第59回NHK障害福祉賞 優秀受賞作品
~第1部門より~
「生きたい「私」と、弱い「わたし」」

著者 : 川越 萌々香 (かわごえ ももか)  宮崎県

みなさん、はじめまして。私は、病弱の支援学校に通っている現役の高校三年生です。今回私が、NHK障害福祉賞に応募したのは、多くの人に病弱の障がいを持っている人の気持ちを知ってもらいたかったからです。そして、少しでもこの作文を読んだ方々の心に響くものがあればと思います。
私の病気は大きく二つあります。一つ目は、先天性の心臓疾患で、病名が五つあります。
「完全大血管転移症(かんぜんだいけっかんてんいしょう)」
「肺動脈弁閉鎖症(はいどうみゃくべんへいさしょう)」
「動脈管開存症(どうみゃくかんかいぞんしょう)」
「心室中隔欠損症(しんしつちゅうかくけっそんしょう)」
「冠状静脈洞狭窄(かんじょうじょうみゃくどうきょうさく)」です。
そして二つ目が、先天性の形成不全症です。
話しにくさや、言葉の伝わりにくさ、右耳がないための聞き取りにくさに加え、顔の形成不全もあります。これを踏まえた上で、私が生まれた日のことをお話しさせてください。
時は遡り、二〇〇六年九月に私がこの世に誕生しました。その直後、心拍が弱かったため、すぐに福岡市立こども病院に運ばれ、緊急手術をしました。生まれて初めての経験がまさかの手術。無事に手術は成功して、両親はほっとしたそうです。そんな中、医師から伝えられたのは、
「この子(私)は、心臓病だけでなく、この先、耳も聞こえないかもしれない、目も見えないかもしれない、食べ物や飲み物を口から飲み込むこともできないかもしれない」
ということ。
それを聞いた瞬間、家族は頭が真っ白になったそうです。特に、母はとにかく自分を責め、申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです。当時のことをあまり覚えてなく、とにかく必死だったことを話してくれました。家族でたくさん泣き、
「みんなで、ももちゃんを守っていこうね」
と話し合いをしたそうです。
けれど、現在の私は、目も見えます。耳も左耳を頼りに聞こえています。食事も口から摂れています。
ここで、私が食べ物を口から食べるきっかけとなるエピソードを一つ紹介したいと思います。私には七つ上の兄がいます。私が当時四歳くらいの頃で、兄が十一歳くらいの頃のお話です。兄がおやつの時間にバナナを食べていました。兄が食べている様子をジーッと見ていた私は食べるしぐさをしたそうです。それを見ていた母が、バナナを潰して私にあげたそうです。食べたい欲がピークに達していた私は、バナナをパクッと口に入れ、飲み込むことができました。母も兄も驚いたそうです。驚くのも当然です。生まれてから四年間、鼻からチューブを入れ、胃に直接、栄養を注入し、医師からは、
「嚥下ができない」
と言われていた私が、潰したバナナを食べたのですから。それからは、いろいろな食べ物を小さく切り潰し、少しずつ口から食べる機会を増やし、徐々に嚥下も上手くなりました。兄の影響はとても大きく、私にとって兄は偉大な存在です。歳が離れているので、喧嘩も一度もしたことはなく、今でも見守ってくれています。ちなみに、「ももか」という名前も兄がつけてくれました。
医師が言うことは百パーセントではありません。可能性は無限で、努力が必要で、時には運が必要です。そして、周りの人の支えも必要です。
ここで、「自分はありのままでいいんだ」と思えたきっかけのエピソードを紹介します。私が当時六歳くらいの頃のお話です。酸素ボンベをしていたため、幼稚園に行けなかった私は、よく母と公園へ行っていました。ある日、公園にいると、二歳くらいの女の子が、
「一緒に遊ぼう」
と声をかけてくれました。私は嬉しくて、小さな段差をジャンプしました。母が驚いて、
「危ないから跳ばないで!」
と言い、注意をされたことに恥ずかしさを覚えた私は、ごまかすために、その女の子に、
「あっ、跳んだら耳がなくなっちゃった」
と冗談を言いました。すると、その女の子が、
「だから言ったでしょ。跳んだら耳なくなっちゃうよ。ダメでしょ」
と言い、耳の確認をしました。
そして、
「本当になくなってる。もう」
と本気で怒られました。そして、変わらずそのまま遊び続けました。この女の子の発言によって救われ、「耳がなくても大丈夫なんだ」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。
だけど、最近の私は、耳がなくても大丈夫だとは思えません。容姿のコンプレックスを挙げたらキリがありません。毎日毎日、可愛くなくていいから、せめて普通の顔になりたいと思っています。病気と向き合うことが苦痛です。毎日生きることで精一杯です。
私は今までに入退院を繰り返しながら、心臓の大きな手術を三回しました。そして、また四回目の手術を控えており、毎日不安な気持ちでいっぱいです。眠れない夜もあります。不安を抱える私にとって、更に追い打ちをかける出来事が起きました。それは、二〇二〇年の世界的感染症「新型コロナウイルス」の爆発的な流行。当時、私は中学二年生。本当に、世界中がパニック状態で、いろいろと生活が規制されました。みなさんもご存知だと思いますが、持病のある人たちは重症化するリスクが一層高まります。もともと私は、普通の風邪でも病状が悪化してしまい、入院となることがあったので、当時はこの上ない危機感に迫られました。そのため、日々の感染症予防対策は欠かせませんでした。手洗いうがいを頻繁にし、マスクも午後には新しいものに付け替え、ウェットティッシュや消毒液などを肌身離さず持っていました。現在は、「新型コロナウイルス」は五類感染症になり、規制も緩和され、日常生活が戻りつつあります。けれど、私はこれからも自分の身体を守るため、引き続き感染予防対策をしなければなりません。私は健康体の人がとても羨ましいです。特に、普通の学校に通っている高校生たちを見ると、心の中に渦が湧きます。いわゆる「嫉妬」というものです。私にとって、普通の学校に通っている高校生たちは、みんなキラキラと輝いていて、あまりにも眩しいから。私だって、運動制限に縛られず、思い切りスポーツをしてみたり、病院に通わなくていい生活をしてみたり、華のJKで青春を謳歌してみたりしたかったです。正直に言うと、「生きたい」と思う反面、「死にたい」と思うことも最近は多いです。学校生活での私は、明るく、お調子者で、おしゃべり好きという印象を持つ人が多いと思うけれど、本当の私は、自分の病気を、周りと違うことを認めたくない、弱い「わたし」なのです。
ですが、グダグダと悲観していても運命を変えることはできません。自分自身の「障がい」とこれからも共に人生を歩まなければなりません。今までの私は、弱い「わたし」の気持ちを認めてしまったら、今まで以上に「障がい者」として生まれた自分が嫌になると思い、その感情を受け止められずにいたのですが、これからは、弱い「わたし」の気持ちも受け止めて、なるべくポジティブに生きて、自分の強みを見つけていこうと決めました。
自分の強みとは何か、そう考えた時に、真っ先に、次のような考えが思い浮かびました。
「障がい」を持って生まれたことで、看護師や医師はもちろん、言語聴覚士、音楽療法士の方々など、幼い頃からたくさんの大人の人と関わってきました。そのおかげか、現在の私は、たくさんの大人の人と、すぐに親しくなれる能力を身につけました。これは紛れもなく自分の強みだと自信をもって言うことができます。家族の絆を深くしたことも私の強みです。
また、もう一つ自分の強みを見つけました。
それは、自分が「障がい者」の当事者だからこそ、病気を持っている人たちの心に寄り添い、多様な人たちを差別しない心を持っていることです。これからの社会は、「多様性」が重要となってきます。幼い頃に柔軟性を身につけられた私は、ラッキーだなと思います。考え方を変えるだけで、自分の強みとなる長所が三つも出てきました。
私は、先ほど
「自分自身の『障がい』とこれからも共に人生を歩まなければなりません」
と言いましたが、正直に言うと、将来のことを考えることが怖いです。できれば考えたくありません。もしかしたら、この先、親よりも先に死んでしまうかもしれないのです。人生は、本当に何が起こるのか誰にも分からないから人生なのです。だから、私は「今」という一瞬一瞬を大切に生きたいです。
「今、美味しい物を食べられている」「今、楽しく会話をできている」、そんな小さな幸せを噛み締めていきたいです。
「今、課題に追われている」「今、テストに追われている」というシチュエーションさえも、命があるからこそ感じることができることで、これもまた幸せなことなのだと思います。
「生きてるだけで丸儲け」
この言葉をモットーに、小さな幸せを日々見つけながら、過ごしていきたいです。
長くなりましたが、最後まで読んでくださった方々ありがとうございました。少しでも当事者の気持ちにご理解いただき、身近に困っている人がいたら、このお話を思い出して手を差し伸べ、心に寄り添うきっかけにしてもらえたら幸いです。

受賞のことば

この度は、優秀賞に選んでいただき、ありがとうございます。
お電話で結果を聞いた時は、飛び上がるほど嬉しかったです。自分の生きた「証」を残したかったので、ありのままの自分の思いを届けることができ、喜びを感じています。
「応募してみたら」と声をかけてくださった、学校の先生にお礼を言いたいです。
高校卒業という節目に、大きな自信に繋がる最高の贈り物をありがとうございました。

選評

先天性の心臓疾患と形成不全症のふたつの障害がある「私」。「せめて普通の顔になりたい」、大きな手術を控え「毎日不安な気持ちでいっぱい」と、高校三年生の筆者は率直な気持ちを綴ります。しかし、死にたいと思う弱い「わたし」であることを受け止め、障害者であることの自分の強みを見つけ、一瞬一瞬を大切に生きたいと願います。生きることに悩み、苦しみ、葛藤している高校三年生が、ここにいます。「障がいを持っている人の気持ちを知ってもらいたい」という筆者の願いが、社会に広がっていくことを私も願っています。(藤澤 浩一)

以上