わたしはうつ病の診断を受けています。正式な診断名は「中等症うつ病エピソード」です。
一年前の春に突然起き上がれなくなりました。朝、いつもどおりの時間に目覚めて、出勤しようと身体を起こそうとするのですが、思うように動かない。実際は動くのだけれども、身体が外に向かおうとしない。
金縛りではない感じ、なんとなく意欲が出ない感じです。苦労しながらもやっとスマホを手にして、とりあえず職場に休みの連絡を入れました。でも、なんて言えばいいのかわからない。「動けなくなりました」って、きっと上司も納得してくれないだろうと思いました。精神的なことで休むってハードルが高い。サボりや怠けと思われるかもしれない。そんな不安もあって、上司には申し訳ないのですが、その日は高熱があると嘘をついて休みました。だって本当にそれしか言いようがなかったから。
***
実はわたしは疾患や障がいのある方を支援する支援員でもあります。いつもは精神障がいや、発達障がいのある方に対して就職の支援や雇用支援を行っています。自分で言うのもおこがましいのですが、病気や障がいに対する専門的な知識は一般的な方に比べてある方だと思っています。だからすぐに自分の不調が精神的なものであることや、うつ病になった可能性が頭をかすめました。
「自分が病気になるわけがない」そう思いつつも、いつかの研修で学んだ、四人に一人は生涯に精神疾患に罹るという言葉を思い出しました。「当たり前に罹る病気です」なんて普段は支援対象者に言っているのに、自分は決してならないと思い込んでいた節があったのかもしれません。不調に陥って最初に浮かんだのは「支援者なのに……」という思いでした。支援者は病気になってはならない。セルフケアをして、ストレスを上手く飼いならしながら健康でいなければならない。そう考えていました。
次の日、なんとか外に出ることができましたが、地下鉄に乗ると、いつもと感じが違う……。パニック発作かなと思いましたが、別に地下鉄や閉所に恐怖を感じているわけではなく、苦しい感じもない。ただ、周りの人の挙動が気になってしまうのでした。スマホを操作する人、足を開いて座る人、降り口にたまる人、リュックを背負ったままの人、全てがネガティブに見えて、敵に見えて、その情報が滝のように自分の思考に入り込む。そんな感じの辛さです。地下鉄を降りる頃には、手汗が滴るくらい出ていました。肩にも力が入り、今すぐ帰りたいという思いでいっぱいでした。「適応障がいなのかもしれない。最近のストレスはなんだったかな。マインドフルネスでもしてみようか」等、やはり支援者思考で考えてみるのですが、そんな考えは、すぐに不安とネガティブな情報にかき消されてしまいました。
次に本が読めなくなりました。いつものように読書しようとページを開いても、文字が現れてはすぐに消えてしまう。何度も同じ行を読んだり、一ページ読むのに一〇分ほどかかったりして、どうしても先に進まない。あんなに読書が好きだったのに、今まで出来ていたことが出来なくなっている。そのことを信じたくない自分がいました。これが障がい受容の否認期か、なんて支援担当者相手であれば専門家ぶって答えることができるのですが、自分がそうなったときはそこまで考えられませんでした。だって自分にとってありえない出来事なのだから……。
また、認知機能の低下も顕著でした。人の名前が覚えられなくなったり、些細なミスをするようになったりしました。それが嫌で無理してがんばってみても空回り。うつの症状と上手く出来ないことの悪循環で、自己嫌悪に陥ることもしばしばありました。周りの声がうるさく聞こえ、特に声の大きい人と会話することがしんどくなり、自分も攻撃的になって、周囲とぶつかることも多くなりました。
数日仕事をこなしても、休日になるとまた一歩も動けなくなる。いつもより疲れやすくなり、仕事から帰ると玄関で倒れこむ。これが数か月続きました。病気だって言われたくないから受診したくなかったけれど、それでも辛さに負けて何度か受診しようと試みる。その繰り返しでした。決心して受診しようとしても、起き上がれず予約をキャンセルすることが続きました。やっと受診できたのは、最初の症状が出てから半年くらい経った頃でした。
先生はすぐにうつ病の診断を下しました。そして、いくつかの種類の薬が出ました。あー飲みたくない。飲んだら自分が消えてしまう気がする。飲んだふりをして次回の受診で「好調です!」なんて言ってみたりもしましたが、やっぱり実生活は変わりませんでした。以前NHKの番組で、サカナクションの山口一郎さんも薬を拒否した話をしていましたが、それがよくわかります。タバコの量も増え、一人暗い部屋で悲しくなりました。悲しいのに涙も出ない。正常な感情まで失われた気がして、飲まなければ自分が消えてしまう感覚すらありました。
とうとう観念して薬を飲み始めると、驚くことに三週間くらいで少し調子がよくなってきました。相変わらず朝起きるのは辛いけれど、エイっと踏ん張れば起きることも、シャワーに入って地下鉄に乗ることもできるようになりました。主治医からは自立支援医療の受給を勧められ、いつもは手続きについて当事者に説明している立場なのに、なんだかおかしく思いました。自立支援医療を受けるということは、治療が長期に渡るということになります。それだけ自分は大変な状態だったのだと、やっと理解しました。うつは治るというよりも一緒に付き合っていくものだというのは、よく知っています。それを受け入れることが「障がい受容」なんだろうけれど、やっぱりどこかで「治るんじゃないか?」と思う自分がいました。
***
職場の上司には、診断を受けてから状況を正直に伝えました。上司も専門職なのでよく理解してくれたし、仕事を続けたいというわたしの希望にも応じてくれました。それでも正直なところ、わたし自身の能力を正当に評価してもらえなくなるのではないかという不安はありました。
障がい者雇用の世界には、合理的配慮ということばがあります。疾患や障がいのある人に対して、当事者からの表明を受け、雇用主との話し合いの中で疾患や障がいに応じた配慮を提供しなければならないという企業側の義務です。これはとても大切なことではありますが、当事者が自分の配慮してほしいことを言語化して説明しなければならないという負担と、過剰な配慮によってかえって能力が正当に評価されないかもしれないという不安があるのだと、自分が当事者になってはじめて気づきました。
自分がうつ病になって、自身の合理的配慮について改めて考えてみました。動き出せない自分に対して企業ができる配慮はあるのだろうか。寝かせてくださいなんて言えないし、動けないときは休ませてくださいなんていうのも、雇用契約上配慮とは言えない。支援者として、当事者に安易に「合理的配慮はなんですか」と聞いていたことを思い出し、恥ずかしくなりました。合理的配慮なんて、簡単に表明できるものじゃない。言葉にし難いし、もし言葉に出来たとしても、それを相手に伝えるリスクを考えると、表明するのにも勇気がいる。そういったことに改めて気づき、自分の支援した当事者に対して、申し訳なく思いました。言葉にする負担は、自分が当事者になってみないとわからないのかもしれません。
過剰な配慮も心配でした。「サイトウ」ではなく「うつ病のサイトウ」として見られること、病名が自分を代弁し、それによって自分の仕事が正当に評価されなくなるかもしれないと不安になりました。それならいっそのこと、病気については隠したほうがいい。何人かの方がクローズド就労(疾患や障がいを開示せず働く)を選択している理由が少しわかった気がしました。このリスクを考えず、障がいオープン(開示)での就職を勧めるのは、本当に支援対象者のことを考えているのかと、自分が病気になってから改めて感じました。
また、まだクリニックを受診する前に支援対象の当事者の方から「最近サイトウさん調子悪そうだよ」と言われたことがありました。職員にはいつもの元気なサイトウだと見られていたので、支援対象の方から言われたことにとても驚きました。理由を聞くと「いや、なんとなくだけど、雰囲気が」と。なんでわかるのだろう……。そう思いつつも「大丈夫ですよ」とその場をやり過ごしました。あの時、実は……と打ち明けていればよかったのにと今では思いますが、まだ支援者として健康であることを見せたいという欲があったのかもしれません。ちょっとスピリチュアル的な話にはなりますが、同じ病を持った者同士、非言語的な部分でわかりあえるものがあるのか、なんて思ったりもしました。
今わたしは必要があれば、支援対象の方にも自分の病名や状態を伝えるようにしています。皆さん嫌がったり困ったりすることなく受け入れてくれます。本当は困っていたのかもしれませんが、それを口にも出さず、手助けしてくれることもたくさんありました。支援者として、これでいいのかと思うこともありましたが、わたしが開示してから皆さんいきいきと就活に励み、そして採用されていったようにも感じます。本当の支援は、当事者と支援者が分けられる権力勾配のある関係ではなく、ピア(対等)の関係であるときに成立するのかもしれないと感じました。
***
わたしが支援者になったのは、大学生の頃から、精神障がいのある方に対する世間の考えや偏見に対して闘いたいという思いがあったからです。それは看護師の母が薦めてくれた『ブラックジャックによろしく 精神科編』を読んだからでした。精神科に入院した患者が退院するも、社会で上手くいかずに再入院してしまったり、凶悪事件が起こった際、犯人に精神科通院歴があるという理由で精神障がい者に対する風当たりが強くなってしまう場面等があり、社会がもっと精神障がいに対する差別や偏見から自由になればいいなあという思いを強く持った作品でした(ちなみに主人公の研修医もサイトウさんです)。その漫画をきっかけに、精神保健福祉士の資格を取得しソーシャルワーカーとして働くことに決めました。
就職してからは、右も左もわからない状態で多くの当事者、同僚に迷惑をかけたと思います。それでも自分なりにたくさん闘ったし、たくさん学んだ自負はあります。自分は不器用だから、人の三倍努力してやっと人並みの仕事が出来ると信じて、朝一番に出社して皆が帰るまで仕事をしました。権利擁護、本人中心の支援、企業との交渉、不調時のセルフケア指導、
そんな時にうつ病になりました。まさか自分がという思いと、これでもう当事者の方々の力になれないかもしれないという無力感でいっぱいになりました。一方で、自分が支援者という特権的な立場におり、かわいそうな人たちを助けるヒーローのように振る舞いたいからという動機で仕事をしていたのかもしれない、という思いの壁にぶち当たる経験にもなりました。この助けたいという思いは、時に「良かれと思って」過剰な支援にもつながるかもしれない。そう感じました。自分が当事者の立場になってから、当事者の方々が支援者に抱くさまざまな感情を体感したのです。たとえば何か一つ「やってあげる」という行為も、それが支援なのか、おせっかいなのか、本当は自分自身でやりたいことなのか、その人に聞いてみないとわかりません。もし自分が利用者だったのならば、やってもらうということには相当な屈辱感を持つと思います。それに気づけたのは、自分が弱ったからでした。
同じ当事者から学ばせてもらい、救われた部分も多々あります。たとえば病気との付き合い方。上手に付き合っている当事者の方からは「ややうつ」の状態が一番良いと教えてもらいました。これはわたしの感覚とも一致しました。今までは支援者として、うつは寛解(完治はしていないが、症状がほとんど出ない状態)となることが大切であると思っていました。しかし、良くなったり悪くなったりを繰り返すのがこの病気の特徴です。悪くなったときには動き出せないのですが、良くなったときも少し危険で、調子に乗って買い物をしすぎてしまったり、エネルギーを上手に使えず、動きすぎて反動で次の日に全く動けなくなったりもします。なので、少しうつなくらいである「ややうつ」が一番いいという考え方は、わたしの中にスーッと入ってきて、納得しやすかったです。
***
わたしは現在もうつと付き合いながら、なんとか支援者として同じ仕事を続けています。それを可能にしたのは、周囲のサポートとわたし自身が持つ希望であり願いであり、こうなりたいという強い想いがあったからなのだと思っています。
サポートに関しては、上司や同僚をはじめ、それ以外にもわたしがサポートをする当事者の方々に助けてもらっています。それは前述したとおりです。また、妻が比較的わたしを自由にさせてくれていて、それでもやんわりと見守ってくれているということが安心感につながっています。本当にありがとう。
巷で話題となっている孤独・孤立というテーマを抱えている方々は、そうしたサポートがない状態で、助けてもらうことも、誰かを助けることも出来ない状態なのかもしれません。もし自分がそうなっていたら、今のように働けず、ひきこもりの状態になっていたかもしれません。でも、
また、希望や願い、こうなりたいという強い想いがわたしの日々の原動力になっています。具体的に言うと、やっぱり疾患や障がいのある方のお手伝いがしたいこと、世の中を少しでも良くしていきたいこと、そしてわたし自身がもっと
誤解を恐れずに言えば、うつ病は「外を気にしすぎて内側に潜り込む病気」なんだと思います。そうやって内側に入り込んだ自身を回復させるのは、外にあるサポートと希望なのではないでしょうか。こうした考えはわたし個人のただの感想ですが、きっと多くの方が共感してくれるのではないかと思います。
外の世界で生きていくためにうつ病と
***
わたしは、当事者と支援者のあいだなんてものは紙一重で、いつだって飛び越えるものだと思っています。当事者になったとき、支援者でいるときには感じることが出来なかった不安と葛藤に
それならば、考え続けたいと思います。せっかく病気になったのだから、そして支援者として今も仕事が出来ているのだから。支援者が助けてもらったっていい。困難の有無に関わらず、互いが学び助けあう、共学共生でいればいいのだと思います。
そんなことを考えながら、今日も明日も、やっとの思いでシャワーに入り、地下鉄の連結部分に縮こまりながら出社し、ネガティブな思考とも付き合いながら、障がい当事者のために闘い続けたいと思っています。当事者の方には「うつになったことはマイナスではなくプラスだ」なんておっしゃる素晴らしい方もいらっしゃいますが、わたしはまだそう思えません。正直今でも、治るものなら治ってほしいと願っています。ただ、自分のやりたいと思うことだけは諦めたくない。わたしの