中学生になった息
子、隆広は、部活動をすると張りきっていた。隆広には、知的能力も身体能力にも発達の遅れがあった。
隆広は、手先を使うことが、とても苦手であった。中学生になっても、靴の紐がむすべなかった。名札も、安全ピンをまっすぐにつけることができないほど不
器用だった。
小学校で習う漢字は、ほとんど読めない、書けない。エンピツをにぎる力が弱く、しっかりした字が書けないので、なんと書いてあるのかいっこうにわからな
かった。カタカナさえ、読めないし、書けない字のほうが多かった。
自分の名前はなんとか書けるが、住所は書けないし、読めなかった。
地元の公立中学校に、新一年生として入学したが、能力としては、小学校の二年生程度であった。
小学生が、中学生に混じって部活動を行うのである。何部にはいっても、苦労することは目にみえていた。できることなら、三年間、部活動を続けて欲しかっ
たが、むずかしいだろうと思っていた。
スポーツの部を選んだ場合は、小学校のときのように、みんなで仲良く行う遊びのスポーツではない。レギュラーを争い、ポジションを争っていかなければな
らない。試合では、勝ち負けも問題になる。
中学生になれば、障害をもつ者に対しての、差別の気配も生まれてくるだろう。隆広にできる部活はなにかと、中学に入学してからの数日間、いっしょに考え
た。
さて、部活見学の時期もすぎて、正式に何部にはいるかを決めるとき
「ぼく、バレー部にはいる」
と、事もなげに、隆広はいった。
私は
「ゲッ」
といったきり、しばらく言葉がでなかった。
よりによって、バレーボール部を選ぶとは思ってもいなかった。ジャンプ力や反射神経など、ないに等しい隆広である。続くはずがない。続く、続かないより
も、他のバレー部員のじゃまになってはいけない。私は、あわてて思いとどまらせようとした。
「隆広、あんた、バレーってどんなスポーツか知ってんの?」
「知らん」
「知らんのに、なんでそんな部にはいるの!」
「先生が、バレー部を見学にこいっていうたんやもん。見学にいったら、キャプテンがやさしいんやもん」
「キャプテンがやさしいから、バレー部にはいるんか? もうちょっと考えてから、部を選んだらどうや。先生も、あんただけに見学にこいっていうたんとちが
うやろ。みんなに、いうてるんやろ」
「ええやんか」
「あんたに、バレーは無理や。他の部にしとき」
「何で? できるかもしれへんやんか」
まったく、能天気な息子である。隆広は、正式にバレー部に入部した。
隆広のはいったバレー部は、部員が三年生のキャプテンひとりという、廃部寸前の部だった。そして、まずいことに、担任の先生が顧問だった。
顧問先生は、バレー部を廃部にしたくないがために、新入学の一年生に「バレー部にこい」と声をかけまくっていたのだろう。先生にとっては、部員さえ集ま
ればそれでいいのであって、隆広など欲しいわけではないのだ。それを、自分を誘ってくれていると、隆広は思いこんだ。まったくの勘違いである。
そういうわけで、隆広の中学生生活は、支援教室で小学校課程の内容を勉強しながら、放課後はバレーボール、ということではじまった。
勉強のほうには、いっこうに身がはいらないようであったが、バレー部のほうは休むことはなかった。授業が始まる前の、朝の練習にも、遅れないようにいっ
た。しかし、まだ、このときには、バレーボールなど長くは続かないだろうと思っていた。
雨の匂いのする六月の中頃に、一年生にとっては最初の、三年生のキャプテンにとっては最後の試合があった。
ウォーミングアップをするバレー部員は、キャプテンの他に、新入部の一年生が十一人いた。
隆広は、と見ていると、みんながダッシュしているのに、いっこうにかまわず、マイペースで、ポッテ、ポッテと走っている。馬跳びはうまく飛べずに、馬役
の子にまたがってしまう。柔軟体操はやりかたがわからず、となりの子をぼんやりとみていた。
ボールを、いったんおでこの前でキャッチして投げ返すボールキャッチでは、隆広の投げたボールは相手までとどかなかった。
やっぱり、他の部員の練習のじゃまをしているとしか見えない。
キャプテンと、五人の一年生でつくったチームは、ひとりだけがバレーボールの経験者である。ひとりだけががんばる試合では、勝てるはずもない。
一セットを簡単にとられ、二セット目も大差で負けているとき、顧問先生は、なにを思ったか、隆広をピンチサーバーにつかった。
ボールをもち、構える隆広をみて、空振りしないように、とだけ願った。隆広の打ったアンダーサーブは、やはり、相手のコートまでとどかなかった。
この試合を最後に、キャプテンが引退して、一年生だけのチームになった。この日から、隆広の、ピンチサーバーとしての日々がはじまった。
私はといえば、バレー部の試合のたびに顔をみせる、追っかけおばさんになった。当然、隆広が、どうしているかを見たいがためであった。
バレーボールに興味などなかったし、バレー部が勝っても負けても、どうでもよかった。それが、試合のたびに観戦にいっていると、しだいにバレー部の部員
たちと顔なじみになり、名前も覚えてしまう。いつしか、バレー部のファンのような気持ちになって、応援していた。
夏休みになっても、毎日、練習があった。隆広は、なにもいわずに練習にかよう。なにしろ、隆広のようすをみていたい私は、夏休みの練習を、一度、見学に
いった。
バレー部員たちは、一列に並んで、顧問先生の打ちだすボールをレシーブしていた。隆広も低く構えてボールをまつ。構え方がややぎこちない。顧問先生の
打ったボールは、隆広の腕をはじいて、顔にあたった。
私は、隆広が部活中に泣きだしたりして、顧問先生や部員のみんなに迷惑をかけることを恐れていた。恐れていたことが、目の前で起こっている。隆広は泣い
ていた。
「泣くな!」
顧問先生に一喝されると腕でグイッと涙をふいて、また列の最後についた。
練習をやめる気配のない隆広に驚いた。そんなに、粘り強い子ではないはずだ。できないことは、すぐにあきらめて投げだしていた子が練習を続けた。一喝さ
れたりすると、まわりのことなど気にせずに、よけいにビービー泣きだす子だったのに。なにごともなかったように、練習は進む。
やさしいバレー部の仲間たちは、隆広をじゃまにすることもなく、知らんふりをしてくれている。顧問先生も、隆広を、障害があるからといって、特別視する
こともなく、みんなと同じように練習をさせている。何回やらせてもできないことでも、ていねいに教えてくれている。
隆広は、みんな真剣に練習している、自分もそのなかにいる、そんなことを敏感に感じとっているのだろうか。自分が泣いて、練習の妨げになってはいけな
い、と考えることができるようになったのだろうか。
とにかく、どこでもここでも、いやなことがあれば泣いていた隆広が、涙を拭いてバレーの練習を続けるということを学んだことは確かだった。バレーボール
と、顧問先生と、バレー部の仲間たちが教えてくれたことなのだろう。
隆広は、不器用で指の力も弱い。バレーボールをしていると、なにかのケガはあると思っていた。ケガの心配は、隆広だけではなく、スポーツをしているかぎ
り、だれにでもあることであろう。
一年生の二学期が始まったぐらいのときであっただろうか。仕事から帰ると、家に隆広がいる。まだ、部活中の時間のはずだった。
「あんた、部活は?」
「突き指したから帰ってきた。保健室で湿布してもらったけど、病院へいったほうがいいって」
保健室でしてもらった湿布をはがしてみると、小指が紫色にはれている。聞けば、朝練で突き指したという。
近くの整形外科につれていき、レントゲンをとってもらうと、小指は折れていた。
「小指、折れているのに、一日、がまんしてたんか。泣かへんかったんか」
「うん、突き指やと思うてたもん」
あくる日、朝練にはいかないだろうと、起こさずにいたら、自分で起きてきた。
「今日も、朝練あるねんで」
「指、折れてるのに、練習できへんやろ」
「みんなの練習みてるもん」
と、さっさと家をでていった。見学するだけでも参加したいほど、隆広が好きになったバレー部に感謝した。
中学生ぐらいの子たちの成長は早い。新しいことを始めても、すぐに上達していく時期だ。バレー部員たちも、目を見張るような上達ぶりをみせた。ただし、
隆広をのぞいてだが。
あの六月の最初の試合では、試合にもならなかったのに、つぎの試合では、ボールを追いかける姿がさまになっていた。また、つぎの試合では、ラリーができ
るまでになっていた。
バレー部員たちは、試合のたびに、できることが増えていた。レギュラー陣のポジションも固まりつつあった。隆広以外の部員は、みんなフローターサーブが
できるようになっていた。ジャンプサーブを打ってみせる部員もいた。
隆広だけは上達することもなく、いつまでもアンダーからのサーブを打っていた。レシーブすると、ボールはどこへいくかわからない。トスは上がらなかっ
た。
バレー部員たちが、二年生になったころのことだ。相変わらず、バレー部の練習は休むことのない隆広にいってみた。
「隆広、あんたも毎日練習してるんやから、レギュラーになりたいとか、あの子より上手になりたいとか思わへんのか」
「ぼくは、レギュラーは無理やもん。ピンチサーバーでいく」
と、隆広は、ほほ笑んでみせた。
そのころからだ、試合をみにいくと、なんだか隆広が遠慮しているのだ。試合前のサーブ練習では、自分は打たずに球ひろいをしている。
「隆広、おまえも打てよ」
顧問先生の声が飛ぶ。
すると、やっと、サーブの練習をしだした。やはり、隆広の身体能力の低さでは、チームにとけこむことができないのかと心配になった。
朝は、朝練にいくために、早く起きてくるのだが、なんだかグズグズと家をでていかない。そんな日が続いた。
「隆広、どうしたんや。学校へいきたくないのか。部活がいやなんか?」
「なんでもない」
と、いいながら、隆広の目が赤くなり、涙が盛りあがった。
「なんでもないことないやろ。いうてみ」
「蹴られるねん」
「だれに、蹴られるねん?」
「部室で、着がえているときとかに、急に蹴ってくる。でも、先生にはいわんといて。仕返しされる。もう、バレー部やめる」
おなじバレー部のひとりに、部室で蹴られていたのだ。隆広が、蹴り返してくることがないとわかっていて、面白半分に蹴っているのだろう。何回も、蹴られ
たらしい。それを、がまんしていたのだった。
「先生にいわへんかったら、ずっと蹴られるで。バレー部をやめても、ほかのところで蹴られるで。なっ、先生にお話しして、力をかしてもらおう。もう、蹴ら
れへんようにしよう」
隆広は、しぶしぶうなずいた。
このことを、顧問先生にお話しすると
「隆広だけの問題ではありません。バレー部全体の問題ですから」
と、いってくださった。そして、ご尽力をいただいたのだろう。
隆広は、また、うれしそうに練習にいくようになった。
「先生が、みんなに話ししてくれた。もう、蹴られへんようになった。ぼく、バレー部やめへん、がんばる。ぼくには、バレーしかできへんもん」
弱虫の泣き虫が、そういった。
バレー部からも逃げだしたくなるほどつらかったことが解決して、すっきりしたのだろう。
蹴っていた子のことや、その後のことを聞くといやがった。蹴られていたのに、その子を悪くいうことはなかった。
だいたい、隆広が人のことを悪くいうことはない。それよりも、だれそれはアタックができるようになった、だれのトスは高く上がる、と、憧れをこめて、ほ
めることしかいわない。
能力の低さを笑われても、笑った子を悪くいうこともない。初めからあきらめているのか、人を押しのけてなどという気はさらさらない。
おめでたいやつだと歯がゆくなるときもあるが、人に敵意をもたないことは、長所ともいえるのだろう。
そして、今回のことで、あらためて、自分にはバレーボールしかないと確信したようだ。
「ぼく、アンダーサーブは封印したんや。フローターサーブの練習してんねん。もうすぐ、できるようになる」
と、いって、フローターサーブを打つまねをした。
「そうかあ、あんたは、ピンチサーバーやからな。だれよりも、いいサーブを打てるようになってな」
「でも、まだまだや」
「練習したら、すごいのが打てるようになるよ。ピンチサーバーっていうのは、サーブでピンチを救わなあかんねんで。ピンチを、つくってたらあかんねんで」
「わかってるわ」
「ほかの子が、十本、サーブ練習するんやったら、隆広は、百本打ったらええ。百本であかんかったら、二百本打ったらええねん」
ほんとうに、他の子の倍は練習しなければ、フローターサーブは打てないだろう。もしかしたら、三倍練習しても、打てないかもしれない。
打てるようになるまで、あきらめずに練習して欲しい。人の倍、練習してフローターサーブが打てるようになったときには、人の倍、うれしいだろうから。
ある練習試合でのことだ。隆広が、ピンチサーバーとしてでてきた。当然、アンダーからのサーブを打つものと思っていると、みごとにフローターサーブを
打った。おまけに、相手のミスをさそい、一点を取ってしまった。いつのまにか、フローターサーブができるようになっていたのだ。
顧問先生はそのまま隆広をコートにのこした。そして、怒鳴る。
「逃げるなよ、隆広! 逃げるな」
──どんな強いボールがきても逃げるな、拾え。どんなつらいことがあっても逃げるな、立ち向かえ。
と、顧問先生が、いっているように聞こえた。
弱虫の泣き虫が、蹴られても、バレー部からさっさと逃げようとはしなかったのは、逃げないということを、バレーボールをつうじて、体で教わったからだっ
たのだろうか。
成長ざかりのバレー部員たちは、背丈もぐんぐん伸ばしていく。隆広も、いつもまにか私の背丈を超えた。
声変わりして、鼻の下には、産毛を濃くしたようなヒゲが生えてきた。
「隆広、そのヒゲ、剃り」
「イヤや、先生みたいにしたいから」
バレー部で、いつも怒鳴っている顧問先生にはヒゲがある。
「なんでや、薄汚いで。剃ってしまい」
「イヤ」
頑なに、剃ろうとはしない。
顧問先生のヒゲにあこがれて、ヒゲを剃らないのもまあいいか、と、そのままにしてある。
あこがれるほどの人が顧問をする部にはいったのも、幸せなことのひとつだろう。産毛のようなヒゲが、顧問先生のような立派なヒゲになるには、あと十年は
かかるだろうけれど。
バレー部など、長くは続かないという予感は、はずれてしまったようだ。隆広は、三年生になってもバレーボールを続けていた。後輩もできて「隆広先輩」と
呼ばれるようになった。それが、とてもうれしいようだ。
隆広は、先輩なのに、なんの頼りがいもない。後輩の後ろからついてまわり、まとわりついている。
障害児というのは、自分にやさしい人と、自分に敵意をもっている人を、すぐに見分けることができるようだ。後輩たちは、みんな、隆広にやさしくしてくれ
る人たちなのだろう。
隆広は、後輩たちのほうがバレーボールが上手ならば、素直に認める。よろこんで、褒める。自分のほうが、うまくなりたいとかの競争心はないようだ。それ
も、気持ちのやさしさの表れだととれば、向上心のなさという欠点は消えてしまう。
同級生に対しては、障害児ゆえの遠慮のようなものを感じることもあるが、後輩たちの前ではじつに和やかだった。
三年生になったレギュラー陣は、オープンからのアタックだけではなく、クイックなどもできるようになった。あいかわらず、弱いチームではあるが、一試合
のうちの一セットぐらいはとれるチームになった。なんとか勝てる試合もあった。
隆広は、というと、だれにも内緒にするように、静かに上達していた。
トスは、高く遠くまで上げることができるようになった。腕をヒョイと振って、ミスをしていたレシーブは、腕を伸ばして的確にボールを拾えるようになっ
た。なによりも、サーブは、低い軌道をえがく力強いボールが、相手コートに飛ぶようになった。
最初は、サーブボールを空振りしないようにと祈っていたことなどウソのようだ。試合で、隆広が、ピンチサーバーとしてでてきても、安心してみていること
ができる。
七月の地区大会を最後に、隆広たち三年生は引退することになる。自分で選んだバレー部を、最後まで続けることができたのだ。
最後の試合で、出番があってもなくても、隆広は、さわやかにほほ笑んで、バレー部を引退するのにちがいない。