私には、弟が一人いる。弟は生まれつきの「自閉スペクトラム症(ASD)」である。
ASDの特徴として、社会的コミュニケーションや対人関係の困難、感覚過敏性、限定された行動の繰り返し、一つの事に対しての強いこだわり等が挙げられる。
私は、子供の頃、弟の障害についてよくわからなかった。なんとなく、ちょっとだけ変わってる子? くらいの認識しかなかった。
両親は、心配して、弟が幼い頃から病院のカウンセリングへ連れて行っていたが、私は、なんだかいつも病院の付き添いへ行かされるなという気持ちだった。あの頃は、私が子供だったというのもあるだろうが、まだ現代ほど知的障害への認識がない時代だったからのようにも思う。それに比べ、今は「自閉症」という言葉自体は世間にも広く知れ渡り、一度は耳にしたことがある人も多いだろうと思う。ましてや、インターネットの普及が著しい現代では、検索したらすぐに調べられる時代だ。そして、そういった情報を目にしたり、障害という文字を見ると、「かわいそう」「大変そう」という気持ちになる人も沢山(たくさん)いるだろうし、実際に、私自身が人様からそういった言葉をかけられたりすることも、時々ある。
確かに、そういう言葉をかける気持ちも、すごくわかる。実際、自閉症というものをどう解釈し、どのようにして共に歩んでいくことが家族全員にとって良いのか、日々、試行錯誤の連続だし、何よりも当事者の弟が、自身の障害をどこまで理解でき、受け入れられるのか、その葛藤とどう向き合っていくのかなど、そりゃあもう現在に至るまでも一筋縄ではいかないことの連続で、弟はもちろん、私も両親も「自閉症」なるものに翻弄される毎日を、ずっと長いこと送り続けているのだから。
でもね、私達家族が体験していることって、それだけじゃないんです。確かに、大変な時は本当に大変で、どうしてこんなことになるのだろうとか、なんでうちはこんな家族なんだろうとか、思わず悲観的になってしまう日もあるのだけど、後から冷静になって思い返してみると、とにかくつっこみ所が満載過ぎて思わずクスっと笑ってしまうエピソードも多々あるのです。「障害」は、ただ悲しいだけじゃない、ただかわいそうなだけでもない、改めて別の視点から見てみると、新たな面が盛り沢山なのである。
これは、弟を中心に繰り広げられている、そんな私達家族の日常を切り取った完全ノンフィクションストーリーです。
ある夜、私は帰宅し、自宅の駐車場へ車を止めた。エンジンを切った瞬間、ふと何かが聞こえた気がしたが、まぁ気のせいだろうと思い車を降りた。すると、どこからともなく遠吠えらしき声が聞こえてきた。それもなかなかの甲高いトーンで。やっぱりさっきのは気のせいじゃなかったのか。私は、もう一度耳をすます。やっぱり聞こえる。例えるなら狼(おおかみ)のようなそれだ。
そういえば、その日の朝のニュース番組で流れていた天気予報では、今夜は満月だと言っていた気がする。思わず空を見上げると、なるほど確かに立派な満月だ。頭上で煌々(こうこう)と輝く満月と、響き渡る遠吠えのような声。私は、かの有名な「狼男」を連想し、はっと我に返る。いや、こんな町の住宅地に狼などいるはずがない。それに何となくだけど、遠吠えのようなそれは、割と近くで聞こえる気がする。いや、むしろ遠吠えじゃない。けっこう近いぞ、これは。まさかな……。
少々高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、私は恐る恐る自宅に近づき、玄関のドアを開けた。すると、先程の遠吠えのような甲高い叫び声が家中に響き渡っていた。そう、遠吠えだと思った声の主は、何を隠そう、うちの弟だったのだ。
ここで改めて弟の紹介をさせて頂こう。弟は、先天性の自閉スペクトラム症。それでも幼少期頃までは、比較的マイペースで、どちらかというとあまり自己主張も無く、ぽーっとしていることの方が多かったように思うが、成長し物心がついていく中で、徐々にその特性が明らかになっていった。自閉症の特徴の一つに、特定の物事やルールに強いこだわりを持つという特性があるが、弟の場合、それがかなり強く、それはそれは沢山のこだわりがある。日付が変わるまでには必ず寝なきゃいけない、イライラしたら発散するためにゲームで必ず勝利しなければならない、自分が嫌いな言葉を聞いたり見たりしたら人生の終わりだ、などなど、挙げだすとキリが無い。その自分ルールは非常に厳しい。そして万が一、意図せずともそのルールを阻止してしまった者に対しても、弟の態度は大変厳しい(主に家族だが)。とは言え、同じこだわりが何年も続くというわけでもなく、ある時パッと無くなり、また急に新たなるルールが生まれていたりするのだ。もちろん全て弟基準。
そんなわけで、彼の中のルールは常に変化し続けているので、こちらとしてもなるべくそれを阻止しないためにも、常に彼の新着情報をキャッチしていく必要がある。まるで、常に移り変わる流行を追い続ける若者のように、或(ある)いはそれ以上の速さで、とにかく弟のこだわり事に対して最先端でいなければならない。とは言え、世間の流行のように、誰かがSNSで発信してくれるだとか、雑誌で情報収集なんてことは皆無なので、私達家族は新しい弟ルールの大半を身を持って体験し、「あ、これが今のこだわりなのね。承知!」と理解していくのが日常だ。
先程の遠吠えの話に戻るが、ひとまず遠吠えの主が弟だと察した私は、そっとリビングへのドアを開け、ドラマ『家政婦は見た』の主人公ばりの半顔状態で中を覗(のぞ)いてみると、そこには、ソファにドカッと座りこみ、頭を抱えて全身全霊で泣き叫ぶ弟がいた。「やっぱりあんたかいっ!」私は心の中で全力でつっこみを入れた。
余談だが、弟は割と体格が良い。背なんて一八〇センチ近くあるし、骨太でガッチリとした体型をしている。そんな大男が頭を抱えて泣き叫ぶ姿は、まるで巨大な銅像のような存在感があり、文字通り圧巻である。そしてその両脇に座りこむ父と母。二人は、何とも言えぬ複雑な表情で弟を見つめている。そんな二人をよそに、更に激しさを増しながら泣き続ける弟に耐えきれなくなったのか、ついに父が口を開いた。
「ちょっと落ち着いて、話を聞いて!」
父は少々強めの口調で弟を落ち着かせようとした。父の肩が、まるで漫画で描かれる人物かのようにワナワナと震えている。「落ち着け」と言っておきながら、父自体が落ち着いていない。彼もまた、全力なのだ。父なりに精一杯(せいいっぱい)に自我を制御し、なんとか弟を落ち着かせ、話し合いに持ちこもうとしている。
「そんなに餃子が上手(うま)く焼けなかったことが悲しいのか?」
父は弟の泣き声に負けじと声を張る。今回、弟が狼男と化した原因は、どうやら餃子の仕上がりが気に入らなかったからだと予想する。
いつからか、弟は家で料理をするのが日課となっていた。子供の頃から料理番組を見るのが好きで、NHKの「ひとりでできるもん」をよく一緒に見ていた記憶がある。それに加え、大人になるにつれて、自身の障害を自覚していく中で、自分自身で何かを成し遂げるということの成果をあげたいと思ったことがきっかけである。そうして料理を始めたまではよかったが、気付けば彼の中では、料理に対するさまざまなこだわりやルールが確立されていた。これがまた、大変厳しいルールであり、目的の料理を作る過程と、その出来栄えが、彼の頭の中で思い描いている物と少しでも相違があると、どうしても納得ができない。それが今回は餃子だったというわけだ。
「餃子の焼き目なんて、毎回同じく焼ける人なんていないぞ、十分美味(おい)しそうに焼けてるよ!」
また父が声を張り上げた。なるほど餃子の焼き目、確かに重要。でもそれは、あくまでプロの料理人の話ではないだろうか。家庭で作る餃子の焼き目に対して、泣き叫ぶ程にこだわる人は恐らくあまりいないはずだ。ましてや、最終的に家族の胃袋に入るだけだ。だが、それが通用しないのが我が弟。たとえ、私達の目で見てすごく美味しそうに仕上がっていても、彼の理想通りでなければ認められないのだ。実に厳しい、厳しすぎるぞ弟よ。あんたは一体どこを目指しているのか。
そんな家族の思いをよそに、泣き叫ぶ様子は、先程から一向に変化なしで、埒(らち)が明かない状態だ。その横で、変わらず肩をワナワナとさせている父。そんな父は以前、教師をしていて大変厳しい人だった。現在は定年退職となったが、現役時代は校内一の鬼教師として恐れられていた。そんな父だから、当時は相当な気合いで満ちあふれた男という感じだった。しかしある時、父は気付いたのだ。
数年前、また別の理由で今と似た状況になった時があり、その時はついに父と弟は掴(つか)み合いの取っ組み合いになった。父はまるで生徒に説教をする時のように弟に怒鳴(どな)り、それが更に弟の癇(かん)に障り、弟は思わず父に手を出してしまった。幸い大事には至らなかったが、多分あの瞬間だと思う。今まで何人もの生徒を指導してきた鬼教師のやり方では、我が子の心を鎮めることは不可能だと父は悟ったのだろう。それからは、取っ組み合い騒動は起きていないが、こうして我が家のシェフが泣き叫び、父が肩をワナワナとさせる状況は定期的にやってくる。
弟は泣きじゃくりながら声を上げる。
「もう僕の人生は終わりだ! 僕は生きてる価値の無い人間なんだ!」
シェフの悲痛の叫びである。
弟の中で、元から好きだった料理作りで成功体験を積み重ね、自身の価値を見出したいという思いと、しかし自身のこだわりが強すぎるあまり、なかなか自分で納得ができる成功へ辿(たど)り着けないという思いの葛藤が生まれる。こういう時、私は思わず全力で弟を抱きしめてやりたい気持ちになるのだが、いかんせん、相手は大男。私の腕の長さでは収まり切らない。実にもどかしい思いである。
そんな弟の姿を、ずっと黙って見つめていた母がついに口を開いた。
「あんたね、そんなに泣くなら、もうこの餃子、全部トイレに流すよ!」
「え?」
思わず私も声が出た。瞬時に静寂が訪れる。あんなに遠吠えを上げていた弟をも黙らせた母の衝撃の一言。これまでの父と弟のやり取りを見るに耐えられなくなった結果、勢い余って発した言葉がこれだ。私は心の中で思った。母よ、語彙力、乏しすぎないか……? いや、彼女もまた、父同様、必死なのだろう。日々、衰えゆく体に鞭(むち)打ち働き、帰宅直後に狼男じゃあやってらんないよな。そりゃ思わず餃子を流したくもなりますよね、私は同調しませんけど。
そんな母のカオスな言葉を聞いて我に返ったのか、弟が慌てだす。
「やめてよ、お母さん、せっかく作ったんだし。」
さすがの弟的にも超意外な言葉だったに違いない。
「それじゃ、どうする? もう一度焼く?」
母が冷静を装い尋ねると、弟は少し考えてから
「わかったよ、じゃあもう一度焼いてみるよ」
そう言って、気を取り直したのか、ソファから立ち上がりキッチンへ向かう。
「お母さんも手伝って」
弟にそう言われると、母は力無く笑みを浮かべて
「はいよ」
と返事をした。ここでようやく、ドアの隙間から覗いていた私に父が気付いた。
「なんだ、帰ってたのか」
「……ただいま」
そう言って父の顔を見ると、無言で、やれやれといった表情で私へ目配せした。父は、今までワナワナとしていた肩をなでおろし、思わずその場に横たわった。
父上、母上、大変お疲れ様でございます。心の中で二人へ敬礼。
しばらくして、二度目の餃子が焼きあがろうとしていた。今度は母が補佐したので、きっと大丈夫だろう。だが私も内心ものすごくドキドキしながら、弟がフライパンの蓋を開けるのをさりげなく見守っていた。そして隣にいる母にとっても緊張の瞬間だ。どうかうまい具合に焼けてますように……。蓋が開けられたその瞬間、
「やったー! 今度は大成功だ!」
弟は歓喜の声を上げた。どうやら今度こそは納得のいく焼き目に仕上がったらしい。良かった、本当に良かった。しかし私は思った。一度目の仕上がりと、一体どこが違うんだ……。皿に並んだ初回の餃子も十分に美味しそうなのだ。だけどきっと、そこには、私にはわからない弟なりの繊細なこだわりがあるのだろう。それはまさに「職人」といった感じだ。
なにはともあれ、一同大きく胸をなでおろす。出来栄えにテンションが上がった弟は、
「何度も挑戦するのって大事だね! 僕、これからも諦めずに挑戦するよ!」
と、すっかりご機嫌な様子だ。あんなにも、あんなにも泣き叫んでいたのに。そして「諦めない」という言葉も、今まで何度も聞いているぞ、弟よ。恐らく本人以外の私達三人は同じ気持ちだったであろう。こうして、私達の中には、弟の餃子の焼き目へのこだわりが新たにインプットされた。まさか餃子一つでこんなにもカオスな展開になろうとは、誰が想像できただろうか? しかし、うちでは十分に有り得ることで、もはや日常茶飯事である。餃子以外の料理でもそうだ。こういう状況になったのは一度や二度ではない。その度に、弟は泣き叫び、あるいは成功すれば人一倍喜び、それに伴い、家族の感情も大いに揺さぶられるのである。
だが、私が何よりもすごいと思うのは、弟が作る料理の出来栄えだ。強すぎるこだわりが難点ではあるが、それ故(ゆえ)にものすごく美味しい。身びいきを差し引いても、そのクオリティーは立派なものだ。そしてすごく優しい味がするのだ。弟の一生懸命な気持ちを投影したかのように。だから私は、成功した時、ここぞとばかりに弟を褒めたたえる。それはそれは盛大に、まるで劇場のスタンディングオベーション並みに。そこに至るまでの過程が、どんなに山あり谷ありだったとしても。弟の強すぎるこだわりは、時に悩ましくもあるが、しかしこうして幸せをくれることも沢山ある。だからね、とことんこだわったっていい。泣いたっていい。あなたが納得できるまで、何度でも餃子を焼いたっていい。姉は、家族は、食べるよ、何皿でも! そうして一つずつ、完成させていこう。我が家のシェフだけの、最高のオリジナルレシピを。
受賞のことば
今回の佳作受賞を大変光栄に思います。弟を通じて自閉症と向き合うことで、今まで様々な思いを感じてきました。私は医師や専門家ではないので専門的な事は無知かもしれません。ですが、だからこそ実際に障害を持つ家族と関わるリアルな現場の声をお届けできればと思い筆をとりました。障害は悲しいだけではない。辛いだけでもない。読んでくださる方が障害の新たな視点を発見するきっかけとなれたら幸いです。ありがとうございました。
選評
弟さんの障害エピソードを小説仕立てにされました。餃子事件の顛末では、自閉スペクトラム症の特徴が分かりやすく描かれています。捉えようによっては、困難さが前面に出る重たい内容を、ユーモラスな書きっぷりで「弟大好き!」が読み手に伝わり、ホッコリさせられました。そこに至るまでの修羅場を乗り越えた家族ゆえの、障害を淡々と受け入れる様子には落ち着きさえ感じました。
弟が大騒ぎしながら、こだわりの中で葛藤している様子を「こういう時、私は思わず全力で抱きしめてやりたい」という件は素敵です。彼の全てをひっくるめて受け入れているお姉ちゃん、弟の新着情報をキャッチせよ!(鈴木 ひとみ)
以上