私には障がいのある子が二人、障がいのない子が一人います。普通の「三人の子持ち」とは、ちょっとちがう子育てに追われる毎日を過ごしています。
障がいのある子の一人は、一番上の娘の詩織で現在十九歳。重度知的障がいを伴う自閉症で、特別支援学校高等部を卒業し、通所授産施設に通っています。発作のある病気もあり治療中です。
もう一人は、長男の匠吾で十二歳。中軽度の知的障がいを伴う自閉症で、地元の小学校の特別支援学級を卒業し、現在は特別支援学校の中学一年生です。
障がいのない子は末っ子の次男の育未で、小学三年生です。生まれながらに二人の障がいのある子のいる家庭で育ち、それがあたりまえでしたが、年齢とともに姉と兄の障がいについて理解をしつつあるところです。
十九年、障がいのある子と暮らしてみると、家族でないとわからない思いがいろいろあります。特に、辛かった事、悲しかった事は数えきれないくらいあります。どん底に突き落とされるような辛さから、何気ない一言を言われジワ〜っとこみあげる辛さ……涙はつきものです。辛い思いをしたくないから子どもの障がいの事を人に言えなかったり、外に子どもを出すことも控えたり、自分の考え方も行動も引きこもっていました。子どもに障がいがあるということが「普通でない」と嘆き、『普通でない子』を抱える家族も『普通』という言葉から遠ざかっていくような虚しさを感じたこともあります。私自身が障がいということに過剰に偏見があったのです。自分に障がいについての正しい知識もなく、知る機会もなかったので、障がいに対しては悪いイメージしかありませんでした。それが我が身に降りかかり、とにかく落ち込み、自分の子の障がいを受容できずにいました。
しかし、考えてみたら辛い事ばかりでなく、障がい児を授かったこその喜びや感動もたくさん味わってきました。自分の子どもの障がいをしっかり受容していくにつれ、喜びや感動が増えていったようにも思います。子どもを通じての人との出会いがたくさんあり、この出会いにより、私自身が癒され励まされ、親として生きていく力をたくさんつけていただくことができました。障がい児の親になったことは、私の人生においての転機でもあります。障がい児を授からなかったら、こんなにも毎日一生懸命に生きてこなかったように思います。ただただ夢中で、子どもに良かれと思うことには何でもチャレンジしてきました。娘も息子も年齢は大きくなりましたが、まだまだ大変なことをたくさん抱えています。でも親としては少し落ちついてきて、何でも前向きに考え対応できるようになってきました。この子達がいるから、今、幸せなんだ……とも思えるようになってきました。
まさに共に暮らし育てていく中で私自身が変わりました。障がいについて偏見をもっていた事をとても反省しました。なぜ自分は偏見をもっていたのだろう……と考えると、まずそれまで自分が生きてきた中で障がいのある人が身近にいなかったので、障がいについて何も知らずにいました。知らないということで突然障がいのある人に近づく機会があった時、普通の人と違う、変な人だ、こわい……というような感覚をもってしまい避けてしまっていました。そのうえ、小学生の時に知的障がいのある人に下校の時に近寄って来られ、こわくて泣いてしまったことがトラウマになり、その後も学校でも家でも障がいについて教えてもらう機会もなかったので、きちんと知ることもなく大人になってしまったことが原因だと思います。
今、障がいのある子の母となり、子どもを連れて外に出ると、必ず人にジロジロ見られます。私の子どもは二人とも身体に障がいはないので、ぱっと見た目には障がいがあるとわかりません。でも数分子どもの様子を見ていると、ちょっと変わった行動をしたり、独り言を言ったりするので、周りの人が「何?! この子」という目で見ます。それが時々好奇の視線だったり、「あの子、変だね」とヒソヒソ話したりしている様子がみられたりします。子ども達が何か迷惑をかけることをしているのであれば仕方ないですが、そうでないのに心ない視線や噂はやめて!! と叫びたくなります。きっと、こういう方々は以前の私と同じで、全く障がいについて知らない人なんだと思います。「知らない」ことが人を傷つけてしまうこともあるのです。自分もそうだったと思うと、やはり「知らない」ことで生じる誤解や偏見をなくしていけたらいいと思いました。とにかく多くの人に「障がい」について「知ってほしい」という気持ちが私の中で膨らんできました。
そんな時、匠吾が小学校入学の時期になりました。詩織は身体介護も必要だったので、幼少時代も学校も障がいのある子だけが通う所に所属したため、地元の人との接点なく育ててしまいました。匠吾は障がいがあっても普通の子の中で育てたいと願い、地元の保育園と小学校に障がい児という配慮をしていただきながら通わせることができました。こうして匠吾を地域の人の集まる所で育てていくと、自然に匠吾の障がいのことを知ってもらうことができました。その頃の匠吾は、自閉症特有の困った行動が目立ち、落ちつきなく走り回ったり、予測できないことでパニックを起こしたりが頻繁で、全校児童が匠吾を知っているという状況でした。迷惑に思っていた人も多かったと思います。これが匠吾の障がいゆえの行動だと皆に伝えたい気持ちでいっぱいになりました。
一年生の親子活動の時に少し時間をいただいて、匠吾の障がいの話をさせてもらいました。一年生にもわかりやすいように匠吾の特性を絵に描いて説明し、「苦手な事はたくさんあるけど、みんなと同じ一年生。みんなと同じことができるようにがんばっています。よろしくお願いします」と同級生と保護者に向けて話しました。たった五分位の時間でしたがとてもよく聞いて下さり、やさしく受け止めてくれました。後から、保護者の方々から「あの時の吉永さんの話がとてもわかりやすくてよかった。なんで匠吾くんが通常クラスでないのかもわかった。自分の子のことをあんなふうに皆に話せるなんて、びっくりした。でもなかなか聞けない話だったから、私達にも子ども達にもいいきっかけになったよ」と声をかけてもらいました。話して良かったと思いました。四年生の総合学習の時間では、特別に障がいについてお話する時間をいただくことができ、さらに理解が深まりました。その他にも、ことあるごとに通常級の子や保護者の前で匠吾の話をさせてもらったり、お手紙を出したりして、匠吾の様子を伝えることを心がけてきました。そのため、学年全体で匠吾を自然に仲間の一人に加えてくれていました。幸せだなぁと思いました。匠吾も学年が上がるごとに落ち着き、パニックもなくなり、通常級の子となんでも一緒に行事に参加できるようになり、すごい成長をしました。特に卒業式では、先生の介助もなく一人で卒業式に参列し、みんなと同じように立派に証書もいただくことができ、感激しました。親以上に周りの保護者も匠吾の成長を喜んで下さり、さらに感激しました。
こんな匠吾の経験から、障がい理解のためには、まず障がいについて「知ってもらう」ことが大切だと実感しました。知ってもらうためには、こちらから伝えていくことが必要だと思い、地域で知られた存在でない詩織についても知ってもらうきっかけを作ってみようと思いました。やはり地域の学校という場が一番だと思い、そのころ障がいがなかったら通っていたであろう地元の中学校に話をさせていただく時間をいただきました。多感な中学生が自分の話を聞いてくれるかどうか不安でしたが、皆さんとても熱心に聞いて下さり、「障がいについて初めて知った。身近に障がいのある人がいるなんて知らなかった。もっと知りたいのでまた来て下さい」と、心あたたまる感想をたくさんいただきました。そのあと、近所を散歩していると中学生に何度か声をかけられました。「先日お話きかせてもらいました。ありがとうございました」と、しっかりあいさつしてくれる子もいれば、声はかけられないけどじっとやさしく見守ってくれている視線を送ってくれる子もいて、話をしたことでさまざまな反応が感じられびっくりしました。「知ってもらう」ことでこんなにも変わるんだと、うれしい気持ちでいっぱいです。
こうして「知ってもらう」ことから生まれた気持ちの交流が少しずつ広がり、私達家族は、地域の中でとても過ごしやすくなりました。「知ってもらう」ことから理解が生まれ、共に生きていくことがあたりまえになっていくことが本当にありがたいと思います。もっともっと、いろいろな人に知ってもらいたい……と思うようになりました。
地元の小中学校で詩織と匠吾の話をすることは、学校の先生方が協力的になったので、毎年の恒例になりました。学校という場で毎年話ができることは、一番の理解につながります。ただ話をするだけでなく、本人達の行動を絵や写真で見せたり、苦手な感覚については、実際に体験してもらったりします。たとえば、匠吾が音が苦手なので突然風船を割ってみたり、詩織が感触が過敏なのでアイマスクをして手にこんにゃくやタワシをのせて、触った感じが気持ち悪いという感覚を味わってもらったりします。話を聞くだけでは飽きてしまう子たちも、このような体験が入ると、おもしろおかしく感じながらも、実際の様子がわかって理解が深まるようです。学校も、この話は教員にはできない、実際に障がいのある子を育てているお母さんだからこそできる話であり、子ども達にもきちんと伝わることになる……と言って下さいます。親だからこそできる障がい理解啓発出前授業ということで、貴重な授業時間を使わせていただけることが増え、私も大切に取り組んで行きたいと思いました。
そんな頃、この私一人の活動を見に来てくれ、手伝いに来てくれる人がたくさん増えました。皆、障がいのある子をもつ母です。私の活動に共感してくれ、授業に参加してくれるうちに「自分も子どもの障がいについて地元の学校で話したい」と思う人が出てきて、いろいろな学校でこの出前授業が行われるようになり、広がっていきました。この出前授業をするメンバーが皆、宇都宮市の障がいに関わるNPOに所属していたので、障がい理解啓発出前授業はNPOの活動に位置づけることにしました。NPOは「障がい者福祉推進ネットちえのわ」という団体です。
「NPOちえのわの障がい理解啓発出前授業」ということで、宇都宮市教育委員会のボランティア事業「街の先生」にも登録をして、たくさんの学校から依頼も来るようになりました。なるべく地元に合った内容を心がけ、学校の先生と打ち合わせを密にして授業をこなしてきました。今年で四年目をむかえます。回数を重ねるごとに、私達も児童生徒からいろいろ学び、よりわかりやすい内容を研究しています。なにぶん、障がい児子育て中の忙しい母達でやっているので、完璧なことはできませんが、どういうふうに授業を進め、どのような思いを伝えるかは、毎回手を抜かない気持ちで行っています。子ども達に関心をもってもらえる工夫は、まさに団体名のとおり、お互いの知恵の出し合い、知恵の輪……という感じでアイディアを出し合っています。なので、工夫している点はたくさんあり、それは本当に生かされていると思います。
授業の内容で工夫しているのは、たとえば脳の話なら、「障がいって何が原因で起こるの?」という子どもからの質問が多いので、脳が関係することを伝え、脳の伝達や役割を絵で見せ、実際に手つなぎで伝わり方を実演してみたりします。これはとてもわかりやすいと好評です。また、実際にみなさんに障がい者になった経験もしてもらいます。手袋をしてもらい、急に手に障がいをもってしまったという設定で、ふだん何気なくやっていること、教科書をめくったり、下敷きを床からひろい上げたり、折り紙を折ったり……ということが、きちんとできるのか? 目もつぶって指示された順番で紙に目や口や耳を描いて、きちんとした顔がかけるか? ということをしてもらいます。手や目がいつもどおり使えなくて不自由を感じることで、障がいのある人の気持ちを実感できる……と、こちらも好評です。それから事例の話、障がいのある子の話となると、まずその子の苦手なことや困った行動を伝えます。みんなが変な子だなと思うことをありのまま伝えます。でもそれは、わざとやっているのではなく、障がいがあるための事だと伝えます。でも、みんなと同じことができるように本人達のペースで頑張っていること、最初はできなかったけどできるようになったことを伝えます。最後には、本人の良いところや得意なことを伝えます。障がいがある人は何もできないと思われがちですが、何もしていないわけでなく、普通の人より頑張っているし、人よりもすぐれたところを持っている人がいる……などということも伝えると、障がい者に対するイメージはかなり変わるようです。
また、もう一つどうしても工夫して伝えたいのは、障がいのある子がいる家族の気持ちにも気付いてほしい……という点です。親、きょうだい……家族であっても立場がちがうので、それぞれの思いも大切にしたいと思います。きょうだいの子が書いた人権作文を授業の最後に読ませてもらい、家族の気持ちを知ってそれぞれ考えてもらうようにしています。特にきょうだいについては、私達にとっても課題であり、きょうだいの気持ちをふくめて授業に取り組んでいるところです。今、少しずつ、きょうだいも支援していかなければということが取り上げられるようになり、そんなことも、学校という場で自然に知ってもらえたらと願っています。
授業のたびに「次はこうしよう」と、工夫する点のアイディアがひらめき、反省のままにしないようにしています。どうしたら、どんな子にもわかりやすいかな? と考えることが私達の楽しみでもあります。
授業のあとにアンケートを記入してもらい、感想を書いてもらうのですが、「障がいについて知らなかった。今日は聞いてよかった。すごくいろいろなことを学んだ」という感想が一番多くあります。「苦手なことがたくさんあるだけで自分たちと同じ人間だとわかった。苦手なことも頑張っているんだ。今度からは、障がいのある人に声をかけたり困っていたら助けてあげたりしたい。作文のきょうだいのきもちをきいて涙が出ました。心ない一言がとても人を傷つけることがわかりました……」など、それぞれ授業の中で感じた事を伝えてくれ、この感想を読むことで私達も本当に元気づけられています。自分達の「知ってほしい」という気持ちが伝わり、こうして感想として返ってくるのは感動です。そして、授業を受けた子ども達が実際に障がいある子と接するときに、授業が生かされていることが感じられると、さらに感動します。人と気持ちが通じ合うってすごいなぁと思います。子どもだからこそ素直に受けとめ理解が早いのかとも思います。子どもの頃に知る機会があれば、私のように知らないで育つのとは全く違う育ちになるようにも思います。「知る」大切さをいつも心においています。
市内の小中学校での子どもを対象にした活動が、最近では、親子活動や大人の研修会などにも広がっています。親子活動では、親子で障がいについて学び体験するので、家庭でも障がいについての話が共有できてとてもいい感じです。保護者の感想がまたすごく「こういうことを親子活動でとりあげてもらってよかった」ということが圧倒的に多いです。また、保育士・保健師などの専門職研修や学校の教員研修、ボランティア研修などからも毎年声がかかり、親としての親の思いや、家族からのメッセージなどもお話しさせていただいています。親だからこそわかること、それは、親がきちんと声に出していきたいと思います。
活動は「知ってほしい」という私達の気持ちで行っていますが、活動していくうちに、周りの人達も「知りたい」と思う人が多いことがわかりました。「知らない」と「知る」の間にある壁がなくなることを願いながら、私は親だからできる活動を、心許せる仲間と気持ち一つにして無理なく楽しく続けていきたいと思っています。