「皆さん、今日は私の個展に来てくださりありがとうございます。
どうかゆっくりご覧になって下さい、お時間の許す限り」
彼は挨拶をし、ギャラリートークを始めた。
「この絵はインドゾウの親子です。甘えん坊のお兄ちゃん象が、お母さん象に甘えていましたねぇ。子象を見守るお母さんの目は、優しい感じがしました」
言葉の端々に障害を感じるものの、自分の作品を一生懸命に紹介するアーティスト。
彼の名前は石村嘉成(よしなり)。
にこやかな表情で見に来てくれた人をもてなす彼の様子を見て、ほとんどの方はこう言います、
「本当に重度の自閉症だったのですか?」と。
遡ること10年。ここは、高校の美術室。自己紹介の場面。
「1年D組石村嘉成です。私はみんなと一緒に卒業がしたいです。1年間よろしくお願いします」
私は『みんなと一緒』という言葉に疑問を持ち、そして、後にこの言葉に込められた彼の思いを知ることになります。
嘉成(よしなり)さんは、声も異様に大きく準備や片付けに要領が良くない様子から、障害があることはうかがえました。
しかし、絵を描く彼は『ひたむき』でした。最初の課題『自画像』では鏡に映った自分の顔を真剣に覗き込み、そこから見つけた線を一本一本描くのです、まるで自分自身を画用紙に刻みつけるように。
1年生の時に美術を選択してくれた嘉成さんでしたが、この学校では2年生で美術という授業はありません。
その後、彼が私の授業を選択してくれたのは高校3年生の時。絵画という授業です。
残暑厳しい2学期、彼は初めて版画を体験しました。
「嘉(よし)くん、版画の題材何にする?」
版画の下絵にとりかかる彼に私は尋ねました。
「先生、今日は暑いですねぇ。夏だからトンボがいいです」
「嘉くん、この大きな丸は何?」
「トンボのいる池です。水の上にはアメンボがスイスイ……あっ先生、アカハライモリもミズスマシも描きたいです」
彼はそう言って楽しそうに下絵を描きました。
「先生、どこを彫ったらいいですか?」
「ん? 黒い線を残して彫るって教えたやろ」
「先生、手がカラスみたい、黒のインクまみれ」
「んっ? なんで手がインクまみれ? 嘉くん、インク出しすぎやろ!」
なぜか私が目を離した間に、彼の手は版画インクでベトベト。
版木やインクと格闘の末、やっとできた一枚の版画。
できあがった作品を見て満足そうな嘉成さん。
「先生、見て下さい! 夏の池でみんなが楽しそうに遊んでいます!」
「先生、今度はアリが描きたいです。女王アリと働きアリ、それから……アリのサナギと卵も!」
こんな調子で5か月の間に5枚の版画ができあがりました。
『夏、草むら、池のまわり
みんな、愉快な仲間たち
ここにね、友達のワンダーランド』
これは、その版画に寄せて彼が書いた詩です。
5枚の版画とこの詩を1つに合わせ『友達のワンダーランド』と題しました。私はこの作品が『高校生活の記念』になればと思い、彼に公募展へ出品することを勧めました。
「先生! 入選しました!」
なんと『友達のワンダーランド』が入選。
「嘉くん、良かったね!」
「はい、全校朝会で校長先生から賞状をいただきました!」
その表彰式は卒業式前日のことでした。
初めて『皆の前で誉められた』嘉成さん。自分の好きな動物を表現する楽しさと、その作品で得られた喜び。
この体験がアーティストの道へとつながります。
嘉成さんの卒業後、彼の父親・和コさんが美術室に来られました。
「先生、嘉成の今後についてご相談があるのですが」
「どういったことでしょう」
「嘉成に絵を教えてもらいたいんです」
「絵を? ですか」
「一時は、息子は私の工場で軽作業するしかないとも考えました。でも、従業員は、彼が私の息子であるがゆえに『できんこと』があっても、大目に見てくれます。それじゃあ自閉症の息子のためにならんのです。失礼ですが、先生は自閉症についてご存知ですか」
「すみません、自閉症という言葉はよく聞くのですが……」
「自閉症という病気は誰かの管理下に置かないと、意識のレベルが下がってしまいがちです。今の息子には指示が必要です。
先生にお願いしたいのは、絵の指導をすることで『決まったことはキチッとするという習慣付け』を、学校での『先生と生徒』のようにこれからも継続してもらいたいんです。
お願いできますでしょうか。
そして、できることなら私は、卒業前に賞状をもらったように、息子に絵で自信を持たせてやりたいんです」
『管理下』『指示』という言葉に違和感を持ったものの、『今まで見た力強いしょうがい者アート』にひかれていた私は、自閉症の彼だからこそ絵を教えたくなりました。
しかし療育経験のない私が、自閉症の彼に絵を教えるのは一筋縄ではいかなかったのです。
私は、彼の自閉症に『困惑』し『怒り』『諦め』……。しかし、その時いつも諦めない彼がいました。
彼は私に怒られる度に口癖のようにこう言います、
「最初っからやり直し!」
そこには、自分の大好きな動物を描きたいという彼の強い思いがありました。
私は先生として彼のアトリエにお伺いするようになります。
「嘉くん、今度はなんの版画にしようか?」
彼は私に『母に買ってもらった昆虫図鑑』を見せてくれました。
「先生、春なのでミツバチがいます。蜜をもらいに行っています」
「嘉くん、『蜜をもらいに』って良い言葉やね! その言葉も作品に入れる?」
この『レンゲから蜜をもらって巣に帰るミツバチ』の版画がパリの公募展で優秀賞に輝くことになりました。
「嘉くん! 会場借りてきたで! 個展や個展!」
父親の友達Tさんの大きな声がアトリエに響きます。
「先生、わしゃあ嬉しゅうて、しょうがないんよ。嘉くんがパリで賞をもろうたなんて!
このことを皆に知ってもらいたいんよ。そやから新居浜市で一番大きな美術館借りてきたで!」
自閉症の嘉成さんを幼い頃から知っていたTさん。彼の熱い思いは、アーティストとしての嘉成さんの背中を強く前に押すことになるのです。
しかし、たとえ小さな市の美術館とはいえ個展をするには作品数が足りません。
それから3か月間、嘉成さんは制作し続けます。これはひとえに彼の『描きたい思い』『皆に見てもらいたい願い』があったからできたのです。
初めての個展はすべて手探りでした。
しかし幕を開けるとそこには大勢の方の感嘆の声がありました。
「あの嘉くんが! こんなに立派に!」
彼がお世話になった先生方、友達、近所の方。彼と付き合いのある多くの人が見に来てくださいました。
嘉成さんがこれほど多くの人に愛されていることに、私は驚きました。
こうして嘉成さんは、アーティストとして上々のスタートを切りました。それからも動物の版画は次々と生まれます。
版画の彫りは、自閉症の彼に適していました。版木を彫刻刀で彫る強い刺激が脳に伝わり、脳は喜びを覚えるようです。
彼は版木を深く彫ります。深く彫られた版木に黒いインクをのせてすると、絵の骨格となる力強い黒い線が浮かび上がります。
この黒い骨格線に合わせる着彩方法もいろいろ試しました。
ある日、彼が机をトントンとたたく仕草をヒントに、絵の具を紙にのせてみることにしました。
「嘉くん、絵の具をスポンジにつけてトントンと紙にたたいてみて」
この方法は嘉成さんの気に入ったようです。
色の選び方も、あえて動物そのものの色を選ばないように助言。色の概念崩しです。
黒いニワトリも紫や緑で、赤黒いロブスターも鮮やかな赤や青で、これが後にキャンバス画に移行した時に自由な色の表現を生むことになります。
嘉成さんは人の『絵画』から学ぼうとしません。ですから、さまざまな道具・技法・色を体験させました、彼の『絵画表現』の幅を広げるために。
「嘉くん、絵はね、毎日描かんと上手にならんよ。絵日記描いてみる?」
私は嘉成さんに1冊の白いノートを渡しました。彼は右のページに今日の出来事を書いた後、左のページに色鉛筆で好きな動物の絵を描きました。
彼は毎日1時間以上かけて絵日記を描きます、8年以上たった今でも。そこには『決めたことはやる』という自閉症の特性の良い面を感じます。
その絵日記に描かれているのは、のんびり昼寝をしているカバの周りを泳ぐ魚たち、縄張りを争うサル、オタマジャクシを背中に乗せて移動中のイチゴヤドクガエルのお母さん。すべてのページが動物たちの物語に満ちています。
私は、そんな動物たちを版画ではなく、直接筆で描かせてみたいと思うようになり、彼の前に1枚の大きなキャンバスを用意しました。
「嘉くん、島にヤギがおるって、見に行ってみる?」
『動物に触れさせて絵を描かせたい』、こんな思いからフェリーに乗って10分ほどの島に2人で向かいます。
「嘉くん、ヤギに触ってみて」
「先生、びっくりするほど驚いて恐い感じがしました」
これは嘉成さん独特の言い回し。「恐い」と言う気持ちの表現です。
「嘉くん、恐くないよ。大丈夫!」
彼はこわごわ少しだけ触ることができました。
自閉症の『触覚過敏』のことを知らなかった私は、『動物好きなのにヤギにも触れんの?』と思ったものです。
アトリエに帰り、彼はこんな話をしてくれました。
「ヤギはとても仲良しでした。子ヤギもお母さんに甘えていましたねぇ」
そして、スケッチした5頭のヤギの顔を仲良く重ねるようにキャンバスに描きました。そのヤギは、優しい顔、楽しそうな顔、不安な顔。
この作品を見た時、私は思いました、彼は『動物に気持ちを寄せること』ができるんだなぁと。
「嘉くん、粘土持って来たよ。動物の『目』を作ってみようや?」
目を描く時、楕円形の中に丸を描くだけだった嘉成さん。そんな彼に目の成り立ちを理解させたい。
まず、眼球に見立てた丸い球体を粘土で作らせ、その眼球の上に粘土で作った下まぶたと上まぶたをかぶせました。
認知の能力を広げられるものならと、彼の視線を動物の体のあらゆる所に導きます。そして、彼は少しずつ描画のための物の見方ができるようになりました。
「先生、トラの下絵ができました。見て下さい!」
自信満々で言う嘉成さん。
「嘉くん、このトラは何をしよるところ?」
「ライバルのオスと出会って、闘いを挑んでいるところです!」
しかし、どうも迫力のないトラの絵。トラの目が小さいのです。
そこで私は『比べる』という言葉と感覚を教えることにしました。
私はトラの顔が大きく出ている図鑑を彼に見せてこう言いました。
「嘉くん、トラの目を紙で作ってみて、顔の幅が目の幅の何倍になっとるか測ってみて」
まずは正確に把握する。その上で自分なりに表現する。すると、目は大きいほうが迫力が出るという感覚も次第に身についてきました。
私は彼に少々の写実的な表現を教えました。それは体の傾きの表し方や、立体的に見えるように陰影をつける方法です。
『長い短い』『遠い近い』『ギザギザの線』『強弱のある線』なども、机の上に物を並べたり、実際に紙に線を引いたりして確認し合いました。
こうして彼と私は、表現をする時に使う共通の言葉を理解し合えるようになっていきます。
「嘉くん、絵の具の出しすぎ!」
最初は絵の具のチューブをグーの手で握る嘉成さんでした。そこで、彼の手に私の手を添えて『絵の具を出す感覚』を覚えさせました。
「嘉くん、筆のサイドにグラデーションで絵の具をつけるんよ! またぁ、違うって!」
何度教えてもできない嘉成さんに苛立ち、私は彼の筆を取り上げ放り投げることもありました。
「やめた! 嘉くんができんならもう帰る!」幼稚な指導者の私。今、思えば恥じ入るばかりです。
ですが、嘉成さんの口から出た言葉は
「先生、帰らないでください! 最初っからやります!」
こんな嘉成さんを見て私は不思議に思いました、幼児期に『重度の自閉症』と診断された彼が、どうやってここまで成長できたのか。
「先生、これ読んでみますか?」
ある日、嘉成さんの父・和コさんが分厚いファイルを私に見せて下さいました。
それは嘉成さんの母・有希子さんが書いた『嘉成さんの療育の記録』です。
「先生、幼児期のPEPテスト(自閉症・発達障害児教育診断検査)のビデオもあるし、妻が勉強した自閉症の本もいっぱいありますよ」
そのビデオを見て私は驚きました。
そこには、『多動』で『ただただ泣き叫び』『人とやりとりのできない』彼がいました。
嘉成さんのこと、自閉症のことをもっと知りたいと思った私は、この記録をひも解くことにしました。
有希子さんの記録
嘉成1歳2か月
順調に育っていた嘉成から言葉が消える。この間まで「マンマ」「ワンワン」としゃべっていたのに……。近頃は奇声を発し、気に入らないことには泣いて暴れる。
多動もひどくピョンピョン跳ねるように歩く。いつまでも流れる水に手を当てる。おもちゃの車のタイヤを頬に当てていつまでも回し続ける。
2歳5か月
嘉成『自閉症』と診断される。
『泣かさないように、スキンシップをとり、嫌なことはさせないで』という医師の指導。私は腫れ物に触るように息子を育てる。
しかしこのままでいいのか、小さい我が子が暴君になってしまう。
2歳6か月
自立に向けた『療育』に出会う。私は嘉成のために知識を持った『療育者』になろう。
有希子さんの記録は次のように続きます。
彼女は、暴れる息子に『物に名前が在ること』を教え、『文字や数の学習』などを通して『学習態度』を整え『最後までやり抜く力』を養いました。
親子で挑んだ最初の学習は、絵カードのマッチング。
嘉成さんは、椅子に座って2枚の絵カードを合わせることすら暴れて拒否。
彼は1週間泣き叫び扁桃腺を腫らせ、高熱を出したそうです。それほど強い『我』を持った自閉症児でした。
細かい指の動きが苦手だった嘉成さん。有希子さんは自分の手を彼の手に添えてカードをつまませ、2枚のカードを合わせて「ウンウン」とうなずき、マッチングできたことを教えます。
やるべきことがわかると、次第に彼は落ち着いてきます。すると学習は彼の鎮静剤となり親子の遊びとなりました。そして知識の獲得へとつながっていきました。
トイレや着替えなどの生活に必要なことも、ひとつひとつ手を添えて教えました、母の声と母の手のぬくもりで。
ある時、散歩から帰らない母子を心配し外に出た祖母は、こんな光景を見たそうです。
「幼い嘉くんが、道に寝転んで暴れていたんです。私は思わず母親を探しました。すると有希ちゃんは電信柱の陰から見守っていたんですよ。
あたりが暗くなってくると、嘉くんは渋々起き上がり家に向かって歩き出しました。すると有希ちゃんも安堵の表情で嘉くんの後から家に帰って来たんです」
この話は私の心を鷲掴みにしました。
『わがままは通らない、人の行動に合わせられるように。間違ったことは自分で修正できるように』と願う有希子さんの思いが伝わってきたからです。
自分にも息子にも厳しい有希子さん。しかし、彼女は厳しい療育をしただけではありません。嘉成さんの心を豊かに育てたいと願っていました。
「カマキリ カマキリ カマを振り上げ怒ってる」
こんな絵本の話をしながら毎週山歩き。幼い彼にたくさんの自然を味わわせました。
動物の好きな嘉成さんのため、彼を動物園に連れて行き動物と触れ合わせ、動物の絵本を読み聞かせ、好きな事を充分体験させました。
そんな嘉成さんの成長は、3歩進んで3歩下がるようだったと、有希子さんは書いています。
嘉成さんは小学校入学時にやっと発語があったものの、独り言も多く、授業中勝手に離席する児童だったそうです。
そんな彼に、通常学級での学習を可能にするため、有希子さんは一日中付き添います。しかも邪魔にならないように児童用の小さな椅子に身をかがめて。
多動で勝手な行動をとる息子に、声を出して怒れない母。有希子さんは、自分が彼に注意の言葉を発すれば、その声が授業妨害になると考えました。
母は家に帰って息子に『今日学校で迷惑かけたこと』を見直させ、明日は迷惑をかけないように教えます。そして宿題や予習復習をさせたのです、毎日毎日。
母は息子のためには自分の時間をすべて使い果たしました。
有希子さんは、彼が小学校3年生の時にがんを発病、そして2年間の闘病の末に他界されてしまいました。
まだ自閉症傾向が色濃く残る我が子を置いての旅立ちは、さぞかし無念だったことでしょう。
有希子さんの記録は私に語ります、
『根気強く工夫して教えて』『心をもっと豊かに育てて』と。
そして『褒める時は何ができたのか具体的に褒める』『駄目なものは駄目』『行動修正はその時にする』など、嘉成さんへの接し方を私に教えてくれました。
嘉成さんは、小学校5年生の時に、たった1人の障害児学級を経験します。
中学校の卒業式では、みんなで集まって騒ぐ同級生をひとり寂しく見ていたそうです。
彼が高校入学時『みんなと一緒に卒業したい』と言った言葉、それは『みんなと一緒』が当たり前ではなかったつらさから生まれました。
自閉症の彼は『みんなと一緒』にいたかったのです。
私は個展で、よくこう言われます
「寺尾先生、嘉成さんの絵の才能をよく見いだしましたね」と。
絵の才能とは何でしょう? 絵がうまいことでしょうか?
才能の一言で嘉成さんを語ることは、私にはできません。しかし彼には才能と言うより『力』と言えるものが多々あります。
彼の最も際立った『力』、それは『動物の絵を描きたい思い』の尽きぬことです。
自閉症の人は、時として自分の好きな事だけに集中します。その『力』をプラスにすれば、汲めども尽きせぬ創造の『力』となります。
彼の描きたい『動物の絵』。彼はその絵に『生き生きとした動き』を求めました。ですので私は、前述のように写実表現を教えようと思いました。
私は未だに悩みます。この指導が嘉成さんのためになっているのか、彼の持っていた自由奔放な力強い表現力を潰したのではないかと。
しかし今のところ彼の持つ表現力は、私の教えたひ弱な写実表現には負けません。
その日、彼の作業台には40色以上の絵の具が散乱していました。
「嘉くん、すごい色数やね!」
「先生、カメレオンの鱗を、色を変えて描くのは楽しいです! 昨日は125枚描きました!」
カメレオンの鱗(カメレオンは有鱗類)を硬いペインティングナイフで1枚1枚描く。1枚描くごとにエプロンにぶら下げたタオルで拭くものだからエプロンも絵の具だらけ。
何千枚もの鱗ができるとカラフルなカメレオンになります。
彼はそのカメレオンに陰影をつけます。立体感の出る写実的な表現をプラスするのです。
嘉成さんは今、大好きな動物を生命力豊かに描きます。そこにはあふれる色彩が踊っています。
そして、そんな彼の『絵画』を見て大勢の人が笑顔になる。
嘉成さんは私に、『絵画には力があること』を教えてくれました。
私は今、彼の個展のお手伝いをさせてもらっています。会場の図面を引き、展示内容を相談し、創作を彼の横で見守る。
そして個展では、多くの方の感動の表情に出会えます。そんな光景を目の当たりにできる私は本当に幸せです。
有希子さんは生前こうおっしゃっていたそうです、
「嘉成は人のお世話なしでは生きていけないかもしれない。だから人が手を差し伸べてくれるように、お世話をしてもらいやすいように育てなければいけない」と。
母の願いは息子に届き、多くの人に支えられここまできました。
そして27歳の嘉成さんは今、自分の持てる力を総動員してキャンバスに向かいます、彼にしか描けない動物を描くために。
受賞のことば
この度は、このように素晴らしい賞を頂き感謝いたします。
嘉成さんと出会って10年余、彼から『好きなことをやり続ける大切さ』を学びました。
絵を指導する時、障害のあるなしにかかわらず、私の価値観の押しつけになっているのではないか、描きたい意志や表現を潰しているのではないかと、不安になります。
これからも謙虚な気持ちで相手の良いところを引き出していける者でありたいです。
選評
「最初っからやり直し!」という言葉通り、描きたいという強い思いが生んだ自閉症のアーティスト。その子に絵を指導する中で、自閉症について理解していく療育経験のない筆者。その背景には、早逝した母親が教え子を支えてきた療育記録からの学びがあった……。指導者と教え子、それぞれの成長過程がドラマティックに展開していき、ぐいぐいと引きこまれるだけでなく、嘉成さんが描いた動物作品を見たいと感じるほど圧倒されました。(山名 啓雄)
※しょうがいの表記について:原文では「障がい」が用いられていますが、読み上げソフトに対応するため、html版では「障害」と表記させていただいています。
以上