若年認知症ぐんま家族会 副代表。
1943年生まれ。民間会社勤務を経て、1964年、郵便局入職。2003年、群馬県議会議員に初当選、現在2期目。2002年頃から、妻・正子の様子がおかしい事に気づく。2004年、アルツハイマー病と診断される。介護保険のサービスを使いながら自宅で介護中。
首都大学東京大学院 人間健康科学研究科 教授。
北海道大学卒業後、イリノイ大学シカゴ校大学院博士課程修了。看護学博士。アメリカで認知症者専門のデイケアセンターに勤務して以来、認知症者とご家族へのより良いケアサービス提供を目指し、教育、研究、実践に取り組んでいる。
練馬区社会福祉協議会 元ボランティア・コーディネイター。社会福祉士、NPO法人日本ボランテイア・コーディネイター協会会員。
1993年、練馬区社会福祉協議会に就職。1997年から2007年4月まで、ボランティア・コーディネイターとして勤務。「どの人も自分らくし生きていく」社会の実現をめざし、ボランテイア活動推進に努める。
熊本大学大学院 医学薬学研究部 脳機能病態学分野(神経精神科)教授。
1984年東京大学理学部卒業。1988年大阪大学医学部卒業。2007年より、現職。認知症の疾患別ケア・治療法の開発、軽度認知障害に関する疫学調査、認知症患者の自動車運転に関する研究、若年性認知症の精神症状に関する研究などに取り組んでいる。
NPO法人 若年認知症サポートセンター 理事。NPO法人 介護者サポートネットワークセンター・アラジン理事長。
千葉大学教育学部卒。小学校教員を経て、夫の転勤に伴い西宮市在住中に阪神大震災に遭い、仮設住宅高齢者を支援する様々な活動を展開する。2001年帰京し、"介護者の孤立"問題に取り組む組織「介護者サポートネットワークセンター・アラジン」を立ち上げる。震災後のコミュニティづくりをベースに、介護者を支援する地域のしくみづくりを提唱、実践している。若年認知症家族会「彩星の会」の発足メンバーの1人であり、NPOの視点で支援を続けている。
1986年、NHK入局。高松放送局、大阪放送局を経て、1995年より東京アナウンス室勤務。2005年より「生活ほっとモーニング」キャスター。
皆さま、よろしくお願いします。NHKアナウンサーの内多です。NHKでは、昨年から今年にかけて、認知症になっても安心して暮らせる社会を目指し、キャンペーンを展開しております。様々な番組、様々なイベントを行っていますが、私が今、担当しております、朝8時35分から放送の「生活ほっとモーニング」という番組でも、認知症の番組を数々放送しました。若年認知症についても放送しております。今後、認知症については、社会の理解を深めるために番組を進めていきたいと思っていますので、是非ご覧いただきたいと思います。
第3部では、若年認知症の人とその家族の人を地域で支える取り組みについて、いくつかご報告をしていただきますが、その前に、熊本大学大学院 医学薬学研究部 教授の池田 学さんから、若年認知症の人をサポートする上で必要な知識について、まず、講演をしていただきます。池田さん、よろしくお願いします。
専門医の立場から、若年認知症について、今わかっていること、それから、これからの課題をご説明したいと思います。
最初は、診断と治療についてです。若年性に限らず、認知症を疑われる方がいらっしゃった時に、我々はどういうことを頭に浮かべながら診察を進めているかというと、次のようになります。
まずは、1つ目のステップで、本当にその方が認知症かということを、慎重に調べさせていただきます。これは、とても大事なことです。例えば、私が勤務していた愛媛大学にしても熊本大学にしても、認知症の専門外来にいらっしゃる方の大体20%から25%は認知症ではありません。認知症に非常に似た状態ですが、多くの場合は、別の治療法がいる病気です。だから、そこを慎重に調べなければなりません。
中でも一番見間違われやすいのが、「うつ病」です。高齢者の方の場合には、うつ病の方がしばしばアルツハイマー病と間違われます。なぜかと言いますと、うつ病というのは気分の病気ですが、ご存知のように、不眠、夜眠りにくいという症状がほとんどの方に出ます。夜寝ていませんので、昼間、注意力が下がります。ですから、ご本人の自覚としても、あるいは周りの方から見ても、仕事の効率が悪くなったり、家事でもミスが多くなってくるといったことが出てきて、長谷川式やミニメンタルのような認知症のスクリーニング検査をしますと、初期のアルツハイマーの方とほとんど同じ点数を取とられます。
若年性の方は、どちらかと言うと逆です。若年性のアルツハイマー病の方が、しばしばうつ病と診断されて、薬が効かない。ご家族はどうもおかしいな、うつ病だけじゃなさそうだということで、いろんな医療機関を回りに回って、我々専門医の所に来られるまでに、何年もかかる。で、ご家族は、「あの数年がなんとかなっていたら」ということを、いつも涙ながらにおっしゃいます。
ですから、とにかく、最初に正確な診断をする。他にも間違われやすい病態はいっぱいあるので、こういうものを一つ一つ除外していくという事が大事です。
2つ目のステップとしては、認知症というのは、皆さんご存知のように、一つの病気が原因で起こるものではありません。様々な原因、背景の疾患があって、一つの認知症という状態が出来てきます。今やその原因疾患によって、治療法やケアの仕方がそれぞれ開発されつつあります。ですから、絶対に間違わないようにきちんと診断をしてから、治療やケアに入るということが大事です。
それと、3つ目です。これが一番大事かもしません。受診されたその時の状態を見て、一番困っておられることに、なんらかの対策を立てる。治療やケアをするということはもちろん大事ですが、もう一つ、社会で支えるという視点が大切です。
ご存知のように、大部分の認知症は慢性の疾患が原因です。ですから、認知症にかかられたご本人、ご家族はその病気と15年、あるいは場合によっては20年向かい合うことになります。それぞれの病気で、初期と中期と進行した状態では、症状も違いますし、支援のニーズが変わってきます。ですから、それぞれの時期できめ細かな支援が必要なので、包括的に見ていく事がとても大事です。
代表的な認知症の背景疾患、原因疾患をあげてみました。大きく分けて3つのグループに分かれます。
1つ目のグループは、残念ながら、まだ根本的な治療法がないグループです。ただ、今は、かなり突っ込んだ対症療法、あるいはケアができるようになっています。2つ目は、早く見つければ十分予防はできる、うまくいけば発症も予防できる、認知症が始まっていても進行が止められるというグループです。
1つ目のグループの代表的な疾患は、皆さんご存知のアルツハイマー病です。2番目のグループの代表は、多発性の脳梗塞。小さな脳梗塞がいっぱいできて、積もり積もって、ある時期から認知症が出てくるというタイプの脳血管性認知症です。年齢制限なく全ての認知症を見た場合には、このアルツハイマー病と脳血管性認知症の二つを合わせると、大体7割から8割の認知症の患者さんがカバーできると言われています。これは日本の調査でも、欧米の調査でも同じです。
ですから、支援する専門のスタッフは、アルツハイマー病と脳血管性認知症をきちんと勉強しておかなければなりませんが、それ以外に、残りの3つ目もとても大事です。現時点でも、治る認知症があるのです。発症してから半年以内にきちんと原因を突き止めると、例えば、脳外科の手術とか、あるいはホルモンの補充とかで、ほぼ元どおりに治っていただける疾患があります。これを絶対見落とすわけにはいかない。老年期の認知症の場合は、大体この辺りを注意しながら下から順番に診断を進めていくわけです。
ところが、若年性の場合は少し変わります。老年期にはあまり見られない認知症がはいっています。
例えば、治療が困難な病気にしても、アルツハイマーと同じような脳の変性疾患、脳が萎縮していくという病気が大部分なのですが、ピック病とかハンチントン病とか進行性核上性麻痺といったいろんな変性疾患、それからもう一つは、交通事故などによる頭部外傷の後遺症としての認知症が見られます。
それから、脳血管性認知症にしても、例えば、脳出血だとかあるいはビンスワンガー病といったような、高齢者の中ではそれほどみられない脳血管障害が加わってくる。
また、治療可能な病気の中でも、例えば、脳炎などの感染症による認知症もまれではありません。あるいは、脳腫瘍の方が「認知症の症状が出てきたので診察をしてほしい」と言ってこられて、あわてて手術を検討する場合も、1年間に数名、必ずいらっしゃる。
ですから若年性の場合、少し老年期と内容が違うのと、病気の種類が多彩です。したがって、診断も老年期よりずっと難しいです。アルツハイマー病は若い方にも多いわけですが、アルツハイマー病のタイプも、若年性の場合は、老年期と違って物忘れから始まる方だけではありません。失語症、つまり言語の障害から始まる方もいらっしゃるし、頭のてっぺんの機能が落ちて、空間認知の障害から始まる方もかなりの割合でいらっしゃるので、同じアルツハイマー病でも、老年期と若年性を比べると、若年性の方が診断が難しいです。
次の図は、年齢別に愛媛大学の外来で見させていただいた患者さんの頻度を見たものです。オレンジ色は全年齢の合計です。白色が若年性で、灰色が老年期の発症の患者さんです。
一番左がアルツハイマー病(AD)で、当然アルツハイマー病は、若年性でも老年期でも一番頻度は高いのですが、老年期では圧倒的に多くなります。若年になると相対的な頻度は下がってきます。
それから、脳血管性認知症(VaD)の場合は、どちらかと言うと若年性のほうが若干多くなります。
前頭側頭葉脳変性症(FTLD)を見てください。ピック病を中心とする前頭型の認知症の場合は、若年性が圧倒的に多いです。アルツハイマー病とは、逆のパターンですね。進行性核上性麻痺(PSP)といった、神経の変性疾患の多くも若年性の方が多い。交通事故などによる頭部外傷後遺症(TBI)も若年性の方が多いということで、年齢層によって原因疾患の頻度がかなり違うということを、我々スタッフは頭に置いておく必要があります。
次の図は、若年性の中で、さらに発症年齢別に疾患の割合を見たものです。
44歳までの方は、頭部外傷後遺症(TBI)による認知症が圧倒的に多いです。
45歳から49歳ぐらいになると、一番多いのがFTLD、ピック病を中心とする前方型の認知症の方で、ほぼ同じ頻度でアルツハイマー(AD)が2番目に多いです。
50歳を越えると、アルツハイマーの方が1番多くなってきますが、それでも、老年期に比べると、ピック病の相対的な頻度がかなり高いわけです。
ですから、若年性と老年期では、原因疾患の割合がかなり違います。また、若年性の中でも年齢層によって、病気の内訳がかなり変わってくるということを、我々は頭に置いておく必要がありますし、特に40歳から50歳ぐらいの間は病気の種類が非常に多いのです。なかなか正確な診断がつきにくいという理由の一つかと思います。
次の表は、若年性の認知症と老年期発症の認知症の方の、臨床上の特徴を見るためにまとめたものです。
愛媛大学に連続して来られた初診の若年性の方は185名、高齢発症の方が483名です。専門医療機関という特殊性はありますが、世間一般で言われている以上に若年性の方が多いということがお分かりいただけると思います。大体4人に1人以上が若年性ということであります。
もちろん発症年齢は、違います。若年性の平均年齢は58歳で、高齢発症の方は77歳です。
若年性の場合は、男女の割合がほとんどかわりません。これは、世界的にも同じです。ところが、老年期になりますと、アルツハイマー病が増えてくるという背景もあって、圧倒的に、女性の頻度が多くなります。もちろん平均寿命も、女性の方が長いという背景もあります。
それから、もう一つ注目していただきたいのが、認知機能検査(MMSE)と認知症の重症度の評価尺度(CDR)です。若年性の方も老年期の方も、初めて来られた時の認知症の重症度や認知機能の重症度は全く変わりがありません。
一方、異なる所は、発症から専門外来に来られるまでの期間の長さです。若年性の方の場合は約60ヶ月、5年弱です。かすかな症状が始まってから何年かかって大学の専門外来にたどり着いたか、ということを示していますが、若年性の方は、残念ながら5年もかかっていますし、ばらつきが非常に大きいです。早く来られる方もいれば、もっと長くかからないと受診に至らない方もいらっしゃいます。それに比べて、老年期の方は、ばらつきも少ないですし、大体3年もあれば十分専門医療機関にたどり着いています。ですから、この辺が若年性の方のために、これからきちんと啓発をして支援システムを整えないといけない一つのポイントだと思います。
今までの所をまとめると次のようになります。
老年期の認知症の知識だけ持って、若年認知症の方をサポートしたのでは、実情に合わない点がいっぱい出てきます。若年性固有の問題を、きちんと我々サポーターも勉強しておくという必要が明らかです。
とりわけ3つ目は非常に大きい問題だと思いますが、専門外来にたどり着くまでに老年期と比べると2倍近く時間がかかっています。言い換えますと、ほとんどの方は専門外来に来られるまで診断がついていないので、診断がつくのが、若年性の場合は非常に遅れるということです。これは、ご本人にとってもご家族にとっても、たいへん苦痛となり、社会的不利にもつながる事なので、なんとか解消する必要があります。
最後に、処遇を考える上で考慮すべき事をまとめます。
認知症の場合は大部分が、老年期、若年性に関わらず、慢性の疾患が原因となります。ですから、10年、15年、20年、ご本人もご家族もこの病気と向き合うことになる。これは、ある意味では糖尿病とか高血圧症と同じですね。長いスパンで考えないといけない。そうなってくると、「社会資源の整備」や「地域社会の受け入れ」というのが、とても大事です。
身近なところでどのくらい利用できるサービスがあるか、整えられているか。この事に関して、後でお話に出てくると思いますが、若年性認知症の方は、老年期と比べても非常に利用できるサービスが乏しいです。しかし、若年性の方の場合には、仕事を続けたいという意欲ももちろんお持ちですし、何らかの社会貢献がしたい、あるいは、社会の中に居場所を確保したいという思いが、ご本人もご家族も強いのです。
私自身50歳前ですが、十分アルツハイマーにもピック病にもなる可能性のある年齢です。私ぐらいの年齢の男性が、身近なデイサービスに行くと、そこでは、85歳、80歳ぐらいのご婦人の皆さんがわいわい楽しそうにされている。とても続けては行けないと思います。ですから、若年性の方が自分から進んで入っていけるような居場所を確保する、あるいは社会貢献する場所を確保する、ということが非常に大事です。
もう一つは、地域社会です。老年期に関しては、ここ5年、10年で皆さんの知識は著しく増えています。ましてや、専門職の方の知識はすごく増えています。しかし、若年性の方に関してはまだまだ偏見もありますし、偏見がなくても理解をしてもらえない。これは、地域もご近所もそうですし、それから職場でも同様です。若年性の場合には、社会資源の整備と地域社会の受け入れをどうするかということが、これからの大きな課題になるのではないかと思います。
では、各地からの報告を3つ頂きます。その後で、お2人の方のコメントを頂きます。
報告は3つあります。
コメンテーターは、お2人。今講演いただきました、池田 学さん。そしてもう一方、若年認知症サポートセンター理事、牧野 史子さんです。よろしくお願いします。
最初の報告をお願いします。若年認知症の人の家族が作る会、少しずつ増えてきています。そのうちの一つ、若年認知症ぐんま家族会の副会長、大沢 幸一さんにおいでいただきました。幸一さんは現在63歳。58歳の妻、正子さんが認知症ということです。正子さんはいつごろから認知症の症状が出始めたのでしょうか?
5年前、2002年頃から発症したのではないかと思います。正子が53歳の時です。物忘れが激しくなる。空のどんぶりやお皿が冷蔵庫の中に入っている。物をそろえるという機能が劣化してくる。あるいは時間と場所がなかなか判別できないというような状況がでてまいりました。
2004年の6月に群馬県の専門医に受診しました。結果、若年性アルツハイマー病と診断されました。
その翌年に、地域の方から「正子さんは地域の人に行き会っても挨拶がないよ」というご指摘をいただきました。もうここまできたかという思いもございまして、その年の暮れ、地域の集まりの中で、県会議員として挨拶したその1番最後に、「家内はアルツハイマー病です。どうぞご理解いただきたい」という趣旨の発言をさせていただきました。
そして、この延長線上で、2006年の2月の群馬県議会の一般質問で、若年認知症対策を取り上げました。その質問項目の中で、家内の日常生活の異変についてもご説明させていただいたところでございます。
何故、そのように公表する気になったかといいますと、妻に対する世間の誤解を解きたい、その事によって妻を守りたい。こういう思いでいっぱいでございました。さらにもう一つは、私ごとであって私ごとでない、地域戦略の一環として地域介護の重要性を説いて行きたい、こういう思いで公表をさせていただきました。
その後で、家族会を立ち上げたのですね?
県議会の一般質問の際に、県執行部の答弁で、「群馬県内には、505人ほどの若年認知症の患者さんがいます」という答弁をいただきました。ひっそりご家族だけで生活をされている方も、この中にたくさんいらっしゃるだろうという私の問題意識もございました。
議会で質問する前、インターネットでとことん調べました。そして、ぶつかったのが、「彩星の会」でございます。これだなという思いで、2006年の6月28日に「若年認知症ぐんま家族会」を立ち上げたのです。立ち上げにおいては、若年認知症対策の第一人者、宮永和夫先生に、たいへんお世話になりました。
彩星の会: 東京にある、若年認知症の人と家族を対象とした会で、ご本人や家族の支援、若年認知症への理解を深める活動などをしている。
宮永 和夫: NPO法人 若年認知症サポートセンター理事長。南魚沼市 ゆきぐに大和病院 院長。大沢さんが出会われた頃は、群馬県こころの健康センター 所長をされていた。
「若年認知症ぐんま家族会」の概要をご説明ください。
はい。次のようになっています。
賛助会員というのは応援団とも申しましょうか。社会保険労務士の皆さんや介護施設の職員の方だとか、そういう方々になって頂いています。あとは、県こころの健康センターの職員さんたちにサポートしていただいています。
では、実際の活動について、ご説明いただきましょう。
定例会では、まず、勉強会をやります。宮永先生に若年認知症について講演していただいたり、介護保険制度や社会保障制度、年金制度について勉強したりしています。
若年認知症についての情報は、ほとんど知らされていないというのが現状だと思います。勉強会の成果が、障害年金の受給や障害福祉手帳の交付につながったケースもあり、実効が上がっていると言いましょうか、勉強会をした甲斐があるなと思っています。
勉強会の後は、当事者と家族が別々の部屋で活動します。
この写真は家族の集まりです。家族が思いのたけを話せる場というのは、なかなかありません。新しくお見えになった方が自分の状況をお話しなさる時は、ほとんどの方が涙してご報告なさいます。あるご夫婦がいらっしゃった時、私は、ご主人が認知症だと思ったのですが、よく話を聞いてみると、奥様が認知症なんです。ご主人は介護しながらうつ病になってしまっているんです。
事は深刻だなという思いでいっぱいになるわけですが、だからこそ、安堵の場として少しでも気が楽になる場所作りをしたいと思っております。なるべく明るい会にしていきたい、皆さんが言いたいことを言える、そんな雰囲気を作っていけたらいいと思っております。
こちらは、ご本人の集まりです。12月の定例会の模様でございますが、クリスマスということで、いろいろ作業をしています。本人のほうの会場からは大きな笑い声が聞けるんです。多分これも宮永先生やサポーターのみなさんたちが上手に笑いを誘っていただいているのかな、こんなふうに思っています。
毎回、このような形をやりまして、時間になりますと合流をして、そこで若干お互いの意見交換をして、そして散会というかたちになっています。
お話の中で、家族会の役割が、いくつか見えてきました。
ことだろうと思います。大沢さんは、加えて、家族の会の働きかけを通して、
ことが重要だと思ってらっしゃるということですが、この2点について説明していただけますか?
介護に介護保険を利用するのはもちろんでございますが、どうしても私、公務でいろいろ急に用事が入ることもございますから、そうするとヘルパーやショートステイを予約しておいただけでは間に合いません。ご近所の方のお力をいただかないとどうにもならない部分が出てくるんです。洗濯物や、掃除をしていただいたり、あるいは私が夜いろんな会議や公務があった時に、知り合いの喫茶店で食事をしながら預かっていただくとか、いろんなかたちで地域の皆さんにお手伝いをしていただいております。そういう「地域力」「地域の介護力」のある地域にしていきたい、と思っております。
例えば、本人の趣味を生かしていただくのも、その1つです。家内の場合は30年以上、三味線と民謡をやってました。カラオケも大好きでございます。さざんかの宿を歌わせたら、大川栄作さんに負けないくらい上手に歌えるくらいなんでございますけども、地域の方のご協力で、そうした趣味を生かすことができて、家内の暮らしに潤いができました。
一方で、家族の声を集めて行政を動かしていきたい、という気持ちも強く持っております。これからグループホームが必要になってくるでしょうし、また、若年認知症の方は働く意欲がございますから、授産施設を作る必要があります。こうした課題も、ぜひ解決していきたいと考えております。
今の大沢さんの報告に対して、お二人からコメントをいただきます。まず池田さんお願いします。
素晴らしいお話をありがとうございました。
数年前になりますけれども、アメリカのレーガン大統領が、ご自分はアルツハイマー病だということをおっしゃって、奥様がたいへん大きな研究資金を世界中に寄付されたということがありました。あの時から、随分、アルツハイマー病ということを、ご家族があまり抵抗なく言えるようになったのです。
ですから、大沢さんのような社会的なリーダーの方が、勇気のいることだとは思いますけれども、きちんと奥様のことを正しく社会に問われるということは、本当に重要なことだと思いますし、敬意を表したいと思います。
それから、もちろん議員さんというご職業もあるのでしょうけれども、大沢さんの場合、素晴らしいその応援団作りというか、社会的なネットワーク作りをされているということが一つ非常に参考になる点かと思います。
もう一点、もし大沢さんが奥様の介護に専念されたとしたらですね、これはある意味では大変な社会的な損失ですよね。奥様はちょっとハッピーかもしれませんが、ただ社会全体ということからすれば、若年性認知症に関してこれだけの見識のある方がお仕事も中止せざるを得なくなってしまって介護に専念されるということは、大変な社会の損失になりますので、これからの課題だと思いますが、若年性認知症の患者さんのご家族がいかにその社会的な活動を続けられるか、という支援の方向も必要ではないかと感じました。以上です。
私は、家族会の1つ「彩星の会」の立上げから関わらせていただいたのと、NPOで介護する家族を地域で支援する仕組みというのを心掛けて活動しております。
大沢さんもおっしゃっていたように、介護する家族、特に若年性のご家族にとって家族会が果たす役割というのは、非常に価値が高いと思っております。
今日はそんなにお話しされておりませんが、ご家族の辛さというのは本当に筆舌に尽くしがたいものがあると、皆さん感じていらっしゃると思います。精神的な苦痛に加えて、経済的な問題、それからご本人の歳が若いということで子ども達の問題、まさに成長しつつある子ども達の問題、それから、なかなか親類縁者・地域の人などの理解が得られないという問題、何重ものストレスを抱えてやっと家族会にたどり着いた、やっと話ができる場にたどり着いたというふうに、皆さんほっと安堵の色を出されています。
家族会の役割の中で一番大事なことは、気持ちを吐き出す、いわゆるピア・カウンセリングというものなんだと思います。もちろん、それだけではないたくさんの機能が家族会の中にはありまして、先輩方からいろいろな知恵を学んだり、それから地域のクチコミ情報や色んな情報をそこで得たり、それから社会資源や制度やいろいろな知識を学んだりします。
それから、そこで仲間を得るということも大事です。家族会というのは月に一回、あるいは二ヶ月に一回しか開かれませんので、なかなか、普段感じたこと普段辛いと思ったことを、そこの場でタイムリーに話すことはできません。それでそこの家族会で知り合った仲間達と、最近では携帯メールを交換して、そして日常的に「今こんなことがあったんだよ」とか「今日はここへ行くわよ」とか、地域の中でプライベートに自分達で支え合っていく、そんなきっかけにもなっているなということを常々感じております。
加えて、大沢さんもおっしゃってたように教育的な機能、あるいは地域社会への啓発の機能、そういったものが非常に高い組織であると思っております。ですからそういった地域の受け皿に対して、私は今後自治体なりが、きちっと支援をするべきだと思います。
若年認知症家族会
若年認知症の人と家族を支える会の連絡先を知りたい、といった相談については、「NPO法人 若年認知症サポートセンター」が応じています。サポートセンターのホームページはこちら。別ウインドウが開きます。
では、バトンタッチをしていただきます。
続いての報告は、介護保険制度によらない、手作りミニデイサービスの取り組みをご報告いただきます。報告は、首都大学東京大学院 人間健康科学研究科教授の 勝野 とわ子さんです。よろしくお願いします。
勝野さん、まずこの「介護保険制度によらない」ということの背景には、介護保険上のデイサービスが現在使いにくい状況にある、ということがあるようですね。
池田先生のお話にもございましたけれども、やはり、若年で認知症になられる方は、体力もございますし、それから最も重要だと思いますのは、社会の第一線でバリバリ仕事をされていました男性が多いというようなこともあると思います。
その中で、従来の、高齢者を対象としましたデイサービスは、なかなかその方達のニードに応えていない、という現実があると思います。
では、その手作りミニデイサービス「ゆうゆうスタークラブ」の概要を、ご説明いただきましょう。
はい。
ゆうゆうスタークラブは、先程からお話が出ております「若年認知症家族会・彩星の会」の、ミニデイサービス「スタークラブ」が前身となっております。
サポーターですが、看護師や保健師の資格を持っております大学教員、介護福祉士、ヘルパー、それから医療系の大学の学部の学生というような人たちです。
私は皆様に今日お話しするに際しまして、このプログラムの特徴を2つお話ししたいと思います。
ひとつは、このプログラムが、認知症の心理社会ケアに基づくプログラムだということです。これは、心理的ニード、社会的ニードに応える為に、人と人との関係と、それから、意味のある活動に焦点を当てたプログラムということです。
もう一つの特徴は、スタッフ全員がボランティアであるということ。これは、昨今の医療経済のことを考えますと、将来性を考える点では重要かと思います。また、このボランティアには若い学生が多いんですね。それが、ご本人のための「場作り」「環境作り」に役立っていると思います。
では、活動の実際を、ご説明ください。
活動内容は、メンバーの興味、力、そのメンバー個々の方がそれまでの生活で培ってこられたライフスタイル、これらを考えて活動の内容を組み立てています。
もう一つ重要な点は、時間に縛られない。ついついプログラムを作るときは、何時から何時までこういう活動をしよう、ということを考えてしまいがちなのですが、時間に縛られないゆとりを我々サポーターが持つ、ということが、大変重要だと思っております。
だいたい11時くらいに、メンバーの方とご家族が会場に集合されます。その後ご家族は、別室で交流の時間を楽しんでおられます。
午前の活動は、「お好み焼きを作ろう」でしたので、希望する方が、外に食材の買い物に出かけました。スタッフと共にスーパーマーケットに出かけます。私達がとっておりますのは、その方が持っている力を引き出す、というアプローチです。ですから、例えばスタッフが、「Bさん、キャベツを2個持ってきてください」という声かけをいたしまして、売り場で一緒にその食材を探して、買い物カゴに入れていく。そういうことをしますと、メンバーの方がご自分で役割を持っているんだということをお感じになられますし、それからその食材を買うということを通して、自分もできたということをお感じになられる。そういうことを支援しているということになります。
それから、12時くらいから、希望者で調理を始めます。調理の過程で、大変器用なメンバーが見事な包丁さばきをお見せになられたことがありました。そうした場合、その方の素晴らしい能力を認めていく、その方の存在を認めていく、という声かけをスタッフがしております。
昼食は、スタッフとメンバーの方がお話をしながら、楽しい自然な雰囲気の中で食事をとるようにしております。
13時くらいから、スポーツと音楽活動をしております。認知症ケアにおいては、「規則性」が重要ということを考えてますので、このパターンは変えておりません。
この時は、ボーリングをしました。メンバーの一人が非常にいいボールを投げて、ストライクか決まった時など、みんな自然に手を寄せ合って、喜びを分かちあっていました。こういう雰囲気を大切にしたいと思っています。
こういう活動はメンバーの方が一緒に活動できるように、私達のほうで準備いたしますけれども、絶対に無理強いしないということに気をつけております。やりたいものをやりたい時にお勧めする、というふうにしております。そして、活動に集中できなくなった方がいらっしゃれば、スタッフが付き添って外の公園を散歩したりして、気分を変えてから戻っていただいています。その中でお一人お一人のその時の状態、お気持ちを大切にするというふうに支援しております。
こうした活動を通して提供したいと思っていらっしゃることをご紹介ください。
私達が目指すものを分かりやすい標語にまとめましたのが、これです。「笑い」、「安全・安心」、「生きがい」、「支え合い」ということです。地域における支え合いは非常に重要ですが、この小さなミニデイサービスの中でもご本人同士、それからご本人とスタッフとの支え合い、それから私どもとご家族の支え合い、こういうものが総合された支え合いということが重要だというふうに考えております。
「笑い」ですけれども、これは仲間や支援者と楽しい時を過ごしていただく、ということを意味しています。
「安全・安心」。身体的、心理的に、安全であるということを意味しております。心理的に「安全」ということは、間違えたり、それから物忘れをしても、人から非難されたり見下したりされないということを意味しています。
続いて「生きがい」。認知症を持っていても、人として大切にされているんだ、人から必要とされていると感じること、そういうことが生きがいに繋がるということです。プラス、今まで自分の人生で大切だと価値付けしてきたことをやれる、やっていくということも、生きがいに繋がっている、というふうに思っております。
「支え合い」。仲間、支援者、家族等々の相互の支え合いを意味します。私どもは特にご家族との緊密なパートナーシップを非常に大切だと考えております。
こういう活動がご本人にとって大切だということを、一つの事例をお示しして、お話をさせていただきたいと思います。
メンバーのAさんは、口数が少なく、他のメンバーが楽しそうに活動していましても、隅の椅子に一人で座っていました。外でスポーツをしていましても、短時間しか集中されずに、そばで見ているだけのことが多い状態でした。
ある時、好きな煙草を吸いながら、「野球でキャッチャーだった」「監督として新聞にも出た」と誇らしそうにスタッフに話をされました。そこで私達は、Aさんに真剣に野球をしていただいたら、生き生きとされるのではないだろうか、と考えました。
まず、野球をする場所を探しました。幸いにも近くに公園が見つかりました。今度は、スタッフに電話をして、「家の中にグローブとかボールがあれば、活動に持ってきてください」というように必要な物品を集めました。それから、当日のスタッフとメンバーの動き方を考え、当日に臨みました。
当日、Aさんは真剣そのもので、ひきしまった表情でキャッチボールを楽しんでおられました。ボールを受け取ってはすぐに投げて、何回も何回も、キャッチボールに集中していました。
Aさんからは「疲れたけどもう一回やるか」というお言葉が聞かれて、この活動に対する意欲を、ご自分のほうから示されました。こういうことは他の活動ではほとんど見られないことでした。この時のAさんの写真をご家族にお示ししました時に、ご家族が、「病気でないときのような表情です」とおっしゃってくださいました。
その方が本当に何をしたいのかを見つけていくこと、その方が持ってる力がどこにあるかを見ていくことが大切です。認知症をお持ちのご本人に達成感を味わっていただく活動、これは本物である必要があるということを学んでおります。
やりがいを見つけ出して達成感に繋げていくことの重要性がわかりました。スタッフには力量が求められますね。
私は、スタッフには3つのことを求めたいと思っています。
その方の状態に何が合うだろうか、と、縛られない自由な発想を持った創造性。それから一生懸命プログラムを考えますと、どうしてもそれをやりたくなります。ケアを担当している者としては。でも勇気を持って、ケアの当日にそれが合わないと感じたらすぐ変更する柔軟性、それからいろいろな問題等に対応できる柔軟性も必要だと思います。そして、一緒に活動している方々に対する関心と責任感ですね。いい活動を作る為には、それぞれの役割を果たしていかなければいけないという責任感が生まれ出てくることが大変大事だと思っております。
これは7月のプログラムが終わった時に、スタッフみんなで撮った写真です。この写真を見て、何かこう、優しさが伝わってくるメンバーというふうに思ったんですけれども、皆様はどんなふうに思われるでしょうか。
私達は、目指すものを高く持って活動していますので、色々な意味で大変だということはありますが、この活動の中で、メンバーの方、ご家族の方、それと仲間同士と触れ合うことによって、本当に自分達も育っているし、楽しいと感じているということもたくさんあります。活動から元気をもらっている、というふうにも感じています。
それではお2人にまたコメントをいただこうと思います。池田さん、牧野さん、よろしくお願いします。
勝野先生は、最後にもおっしゃったように、きちんとした理念をお持ちでこういう活動をされています。また、非常にクールな、専門的な視点に立ったケアを考えて実践をされているということを感じました。
まさにそこがポイントで、これは別に若年性の方に限ったことではなくて、老年期の患者さん、あるいは認知症以外の患者さんのケアも全て僕は一緒だと思うんですが、特に若年性の方に関しては、最後に出てこられた野球を楽しそうにされてた方のように、生活史をきちんと聞いた上で、何を、どこに焦点を当てるかということを考えないといけないですし、もう一つは、先程も申しましたけれども、疾患別、それから認知症の重症度別にも当然きめ細かにプログラムを変えていく必要があります。
そして、最後に先生がおっしゃったように、そういう準備をしても当日の状態によっては、これはすべきではないというような判断を下す必要がある。さらっと先生はおっしゃいましたけど、これ相当高度なテクニックです。ですから、ドクターももちろんそうなんですけれども、ケアスタッフ、様々なサポーターも、特に若年性の方をサポートするためには、きちんとしたスキル、技術に裏づけされたサポートをしないと、なかなかご本人やご家族の期待には応えられないと思います。この辺りが我々の共通の目標かなと思いました。
実は私も、スタークラブのスタッフの一員です。私の感じる特色をいくつか、お話ししたいと思います。
ひとつは場所です。杉並区にある敬老会館という施設を使ってます。たまたま私どもがNPOとして、別の組織ですけれども、区から運営を委託されたという経緯があって、その地域の施設ということで、全く閉鎖された空間ではないということなんですね。
一般和室というのがあって、終わり頃には地域の人が囲碁を打ちにくることもありますし、それから、そこで、気功クラブだとか囲碁クラブだとかパソコンクラブだとかいろんな活動をしているので、メンバーがご夫婦でそこに参加されるようになったということもあります。そういう形で、地域の施設、地域の人達と繋がっているという事が、一つの大事なポイントかなと思っております。
それからもう一つ、この施設、三部屋あるんですが、一つの部屋では、家族サロンが同時に行われています。当初は、ご家族の方はリフレッシュに、外でお食事に行ってくださいというふうに言っていたんですけれども、ご家族の方もいつの間にか、同じ施設で、別の部屋ですけれども、一日中居心地がいいのかお過ごしになることが最近増えてまいりました。
やはり、お互いに、まるっきり別の場所にいると、不安になることもあります。交わるということはないのですが、隣に行けばお父さんがいる、隣に行けばお母さんがいるよという安心感の中で、自分の活動ができる、ご本人にとってもいいし、ご家族にとっても、いざというときは自分がいるよという、私は安心感に繋がっているシチュエーションではないかな、というふうに考えています。
それから、先程の「本人にフィットした活動」という意味では、初めに、勝野先生、専門の先生方と一緒に、丁寧に一家族ずつ、アセスメントをしているんです。それまでの生活史であるとか、好きなことであるとか、それからライフスタイルであるとかいろんなことをすでに聞き取ってあります。
そういった一人一人への、十分なきめ細かいサポートというのは、普通のデイサービス等では人数の関係やらで難しいのではないかな、というふうに現状では思っています。このゆうゆうスタークラブでは、私が思うに、「たった一人の為の、Aさんの為の、特別なクラブ活動」、あるいは「Aさん一人の為のチーム」がその場面その場面で繰り広げられているんじゃないかなと思っているんですね。
そういった「本人を応援するチーム」が、それぞれの地域でできていったらいいんじゃないか、とも考えるわけです。
では3つ目のご報告です。
今度は社会福祉協議会がコーディネイトする、地域サポートネットワークについて、ボランティアによるサポートを中心にご報告いただきます。内藤 明美さん、よろしくお願いします。
内藤さんは、今年の4月まで練馬区社会福祉協議会の練馬ボランティア市民活動センターでボランティアコーディネーターをされていました。このサポートネットワーク作りは、そもそも在職中に受けたご家族の依頼から始まったということだそうですね?
そういう話を伺って、ご夫婦の大変な状況というのはよくわかるんですけれども、ボランティアは素人ですから、目的もなく速い足で歩かれる方の介護、介助をしていくというのはとても負担が大きく、ボランティアの共感も得られるかなというふうに思いました。でも、その状況を知って、ほっとけないという気持ちがありましたので、形を変えて何か支援ができないかなというところで、二つの方法を私達は思いました。
一つは、グループでお散歩のお相手をしていこう、という事と、もう一つは、先程からいくつも言われているように、地域の方にMさんの存在を知っていただいて、この病気を理解して関心を持ってもらおう、そういう集まりを作ろう、という二つのことを私達は考えました。
はい。
この会の目的は、Mさんの、地域での豊かな生活を支援していこう、というものです。本当にMさん一人の為の、それだけの為のボランティアグループです。
メンバーは、男性が三人、女性が四人です。年代が50代から80代まで。若い人はちょっといないんです
「豊かな生活」っていうのがどういう事かと言いましたら、私達はMさんが一番やりたい事、一番今したい事、それをMさんを中心にお手伝いしよう、というふうに思いました。今のうちにいっぱい思い出をつくってもらって、少しでも自分らしい毎日を過ごせていただければいいなあというふうに思っています。
そうすると、ボランティアは「してあげる」、Mさんはボランティアから「受ける」という、そういう形に聞こえるかも知れませんけれども、あくまでも、ボランティアとMさんとは対等な関係、お友達の関係ということです。
では、その実際の活動を、写真を見ながらご説明いただきましょう。
これは練馬区なんですけれども、Mさんのお宅の近くにある公園で、妻りえさんとボランティアと一緒に散歩をしているところです。ここは、Mさんの幼い頃からの遊び場所でした。四季折々の花を見たり、カワセミを観察したり、昆虫を観察したりしています。
その時のMさんの表情とか言葉が、「いいね〜」って、「ここは楽しいね〜」って、「綺麗だね〜」って、そういう言葉を言ってくださることが、ボランティアにはもう何よりの励みになっています。いつもそういうふうにボランティアの気持ちも、Mさんは気を使っておっしゃってくださいます。
次の写真ですが、あるボランティアのおうちで、月に一回ホームコンサートを開いています。最初にティータイムを開いて、それでおしゃべりをしながらリラックスして、その後は全員が主役の音楽会が始まります。
年代が50代60代ですから、童謡、唱歌、抒情歌なんかからの選曲です。曲の名前を聞くだけで、誰の胸の中にも、その当時の事がバッといっぱい思い出せるような、『ふるさと』だったり『みかんの花咲く丘』だったり、『琵琶湖周航歌』だったり、そういう曲でとても盛り上がります。
オカリナと、リコーダーと、ギターと、それぞれの独奏があったり、二重奏があったり、合奏があったり、もう手を変え品を変えいろいろと楽しい音楽会になっているんですけれども、その盛り上がり方からいくと、今に「エーデルワイス合奏団」というのができて、本当にどこかに出前演奏でも行けそうな感じがいたします。
その時Mさんはどうしておられるかというと、マラカスやタンバリンを振って鳴らしたり、ボランティアが歌詞を先読みするのを、その場その場で朗々ときれいな声で歌われます。Mさんは大学時代に弁論部だったそうで、今も、その、喉は健在な様子です。
その様子をご覧になった奥様は、「主人が人の前で歌うなんて知らなかったわ!」っておっしゃっていました。「介護の専門家と利用者」という関係ではなくて、「対等な関係」の、人と人としての関係の中でのこういう活動は、Mさんにも思いもかけない新しい世界を開いたり、潜在的な何かを引っ張り出したりできるのかな、と、そういう関係の素晴らしさを感じます。
旅行にも行きます。
2月には、梅を見に鎌倉に行きました。ボランティアは5人ぐらい行ってたんですけれども、企画する人、先導する人、食事の世話をする人、トイレの世話をする人、それから、いっぱい思い出を作ろうと言うので写真係がいて、自然にそれぞれが役割を持ってチームワーク良くやっておられます。
その後、病状の進行はあるんですけれども、日を重ねるに従ってMさんとボランティアの信頼も深まってきたようです。
5月には新緑を見ましょうと、奥多摩の桧原村に行きました。それも日帰り旅行で行きました。その時もMさんは、「綺麗だね〜」、「ここはいい所だね〜」、「楽しいね〜」ってそういうふうにおっしゃってくださったそうです。
6月には、大分の竹田市にあります、「荒城の月」の作曲の舞台になった所にボランティアの力で行って、そして、昔のお城の跡を見学されたそうです。8月にはボランティアの車に同乗して、琵琶湖、大津へ長距離ドライブ旅行を予定されています。
「自分の出来る範囲のことを自分で考えてやっていく」というのがボランティアの特徴ですけれども、このように想像も出来ない程に展開していくことで、ボランティアの無限な可能性を感じます。
ボランティアの方がサポートする時には、必ず妻のりえさんも一緒にいらっしゃっているんですね。
ボランティアは介護に関しては素人ですので、いつも妻・りえさんから、いろいろ介助の方法を教えていただきながら進んでいます。
りえさんがMさんを介護する姿を見ていて、「りえさんをサポートするのも、Mさんを支援することになるのではないか」というふうにボランティアは考えました。それで、料理の得意なボランティアがおられまして、自宅でおいしいお弁当を作って時折Mさんのお宅に届けます。そうすると、妻のりえさんは、本当においしそうなほかほかのお弁当を見て、心も和らぎますし、それから介護にもゆとりができる、というふうにもおっしゃっていました。
サポート計画は、どういうふうに決まっていくのでしょうか?
月に1回、定例会をボランティアグループで開いて、次の月のサポートの計画を立てます。Mさんがデイサービスを利用している間に2時間くらいやります。土日の活動でばらばらにボランティアが入るので、月に一回集まって、それぞれのボランティア活動を報告し合います。
そこにもりえさんが入って、家庭でのMさんの状況、そして病気が進行していくに従って介助の仕方も変わってきますから、そういう介助の仕方をまたお伝えしたりします。そういうふうにMさんに対して皆で共通の認識を持って、より良いサポートを模索していきます。
ご存知のように、社会福祉協議会は全国各自治体に設置されています。たいていの所が、ボランティアセンター事業を行っています。私のようにボランティアコーディネーターがほとんどの所に配置されているのですが、そういうところにボランティアの援助が欲しいという相談が入りましたら、私達はまずケアマネジャーと介護職の専門の方、そして行政のケースワーカーだったり、医師だったり、それから保健師だったり、そういう方々と連携して何がどういう対応が一番いいのかなということを相談します。
ですから、ボランティアが欲しい!って来た時に、必ずしもボランティア対応になるわけではありません。必要に応じてボランティア対応をします。その場合、ボランティア募集をして、その活動に共感をしてくださったボランティアが、当事者と、この場合でいくとMさんですが、顔合わせをして、そこからボランティア活動に入っていくという形になります。
この場合も、ボランティアと当事者と私達コーディネーターは、対等な関係でより良い活動を目指していくようにしています。
Mさんご夫妻は今、エーデルワイスのサポートについてどうお感じになっているんでしょうか。
それではお二方にコメントをいただきます。池田さん、牧野さん、お願いします。
コーディネイトのお仕事は、地域で若年性の方を支えていく為の大きな要だと思うんですね。内藤さんのような専門職がコーディネイトされる場合もあるでしょうし、それから例えばケアマネジャーさん、あるいは場合によっては主治医の先生がコーディネイトされる場合もあると思うんですけど、とにかく、当事者の方、ご家族の方以外に少なくともお一人、全体のコーディネイトをできる方がそばで見守るということがとても大事だと思います。
Mさんの場合でも、おそらくエーデルワイスの活動以外にも、デイサービスも利用されていますし、それから奥さんのりえさんとお二人で過ごされる時間が一番長いでしょう。ですから、一週間のタイムスケジュールを見ても、Mさんは色んな方と関わっているわけで、それが繋がっていかないと、それぞれはいい事をしていても、連携がないとなかなか本当の意味で支援することにはならないと思うんですね。そういう視点から、コーディネーターのお仕事というのは本当に大事だというふうに感じました。
一見、個人や地域で簡単にできそうだなっていうことを思われるかもしれませんが、ボランティア活動というのは始めるときはいいんです。けれども、それを継続するっていうのが非常に難しい。チームで活動されてますと、個人だけの活動と違って、順次、次のボランティアさんが入ってくる、という循環があります。活動が、きちっと継続されていく。また、会議の中でそれぞれの活動を共有し、それぞれを評価し、フィードバックをしているのも、すばらしいです。
社会福祉協議会は、全国にあるんですよね。他の社協でも、同じようなコーディネイトをしていただけるのでしょうか?
経験の浅いところもあると思いますが、すべての社協がこうしたコーディネイトをする力を持つべきだと思っています。
社会福祉協議会
全国社会福祉協議会のサイトには、「社会福祉協議会は、それぞれの都道府県、市区町村で、地域に暮らす皆様のほか、民生委員・児童委員、社会福祉施設・社会福祉法人等の社会福祉関係者、保健・医療・教育など関係機関の参加・協力のもと、地域の人びとが住み慣れたまちで安心して生活することのできる「福祉のまちづくり」の実現をめざしたさまざまな活動をおこなっています。」と記されています。
詳しいことは、全国社会福祉協議会のホームページをご覧ください。別ウインドウが開きます。都道府県社協、指定都市社協の連絡先も掲載されています。
3人の方の報告を聞きました。最後に、コメンテイターのお二人に、まとめのお話を伺いたいと思います。池田さん、牧野さん、よろしくお願いします。
発表してくださった皆さんありがとうございました。私自身もとても勉強になりました。
いくつかキーワードもあると思いますし、もう先程から議論も進んだと思うんですが、一つはやはり、若年性の認知症の固有の問題、それに対する固有の支援というのが間違いなく必要であると。もちろん、ハンディキャップを持たれた方、認知症全ての方、それから他の疾患の方に対して共通の支援の必要もあるわけですけれども、間違いなく固有の部分もあります。
もう一つは、今日もいろんなお話が出ましたように、きちんとその方にふさわしい居場所を確保して、その方々がこれまでやっておられた社会活動と同じ、ということまでは無理にしても、それにふさわしい、ご本人が満足できるような社会活動を続けていけるような場を、いかにして提供するかということですね。
それから当然ご家族もお若いわけですから、ご家族が、ケアに専念されることによってこれまで行われていた社会活動を全て辞めてしまうような「社会からの孤立化」をいかに防ぐかという、二つの大きなポイントがあると思います。
そしてもう一つは、牧野さんも先程最後におっしゃいましたように、ボランティア活動と一言に言っても、かなり専門的な仕掛けがあるわけです。それから僕がいくつかコメントをさせていただいたように、ケアスタッフにしても、それから専門医にしても、いずれのサポーターも、かなりのトレーニングとスキルがいります。
もちろんきちんとした理念は、当然共通のものとして必要なことで、それ以外に、どういう組織作りをするか、それから個々のサポーター、職種によって、個々のサポーターがどういうスキルを磨く必要があるのかということを、これから皆さんと真剣に勉強していく時代がもうやってきてると感じました。
今日はご自分の地域でもこういった支援の活動をしてみたいなという方がいらっしゃるかと思います。それを始めるきっかけになっていただければと思って、お話をさせていただきたいと思いますが、このいくつかの事例の中で共通して言えることは、ご本人が生き生きする場を作るということと、同時に家族をケアする場を作る。これは両輪で、必ず両方必要だということはわかっていただけたかと思います。
それから、今、日本全国にそういった家族会あるいは支援組織、徐々に皆さんそういったニーズを汲み取って色んな形で活動をされています。どの活動に関しても同じことが言えると思っているんですが、まず、ハードの問題ですね。場所をどうするかという問題。それは新しい場所もあるでしょうが、今までの既存の場所を何か活用させてもらえるようなアクションをご自分で起こすということが言えると思います。
それからソフトの問題はですね、やはりサポーター側のチームですね。チーム力、これは、若年の方に対してのサポートは本当にいろいろな側面でのサポートが必要で、サポートセンターも精神科医の先生、それから作業療法士の先生、それから社会福祉士、私のようにNPOとかいろいろな人間が関わってそれぞれのポジションでやっているんですが、実はそのコラボレーションが一番サポーター側としても難しい。それと、サポーター側のチームをいかに作るかということですね。
それから、社会の中で「居場所」を作ることが報告されていましたが、実は、若年認知症の人が必要とするステージ(場)は、ほかにもたくさんあります。例えば、「居場所」から、もう一歩社会に踏み出して、ご自分が仕事をしているんだというふうに自覚できる、社会に役立っているんだというふうな、経済的な就労にはならないかもしれないけれども、確実に皆の為になっているといえるような活動を作る、あるいは、仕事に結び付けられるような場所を作るといようなステージ。そして、介護保険の施設へのステージと、段階に応じて色んなステージがあるだろうと思います。
逆に言えば、そのステージ、ステージで関わっている人達がうまく繋がっていれば、そこを上手にランディングしていけるんじゃないかというふうに、受け入れ側のネットワークを、機関とか職種を超えて上手に作っていく、ご自分の職種を超えて作るというような視点が非常に大事なのではないかなと感じております。
ありがとうございました。
若年認知症の人を支える地域作りはもちろんですけれども、それを支える行政のバックアップですね、こういったものがどんどん進んでいくことを期待したいと思います。
第三部のシンポジウムは、これで終了です。ありがとうございました。
終わり