ピック病の話を始める前に、認知症に関して一般的な話をさせていただきます。
まず、いわゆる加齢による変化と、認知症は何が違うのかということからご説明します。
認知症に見られる一番大きな特徴は、脳神経系が何らかの変化を起こすということです。たとえば脳梗塞を起こすともの覚えが悪くなったり、ことばがしゃべれなくなったりする。そういう場合は、加齢変化との違いがわかりやすい。それに対し徐々に進行していく認知症は、年をとったからそういうことが起こっているのか、それとも何かの病気だから起こっているのかわかりにくい。ピック病も含め、そういう病気は、脳を構成している何百億という神経細胞が少しずつ、何らかの通常ではない変化(変性)を起こしている、これがまさしく認知症(変性疾患)の特徴です。
ただ、実際に脳を開けて神経を取り出すことはできませんから、亡くなった後に神経を取り出してみて初めて、アルツハイマー病だった、ピック病だったとわかる。生きている間は本当の意味では、脳の神経がどういう変化を起こしているのかは分かりません。
最近はMRIなどが進んでいます。脳の断層写真ですが、そういうものを見て、形が少し変わってきている、萎縮している、などと言われることがあります。ただ、萎縮を起こしていることがイコール、脳の神経に起こっている変性を捉えているわけでは必ずしもない。形というのは個人差もあるし、年齢とともに縮むことも縮まないこともある。認知症でもあまり縮まないこともあるし、すごく縮むこともあるからです。
もの忘れがあると認知症だと言われますが、たとえば私もよくもの忘れをしますし、みなさんの中でも忘れっぽいと言われている方がいらっしゃると思います。それがすべて認知症かというとそうではない。「良性のもの忘れ」という表現をしますが、どんなものが良性で、どんなものが"病的な"もの忘れなのか。これについては、後で詳しくお話します。
もう一つ、通常の加齢変化と認知症の違いに、社会生活上の問題というものがあると思います。
これも実は捉えにくくて、たとえば今までこういうことができていたのに、うまくいかなくなった。ではそれがすぐに認知症かというと、認知症の中でも、かなり進行しているのに社会生活をうまく送れる方もいるし、初期からなかなかうまくいかない方もいらっしゃる。認知症がすごく進むと加齢変化との違いもわかりやすいけれど、初期はこの区別は本当に難しい。
はじめに申し上げたように、MRIなどの検査でも本当に認知症かどうかはわからないとなると、実際に現れている症状から見ていくしかないのですが、ここでも難しい問題がある。それは、「原因と症状は一致しない」ということです。
詳しく説明します。たとえばアルツハイマー病というのは、脳神経にアルツハイマー型の変化を起こす病気です。そのアルツハイマー型の変化を起こす場所は、人によって必ずしも同じでない。脳のいろんな場所でその変化を起こす可能性がある。脳というのは、「どんな変化を起こしたか」より、「どこの場所が変化を起こしたか」によって、症状が決まることがほとんどなんです。
たとえば脳のある場所が、脳梗塞で障害されたときも、事故によって障害されたときも、アルツハイマー病のような病気でそこの神経系が障害されたときも、だいたい同じような症状が起こる。それが、原因と症状は一致しないという意味です。
さらにいえば、病名は原因によって決まりますが、症状というのはそれが起こる場所によって決まる。ということは、必ずしも病名と症状は一致しないということです。
そう言うと、「アルツハイマー病はだいたいもの忘れをするじゃないか」と思われるでしょう。その通りです。アルツハイマー病は、初期にその変化を起こしやすい場所がだいたい同じ。一つは、側頭葉の内側。海馬、海馬旁回(ぼうかい)と呼ばれる場所ですが、この部分は、記憶に関係する仕事をしていることがわかっています。もう一つは、頭頂葉というところ。ここは、空間を見て、左右や位置関係を把握したりするときにかなり重要だということがわかっています。ですからアルツハイマー型の変化を起こした人は、特に初期、もの忘れをする、道に迷う、そういうことが起きやすいのです。
ところがアルツハイマー病の中でも、そこから始まらない方もいる。そうすると、まったく違う症状から現れ始めるので、なかなかアルツハイマー病と診断されないことがある。とてもアルツハイマー病とは思えない方が亡くなってから神経細胞を調べると、実はそうだったということもある。そのあたりが認知症の診断の難しさです。
ただ、アルツハイマー型の変化でも、ピック型の変化でも、だいたい起こりやすい場所というのがあるので、こういう病気ならだいたいこういう初期症状、ということがわかっています。
では本日のテーマのピック病というものが、どういう病気なのかということですが、そもそもピック病の概念は、専門家の間でもゆれています。
元々は、「ピック型の神経細胞の変化」を起こす病気のことを、ピック病と言いました。その変化は前頭葉や側頭葉から起こることが多いので、アルツハイマー病とはかなり違った起こり方をすると思われていた。けれど、ピック型でもアルツハイマー型でもない、違う神経の変化を起こす病気の中にも、前頭葉・側頭葉から起こりやすい病気があることがわかってきた。
ですから今は、前頭葉・側頭葉から変化が始まるものをピック病と呼ぶ場合もあるし、純粋にその神経を取り出してピック型の変化が起こっているものをピック病と呼ぶ場合もある。今日の話の中では、前頭葉・側頭葉を中心に何らかの変化が始まることによって症状が起こるタイプの病気のことを、ピック病、もしくは前頭側頭型認知症として進めさせていただきます。
ピック病という病気の概念は、実はアルツハイマー病より早く報告されていますが、実際にこの病気が世の中に認知されるのは、ずっと後になってから。本当にこの病気についていろんなことがわかってきたのは、ここ20年くらいです。アルツハイマー病にくらべて頻度が非常に低いこともあり、あまり注目されず知られてこなかった病気と言えます。
ある患者さんのケースを例に、ピック病というものを考えていきたいと思います。
仮に58歳の女性としました。きょうは学会ではないので、実際の患者さんでなく、何人かの方に見られた特徴をまとめて一人の患者さんと仮定しました.特に症状が難しいといわれている、ピック病のごく初期の症状です。
ご本人に伺うと、だいたい「この頃ちょっと忘れっぽいかもしれない」とおっしゃいます。けれど、生活上で困っていることもないし、病院に来る必要もないんですなんて言う方が多いです。
ところがご家族に聞くと、そうではない。最近どうも怒りっぽい。なにかに固執する。自分のやり方を始めてしまうと、周りが何を言っても聞かなくなる。整理整頓ができなくなった。探しものがうまく見つけられない。主婦だと、今まですごくバラエティーに富んだメニューを作っていたのが、とても単調になった。味つけが変わってきたなんていう方もいます。
実際にあった話ですが、毎年ある税金を納めていて、ある年からそれを払わなくてよくなった。そのことを本人はよくわかっているのだけれど、その時期になるとなぜかいつもどおり払った。後から本人に聞くと、「そうなんです、払わなくて良かったんです、わかっているんです」と言う。けれど、なぜかいつもと同じ手続きをしてしまったという方がいました。
普段は大丈夫なんだけれど、非日常の場面になるとおかしな行動が目立つ。旅行先の駅で、あと5分で電車が出るんだけれど、突然買物をしたくなって、いなくなってしまった。本人にすれば3分で買って戻ってくるつもりだったけれど、買物に熱中してしまい結局電車に乗れなかった、そんな方がいらっしゃいました。
これぐらいの時点では、いわゆるもの忘れはあまり目立たないというご家族が多いです。もちろん、し忘れなどは増えてきますが、生活の中で困るようなもの忘れはそれほどないと言う方が多いです。
ごく初期には礼節はだいたい保たれていて、家の中では怒りっぽくなったりしても、普段の表情もだいたい穏やかです。
運動機能にはあまり問題がない方が多いです。同じような症状で運動機能に問題がある方もいますが、レビー小体型認知症など別の病気であることがしばしばあるので、そちらを疑います。
仕事などは、多少ミスはしてもサポート的な仕事であればできるという方が多いです。
こういう時期にMRI検査をすると、軽い萎縮は見られるけれども、年齢相当ですと言われることがしばしばです。中には萎縮が目立つ方もいるし、まったくない方もいらっしゃいますけれど、その程度です。
この時期だと、「長谷川式」などの簡易認知症スケールの質問をしても、だいたいできます。30点満点の、21、22点あたりで、認知症かどうかを判定するスクリーニング検査ですが、28、29点くらいは取れるので、まったく認知症には引っかからないということも多い。
認知症の簡易検査というのは、たとえば、「今日は何年何月何日ですか」「季節は何ですか」「ここはどこですか」「都道府県でいうとどこですか」などと聞いていきます。次に、「ことばを覚えてください。さくら・ネコ・電車と覚えてください。後で聞きますから良く覚えておいてください」。
私が実際に病院で使っているのが、「《富士の山》を逆から言ってください」。《マヤノジフ》、逆唱です。
それから、いろいろな指示命令。「この紙を右手に持ってください」「折りたたんでください」「目をつぶってください」。何か文章を書いたり、図形を書き写したり。
次に、「さっき私が言った3つの言葉はなんですか」と聞く。アルツハイマー病の方は、だいたいここでひっかかります。それに対して初期のピック病の方は、ほぼクリアします。
続いて、腕時計などを見せて、「これはなんですか」と聞く。ピック病の方は、これができないことがある、そこが特徴的です。
この方が一年たつとどうなるかというと、ご本人は、「困っていることはない」と言い出します。一年前には「ちょっと忘れっぽい」とおっしゃっていた方が、「もの忘れなんか全然ないですよ」「完全に正常です」と。
どちらかというと、ご本人の意識がご家族と逆行することがしばしばです。
ご家族に聞くと、いろんなことが目立ってきたとおっしゃる。駅に荷物を置いたまま電車に乗ってしまうとか。約束ごとを忘れる。たとえば「明日○○で会いましょう」という約束。後できくと覚えているんです。ところが実際にその時間になっても来ない。それを言われないと気づけない、そういう方が結構いらっしゃいます。
駅の券売機で切符を買うというような社会的な手続き。いつもやっていることは間違いなく出来るけれど、券売機の場所が変わったり、普段と違う機械になっていたりすると、急に出来なくなることがある。
それから、だらしなくなってくることが多いです。身なりに気をくばらなくなる。暑くても寒くても同じ服を着るようになる。毎日同じものを食べる。自分の好きなものばかり買い続けて食べる。片づけをしなくなる…。
また、社会的に逸脱したような行為が起こる。たとえば店で売っているパンに指を突っ込む。本人にすれば、パンがどれぐらい柔らかくて美味しいのかが知りたいだけ。普通なら買ってやるし、本人もそういうことをやってはいけないこともわかっているんです。わかっているけれども、「このパンって柔らかいのかな」と思ったときに、自分でその行動にブレーキがかからない。
他のことがすごくちゃんと保たれていて、しっかりしているにもかかわらず、こういう奇異な行動が出てくることがある。それから、感情のコントロールがきかないことが増えるということがしばしば言われます。
これまで説明したような症状について整理します。
検査上の記憶、ものを覚える能力に関してはあまり能力低下を示さない。けれど日常生活上の"し忘れ"みたいなものが目立つようになっていることがしばしばです。進んでくると、ものの意味がわからなくなることもあります.
行動の特徴として、衝動性が高くなってくる。少し場違いな行動が見られる。同じような行動を繰り返す。自覚がなくなってくる。
だんだん周囲に対して気づかいがなくなってくる。環境からの影響を受けやすくなってくる。何かをやっていても、別の気になることがあると、すっとそっちへ行ってしまう。本当はこれをやらなきゃならないと本人も分かっているんだけれど、そっちへ行ってしまって、結局ものごとがうまくいかない。
進行するにしたがって発動性の低下、自発性の欠如ということが起こる。何もしない、動かない、家でボーっとして一日ずっとテレビを見て、何もしないという方も多くなってきます。
いずれにせよ、まだこの段階は初期もしくは中期の症状という感じで、認知症と気づかれない場合もあると思います.
ひと口に記憶の障害と言ってもいろいろあります。
普通の人にも起こる記憶障害に、"し忘れ"があります。先ほど話したような未来に何かがあることを思いつく記憶、これを「展望記憶」と言いますが、ピック病で障害されることがあります。
それから、いわゆる「ど忘れ」が起こりやすくなる。テレビを見ていて有名人の名前がパッと出なくなるとか、ものの名前が出てこないとか。そういうことがピック病で起こることもある。これを、「喚語障害」、あるいは「語想起の障害」と言ったりします。
このあたりの記憶は、前頭葉や、海馬ではない側頭葉の部分の機能を反映しています。ですから、ピック病の方では特にこういう記憶が悪化することがあります。
先ほどの簡易検査で、「何か文章を書いてください」と質問をすると言いましたが、実際にあったケースで、ピック病の方に「文章を書いてください」と言ったら、「文章ってなに?」と言われたことがあります、脳の中の"ことばの辞書"そのものが障害をされるようなことが起こる。これが「意味記憶障害」です。意味記憶というのは、記憶の中でも非常に難しい概念ですが、たとえば「富士山は、日本一高い山」ということを私たちは知っていますね。そういう記憶です.さらに言えば「山とは何か?」とか、ことばの定義そのもののような記憶です。そういうものがピック病ではやられやすい。左の側頭葉が関係していて、ピック病の初期にそこを障害されることがしばしば起こるからです。アルツハイマー病では、よほど進むまでほとんど障害されません。
ここで、記憶に関連するクイズを一つ紹介します。
3つの数字を覚えるクイズです。数字を続けて言われるのを聞いて、やめたときに最後の3つを覚えておくというものです。ただ、いつやめるかわかりません。
1、6、2、5、6、3、7、8、1、3。
答えは「8、1、3」です。たった3つ数字を覚えるだけですが、実際にやってみるとかなり難しいと思います。
なぜかというと、一方で覚えながら、一方で忘れていかなきゃいけない。注意を分散しなきゃいけない。記憶と同時に、注意力の検査でもあるんです。
実はこのタイプの記憶も、ピック病ではやられやすい。実際の生活では、たとえば料理の場面。火のスイッチを入れた。続けてこちらで切り始めた。2、3分たつとなんとなく火を消しに行く。切りながらずっと火のことを考えているわけじゃない。でも、少しだけ火に注意している。注意力というのは、上手に分散しているから、今のようなクイズもできるし、料理もできるんだけれど、そういうことがうまくできなくなるということが、ピック病の方には起こりやすい。
これに対して、ピック病では障害を受けにくい記憶もあります。
たとえば、本当に覚えようと思って覚えたこと、ついさっき言われたこと、昨日食べたもの。そういう記憶については、ピック病では障害が認められないことが多いです。もちろん進行すると、全脳に障害が広がるので、こういう記憶の障害も出るんですが、初期にはこういうことが起こりにくい。アルツハイマーでは頻繁に起こる、これが中核症状です。
一方で、昔話というのは、ピック病でもアルツハイマー病でもなかなか障害されない。小学校のときのことを尋ねると、みなさん良く覚えていらっしゃいます。
発病の年齢は、ごく一般論ですが、だいたい45歳頃から65歳頃くらいで起こってくる。
男女差に関しては、いくつかの調査がありますが、今のところはっきり言われていません。
発病率は、アルツハイマー病、レビー小体型に次いで多いと言われていて、認知症の中で、数パーセント程度かそれ以下という報告が多いと思います。
家族歴については、実はよく分からない。報告によってバラバラです。欧米では20から50パーセントの患者に家族歴があると報告されていますが、日本ではこれほど高いとは言われていません。ただ、特徴的な遺伝子の変化によるピック病、ある染色体に異常を持っている特殊な遺伝病としてのピック病もあります。
認知症そのものを完治させる方法は今のところありません。アルツハイマー病に関しては進行を遅らせる薬がある。アリセプト(塩酸ドネペジル)が有名ですが、ピック病については、こういう薬はまだありません。
では治療は何もないかというと、認知症の周辺症状に対しては、いろんな薬を使った薬物治療が行われています。これは本当に難しくて、薬によって逆に悪くなってしまうこともあります。譫妄(せんもう)といって、錯乱のようなことを起こすこともあるし、薬で鎮静がかかってしまって、昼間ウトウトしてしまい逆に夜眠れなくなって、生活リズムを崩して悪くなってしまうこともある。抗パーキンソン病薬もよく使われますが、幻覚を起こすという副作用もあるので、慎重に使わなくてはいけない。
ではピック病、認知症には何をするべきか、というと、やはり、生活リズム、環境を整えること。
最近実際にあった例ですが、脳梗塞でピック病と同じような脳の場所を損傷された方がいた。脳梗塞になったのは6年前なんだけれど、その後もずっと普通に生活出来てきた。ところが2年前から急に症状が出始めたと言うので、認知症が始まったんじゃないかと相談を受けた。よくよく調べると、2年前に退職をされて、収入が変わり、いろんな環境が変わった。普通ならその環境に合わせて自分の生活を変えていかなきゃいけないのだけれど、それがうまく出来ず、症状となって現れてしまったということがあるんです。
ですから、環境を調整してあげることが、いわゆる症状を発現させないためには、非常に重要じゃないかと思います。
先日、ピック病の方の介護、環境作りに関して独自の取り組みをしている施設を訪ねました。ケアに困っている施設の方、ご家族のみなさんに参考になるのではないかということで、その話をさせていただきます。
ここからVTRを見ながら説明します。
岡山県笠岡市にあるグループホーム「ラーゴム」、2001年7月に開設しました。
ここには日本で最初の認知症高齢者専門病院「きのこエスポアール病院」があり、その周りにいくつかのグループホームがあります。この「ラーゴム」の最大の特徴が、ピック病の方だけが生活されているということ。全国でも非常に珍しいところです。
グループホームなので、生活の場です。症状が激しい時期は病院に入院していて、少し落ち着いたけれど自宅で生活するのは難しい、という方が暮らしています。
ちなみに"ラーゴム"というのはスウェーデン語で、"適度"とか"ほどほど"という意味だそうです。
現在、9人いる入居者はすべて女性。年齢は、60歳から82歳。いくつもの病院で入院を繰り返し、きのこエスポアール病院に入院。その後「ラーゴムへ」。いずれもピック病は比較的進行しています。
建物内のそこかしこに、装飾品や絵、花や観葉植物などが飾られ、生活感が溢れています。
看護師で現場リーダーの中野 晴美さんに建物の中を案内していただきながら、お話しをうかがいました。
まずは入居者の暮らす個室です。
(中野)「個室は6〜8畳の広さ。クローゼットがあって好きなように使ってもらいます。それとトイレが必ず部屋に付いているのがこのグループホームの特徴です。規定にはなく付けなくてもいいのですが、院長のこだわりです、共同トイレのグループホームが多いと思いますが、すごく大事ですね」
続いて廊下。
(中野)「ピック病の方はよく歩かれるので、こうした広い廊下が必要。よく散歩に出るのはもちろん大事ですが、それができないときでもこの中で動けるので」
続いて食事の介助です。
(中野)「食事では、手を使っていただくように努力しています。普通食事介助というと介護者が食べものを口に入れるのが普通ですが、そうではなく、まず本人の手にスプーンなどを持ってもらい、その手をこちらで動かしてあげると口が開きやすい時があるんです。できるだけ本人の動作を介助するようにします」
ピック病の方たちだけが集まっているという環境について、中野さんに意見を聞いてみました。
(中野)「過ごしやすいと思います。お互いにあまり干渉しない。たとえばモノを取ったとしても、怒らないんですね、ピック病の人同士だと。笑っていたりして。たたかれてもたたき返したりしない」
「きのこエスポアール病院」の佐々木 健院長のお話です。
(佐々木)「環境を整えること。人対人のケア、その人のことをよく理解して、いい関わりをもてるようなケアだけで何かやれないかと考えて、ここを開設しました。薬を使わない。ピック病の方を理解する職員がいて、一つの考えで運営している。ごく普通の生活を送る。たとえばインテリアなども普通の生活を感じさせるものです。病気を治すというより、『生活を続けていく』。それも、特別な趣味をもってというのではなくて、ごくあたりまえの日常生活を送るための援助、環境が大切なんだと思っています」
佐々木院長も話していたように、家で生活していた時と、受け取る環境をいかに変えないかということ。
ピック病に限らず、入院して症状が悪化したという方は多い。病院を抜け出そうとする、飛び出そうとする。それまで家で楽しく生活されていた方が、4人部屋でプライバシーもなく、白衣を着た人が周りにいっぱいいる環境で、落ち着かないほうが当然。でも、それが行われている。嫌で逃げ出そうとすると。それがまた症状だと言われる。興奮すると、薬を使おうということになり、どんどん悪いほうに転がってしまう。まずはいかに居心地よい環境でいられるかということ。そこを本当にきめ細やかに気づかっている。
治療する側が作った環境の中に、患者さんを連れてきて入れるというのではなく、その一人一人に関して環境を作ることで、個々の方に、一人一人のスタッフが本当にうまく入ってあげている印象を受けました。
ここでは、向精神薬は使いません。以前使っていた方は急にやめるとそのせいで悪化することが多いので、徐々に減らすそうですが、基本的に薬は使わないそうです。睡眠薬も使わない。生活のそのリズムを整えてあげることによって、自然に寝かせてあげようということができているようです。
これに関しては、専門家の間でも意見が分かれます。少量をうまく使うほうがいいという人もいます。そのあたりは議論があるところですが、薬を使わずに過ごせる環境をうまく作っているという意味では、非常に驚くべきことでした。
一般論ですが、ピック病の方は、施設に入所したいと言ったときに、断られることが多い。進行してくると、他人のことはどうでもよくなって、よく言われるように「わが道を行く」。周囲の人に対しても自分がその気になったら勝手に干渉するしその気にならなければ一切関わらない。そういうことで非常に介護しづらい。
けれど、そういう方たちが集まると、逆にお互い干渉しあわなくて、お互い好きに生活できているんです。そういう意味では、スタッフの負担も少し軽減して、うまく人的な力を投入できる。
「ラーゴム」が、そういうことを実現できているのを見て、ピック病の方だけが集まるというこのやり方が、ピック病の方への介護のあり方の大きなヒントになっていくように感じました。
高齢社会になると当然、認知症の頻度は高くなってきます。私も含めて長生きをすればするほど認知症になる可能性が高いわけです。その中で、ピック病などアルツハイマー病以外の認知症については、専門家の間でも本当に理解が低いのが現状です。こうした病気に我々専門家も積極的に取り組んでいきますので、今後の医療・医学の理解の深まりをご期待いただきたいと思います。ありがとうございました。
1966年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。東京青梅病院、昭和大学横浜市北部病院・メンタルケアセンター、慶應義塾大学病院・精神神経科勤務をへて、2008年2月、慶應義塾大学病院・メモリークリニック開設により同クリニック兼担。
社団法人認知症の人と家族の会東京都支部、社会福祉法人NHK厚生文化事業団、NHK
終わり