美容師の僕は五年ほど前から、美容室に行くのが困難な発達障害児のヘアカットに取り組んでいる。一人で美容室の椅子に座ってヘアカットができるようになるのが目標だ。
発達障害児みんながヘアカットできないという訳ではない。しかし僕たち美容師が正しいアプローチをしないとヘアカットのできない子どももいる。いや、美容師の態度・言葉がけひとつで保護者さんが子どもをお店に連れて行けなくなるという現実がある。
無理矢理ヘアカットするのではない。押さえつけて拷問のようにヘアカットするなんてとんでもない。子どもの歩幅にあわせて、子どもの目線で嫌がる理由を探して、子どもが楽しくなるような環境を考えていく。子どもが笑って、保護者さんも笑って、僕たち美容師も笑ってヘアカットを行う。これが一番の理想形だと思う。そんな取り組みを「スマイルカット」と名付けて活動している。
スマイルカットの活動を行うことで、僕はたくさんの大切なことを学んだ。今回は、僕が彼らに出会い、そして今の活動の基ともなった、一人の少年とのエピソードを紹介しようと思う。
ツバサ君との出会い
当時小学校二年生(八歳)のツバサ君。初めて会った時は、サイドの髪の毛が肩にかかるくらい長い、俗にいう"ロン毛"の男の子だった。
ツバサ君が三歳くらいのときに、お母さんが近くの散髪屋へ連れて行ったが、ツバサ君は暴れてしまいヘアカットができなかったという。お母さんは、三軒ほど別の散髪屋へツバサ君を連れて行ったが、どこでも同じように暴れてしまい、「危ないためヘアカットができない」とお店に断られてしまう。三軒目に断られた時、お母さんはこう思ったそうだ。
「障害児は切ってもらえないんだ……」
ヘアカットだけではなく、あらゆる場面で嫌な顔をされたり断られたり、誤解や偏見の眼差しを浴びてきたのだろう。お母さんは、
「ツバサをお店に連れて行ってはいけない」
そう思ったそうだ。それからはずっと、家でお母さんがツバサ君のヘアカットをしていた。
その当時、僕は「ママにもできる!チャイルドカット講座」といって、児童館や子育てサークルなどで、子どもの前髪のかわいい切り方を保護者さんに教える活動をしていた(ちなみに今もこの活動は継続中だ)。ツバサ君のお母さんがこの講座に参加して下さったのがきっかけで、僕はヘアカットができずに困っている保護者さんと障害児がいることを知り、ヘアカットができるようになるために協力をしてもらえないかと依頼された。
僕らの仕事は、「理容師法・美容師法」という法律のもと保健所が衛生面等をチェックし、規定をクリアした店舗内でのみハサミを握ることが許されているので、どんな場所でもヘアカットをして良いと言う訳にはいかない。しかし、障害や怪我、病気、高齢等で美容室に行けないという理由があれば、自宅への訪問ヘアカットも許されている。だから僕が自宅へ訪問して、ヘアカットにチャレンジしてみることを提案した。
この時、ツバサ君のお母さんともう一人の障害児のお母さん、それとチャイルドカット講座を開催して下さった児童館の先生との四人で、講座後に話し合いの時間を設けた。もう一人のお母さんがこう言った。
「自宅に来て頂くのはありがたいですが、私たち保護者の想いは、他の同じ年の子どもができるように、自分の子どもが美容室の椅子にひとりで座ってカットできるようになって欲しい。そう願っています」
ツバサ君のお母さんも児童館の先生も頷(うなず)いている。児童館の先生も、いきなり美容室でのヘアカットはハードルが高いということで、児童館の遊戯室を使ってのヘアカットと先生達の補助の提案をして下さった。
子どもが小さい間は、だいたいの事は親がサポートしてやれても、子どもが大きくなると同時に自分たち親も年を取り、サポートしてやれることに限界が出てくる。確かに、それまで僕は自分が年老いた時、なんとなく自分の子どもが世話をしてくれるものだと勝手に思っていた。自分がこの世を去る頃には子どもも自立をしていて、「年老いた自分が子どもをサポートしている」というイメージが全くなかった。しかし、子どもに障害があることによって、僕が考えたこともない悩みを抱えている保護者さんがいるという現実。自分亡き後の子どもの将来への不安、ヘアカットだけに限らず、ひとつでもこの不安材料を減らしたいと考える障害児を抱える保護者さんの想いも、このお話から深く理解できた。
発達障害のことはなにも分かっていなかったが、目の前でヘアカットについて悩んでいる方がいるのなら、プロとしてその悩みは解決したい。「美容室に行けない子どもが、ゆくゆく美容室の椅子にひとりで座ってヘアカット出来るその日までサポートしよう」と思い、お母さん方の提案を引き受けることにした。それが「スマイルカット」の始まりだった。
スマイルカットの始まり
スマイルカット当日、ツバサ君は、遊戯室を元気いっぱいに走り回る。人懐っこい彼は初対面の僕にも警戒心もなく、笑顔で近づき戯れてくる。警戒心がないのは美容師の僕たちにとってはとてもありがたいことだ。
いよいよヘアカットが始まった。ヘアカットの始まりというより、ヘアカットを始める前の準備段階からが大がかりだ。
この日、ツバサ君には児童館の先生が二人も付いて下さった。一人の先生はツバサ君を自分の膝に乗せ、もう一人の先生は絵本を持って読み聞かせをして下さる。
ヘアカットの準備に入るのだが、まず首にタオルを巻かせてくれない。ケープ(カットクロス)を巻こうとすると、猛烈に拒否反応を示すツバサ君。人懐っこいツバサ君だから泣くことはなかったが、彼の中でヘアカットするまでの準備が理解できていないことが見て取れる。
僕も含め、周りの大人たちは
「ツバちゃん大丈夫やで!」
「ツバちゃんすぐ終わるから」
と声をかける。その言葉と裏腹にツバサ君は、無理矢理首に巻かれたタオルを放り投げ立ち上がり、その場から離れてしまった。
児童館の中は、子ども向けの音楽が流れている。ツバサ君は何度も何度も選曲しに、ミニコンポの前に走っていく。この時、僕はまだツバサ君がなぜ何度も立ち上がり、ミニコンポの前まで曲を変えに行くのか理解できなかった。
のちにわかったことだが、この時ツバサ君は自分の心を落ち着かせようと一生懸命頑張っていたのだ。本当は泣きたいくらい怖い、何をされるのか不安で不安で仕方ない。そんな中、彼は音楽を切り替えながらパニックにならないように努力していたのだ。
この日、先生達の協力のもと、タオルもケープも使用せず、何回も立ち上がるツバサ君をみんなでなだめながら、みんな毛まみれになりながら、ロン毛のツバサ君のヘアスタイルは、耳が見えるまでバッサリのショートスタイルになった。
次の日、ツバサ君は学校に行くと
「ツバちゃんかっこいい!」
「ツバサ君が男の子みたいになってる!」
とクラスはお祭り騒ぎになったそうだ。
その後、ツバサ君のヘアカットは、二か月に一回のペースで児童館の遊戯室を借りて行っていた。
「多動症」というのだろうか。ツバサ君はなんどもヘアカット中に立ち上がる。立ち上がるだけではなく、元気いっぱい動き回る。そして、もちろんケープも巻かせてくれない。ケープを巻かせてくれないので、タオルだけを肩にかけたり、雨ガッパを着てみたりいろいろ試してみたが、どれも上手くいかず、いつも僕らは毛まみれになりながらヘアカットをしていた。
でも少しずつ少しずつ、本当に少しずつ椅子に座っていられる時間が長くなり、ケープも途中まで巻くことができるようになり、ゆっくりゆっくり、ツバサ君のペースでできることが増えてきたのだ。
その頃くらいから僕も発達障害についての講座を受講したり、専門書やインターネットで独学で勉強しながら、ツバサ君同様に自分のペースで、発達障害への理解を深めていった。
しかし、発達障害といっても特性は人それぞれ。みんなツバサ君と同じという訳ではない。また、発達障害児用に書かれた「ヘアカットの方法」などという本はなく、へアカットマニュアルは存在しない。僕はツバサ君が、どうすれば立ち上がることなく、ケープも巻きカットできるのかを常に考えていた。
ある日、次回のカット日をお母さんと決めていたときの事。
「次回○月○日にしましょうか?」
とお母さんに伝えると、ツバサ君が
「月曜日?」
と言った。お母さんが
「ツバサは、カレンダーを覚えるのが得意なんです」
と僕に教えてくれた。
「じゃあツバサ君、来年の○月○日は何曜日?」
と僕が聞くと、ツバサ君は一瞬考えて
「木曜日!」
カレンダーで確認すると合っている。僕は驚いて何回かこのクイズをした。結果ツバサ君は全ての質問に正解した。
そこで、壁に掛かっている時計を指差し
「長い針が"2"まで髪の毛切って良い?」
と質問すると
「はい、十分!」
ツバサ君は時計が読めたのだ。数字が好きでカレンダーもしっかり覚えているくらい利口なツバサ君は、時計もしっかり理解していたのだ。
そして十分間のヘアカットの約束をしたツバサ君は、この日十分間立ち上がることなく、ケープも外すこともなく、座ってヘアカットができたのだ。
このエピソードが、僕とツバサ君の距離を一気に縮めた気がする。ツバサ君はその後のヘアカットも十分の間に立ち上がることはなかった。夏場など、ヘアカットする直前に上半身裸で待っているツバサ君。もちろん裸になりたい訳ではなく、この後ケープを巻けば暑くなるので、ケープを巻くために裸になって待っていた。ツバサ君は、今から何をするのかを理解し、そのスケジュールに納得すればしっかり応えてくれる子だったのだ。
ヘアカットを始めたころのツバサ君は、椅子にじっと座っていることはできず、何度も立ち上がり、走り回り、僕たちの言葉なんてまるで耳に入っていないかのような行動を取っていた。多動症と言われる子どもに多い行動かもしれない。
「この子は多動症だから」の一言で、「できない子」というレッテルを貼るのは簡単だ。ツバサ君は十分間座ることを約束したら、十分間立ち上がらず座ることのできる子どもだったのだ。本当に多動症が理由で立ち上がっていたのだろうか? 多動症を理由にしてしまえば解決できることなのだろうか?
ツバサ君は、今から何をするのか見通しを立てて、それを理解し納得できたら頑張ることのできる子どもだったのだ。「じっと座ることができない子」「すぐ立ち上がってウロチョロしてしまう子」というレッテルを貼る前に、ツバサ君がわかるように見通しを立て、それを伝えることができていなかった我々大人に責任があるように思えた。
次のステップへ
見通しが立ったツバサ君は、ヘアカットが普通に出来るようになった。バリカンも使用して刈り上げもできる。ロン毛だった面影はなく、男らしいスポーティーなヘアスタイルを楽しめるようになった。
普通にヘアカットができるようになったツバサ君、最初十分だった約束も、十五分でもオッケーを出してくれるようになった。ここまでくると、もうスマイルカットというカテゴリーではなく、お店で普通にヘアカットができるはず。
僕は、ツバサ君のお母さんにお店でのヘアカットを提案した。お店でのヘアカットチャレンジにお母さんが喜んでくれるかと思いきや、予想外にお母さんはヘアカットチャレンジに消極的だった。
「赤松さんのお店に迷惑かけないか心配です」
何度かお店でのヘアカットチャレンジを提案しても、お母さんは、僕の店に迷惑にならないかの心配ばかり。
「障害児は切ってもらえないんだ……」
ツバサ君の幼少期の頃のあのつらい思い出がトラウマになっているように思えた。ツバサ君がヘアカットできるレベルに達していても、お母さんが踏み込めないのだ。
それから半年くらい経ったある日、お母さんからお話があった。
「一度赤松さんのお店にチャレンジしていいかな?」
もちろんオッケー。でもお母さんから提案があった。
「赤松さんのお店にご迷惑かけるかもしれないので、他のお客さんがいない時間でヘアカットできないかな……」
卒業証書
記念すべき第一回のお店でのヘアカットは、営業終了後、他のお客さんのいない時間に行った。初めて入った店内で、ツバサ君はキョロキョロとまわりを見渡している。美容室の店内は、パーマロッドやスタイリング剤など、見た目にもカラフルな道具がたくさんあり、ついつい触ってみたくなる。パーマロッドなどはブロックのようにくっつけて遊ぶ子どももいるので、ツバサ君が興味を持ち触りにいくのは当然のことだ。
「ツバサ、触りません!」
迷惑をかけてしまうと心配するお母さんは、店内をウロウロするツバサ君に注意をしていた。
さて、一通り店内を見渡したツバサ君に椅子に座るように促す。いつもの児童館と環境は違うがツバサ君は落ち着いた様子で、いつものようにタオルを首に巻きケープをつける。タイマーを見せてヘアカットの時間をツバサ君に提示すると、ツバサ君は
「はい!」
とヘアカットスタートを許可してくれた。
今までの児童館でのヘアカットから、お店でのヘアカットにステップアップできたのだから、お店でカットできて良かったと思えるものをと、僕はポータブルDVDプレーヤーを用意し、アニメを見ながらヘアカットできるように準備した。予想通りツバサ君はDVDに夢中で、もちろんヘアカットも難なく終了した。帰る間際、ツバサ君はシートに戻って来てDVDプレーヤーの画面部分をパタンと閉じ、そしてお店を出て行った。
自閉傾向のある子の行動パターン。とそんな言葉でまとめたくはない。じっと座っていられない、多動症だと言われていたツバサ君は約束の時間、一度も立ち上がることなく賢くヘアカットが出来て、見終わったDVDプレーヤーを片付けしてから帰ったのだ。
貸し切り状態の美容室で普通にヘアカットができたツバサ君、もちろん次は営業中他のお客さんがいる時のヘアカットにチャレンジだ。
前回の貸し切り状態とは違い、隣の席ではドライヤーを使用していたり、パーマ液の匂いがしたり、落ち着きにくい環境だったと思う。でもツバサ君は楽しみにしていたDVDを見ながら、落ち着いた様子でヘアカットができた。
この日、ツバサ君はスマイルカットを卒業した。
用意していた手作りの卒業証書をツバサ君に授与した。ツバサ君の名前入りの卒業証書。本当は誰よりお母さんに贈っているのだ。
ツバちゃん良くがんばったね!
お母さんも良くがんばったね!
本当におめでとう?
そして、ツバサ君の幼少期、僕らの業界が知らず知らずにお店に連れていけなくなるような態度をとってごめんなさい。
そんな想いを込めて、お母さんに贈った卒業証書。
「ツバサ君、お母さん、スマイルカット卒業おめでとうございます!」
発達障害の子ども達から学んだ大切なこと
スマイルカットを卒業したツバサ君は、もういつでも普通にヘアカットできるはず。もちろん気分が乗らない日もあるだろう。わがまま言う日もあるだろう。
僕らは、そんな子ども達がいたら、ヘアカットが楽しくなるような環境作りをしなければならない。
「親のしつけ」「子どものわがまま」こんな言葉で終わらせず、「なぜ、この子は嫌がっているのか?」子どもの目線に立つことが大切。これがスマイルカットの活動を通して、僕が子ども達から学んだ大切なことだ。
さて、無事にスマイルカットを卒業したツバサ君。次にヘアカットへ来た時に僕の中で欲が出てきた。
今まではヘアカットをするだけだったが、卒業した以上は他のお客さんと同様にシャンプーもしてみたい。僕はお母さんに提案した。
「お母さん、今日ツバちゃんシャンプーにチャレンジしてみませんか?」
「え? いいの? できるかな?」
と前向きなお母さん。卒業後は「迷惑がかかる」という後ろ向きな発言ではなく、お母さん自身もどんどん積極的になってきた気がする。
もちろん、今回も普通に無事ヘアカットが終了した。タオルすら首に巻けずに立ち上がっていた頃が嘘のよう。
「ツバちゃん、今日シャンプーしようか?」
僕はツバサ君をシャンプー台まで案内して、簡単に説明をした。言葉での説明は簡単に。一番大切なのは「大丈夫」「こわくない」と理解してもらうこと。僕はシャンプー台に寝転んだツバサくんに手鏡を持ってきて、今のツバサ君の状況を鏡越しに見えるようにした。
「ツバちゃん、ここからお湯が出るからね。このお湯をツバちゃんの髪の毛にかけても良いかな?」
実際にお湯を出してツバサ君の髪にお湯をかけていく様子を、ツバサ君は鏡を通してじっと見ている。このように言葉だけの説明だけでなく、視覚からも分かりやすく伝えていく。「見通し」を立てる事が大切なのだ。
ツバサ君はおとなしくシャンプーを受けている。僕はツバサ君の顔にお湯がかからないように注意し、丁寧になるべく早く作業をする。
無事にシャンプーも終了。ツバサ君は嫌がることも取り乱すこともなく、普通にシャンプーができた。あたりまえのことがあたりまえにできる嬉(うれ)しさ。僕もお母さんも、また一つできることが増えたことに満足だった。
でも、その日はそれだけでは終わらなかった。
シャンプー後、ツバサ君の濡れた髪をドライヤーで乾かしていく。僕は何も言わず黙って乾かしていた。その時、ツバサ君はボソッと呟いた。
「気持ちいい」
オウム返しで「気持ちいい」と言ったのではない。ツバサ君はヘアカットをしてシャンプーをしてスッキリした感覚を「気持ちいい」と自発的に表現してくれた。
僕はその時、とても嬉しかったと同時に、とても悔しかった。ツバサ君は「気持ちいい」と言う感覚を得る権利があったのに、僕たち美容業界が知らず知らずとは言え断ってきたために、今までヘアカットしてシャンプーをして「気持ちいい」と言う感覚を経験することができなかったのだ。
どの子どもだって成長する。それぞれ歩幅や歩く速度は違っても、必ず成長している。みんな同じペースではない。だから、幼少期にできないからといって一生できない訳ではなく、少しずつ少しずつその子のペースで成長しているのだ。
三歳の頃ヘアカットができなかったツバサ君は、八歳でヘアカットとシャンプーができるようになった。三歳の頃、適切なアプローチの出来る美容師さんと出会えていたらもっと早くできたかもしれない。「またチャレンジしに来て下さいね!」と、落ち込むお母さんに優しい言葉をかけてくれるだけでも大きく変わっていたかもしれない。ツバサ君のような親子はたくさんいる。ヘアカットだけではなく、いろいろな場面で困りごとを持っている親子はたくさんいるのだ。
発達障害児は、困った子どもではない。まわりを困らせる子どもでもない。困りごとを持った子ども達。だから僕たちが困ることは何もない。僕たちのできることは、困っている子ども達に笑顔でただ手を差し伸べること。
ツバサ君との出会いから始まったスマイルカットも五年目を迎えた。今まで担当した子どもはのべ千名を超え、現在では特別支援学校や幼児園でもスマイルカット教室を行っている。
そして彼らとの出会いから、日本全国には困りごとを持っているたくさんの親子がいることを知り、このスマイルカットを広めるため、一年前に「NPO法人そらいろプロジェクト京都」を立ち上げた。全国どこの理美容室でも、誰もが笑顔で当たり前にヘアカットができる。そうなることを目指して、少しずつ増えてきた大切な仲間と共に日々活動している。
子ども達と出会い、多くの事を学び、町の一美容師だった僕の人生は大きく変わった。
僕は美容師だ。プロの美容師だ。だからヘアカットについては笑顔でこう言いたい。
「気持ちいい!」って言っていいんだよ。
赤松 隆滋プロフィール
昭和四十九年生まれ 美容師 京都府京都市在住
受賞のことば
僕は、子ども達から沢山の事を教わりました。今も彼ら彼女らとの関わりを心から楽しんでいます。「できない」と思っていた事ができると、周りの人達は笑顔になり、子どもも自信がつくとグングン伸び、笑顔の花がたくさん咲きます。
スマイルカットのような活動があらゆる分野で広がれば、きっと子ども達にとって優しい世の中になり、笑顔で見守る人達が増えるはず。そんな事を想うと胸が高鳴ります。
素敵な賞を頂き、心から感謝します。
ありがとうございました。
選評(玉井 邦夫)
私は、この作品を最優秀として強く推した。赤松さんは「障害者」ではないし「障害者の家族」でもない。では何か、と言われれば「プロの美容師」なのである。ひとつの仕事に徹したプロが、発達障害の壁に自分の仕事を阻まれた時、あくまでもプロとしての仕事を通してその壁を突破する。その姿をある種飄々と綴るこの作品は、障害福祉賞五十周年という節目の最優秀作品として、制度としての「福祉」を超える新しい共生のあり方を示唆しているような気がする。
以上