第43回NHK障害福祉賞優秀作品「今のままでいいよ」〜第2部門〜

著者:矢吹 キミ (やぶき きみ) 福島県

リツさんとの出会い

私がケアマネジャーに紹介されたのは、三年前の四月中旬のこと。八十二歳のおばあちゃんで名前はリツさんと言い、体格のしっかりした人でお天気の良い日は外に出て庭の草むしり。
「誰が見るか分からないから。せめて庭ぐらいはきちんとしておかないと」
と汗を拭いながら一生懸命でした。
ケアマネジャーの高橋さんの話によると
「この辺は人通りも多く、誰が見るか分からないから……」は口癖との事でした。
「あんた誰? 何しに来たの?」
リツさんは茶を入れるでもなく初めて見る私をじっと見つめていました。
高橋さんは、気を利かせて
「リツさん水分補給しましょうか?」
と言いながら私にも茶を入れて下さいましたが、部屋の中の汚れと尿臭で飲む気になれませんでした。
しかし、明日からこのリツさんの家で私はホームヘルパーとして働かねばなりません。
『この臭いを何とかしなきゃ』と頭の中はそんな思いでいっぱいでした。
そんな反面『焦るな、焦るな』と自分に言い聞かせていました。
高橋さんは、世間話をしながら私を紹介して下さいました。これがリツさんと私の出会いの初めでした。
リツさんの話の中から高橋さんの事を信頼している様子をうかがい知る事が出来ました。
高橋さんの話では今までのヘルパーさんは、いきなり家中を片付け、焦げ鍋を捨てたり……と大変だったらしい。
そんな事があって私に白羽の矢を立てたとのことです。
好きで選んだこの道、お断りする理由もなくこの際勉強してみようと引き受けました。

ホームヘルパーなら要らないよ

そして翌日、
「リツさんおはようございます」
「あんた誰? 何しに来たの?」
「ホラ、昨日高橋さんと来たでしょ?」
「うん、それは覚えている。でも、あんたのことは知らないよ!」
ホームヘルパーとして『認知症』と向き合うのは初めてではありませんが『ちょっと手ごわいかなぁ!』と思いつつ高橋さんの話を続けました。高橋さんの話になると笑みを浮かべ「あの人は、どこそこ生まれで子供が何人いて……」と、しっかり覚えていました。
なのに私のことは全然覚えていない。
「ヘルパーなら要らないよ」
「どうして」
「お金が掛かるだろう。お金無いし……鍋や茶碗を持って行くから……」
『そうか、以前のヘルパーさんは焦げた鍋など手当たり次第捨てたとおっしゃっていたなぁ。それがリツさんをこんな気持ちにさせてしまったのか?』と私は胸が痛くなりました。
「リツさん。私、ヘルパーじゃないの。高橋さんに頼まれて話の相手をしに来ただけよ」
「ふうん、わしゃ相手が無くても平ちゃらだよ。だから帰って」
これには私も困ってしまいましたが、何とかかんとか言いながら庭の草むしりを手伝い信頼関係を築こうと必死でした。
こんな言葉のやり取りが何日続いた事でしょうか。そんなある日、
「あんた、草むしり上手だねぇ」
「うわぁ、嬉しい。草むしりで褒められたの初めてだよ」
「お世辞じゃないよ。このくらいでこんなに喜ぶ人も珍しいね」
などとたわいもない話に花を咲かせ、頃合を見ては水分補給を促しました。
「そろそろお茶にしましょうか? 私が入れて来ますね」
「すまないねぇ。親戚でもないのに」
私が台所まで足を踏み入れたのはこの時が初めてで、茶を入れながら台所の様子をうかがい、どのように片付けどうしたら尿臭が取れるか私は頭の中で組み立て始めました。すると
「お茶はまぁだ」
リツさんの声がしました。
「ハァイ、今持って行きまぁす」
「あんた、何で飲まない? こんなに美味しいのに」
と笑顔で話し掛けてくれました。
「私、猫舌なの。後でゆっくり飲むから」
「私、猫舌なの……」リツさんの頭にこの言葉はしっかりとインプットされ、冬になっても尾を引き温いお茶を飲む羽目になってしまいました。
五月晴れが続き来る日も来る日も草むしりをしては「ヘルパーはいらないよ」と朝の挨拶から始まって幾度同じ話をした事でしょう。

施設での出来事

六月に入ってデイサービスを利用するようになったリツさん。
一日間隔でデイサービスに行くリツさんには一日間隔にヘルパーが必要となりました。
真夏に向かって外の草むしりも難を要するようになり、家の中の尿臭も一層きつくなって来ました。
調理には栄養のバランスも更に考慮しなければならないこの時期、私は些かの焦りを感じましたがリツさんの話に耳を傾けました。それが良かったのかリツさんは、私に信頼を寄せる姿も見え始め、いつの間にか「あんた誰? 何しに来たの?」と言う言葉は聞かれなくなり、「また来たの? 今日はどんな話をしようかいなぁ」と言葉が変わって来ました。それでも毎回同じ話をしている日々でした。
しかし、今日ばかりは違います。
リツさんは、胸を揺さぶるように施設での話を延々とされました。
「多美子さんが『リツさんおしっこ臭いから嫌い』って言ったんだよ。そんなにわしゃおしっこ臭いかねぇ?」
私は、何と返事をして良いやら戸惑いましたがこの頃の私はリツさんの尿臭にも慣れ、それ程気にならなくなっていました。
リツさんにして見れば大勢の目前で言われたのがかなりのショックのようでした。
施設職員の発言としては、私も許せません。
「リツさん。私、施設の偉い人に言ってあげる。リツさんに謝るように……いい?」
「あんたそんなに偉いのかぁ。でもいいよ」
「偉くなんかないよ。悔しいでしょう?」
「多美子さんのような人ばかりじゃないんだよ。わしの長い髪を見てカットしてくれたり手の届かない所を櫛でなぞってくれたり……。和歌子さんって言うんだよ。その人。それでなカットしてもらった時、有難くて二千円あげようとサイフから出したんだよ。そしたらなぁ、私たちは仕事だからって……受け取らなかったよ」
「リツさんいい人に巡り会えて良かったね」
「あんたにもなぁ」
「まぁ! 嬉しい」
一気に話したいことを話したリツさんは、穏やかな晴れ晴れとした表情をされていました。この日を境に私は、家の中を自由に歩く事が出来るようになりました。
そして『認知症』と言えども心の傷は消える事は無いと再認識させられた一日でした。

一緒に調理したい

「ここに鍋を置いたの知らないかい」
「これ?」
「そうそう、それ」
ガスに鍋をかけた事を忘れてしまうリツさん。真っ黒に焦げた鍋を大事にするリツさん。 一緒に調理をしたい。でも醤油や味噌の在りかが分かっては困るのです。リツさんが自分で調理をした時に濃い味になっては血圧が心配。とにかくリツさんはサイフを何処へ置いたか忘れるが醤油や味噌は忘れない。流石主婦業の先輩。ご飯だって自分で炊ける。自分で出来る事はやって頂き、味付けは私がする事にしていましたから……。
「家に味噌あったのかえ? それにしても今日の味は薄いね」
「ご免なさい。味噌あるだけ使ったの。今度買って来ますね」
「お金ないよ」
「大丈夫、市役所から味噌代貰って味噌買って来るから」
「ホウ、市役所では味噌もくれるんだ。今度わしが行って貰ってくるわ」
「誰にでもくれる訳じゃないのよ」
「そうだろうなぁ」
まぁ、こんな具合でこの場を凌ぎました。
「カレーライスが食べたくなったよ」
と自分の思いも語るようになりました。
「じゃあ、次回はカレーライスだね」
カレーライスに決まった時のリツさんの嬉しそうな顔。三年過ぎた今でも忘れません。
市役所でお金をくれる訳がありません。息子さんの徹さんから一か月分としてある程度のお金を預かっているのです。
勿論、リツさんはこの事は知りません。
リツさんは昔は金回りも良く、かなりの贅沢をしていたらしいのですが、今はお金が無い事を自覚しているらしく、贅沢な事は一切しませんし贅沢な事を言う訳もありません。 「もったいない、もったいない」と庭の蓬を摘んでは天ぷらに……。でも油の在る場所が分からず私の訪問日まで待っていてくれる。
それよりも天ぷら油で火事を起こされては大変です。
私がリツさん宅を訪問するようになってからどのくらい経った時の事でしょう。いつものようにバイクを飛ばしてリツさん宅へ向かう途中、激しい物の焦げた臭い。
もしかしたら……と思いつつスピードアップした私は、リツさん宅の窓から煙が出ているのを見ました。
『大変! リツさんは大丈夫か?』
玄関の戸が閉まっていました。
「リツさん。私! 私! 早く戸を開けてぇ」
リツさんは、涙目をこすりながら戸を開けました。
「どうしたの、リツさん?」
「どうもしないよ。いきなりこの煙だよ。どうしたのかねぇ」
何も覚えていないらしい。
「でも良かった。リツさんが無事で……。どうして戸を閉めたの?」
「煙を見て火事だと思われて大騒ぎになったら困るから。あんた、何で分かった?」
「台所の窓から煙が見えたから」
「なぁんだ、窓閉めるの忘れてたのか」
と笑っておられたリツさん。
とんでもない。窓まで閉められたらリツさん今頃どうなっていたかと思うと、冷や汗が流れました。
「良かったねリツさん」
声を掛けながら窓を開け家の中の煙をまずは外へ。台所の鍋は何を煮たのか真っ黒焦げ、ガス台まで手の施しようもありませんでした。
この話は当然ケアマネジャーに報告し、徹さんと相談の上でガス台をSIセンサーコンロに交換しました。
あの時の事を思うと今でも鳥肌が立ちます。主婦の経験のあるリツさんは自分で炊事をしないと気が済まないのか、自分で炊飯し、「今、朝ご飯だよ」とご飯だけを食べている時もありました。
それからはリツさんの承諾を得て、パンと牛乳、レタスやトマト、それに缶詰等を備える事にしました。
身体は少し血圧が高いぐらいで特にどこが悪い訳でもなく、食欲は旺盛で食べた事を忘れてしまうのが欠点かなぁ。
「少し『認知症』が改善されたみたいね」
暫く振りに訪問した高橋さんには、嬉しい事にそのように映ったのでしょうか? 後は食後の片付けが出来るようになればいい。
『きっとそうなる。そうでなくては、私が来た意味が無い』と決意も新たにしました。

親子の絆

リツさんのホームヘルプサービスを始めると同時に徹さんとは、ケアマネジャーを通して月に一度面会をするようになりました。
徹さんの話では
「お袋は関東地方で親父の仕事を手伝いながら従業員の四、五人の世話をし良く働きました。甘えたい時に甘える事も出来ず非行に走った自分がいました。金は充分満たされていましたが人間金だけじゃないんですよ」
そう言えばリツさんも言っていましたっけ。『昔は、金に不自由した事がない』って。『学校の窓ガラスを八十枚も割って弁償するのに何程のお金を支払った事か』と……。
「それにお袋は、親父に黙って故郷に建て売りを購入し、さっさと自分だけ引っ越して来たんですよ。時代の流れと共に仕事に行き詰まり、親父は後からお袋の家に転がり込んだんですよ」
私は、聞いちゃいけない話を聞いたような気がしました。
家族の中で何があったか知らないが、今の私はリツさんが安心して生活が出来るように支援する人。それが私の仕事。
「お袋の所に転がりこんだ親父は、さっさと逝ってしまうし…… お袋はお袋でボケちゃうし…… 親父が逝ってからお袋が変になったんですよね。それでもたった一人の母親ですからね。僕にも娘が一人います。女房は数年前に他界しましたが、お袋を大事にしなきゃね」
『あぁ良かった』いい話を聞かせて頂いたと、私は胸を撫で下ろしました。
そう言えばリツさんが時々モソッと独り言を言う時がありました。
何の事か分からず、独り言に耳を傾けてはいけないと思いつつ聞いてしまったあの独り言は、ご主人の事だったのだと知りました。更に徹さんは「でも、まだ敷居が高いんですよ」と話を続けられました。
世の中には、『このような夫婦や親子の巡り合わせもあるのか』と涙が流れました。
徹さんから私たちが毎月お金を預かっている事を知らないリツさんに何時か言わなきゃと思い私は思い切って話をする事にしました。
リツさん曰く、
あの親不孝息子がそんな筈はない……と。
徹さんは、上越方面から夜中に到着して愛車の中で一夜を明かし、朝ご飯の支度をしてデイサービスに送り出し、リツさんがデイサービスに出かけた後に家の中を片付け私たちと面会して帰宅される。
「たまには施設を訪ねてリツさんの施設での生活振りをご覧になり、お小遣いの二千円も差し上げたら如何ですか? サイフを無くしてしまうともったいないから……毎回でなくても良いと思いますよ」
徹さんは、早速実行して下さいましたが、肝心のリツさんは案の定、徹さんにお会いした事は覚えていましたが、お金を頂いた事は覚えていませんでした。
それから私は、サイフをお借りして中を確認させて頂きリツさんに何度も説明しました。
「何しに来たかと思ったよ。親があの世に近くなった頃やっと親孝行する気になったか……」
と憎まれ口を利きながらも、流石に気丈なリツさんも涙ぐんでおられました。
翌月、徹さんにこの話を伝えました。
「お陰様で親孝行の真似が出来ました」
と喜ばれ、その後も何度か施設を訪ねてはコミュニケーションを取られていたようです。『これで親子の絆を取り戻されれば良い』と思わずにはいられませんでした。

みんなが笑った

尿で汚れた紙パンツは、二階へ続く階段に一段毎に並び悪臭の原因になっていました。ホームヘルプサービスが始まった時から『どうにかしなくては』と思いつつ、自由に動けるようになってもリツさんのプライドを考えているうちに時間が経過し、頃合の難しさを感じていました。テレビに夢中になっている彼女を見て『今だ!』と思い黒いゴミ袋に一つ一つ入れ始めると、いつもの私の動きと違うものを感じたのでしょうか。
「何やってるの? 嫌だよ。わしの汚れ物に触らないで。あんただってパンツに触られたら嫌でしょ。自分で洗うから放っといて」
と近寄って来られ叱られてしまいました。
そうなんです。風呂場のタライに水をいっぱい張って何時洗うでもない紙パンツが浸してあるのです。その処理にも困っていた私です。
「ご免なさい。何かと思ったもんで……」
今まで築いて来た信頼関係が崩れるのでは? しかし、そこまでに至らずホッとしました。
リツさんには、何があっても目を離さないテレビ番組がある事に気が付きました。
その時間帯に合わせて紙パンツの処理を続けました。しかし、数日後には元の木阿弥。
私は考えました。『そうだ、紙パンツ一枚を残して階段の一番下に置いてみよう』と。
すると、どうでしょう。パンツは間違い無くゴミ袋に入っているではありませんか。
トイレにも同じようにしてみました。大成功。その後、階段毎の紙パンツは姿を消しました。その為には、ゴミ袋内に汚れた紙パンツを必ず一枚を残す事が条件のようでした。
二階のトイレも同じようにしてみました。
これも成功しましたが、汚れたパンツを入れたゴミ袋の処理には気を遣いました。
『さぁ、今度はベッドの中』
ベッドにはおねしょマットを敷き、洗濯を小まめにする事で解決したかのように思ったのですが、その洗濯物が次の問題となりました。入浴はデイサービスの週三回です。
デイサービスで使用したバスタオルや着替えた下着を洗わずに家の中に干してあるのです。
それで洗濯済みの物一組を前もって施設に届け、一組はリツさんが持ち込み、着替えた衣類は後で取りに行くという形にしました。
洗濯物と家の中は、消臭剤と芳香剤で以前のような臭いは消え、水分補給も一緒にコーヒーを飲む事が出来るようになりました。
「何だか最近、わしの家でないような気がするなぁ」
と笑っておられるリツさん。
その後、徹さんとお会いしたある日
「夕べは、家でゆっくり眠る事が出来ました。全然臭くなかったです」
「それは良かったですね」
と高橋さんと私。みんなが笑顔になれた一刻でした。
ある日、リツさんが
「時々、わしのタオルを持って行く人がいるんだよ」
と不安そうに言いました。
再度施設を訪ね事情を話し、リツさんを傷つけないように対応して欲しい旨を伝えました。それにしても『良かった。霜や雪が降る前にお母さんと同じ屋根の下で寝る事が出来て。今まで果たせなかった事、お父さんが亡くなった事など時間の許す限り話せばいい』そんな気持ちでいっぱいになり、リツさんの余生と徹さんご家族が幸せでありますようにと願わずにいられない私でした。
リツさん自身が本当の幸せを感じた時、どんな笑顔を見せてくれるのでしょう。
その後認定再調査の結果、介護度三から二と軽くなりましたが、ホームヘルプサービスを通して『認知症』という障害を抱えた人と生活を共にするご家族の苦労と困難、まして、高齢者の独り暮らしを安心に安全に継続するために他者とのコミュニケーションの重要性、『認知症』を進行させないために私たちの仕事の必要性も痛感致しました。
最後に、今のままでいい。リツさんが、リツさんらしく生きてくれれば……。

矢吹キミプロフィール

昭和十八年生まれ ホームヘルパー 福島県本宮市在住

受賞のことば(矢吹キミ)

『痴呆症』から『認知症』と呼び名が変わって、ようやく耳慣れしたこの頃。『認知症』と言う障害者と巡り会い、障害者が安全に安心して暮らせる社会を、と言われつつも厳しい現実、その家族も右往左往している昨今。
『認知症』でも心は生きている。この言葉を胸にヘルパーとしてどうあるべきか? を考えさせられました。
日々のヘルプサービスの中から僅かな光が見えた時、みんなが笑顔になりました。
今回、優秀賞という大きな賞を頂くことが出来嬉しく光栄です。
日増しに嬉しさと喜びが膨らんでいます。
これからも今までの経験を生かし障害者のみならず、誰もが安全に安心して暮らせるよう社会の一員として努めたいと思います。

選評(松原 亘子)

精神的にも肉体的にも相当な厳しさが散見される八十二歳の認知症の女性のお世話。しかし、著者であるホームヘルパーの矢吹さんは、当初はこの女性の気難しさに手こずりながらも、あせらず、諦めず、持ち前の頭の良さと心遣いでひとつずつ問題をクリアーし、次第に彼女の信頼を得ていく。その様子を実にイキイキと書き綴ったこの作品は読む者をぐいぐい引きつける。著者の献身的な働きが親子の絆を取り戻し、要介護度を軽くしたことは何ともすばらしい。