統合失調症の治療には薬を飲むことが欠かせませんが、症状の再発を防ぎ健康を回復していくためには、まわりの人が患者さんにどう接するかということが、とても重要です。家族が接し方を変えることで、再発がぐんと少なくなったり、家族関係が改善されたりするのです。
以下、「患者さんの回復力を高めるための家族の接し方」について、たいせつなポイントを話したいと思います。
統合失調症の症状の1つに幻聴があります。幻聴とは実際にはあるはずのない人の声や音が聞こえてくることですが、統合失調症患者さんの実に75%が体験するきわめてポピュラーな症状です。
幻聴は4つの原因が揃うと起こるといわれていますが、その4つとは、不安、過労、不眠、孤立です。不安や不眠、過労は体を休めたり、場合によっては薬を飲んだりすることで治ったり、和らいだりしますが、孤立は休んだり、薬を飲んでも治ることはありません。統合失調症の治療では、不安や不眠、過労の3つをターゲットにすることはできても、孤立感に対しては手が届かないのです。この孤立感を埋めることができるもの一それは家族の力しかないのです。このことをまずはしっかりと頭に入れてほしいと思います。
さて、本人が幻聴を訴えたとき、家族にはまったく聞こえないわけですから、「それは幻聴なんだよ。病気の症状で本当はそんなものは聞こえないんだよ」とつい否定しがちです。でも、本人にしてみれば実際に聞こえているわけですから、まぼろしでも何でもありません。つまり、本人にとっては幻聴は実際に起こっている事実なのです。家族にとっては「幻聴なんかないんだからしっかりして」と諭したい気持ちからそのように否定するわけですが、本人にとっては実際に聞こえているのにそれを否定されると混乱しますし、自分まで否定されたような気持ちになってしまい、孤立感にさいなまれてしまうのです。ですから、幻聴がまぼろしであるかどうかは別にして、本人が幻聴を体験しているという事実を認めてあげてほしいのです。幻聴が聞こえるというのはとてもつらい症状ですが、そんなつらい体験をしていること自体を家族に否定されてしまうと救われない思いを感じてしまいますから、本人が抱えている現実を一緒に受け止めてあげる姿勢がとても大切になります。
自分が統合失調症だということを受け入れるのに長年費やした当事者の方がこんなことを語ってくれたことがあります。「自分を受け止めてくれるところがあったから、自分が自分を受け入れられた」と。その方は、自分が自分を受け入れられなかった苦しさ、もっと早くに自分を受け入ることができていればどんなに楽だっだかと切々と訴えながらも、自分を受け止めてくれるところができて、ようやく身の丈にあった生き方ができるようになった、疲れない生き方ができるようになった、というのです。
この「受け止めてくれるところ」というのは、もちろん家族です。話を聞けば、その方が自分が自分を受け入れられるようになったのは50歳を超えてからといいます。当事者にとっては統合失調症という病気を受け入れることがどれだけ大変なのかをうかがい知ることができる言葉ですが、この当事者が語るように本人が抱える現実を家族が受け止めてあげるというのが本人にとって病気と向き合うためのスタートラインとなることがあるのです。
自分の子どもが続合失調症になってしまったとき、多くの親は「何でうちの子どもが」と悲嘆にくれます。そして、さまざまな症状に振り回されていくうちに疲れ果て、「どうしてこんな子どもに
なってしまったのか」という否定的な感情に支配されてしまいます。
こうした反応はある意味では仕方がない部分はあるのですが、ここで少し考えてほしいのです。「こんな子どもになってしまった」という感情の背景には、「こんなふうに育ってほしい」という親の
期待があって、その期待を裏切られたという、親にとっての都合のよい考え方、自己中心的な考
え方でもあるわけです。でも、子どもには子どもの人生があります。病気になってしまったという現
実は誰よりも本人が一番つらいと感じているはずです。だからこそ、親はそのことを真正面から受
け止めて、応援してあげてほしいのです。
そして、受け止めることができたならば、苦しんでいる本人に「あなたは私にとってとても大切な宝物だよ」と伝えてあげてください。孤立感にさいなまれている当事者にとって、もっとも必要としているのは家族の愛です。家族の愛が伝わることで、当事者は病気に立ち向かっていく勇気が湧いてくるのです。今の現実が受け止められないとき、そんな言葉をかけてあげられないという方がいるかもしれません。それでも、この言葉をかけてあげてほしいのです。心の底でそうは思っていなくても、形から入ることで心の内面が変わってくることがあります。最初は形だけかもしれませんが、そう言い続けることにより不思議と言葉どおりの気持ちに変わっていくのです。
統合失調症の患者さんは病気のために、さまざまな生活のしづらさを抱えています。身体に障害を抱えている場合には生活のしづらさというのが一見してわかりますが、精神疾患の場合の生活のしづらさはなかなか理解されません。生活のしづらさのみならず、そのことすら理解されないことも当事者が生きていくうえでの大きなハンデと言うことができるでしょう。そして、家族はともすると「病気になるまえにできていたことができなくなった」ことに対して目を向けてしまいがちです。でも、車イスで生活している本人に対して、「どうして歩けないの」と責める家族はいません。生活のしづらさという点では同じ障害であるのにおかしいと思いませんか。
この原因は本人が背負っている生活のしづらさを親が理解していないため、できることの期待ラインが健常者のレベルのままであることに起因しています。たとえば、朝起きられずに昼まで寝ている当事者の方がよくいますが、これは決して怠けているわけではなく病気の症状のために起きられないのです。ところが、親がそのことを理解していないと健常者のレベルから「どうして朝早く起きられないの」とつい小言を言ってしまいます。精神疾患の場合には生活のしづらさが一見してわかりにくいために、どうしても親は健常者と同じ期待ラインで見てしまい、そのことで本人は理解されないと感じ、孤立感を募らせる原因ともなっているのです。
この生活のしづらさを理解してあげて、「普通なら…」という期待ラインから見下ろして評価するのではなく、本人の生活技能レベルをきちんと把握して、そのレベルから評価してあげてほしいのです。そうすれば、生活技能が健常者の期待ラインに至らないレベルであっても、本人が生活のしづらさを背負っている今の存在をプラスの価値で認めることができるようになります。その目線からみれば、当事者は何もしないで漫然と生きているのではなく、生活のしづらさという重荷を背負って一所懸命に生きていると評価できるはずです。つまり、「生きているだけで立派なこと」なのです。
当事者に「家族に対する希望」についてのアンケートを行ったところ、「もっと私の気持ちをわかってほしい」「口やかましく指示しないでほしい」「私を傷つけるような言動をしないでほしい」という回答が上位を占めました。家族から理解されないことがいかに当事者にとってつらいことであるかを示す結果ではないでしょうか。当事者は、絶えず人の愛を量っている、とても敏感な方々です。自分の気持ちがわかってもらえて、大事にされていると,思うと安心できるのですが、そうでないととても不安を感じてしまうのです。
では、どうすれば相手の気持ちを受け止めるコミュニケーションができるのでしょうか。本人とのコミュニケーションでもっとも大切なことは、フィルターを通さないで相手の話を聞くということです。ここでいうフィルターとは、決めつけ、思い込み、価値観といったもので、聞き手側にフィルターがあると正しいコミュニケーションができなくなります。
誰でも、普段から意識しないと、フィルターを通さないで話を聞くことは、なかなかできません。次の章「聞き上手になるための条件とは」を読んで考えてみてください。
孤立感を唯一埋めることができるのが家族の力であり、家族ができる接し方のポイントを紹介しました。まとめると、
ちょっと固い出だしですが、初めての方を対象に家族SSTを始めるとき、私は当然のことながら、SST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング=社会生活技能訓練)の説明から入らせていただいています。保健所のお知らせなどで集まられた方々は、「よりよい接し方」と聞くと、「自分は話下手だから、もっと話し方が上手になって、相手を変えることができたらいい」と思って来られた方が大半ではないかと思います。
事実、率直に聞くと大勢の方が、そのとおりとうなずかれます。だからなおさら、私はきちんと接し方をわかっていただくために、SSTの話から始めるのです。
「SSTのSSは、社会生活技能といって、受信(聞く)・処理(考える)・送信(話す)の3つの技能をさし、それを訓練(トレーニング)して、よりよい人間関係をつくり、再発防止や、生活の質の向上をねらうものです。この3つの技能は、病気の有無に関係なく、私たちの生活に必要なものです。
たとえば、皆さんが一番簡単と思っている受信から考えると…」
と言って、コミュニケーションの重要な入口である受信(相手の話を聞くこと)の話へ入っていくのです。
Tさんは夕方になったので、「お母さん暗くなったね」と言いました。台所で用をしていたお母さんは、「電気くらい、自分でつけてよね」と言いました。Tさんはそのとき、手を伸ばしてスイッチを押そうとしているところでした。それを見ていたら問題はなかったのですが、Tさんは「親はいつも私の気持ちをわかってくれない」と受けとり、うつうつとした状態になってしまったのです。
こんなことはいつも私たちも経験することです。
お母さんは、「暗くなったねって、きっと私に電気をつけさせる気だわ。いつもそうなんだから。ま
ったく依存的で困った子だわ。親なき後どうするつもり! 電気くらい、自分でつけさせなくちゃ」と考えてしまったのでしょう。
子供を見る親の側に、「この子は依存的でいつも親にさせる」という、決めつけや思い込みのフィル
ターがついていると、そこを通る「暗くなったね」という何でもない言葉の意味がゆがめられて、正しい受信ができなくなり、トラブル発生となってしまうのです。
フィルターとは、決めつけ、思い込み、癖とか、色めがね、ものさし、価値観など、多々ありますね。これは受信する側だけでなく、もちろん送信する側にもついているので、コミュニケーションはややこしくなるのです。 この両者のフィルターのため、誤解が生じ、いさかいとなり、私たちは疲れるのです。この仕組みがわかると、ご家族も、送信技能だけが問題ではなく、実は受信技能も大問題だったと、お気づきになりますね。
「ぜんかれん」誌 (全国精神障害者家族会連合会の会誌)に、当事者の「家族に対する希望」についてのアンケートが載っていました(1996年9月号)。上位3つが、「もっと私の気持をわかってほしい」「口やかましく指示しないでほしい」「私を傷つけるような言動をしないでほしい」でした。
ご本人たちは、絶えず人の愛をはかっている、とても敏感な方々です。自分の気持ちがわかってもらえて、大事にされていると思うと安心し、そうでなければ不安になるのです。
一人のご本人が次のようなことを話してくれました。
「雨が降ってきたときに…、傘を貸してくれるのではなくて一緒に濡れてくれるほうがうれしい。元
気が出る」
傘とは、助言、援助、解決法などをさします。つらいとき、それらよりもつらい気持をそっくりわかってくれる方が、よりうれしいと言っているのです。心をつかむキーワードです。
宮内勝先生は、「精神科デイケアマニュアル」(金剛出版発行)という本のなかで、家族ができる重要な治療的役割として「よい聞き役になること」と述べられています。言い換えれば、「家族が上手に聞けるようになると、ご本人の治療が進む」ということです。
家族もご本人も、願っていることが、上手な聞き方から始まるとしたら、その技術を身につけましょう。そうすれば、相手は必ず変わります。
あいづちもいろいろあります。楽しい話にはすぐ、深刻な話には少し間をおいてなど、間の取り方、声の調子も大事です。視線に聞き方の真剣さが現れます。でも、たまには視線を落としましょう。お互いにホッとします。
なぞるともリピートするとも言います。
「あなたはこれこれ(相手のセリフ)と思うのね」と。それが相手にとって、きちんと話を受け取ってくれたとわかる大事な、フィルターを通さない聞き方です。
「暗くなったね」には、「そうね、暗くなったね」でいいのです。
そう思わないときは「えっ暗くなったって思うの? 私はそう思わないけど、どうかした?・・・」と続きます。
Mさん(父親)は息子さんと会話ができなくて、いつも歯がゆく思っていました。SSTで練習した日、運よく息子さんが話しかけてきました。セリフはいつも決まったセリフです。
「お父さん、僕赤ちゃんみたいだろう?」
いつもは「そんなことないよ」で終わりでした。
その日、SSTで練習をしていたお父さんは次のように言いました。
「お前は、自分のこと、赤ちゃんみたいって思ってんのかい」
するとそこから会話がつながったのです。
「そうだよ」
「そうか。でもお父さんは、お前のこと赤ちゃんみたいって思わないよ」
「どうして?」
「どうしてって、お前はコンビニに一人で行けるし、親がいないときは冷蔵庫あけて自分でちゃんと
食べられるし、赤ちゃんはそんなことできないよ」
「そっかあ!」
息子さんの表情はとても晴れやかだったそうです。Mさんは「SSTは魔法みたいだ」と思ったそう
です。そのくらい、会話のやりとりがうれしかったのです。
この日から、息子さんはMさんに心を開き、自分の思いが言えるようになりました。
この相手のセリフをなぞることは、信頼関係をつくるためにとても効果があります。相手は私の話を真剣に聞こうとしている、私は大事にされていると感じ、話を聞く方は、相手のセリフをなぞることで相手の気持ちがよく理解できるようになり、共感の言葉が言えるようになるのです。
共感とは、「困っているんだね」「うれしいのね」「よかったね」「ラッキーじゃん!」などです。
共感のよい例があります。Nさん(父親)は、いつも息子さんの言う妄想をとってやりたくて、息子さんの妄想を否定していました。SSTで学んでからNさんの対応が変わりました。
「そうか、お父さんには見えないけど、お前はこの部屋に隠しカメラや盗聴器があるって思うんだね(息子さんのセリフのくり返し)。だったら怖いだろうな(共感できた)。でもお父さんが守ってあげるよ(安心をあげる)」
Nさんをきらっていた息子さんは、Nさんを信頼し、今はいい関係になったそうです。
相手の言葉を覚えきれなかったり、忘れてしまったときに、臆せずに「で、何だっけ」と聞きなおしましょう。これがまた、相手にとってはうれしいことなのです。いいかげんじゃない聞き方だと感じ、愛されていると思うのです。
この反復確認ともいう、相手のセリフをなぞることは、私たちが成長する過程で親からされていない(助言や指示や批判や叱責などが多かった)ことなので、やるぞ! と意識しないとできないと思います。でも続けるうちに、本物になりますから、ぜひがんばってください。
「具体的に言うと?」「どんなところが?」「どんなふうに?」「どうして?」などです。烏になり
たい、犬になりたいと言われて、難題だと困ってしまったご家族がいらっしゃいましたが、わからないときは率直に聞いた方が早いですね。
「どうしてそう思うの?」の一言から、現在の悩みからリハビリの目標までのさまざまな思いを取り出すことができるでしょう。
聞き方としては、まだ続きがあるのですが、家族はカウンセラーではないので、日常の会語でここまでできれば大成功! 信頼関係はできます。この関係ができた上で、親からのメッセージを伝えれば、
かなりのところでご本人は聞いてくれるはずです。好きな人の話は聞こうとするのが人の妙なるところですから。
また、話が聞ける自分になると、相手がよくわかるようになるので、その対処法もより適切になり、よい関係になります。「聞くは宝」です。そして、どうしても言いたいときは、この話が最後になったように、話をきちんと聞いた後「私ならこうするけど」と助言提案してください。
AさんとBさんの会話のセリフです。これは、考えの違う人との会話をどのように進めたらよい
か、という練習を行ったときの実際にあった会話のやりとりです。
Aさんのセリフ
「この10年、薬をのんでも治らないから、どうせ治らないなら薬をやめようと思うんですよ」
これに対するBさんの対応はすごく上手でした。Bさんのセリフだけをとりだしてみます。
以上です。
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