から始まって今でも通われてる方もいらっしゃいます。

    以上、臨床美術の具体的な報告をさせていただきました。ありがとうございました。

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    講師プロフィール

    蜂谷 和郎 (日本臨床美術協会専任講師)

    1958年生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒。浦和造形研究所子供造形教室講師のかたわらモザイク壁画制作に携わる。1994年、芸術造形研究所専任講師となり、現在は、同研究所教育事業部部長。彫刻家。日本臨床美術協会専任講師。法政大学兼任講師。


    第1部、医師の宇野 正威さんによる『生活をゆたかにするサポート ---生活指導・心理社会的治療法・アート---』の抄録は、こちらをご覧ください。

    終わり

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