第一章 「バード・カービング」の紹介
アメリカ開拓時代、カモ猟のために、デコイという囮が開発されました。デコイには仲間を引き付ける、〈誘引効果〉があり、確実に獲物をしとめるために必要な道具でした。それを、部屋に飾るために細かな彫刻や彩色を施し、装飾品からアートまでに進化させたものが、バード・カービングです。アメリカ・メリーランド州ソールズベリーには、一九六八年、ウォード財団が設立され、その八年後にはバード・カービングの美術館がオープンしました。この財団は一九七一年より毎年、国際コンクールを開催し、全米各地からカーバーが「世界一」の座を目指してやって来ます。審査基準の中では、本物の鳥そっくりな色はもとより、羽の流れる方向など、鳥類学的な正確さが細かいところまで求められます。
一九七九年、アメリカでこれを目にした日本鳥類保護連盟が、愛鳥教育と野鳥保護にこの野鳥彫刻を役立てようと、日本に紹介しました。一九八○年、私はその活動に参加し、日本で最初の野鳥彫刻家という職業に就きました。ウォード財団のコンクールには毎年のように参加し、「ワールドチャンピオンクラス」で入賞。財団からの要請で、審査員を数回務めた経験があります。
第二章 ブラインドの方との出会い、閃いた「タッチカービング」
当初バード・カービングを広めるために、デパートでデモンストレーションをするよう日本鳥類保護連盟から依頼がありました。屋上に近い階に会場を作り、館内に鳥の鳴き声を流します。ブラインドの方(目の見えない方)が買い物に訪れると、普段と違う鳥の鳴き声につられて、鳥を彫っている私の前にやって来ます。
「鳥を彫っておられるのですか? 何か触れるものはありませんか?」
と聞かれます。
「スズメかメジロでよければ、どうぞ」
と私が言うと、大事そうに触れながら
「あぁ……なつかしいなー」
「そうそう……メジロ、小さくてかわいかったなー」
と懐かしむような笑顔でつぶやきました。中途失明のおじさんでした。
ほとんど週末だけの実演でしたが、どの会場でも一日に一組か二組のブラインドの方と付き添いの方が
「触れることのできる鳥はありますか?」
と尋ねてこられました。当時の私は、鳥を学ぶことと彫ることで精一杯でしたが、バード・カービングはブラインドの人にとって鳥の形を把握する手段になり得るということに、初めて気付かされました。
一九九一年、バード・カービングの腕を磨くためと、後に日本で開催される展示会の下準備のために、一年間、アメリカ・ペンシルベニア州に滞在。翌一九九二年に帰国。横浜のデパートを皮切りに「アメリカンバード・カービング展」が全国十か所で無事に開催されました。私は全会場でバード・カービングの実演と説明を受け持つことになりました。カービング展が始まって間もなく係の人が、
「目の見えない人がおこしになられているのですが、入場料を頂くわけにもいきませんし、いかがしましょうか?」
と尋ねられました。私は、
「触ることが出来る物が少しありますので、ご案内して下さい。できれば無料でお願いします」
と伝えました。
その時、盲学校の生徒さんを引率していたのが今でもお付き合いしていただいている、筑波大学附属視覚特別支援学校の鳥山先生でした。生徒たちに鳥の彫刻を触ってもらい、嘴の特徴と食性を説明すると、
「植物の種を食べる鳥と花の蜜をなめる鳥では、嘴の形が違うのがよく理解できます」
という感想を聞かせてくれました。意外にも、触ることさえ出来れば、晴眼者と同じように鳥の世界を楽しめる、という新しい発見をした大事な日になりました。
(一)「タッチカービング」の開発、そして、教育現場へ
何年もの間、バード・カービングの可能性の一つに、ブラインドの方への活用が頭の中でくすぶっていましたが、踏み出す勇気がなく躊躇していました。鳥山先生に出会ってからは当事者の方々と積極的にお付き合いをし、何を必要としていて、どのように作ればよいかといったアドバイスをいただきながら、「目の見えない人のためのバード・カービング」を作り始めました。一九九三年頃のことです。最初は、小規模ながら自宅工房に四〜五人のブラインドの方を招き、鳥の彫刻に触ってもらいながらその鳥の話をしました。全員が納得行くまで鳥を触り、話を聞き終えるまでに、二時間ほどかかることがわかりました。それを踏まえ、大阪や茨城などで開催されたイベントに参加し、「タッチカービング」の体験会と鳥の解説をしてきました。
二十年ほどの間の実績と経験の後、二〇一一年、ようやく千葉県立盲学校で出前授業をさせてもらえるようになりました。その後、東京都豊島区にある筑波大学附属視覚特別支援学校や東京都立葛飾盲学校でも行えるようになりました。あるとき、
「バード・カービングでなくても鳥の剥製を触ればよいのではありませんか?」
と盲学校で言われたことがあります。作っている現場を見ればわかることですが、剥製は、鳥の肉と骨を取り除き、強力な防腐剤を中に練り込み、綿を詰めて鳥の形に整えて作られます。鳥の触感を学ぶのにはよいのですが、子供たちの中には
「ミイラに触るのは嫌だ」
と言う子もいますし、傷みやすく衛生的にも好ましくないのです。
盲学校の教材としてバード・カービングを制作するには、正確さを追求しなければなりません。間違ったものを彫れば、間違った情報を伝えてしまうことになります。私は、一九八〇年から日本鳥類保護連盟と山階鳥類研究所のご協力を得て、北海道から沖縄までの自然史博物館に鳥の剥製の代わりになるバード・カービングを制作し納入してきました。鳥の芸術品を作るのではなく、あくまで鳥類学的に正確に彫った上で、自然に近い彩色も要求されます。この正確さで作った「タッチカービング」は、盲学校の求めている学校教材に適しているだけでなく、羽の構造がわかりやすく、何度も触っても壊れにくいという耐久性も兼ね備えています。生徒たちからは、触ることに抵抗がない、という良い評価を得られました。多くの経験と、盲学校の先生や生徒さんの意見を取り入れ、試行錯誤を繰り返し、鳥だけに意識を集中することが出来るようにと、シンプルな形に落ち着きました。正確な彫刻であることはもちろんのこと、弱視の方のために、本物そっくりに彩色をしなければなりません。また、小鳥の足はとても細いので、金属の丸棒から削り出し、強度を高める工夫も不可欠でした。
(二)「物差し鳥のタッチカービング」を小学部の教材に
戦後、日本でも愛鳥教育が始まり、野鳥の世界への第一歩として、五種類の身近な鳥を覚えましょう、ということで、「物差し鳥」が考案されました。小さな鳥から順に、約十pのメジロ……椿の花の蜜をなめやすい細くて長い嘴。次に、約十三pのスズメ……最も身近にいて秋から冬は植物の種を、春から夏には虫を食べる。もう少し大きい約二十pのハクセキレイ……もともとは川辺の鳥だったが、最近では街中でも暮らすことが出来るようになった。それよりも大きい約三十pのキジバト……鳥なのにピジョンミルクという、栄養価の高いミルク状のものをヒナに与えることが出来るため、どの季節でも子育てが出来る。そして、最も大きな約五十pのハシボソガラス……街中で生ごみをあさっているのは主にハシブトガラス。どちらも蛇やカエルなどの死骸を処理するのが役目で、大事な掃除屋。
これら五種が「物差し鳥」に選ばれています。二十pのハクセキレイをムクドリに置き換えることも可能です。すらりとした姿に似合わず、駅前の街路樹をねぐらにしてたくましく生活しているハクセキレイは、話題が豊富で説明しやすいので、私はこの鳥を使っています。
これらは、大きさの比較をする上での指標になるだけでなく、食性が違い嘴の形が違うので、目の見えない人に鳥の説明をするのにとても便利です。もともとは晴眼者のために考案され、野鳥愛好家の間で活用されてきました。私はこれこそ、盲学校の小学部の学校教材にするべきだと思い、工夫を重ねて、一セットを制作し、五羽が入るようなスーツケースを引いて、盲学校へ出前授業に出かけています。
(三)新たな出会い、そして、「触察」の世界
二〇〇四年頃、大阪にある国立民族学博物館で当時助教授(現在、准教授)であった、広瀬浩二郎さんから連絡が入り、白杖一本で、一人で工房にお見えになりました。私には、とても勇気と行動力にあふれた方だなぁー、という印象を与えられました。ボランティアの方からの情報で、新聞に載った私の「タッチカービング」を知り、「是非、体験したい」と、わざわざ来て下さったのでした。工房にある色々な鳥をじっくり触察し、
「鳥に対する親しみが増しました。これは視覚障害者にとって、有効な触察資料になります」
という嬉しい感想を聞かせてくれました。この出会いがきっかけとなり、当事者の方からの貴重なご意見をいただけるようになり、二〇〇六年、広瀬さんの【触察】のための最初の企画展に、私の「タッチカービング」が展示されました。二〇一二年からは、常設展示コーナー「世界をさわる」が開設され、彼のリクエストによる羽を広げたトキの「タッチカービング」が展示されています。これは、私の「トキ色というのは、羽を広げた時に、裏側に見える」との言葉に触発されて、そのような形になったというエピソードを今でも覚えています。
【触察】という言葉は、あまり聞いたことがないかもしれません。ブラインドの方が、非常に繊細なタッチで物を注意深く触り、形、質感、肌触りなどを手や指で感じながら、対象物の情報を得ることを言います。触察によって、上下、左右などの位置関係も把握できます。立体物である「タッチカービング」を触察することによって、「カァー、カァー」と鳴くカラスや、「チュンチュン」と鳴くスズメの、実際の大きさ、嘴の形、足の形などの情報を、ようやく得ることが出来ます。私たち晴眼者にとってこれらの鳥は、カラス、と言っただけで、黒くて大きな鳥が思い浮かびますが、野鳥を実際に触察する機会がほとんどないブラインドの人には、実際の姿を想像することがとても難しいことでした。私がイベントで「タッチカービング」の体験会をした時、ブラインドの方が、
「ワァー! カラスって、こんなに大きかったのですねー。生まれて初めて知りました〜」
と言って、嬉しさにあふれた笑顔を見せられた時、それまで手弁当でやってきた苦労が一気に報われた思いがしました。
ちょっと余談になりますが、二〇〇九年には、ブラインドの方から、
「我々にもバード・カービングが出来ませんか?」
との要望がありました。初めてのことなので、私は教え方を探るために一週間、アイマスクを付けて、刃物によるバード・カービングを試した後、小刀を使ったバード・カービング教室を国立民族学博物館で行ってみました。ちょっと考えると、そんな危ないことを、と思われても仕方がないような大胆な試みでしたが、日本人ばかりでなく、中国人、フランス人の参加者もいました。刃物の正しい持ち方、削り方を守れば、ブラインドの方でも怪我がなく、木を削ってバード・カービングを楽しむことが出来る、という驚きの結果に、主催者としては大変安堵したと同時に、満足感が得られました。彼らにとって初めての経験だったので、とても嬉しそうに出来上がった鳥を持ち帰る様子に、教える側がとても感激したものです。
第三章 盲学校で「ダーウィンの進化論」の授業が可能に
長い間、鳥類保護の目的から、剥製の代わりに博物館で展示するためのバード・カービングを制作してきましたが、「ダーウィンの進化論」の展示がどこにもないことに気が付きました。
ガラパゴス諸島のあるエクアドルから、ダーウィンフィンチという鳥の剥製を国外に持ち出すことが禁止されているためです。進化の過程を知るために必要な、この鳥のすべての種をバード・カービングで復元できれば、博物館での展示だけでなく、盲学校の教材にもなり得る、と考えました。数か月かけて、多方面から資料を集め、十五種類のバード・カービングを完成させました。その中から、盲学校用の教材に必要な四種とその祖先に最も近いとされる一種の「タッチカービング」を三セット制作しました。
盲学校は一クラスが五〜六名なので、二名で一羽の鳥を触察しながら授業を進めます。晴眼者の学校の様に、三十五名に写真やイラストを見せて、進化論の授業を行うことは無理なためです。授業の内容は、コガラパゴスフィンチ、ガラパゴスフィンチ、オオガラパゴスフィンチの三種を触察し、その特徴を点字で記録します。同じところで暮らす三種の鳥は、異なる嘴の形によって、違う種類の植物の種を食べることで、争いを避けて生きるように進化したことなどを説明していきます。これらの鳥のほかに、「血吸いフィンチ」という特異な進化を遂げたハシボソガラパゴスフィンチの話は特に興味をそそり、
「そこまで、するかー」
とか、
「生きるということは、大変なことだなぁ」
といった楽しそうな感想が聞かれました。
二〇〇〜三〇〇万年もの間、十年に一度の頻度で厳しいふるいにかけられ、環境に適応したものたちだけが生き残り、それぞれの身体的特技が発達し、一種の鳥が十五種へと進化したわけです。生徒にはこの授業を通して、「特技を生かせれば道は開けるかもしれない」ということに、気が付いてほしいのです。盲学校の生徒こそ特技の塊なのに、本人たちがそれに気が付いていないからです。今はパソコンが普及したおかげで、手紙の代筆を頼むこともなくメールが送れるし、その返事を音声で3倍速の速さで聴くこともできます。晴眼者には不可能な、五十人ほどの声を聞き分けることは何でもないという、驚くべき記憶力と集中力を持っています。授業が終わると、
「厳しい環境の中でフィンチが生き抜く技に感心しました」
とか
「私も自分を見つめて、だれにも負けない特技を磨けば自信をもってやって行けそうな気がした」
といった前向きな感想も寄せられました。また、
「彫刻の鳥は触り心地がいい」
といつまでも触っている子もいました。このようにして、中学部以上の生徒さんたちは、ダーウィンの進化論を正確に把握することが可能になりました。
第四章 国際会議での発表
二〇一六年二月、ハワイ州ホノルルで「第四十三回太平洋海鳥学会」が開催されました。本来は、海鳥の研究者たちの発表の場なのですが、特別にアーティスト枠が設けられ、出席を許されました。それまでのバード・カービングを使った様々な活動が、生物学の範疇に入る、ということで実現しました。海鳥の会議なので、この日のためにハシボソミズナギドリの翼の「タッチカービング」を制作し、「触って学ぶ鳥類学」という題で、視覚障害者のための鳥類学について発表しました。一三〇名が各十五分という枠で研究発表を行う決まりですが、学会直前になって、突如
「面白い発表なので特別に三十分あげます」
と言われ、十五分用にまとめた原稿の発表後、急きょ十五分のアドリブを加えた発表をすることが出来ました。
終了後、アメリカの野生生物局の人と、鳥類学者で教育関係者の二人が、
「もう少し詳しく話が聞きたい」
と言うので、別室で一時間ほど会談しました。
「目の見えない人に鳥類学の授業が出来る可能性があることに驚きました」
と言う感想と共に、
「アメリカの盲学校で授業をしてもらえないか?」
「その前に、関係者を集めるのでデモンストレーションをしてもらえないか?」
など、あっという間にたくさんのアイディアが出されたことに、驚くばかりでした。物を作る技術が、学者や研究者たちにインスピレーションを与え、ブラインドの方のための教育手段として、高く評価されたことに大きな喜びを感じた一週間でした。帰国後の現在も、その話し合いは続いています。
第五章 「タッチカービング」を使って鳥類学の道へ
盲学校を訪問して初めて気付いたことですが、鳥を学ぶための教材があまりにも不足しているということです。鳥を教えることをあきらめているようにもうかがえます。小学部では身近にいる鳥から覚えてもらい、昔から人とどのように暮らしてきたのかという、人間と鳥とのとのかかわりを伝えてあげたいと考えています。中学部では、鳥たちが、それぞれの特徴や特技を生かすことによって争いを減らし、共に生きている姿を伝えたいと思います。
これまでの経験から、カービングを使えば「ダーウィンの進化論」の授業が盲学校で出来ることが証明されました。最も触りにくいとされた野鳥の世界も、触ることが出来る学校教材さえあれば晴眼者と同じように学習することが出来ます。授業終了後に生徒たちから
「もっといろんな鳥に触りたい」
「鳥の飛ぶ仕組みを知りたい」
「触りながら説明を聞くと良く分かる」
「とても楽しかったので、是非また来て下さい」
などと、色々な要望が寄せられました。「鳥の飛ぶ仕組みを知りたい」という希望を叶えるため、早速、新たなタッチカービングの制作に挑戦しました。山階鳥類研究所からオオミズナギドリの剥製にはならない死体を譲り受け、右側の翼だけでなく骨格も彫り上げました。生徒たちから
「翼はどのように畳んだり広げたりするのですか」
との突っ込んだ質問に、翼を畳んだり広げたりできる構造になるよう挑戦しましたが、ジョイント部分が小さく、まだ完成には至っていません。前段階として、翼の骨格の畳んだ状態と広げた状態の物をそれぞれ彫り、触ってもらっています。
触ることが出来る鳥の学習教材をこれからも開発する努力を続けていきたいと思っています。そして、「タッチカービング」で鳥の世界を学んだことがきっかけとなり、鳥類学者への道を歩もうという志をもった生徒が現れてくれると、これほど嬉しいことはありません。
最終章 触って学ぶ鳥類学
二〇一七年二月、米国オレゴン州で開かれる「第四十四回太平洋海鳥学会」に出席後、地元の大学で「触って学ぶ鳥類学」という題で講演する話が進んでいます。「タッチカービング」という鳥類学的にも正確に彫られた野鳥彫刻は、とてもアナログな教材です。しかし、アメリカの鳥類学者も驚くほど、目の見えない人にとっては、鳥の世界を学ぶことが出来る画期的な方法なのです。今年ハワイで開かれた「第四十三回太平洋海鳥学会」での出会いからほぼ半年たちますが、通訳を務めてくださった海鳥研究者を含め、四名のプロジェクトチームの話し合いは確実に前へ進んでいます。京都賞を受賞され、世界的に有名な鳥類学者から、参加して下さる、とのありがたいお返事もいただきました。ブラインドの方のための、私の夢とも妄想ともつかない地球規模の壮大なプロジェクトが、実現に向けて大きく前進するパワーをいただき、メンバー全員が誇りと自信を得ることが出来ました。
日本と同じようにアメリカでも、盲学校ではなく、晴眼者の学校に通わせる保護者が増え、盲学校を閉鎖する傾向にあると聞いています。繊細なタッチで「触察」し、研ぎ澄まされた感覚で物を理解していく能力が、十分に発揮できなのではないかという懸念も出てきます。そのような状況の中、私の「タッチカービング」の体験を通して、鳥の世界と新たな道具の意義を認識してもらえるよう、このプロジェクトを何としてでも実現させたいと思います。アメリカで成功すれば、他国にも広めていくことへの原動力になると確信しています。そして、ブラインドの方に、鳥類学の世界を伝えていくという重要な使命を果たしていきたいと思っています。視覚障害者の鳥類学者が現れることを夢見て。
内山 春雄プロフィール
一九五〇年生まれ 野鳥彫刻家 千葉県我孫子市在住
受賞のことば
「触って学ぶ鳥類学」を第二部門で十人の中に選んでいただきありがとうございます。
タッチカービングという、まだ聞きなれない活動ですが、外国の鳥類学者からは「こんなにもシンプルな仕組みで、ブラインドの子供たちに鳥の世界が伝えられるなんて、アメイジング!」「アメリカの盲学校の教壇に立ってくれないか?」という申し出も来ています。NHK障害福祉賞に入選したことで、私の活動に弾みがつくように思います。一人での活動は何かと大変です。
選評(柳田 邦男)
目に障害のない子でも、例えば花をスケッチする時、ただ眺めて描くのと、手で触って花弁や葉っぱの厚みや茎の固さなどの感触をしっかり把握して描くのとでは、絵のリアリティや力強さが違ってきます。まして視覚障害者の場合、対象物の形状や感触を手で触って感じ取らないと、正しく理解できないですよね。様々な鳥のバードカービングが、視覚障害者にとって鳥の大きさや形を知るうえで役立つことに気づいた野鳥彫刻家の内山さんの「その道一筋」の展開が、盲学校の子どもたちに自然界の生き物を実感的に理解させるうえで果たした役割は大きいです。「触察」という大切な用語を、私はこの手記で学びました。障害者支援の活動には、一般にはあまり知られていないところで斬新な着想と努力がなされているのだということも学びました。
以上