彼女は私を「ごまめ」と呼んだ。
「おまはんは小さいのにがーがー言うさけな。ごまめの歯
軋
りや」
と前の金歯を見せてカアカアと笑った。
だけど、私はがーがー言うタイプやなかった。母はいっつも学校の面談で「この子の引っ込み思案をなおしたい」と先生にいうたもんだ。
「がーがー言う」ってのは、彼女との出会い方にあると思う。
彼女と知り合ったのは私が小学四年のときだ。父が早くに亡くなって私は母と二人暮らしだった。母は商店街の肉屋でパートをしていたので学校から帰ると一人だった。家にいるのが寂しくて自転車を乗り回していた。
秋の日、自転車を乗り回し気づけばいつもより遠くへ来ていた。見たこともない店、知らない家、道—すると何の前触れもなく下腹がグルグル鳴りはじめた。しばらくしてしぶるように痛みだした。
家まで戻るには時間がかかるのでトイレを借りようと民家の呼び鈴を押した。けど出てこない。その隣その隣と続いたが皆出てきてくれない。最後、奥まったとこにある民家へたどり着いたときは「もうあかん」とドアを引いたら開いた。玄関横がトイレだとわかり「トイレ借ります」と叫んで入ったのだ。
ふうっと安堵してトイレからでると、真ん丸に太った白髪のお婆さんが立っていた。
「おまはん、なんや」
低くて重い声やった。
「人ん家の便所、勝手に入りよってからに」
と、よったよったとしかめ面で近付いてくる。
こわって一瞬おじけづいたけど、いくらベルを鳴らしても出てきてくれなかった民家のことを思うと腹が立ってきて、
「そんなんいうたかて腹痛かったねん。ぐるるいうてもう漏らすとこやったねん。どこの家の呼び鈴押しても出てきてくれんし。灯りついてるねんで、そやのにな」
するとお婆さんはカアカアと笑い出した。
「ほほん、おまはん見捨てられましたな」
そんとき靴箱の上に茶色いビニール紐みたいなのがくるくると丸まっているのに気づいた。よく見ると八角形みたいな模様がある。さきっぽが丸くなってて点、点がある。
あれは何なんやろか。どうしても知りたかった私は翌日もその民家を訪ねた。
「なんや、また腹下しか」
お婆さんは睨み顔である。
靴箱を見た。やっぱりある。
「これなに?」
するとお婆さんはにやっとして、
「そいつは蛇や。蛇の脱け殻や。裏庭の柿の木の根っこにとぐろ巻いとったんや」
「蛇?」
といわれて、やっと点点が目で小さな鼻があって口があることに気づいた。
「蛇なんかこんなとこおるん? 山とかにおるんやろ」
「蛇が山だけにおるっていうか? 勝手ぼしやのぉ。蛇かて好きと思うとこにおるんや。ふん、今はそれよりだいぶデカくなっちゃるやろな」
怖いものほど見たくなる。おお、蛇や。こりゃ蛇である。ほんまに中身のない蛇である。
「なんで玄関に置いてるん?」
「カネ持ちになるようにや。せや、おまはんちょっと待ちな」
と、よったよったと奥へ向かい、きな粉がかかった煎餅を持ってきてくれた。
ぱふぱふと軟らくて甘い煎餅で私は八枚も食べた。
それから私は毎日、学校が終わるとその家へ通うようになった(もちろん母には内緒で)。私はお婆さんをタルおばちゃんと呼んだ。本名が樽井だったから。
タルおばちゃんはいつも足を投げ出して座っていた。
「そんなすわり方、あかんねんで」
「このアシ、このアシよ」
と太腿を叩いた。
うまれたときから股関節が悪くうまく歩けなかったという。確かにタルおばちゃんはよったよった歩く。脚が前に出せず腰を揺らしてなんとか横に出し進む。タルおばちゃんは自分の脚を悪くいうけど、私はおばちゃんの歩き方が一生懸命でとても可愛くていつまでも見ていたかった。
タルおばちゃんのお父さんは小さい頃に亡くなったという。それからお母さんと二人で暮らしてきたけどお母さんも三年前に亡くなって今は独りで暮らしてるという。
「私もお父さん、もういてないんよ」
と私がいうとタルおばちゃんは、
「お母さんいるからええな。ちょっと待ちな」
と答え、よっこらしょっと立ち上がり台所へ向かった。そしていつものきな粉がかかった煎餅を出してくれた。
タルおばちゃんはいつも靴下にシールを貼ってピンで止めて、セロハンの袋に入れる内職をしていた。誰も履いたことのないまっさらのお父さん靴下、お母さん靴下、子どもの靴下がいっぱいだった。タルおばちゃんは不機嫌そうに眉をくねらせシールを貼っていた。
「手伝うかぁ?」
「あほか。ごまめの手で触ったら汚のうなるやろ」
と怒ったもんだ。
あるとき、いつものように学校が終わって訪ねると鍵が閉まっていた。
「おばちゃ〜ん、おばちゃ〜ん」
と叫んでも返事がない。私は仕方なく自転車で辺りをうろうろした。「そういやここらにスーパーあったなあ」と向かうとスーパーからタルおばちゃんが出てくるのが見えた。
おばちゃ〜ん、と叫ぼうとしてやめた。外で見るおばちゃんはなんか違ったのだ。いつもみたいによったよったと歩いているんやけど……。おばちゃんを通り過ぎていく人がとても速く見えた。おばちゃんのスーパーの袋にはきな粉の煎餅の袋が見えた。
「おばちゃん……タルおばちゃん」
唱えるようにして自転車で追いつくと、
「あれ、ごまめ。家開いてなかったやろ。今日は出るん遅なったんよ」
と思わず笑ってしまった感じやった。それは初めて見た柔らかい素直な笑い顔だった。
なんかこっちが恥ずかしくなってうつむきつつ、自転車のカゴにスーパーの袋を入れ、
「いうてくれたら私、買いもん行くで」
というと、
「あほ! 買いもん行けやなんだら死ぬときやろが」
さっきまでの柔らかい顔がぎゅっと固まって怒った。
確かに買い物に行かなかったらおばちゃんはいっさい外へ出ないことになる。私がええと思ってすることが相手にとってもええわけではないんや。
そんな付き合いが続いていたのに、私がおばちゃん家に行かなくなってしまったのは寒くなってからである。
一気に冬が来たな、いう日だった。首まわりが寒いなって思いつつ、タルおばちゃん家に向かった。「きたで〜入るで〜」と玄関口で声をかけたがなんもない。居間に入ったが誰もいなかった。そしたら、奥のほうからかすれた声が聞こえた。
「ここやで〜そこの襖あけてんかぁ」
おそるおそる襖をあけるとタルおばちゃんが布団にくるまって寝ていた。
「おとついの晩から喉にへんなもん棲み付いたみたいや」
痛いからもう喋らんわ、というと布団に潜りこんだ。
私は正座してタルおばちゃんの布団からちょこっと出てるネギの根みたいな白髪を眺めていた。
暇やわ。なんもすることないやん。食べるもんもないし。
私は家を出た。自転車に乗って辺りをぐるぐるまわればええかと思った。けれど、そういうわけにはいかんと思っていた。家に戻って自分の小遣いを持ってスーパーへ行った。いなり寿司と薬局部で一番高い風邪薬を買った。それを持ってタルおばちゃん家へ自転車をとばした。
「喉通らへんわ、こんなもん」
と、タルおばちゃんは不機嫌にいなり寿司にかぶりついた。いやこれは不機嫌なんかやない。笑いそうになるのをこらえてこらえてる不機嫌—〝にやけ不機嫌〟である。
それから私は毎日、タルおばちゃんに惣菜やカップ麺を届けた。
一週間たってもタルおばちゃんはよくならず喋ることもつらそうだった。けれど必死で食べ物を口に運び、すぐに横になった。
私は不安になった。もしかしたらこのまま死ぬかもしれん。私ではどうしようもならんかもしれん。タルおばちゃんをお墓まで私一人で運べるやろうか。知らんかったことにしたらあかんのか。
私は逃げ出したかったんだと思う。
母が学校の面談でいうた「引っ込み思案」なんかよりひっかかる言葉を思い出した。
「センセ、この子は消えたがりですねん」
大勢おったらすぐ「私、いてません」みたいになる。どこへ行くかも知らんのに、みんなのあとへ金魚の糞みたいについていく。そういや幼稚園のお泊まり会なんか忘れられて晩御飯のカレー食べられへんかったんですよ。そやのに自分から食べたいっていわれへん。こりゃあかんって思いましてね。
「それは気付かへん先生が悪いんとちゃいますか」
と先生が鼻で笑うと母はもっと大きく鼻で笑って、
「それでは生きていかれまへんで」
と言い放った。
「消えたがり」って生きていかれへんのか。
私はいつものくせ「消えたがり」になった。
「お、おばちゃん……うち、帰るわ」
おばちゃんは何も答えない。それどころかぴくりともしない。
「お、おばちゃん……ほなな」
私は足音を殺して家を出た。
その日、家に帰ると三十九度近くの熱が出た。正直ほっとした。でも熱にうかされて同じ夢を何度も見た。布団からタルおばちゃんの白髪が出ている。私は「タルおばちゃん」と必死で声をかけようとするが声がでない。と、低い声が頭の後ろから聞こえる。
おまはん、わてのこと置いときましたな。
そんなこと、そんなことしてないで。
この消えたがりめが。わてはおかげでえらいことなった。
私は「そんなんちゃう」とおばちゃんの髪を引っ張った。するとそれはネギの根だった。
こんなことなってもたやないか。
とおばちゃんの声で私は目がさめた。脇から胸から汗びっちょりになっていた。
こりゃ、タルおばちゃん死んだな。
そう確信した。
—えらいことをしてしまった。ああ、えらいことを。ほんまに時間って戻らんのかいな。神さんちょっとくらいええやんか。
私は布団の中に縮こまって、もうこのまま布団の中で一生過ごしたいと思った。そうして誰も私みたいな子がおったことなんて忘れてくれたらええと。するとちょっとほっとして足の指を広げてみたりした。
せやけど、それを阻止するものがいる。
「もう学校行けるやして」
と、母は布団をまくるとペロンっと鮮やかに布団が宙を舞った。
風邪も治って学校へも通いだしたけど、タルおばちゃん家には行けなかった。学校から帰って一人、家でうじうじしてると肌がじめじめしてきた。そういうじめじめした自分に耐え切れず外へ出て自転車に乗り込んだ。走るうちに私はタルおばちゃん家にたどり着いていた。タルおばちゃん家から逃げ帰った日から一か月以上経っていた。
たたずまいはそのままのタルおばちゃん家。郵便受けもゴミも溜まってない。とくに寂れた感じもない。けど、中ではネギの根みたいなおばちゃんがいるのであろう。覚悟してきたつもりだった。なのに私は玄関口でつったっていた。
「なんや、ごまめやないか」
背後から声がした。タルおばちゃんがスーパーの袋をさげて立っていた。
「久しぶりやないか。風邪ひいとったんやろ。はよ、入り」
鍵をがちゃがちゃ開けた。なんやとかいうたくせにおばちゃんはきな粉の煎餅と甘いコーヒー牛乳を作ってくれた。前とちっとも変わらずに。
それからまた、私はタルおばちゃん家へ通いだした。
その頃、母が転職し保険の営業を始めた。私も高学年になるので多少遅くなってもよいと判断し稼げる仕事を選んだらしい。営業車が与えられ私もたまに朝、学校まで乗せてもらったりした。これまで我慢していた食べ物や文具品なども買ってくれるようになった。この先も大丈夫なんやという大きな器が家を囲んでいるような空気ができた気がした。
そうして、あの一件が起きた。
「ごまめよ、おまはんに頼みがあるんや」
唐突やった。タルおばちゃんが珍しくもじもじという。
「カーテンがほしいんや」
「カーテン? あるやんか」
南の一番大きな窓に茶色のカーテンがかかってある。
「ずっと嫌やってん。お母ちゃんが買ってきたんやけどな、うちはもっと綺麗なカーテンがほしかってんけど汚れが目立たんもんがええいうて。今度はうちが自分で選びたいねん。百貨店まで買いに連れってくれへんか」
「ふうん……ええよ」
なんて軽く答えた。けど「じゃあ明日いく?」なんて話じゃないことを私だってわかってた。タルおばちゃんの脚じゃ長くは歩けない。二人で出かける百貨店までは十キロはある。バスに乗るとしてバス停まで歩いて頑張って百貨店にたどり着いても、途端疲れて売り場をうろうろ出来ないやろう。おんぶ……無理よなあ。
「おい! ごまめ。あんさん無理やとか思てへんやろな」
「お、思てない思てないで」
おばちゃんは「ふん」と鼻息を吐いて、
「無理やろ。うちも無理やと思てるよ。悪りこというた。すまんな、ごまめ」
と小さく丸まった。
すると、私の腹の底からううーっと竜巻みたいなのが湧き上ってきた。
いやよ! そんなんいややわ。なんで皆できることをおばちゃんは無理やと思うてあきらめなならんの!
「あほか! うちがなんとかするわ。見ててや」
私は飛び出て自転車にまたがった。
ほんまは何にもないねんけど。ただおばちゃんにカーテンを選ばしてやりたいと思った。大口を開けて笑いながらカーテンを選んでいる姿が浮かんだ。
そいと前のこと……風邪のおばちゃんを一回見殺してしまったこと。あれが私の体の中にずっと石みたいにあった。でもそれは体を重くしてるんじゃなくて、そこに消えずに逃げずにとどまらすような重石の役目があったのかもしれない。
私は自転車で百貨店を目指していた。一時間かけてたどり着くとサービスセンターへ向かった。私は鼻の大きなおねーさんに「車椅子」を貸して欲しいというた。人のいいおねーさんで車椅子の手配と通りやすいコースを考えたりしてくれた。そして、
「そうやわ、カーテン買うたあと喫茶店でジュースでも飲みなさいな」
「そんなんできるかわからん」
ちょっと待ってとおねーさんはジャケットの胸ポケットから紙切れを出し、
「ほらこれあげるわ。社員さんがお友達にあげるもんなんよ」
喫茶店の無料のチケットやった。
「ありがとう」
小さい声でいうとおねーさんはうんうんと頷いた。
日曜日、母には友達の家に遊びにいくといって家を出た。
タルおばちゃんは口紅に頬紅をつけ、おめかしして待っていた。
順調やった。バスは時間通りに来たし空いていてゆっくり乗り降りできた。百貨店ではちゃんと車椅子が待っていてくれておばちゃんはそれに乗ってカーテン売り場まで楽にいけた。
カーテンはたくさんあった。緑に青にピンク……ピンクにも薄い濃いがあって、チェック、ストライプ、花柄にお城とか変わった柄のもあった。
「これは派手やわ。せやけどこのくらいのもんせなあかんかいな、ごまめ」
おばちゃんは大口開けて笑ってる。私も嬉しくなった。そのなかの一枚を掴んだとき、おばちゃんの顔が開いた。
「ごまめ、これにするわ」
大きな赤の花がいくつも咲いたカーテンだった。白地に赤が生えて華やかだった。
「ええやんか」
と値札を見ると他のカーテンの二倍はしていた。
「高くない? これ」
「家のお金、全部持ってきたさかいな。大丈夫や」
「そしたらもうすっからかん? 明日食べられる?」
「あほか、銀行にはあるわな」
よかった。子どもってのはお金のことを妙に心配するもんなのだ。
それから二人でおねーさんがくれたチケットの喫茶店へ入った。私はミックスジュース、おばちゃんはミルクティーとおごりでサンドウィッチを頼んでくれた。
なんかすごく満足やった。
けど、私らはちょっと調子に乗りすぎていた、とわかったのは帰りのバス停であった。バスはすでに出た後だったのである。タクシーというわけにもいかんかった。おばちゃんの財布にはもうお札はなかったから。
おばちゃんを家に届けるには……これしかなかった。私は家に電話した。母はなんというだろう。怒るんやろな。もう二度とおばちゃんとこには行かれへんかな。
母は「車でいくさかい、その場で待ってなさい」とだけいった。迎えにきてくれた母は、
「いつも陽子がお世話になっております」
と頭をさげた。タルおばちゃんも、
「樽井マリ子と申します。こちらこそ、陽子ちゃんにはお世話になっております」
なんていうから、やっぱり大人なんやなあと思った。そしておばちゃんを家まで送り届けたあとの車の中、母は、
「今度からお邪魔するときはちゃんと言いなさい」
とだけいった。
翌日、タルおばちゃん家に行くと早速、カーテンが吊られていた。窓辺に鮮やかな赤い花が咲いたみたいに揺れていた。そこから漏れた風が頬を撫でる。
ここはこんなにええ風が通るんや。
おばちゃんは風に頬を向けつつ話し出した。
「ごまめよ。ごまめってのは小さなカタクチイワシを干したもんなんや。そんな小さいもんの口がやいのやいのいうてもしゃーないのをごまめの歯軋りいう。おまはんはごまめやけど、がーがーいうてちゃんとやりよる。ごまめの口は大きな口しとるわ」
と大口をあけて笑った。
それから母は私がタルおばちゃん家に行くとき、おはぎや果物をもたせてくれるようになった。夜遅くなるときは、
「タルさんとこで一緒に食べておいで」
とお金をくれた。
おばちゃんの暮らしも変化していった。バスに乗って駅前の文化教室へ通ってキルトを習いだしたり、近くの喫茶店へお茶しにいくようになっていた。訪ねると玄関に「今日はキルト」なんて張り紙がしてあった。
そういうのもあって中学生になってからタルおばちゃん家に行く回数は少なくなった。それでも一か月に三回くらいは行ってたけど。でも訪ねると必ずきな粉の煎餅があった。
私が来なくなると、寂しいなるやろな。
とめぐらせた。だから高校卒業と同時に、
「私、ここへ来られへんようになる」
と伝えたときのタルおばちゃんの反応が意外だった。
「ほうん、さよでっか」
とだけ答えた。
私は県外の理学療法士の専門学校へ進学することになっていた。家から通うには遠いので一人暮らしをする。ほんまは働くつもりでいたんやけど私が高校三年になったとき母が、
「サイショでサイゴあげれる資金や。うまいこと運用してや」
と貯金通帳を差し出した。
私は働いてお金を貯めて進学するといったが母いわく「若い脳が一番なんでも吸収するから今勉強し」と。通帳には十分なお金があった。
「なんで理学療法士やの?」
母に聞かれて私は黙ってしまった。
自分でもよくわからんけど人が歩く姿が好きやった。だから歩くのを助ける仕事がしたかった。それが理学療法士の仕事やった。
「なんやろ」
と考えていると母は、ふふんと笑っていった。
「ごまめはタルおばちゃんっ子やさかいな」
一人暮らしを始めて三か月くらいたった頃、おばちゃんが手紙をくれた。私はホームシックってのは、まさにシック—病気なんやわって思ってたから嬉しかった。
なのに、
「ごまめ、生きてるンか」
なんていつもの書きだしである。けど、途中からしんみりしてきて、
「ごまめが腹をこわして来た日のことを昨日のことのように思い出すんや。ごまめを見たとき、なんて可愛らしい子やろって思た。そやから、うちは神さんがおつかいをよこしたと思たんや」
なんておばちゃんらしくないことを書いてある。
そして最後に意外なことが書いてあった。
「ごまめのお母さんがよう来てくれるで。ごまめと違って料理が美味いんや。二人で晩ご飯を食べてごまめの悪口いうてんや。ごまめより楽しい暮らししとって悪いね」
こんちくしょー返事をなんて書いてやろうか、とかめぐらしつつ手紙を大事に飾った。
タルおばちゃんは私が二十二歳のとき脳出血で亡くなった。倒れていたのを見つけたのは母だった。母は喪主となり私と二人で葬式をして見送った。
それももう十八年前のことだ。
タルおばちゃんよ、ごまめは今年四十歳になったよ。ちゃんと歩くことを助ける仕事をしてるよ。お母さんは胃潰瘍の手術とかしたけど、わりと元気やで。私はいまのところ、一緒に暮らす人はいてへんけどな。
私も昨日のように思い出すんよ。
「おまはんは小さいのにがーがー言うさけな。ごまめの歯軋りや」
と前の金歯を見せてカアカアと笑うタルおばちゃんを。
おかげさまで毎日、がーがーいうてるで。