NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『ひとすじの光が見えた』

〜受賞のその後〜

中村 和子 なかむら かずこさん

1952年生まれ、マッサージ業、千葉県在住
視覚障害
47歳の時に第34回(1999年)佳作受賞
57歳の時に第44回(2009年)優秀受賞

中村 和子さんのその後のあゆみ

『ひとすじの光が見えた』

盲導犬とともに生きる

私の目の病気は、娘の出産を契機に進行していきました。失明の恐怖が現実のものとなったのです。
 娘が小学6年生の時でした。学校の帰りに待ち合わせて、買い物に行くことにしました。手には、しっかりと白い杖が握られています。
 遠くから娘が、
「おかあさーん」と、呼んでいます。
 でも私には、娘の声だけで姿が見えません。その日の朝まではぼんやり見えていたのです。
 後から後から流れる涙の中で、(娘には娘の人生があるに違いない…。母だからといってこれから先、娘を頼って娘の将来までなくしてはならない。盲導犬を持ちたい…)と、思いました。
 外出のときは白杖をついて歩いていましたが、神経を集中しすぎて具合が悪くなったり、体の向きを変えると方角が分からなくなったりと、視力の低下とともに外出が難しく感じるようになっていました。盲導犬との出会いは、まさに一筋の光が見えたようでした。私に一歩を歩み出す勇気を与えてくれたのです。
 盲導犬コニーとの出会いは、今から23年前でした。コニーと共に、千葉県野田市から船橋まで、電車を乗り継ぎ、パソコンを学ぶために、2年間通いました。そしてインストラクターの資格をいただき、これまで17年間、同じ視覚障害を持つ方にパソコンの指導をさせていただいています。
 そのコニーが引退し、2頭目はパピィが、そして現在はホルンと共に生きています。盲導犬は、障害物を避けながら、誘導してくれます。懸命さがハーネスから伝わってきます。
 私は視覚障害者の立場で講演を頼まれることがあります。講演では、盲導犬ホルンとともに皆様の心に語りかけていきます。

自分の歩みを語る

中村さんの傍に座る盲導犬コニーの写真

平成27年3月8日。野田市の市役所8階、大会議室において、『ボランティア連絡協議会』の集いがありました。
 当日の私の講演の前に、朗読グループあいの会の田中さんに、私が書いた“生きる”という障害福祉賞の受賞作を、心をこめて朗読していただきました。会場に集う約200人の方々が、耳を傾けています。その中には、私がたどったように目の病気が進行し、視力が失われている過程で苦しんでいる友人や、その家族そしてボランティアの皆さんもおられました。
 朗読が終わり、私と傍らの盲導犬ホルンが一緒にスッと立ち、講演を始めました。ホルンの瞳は皆様に「ママのお話聞いてね」と語りかけていることでしょう。

 「皆様、今日はようこそお越しくださいました。会場に流山市から上田さん、鎌ヶ谷市から陶山さんが、駆けつけてくださいました。上田さんは、東日本盲導犬協会で、パピーウォーカーのボランティアをしてくださっています。パピーウォーカーとは、盲導犬候補犬の子犬を1歳になるまで、基本的な訓練をしながら愛情を持って育てるのです。そして1歳になったら、盲導犬協会にお返しし、協会での訓練が始まります。つまりは上田さん家族とは、別れなければなりません。子犬が成長する最も可愛い時に、別れるのです。それから陶山さんには、引退した盲導犬コニーの老犬ボランティアをしていただきました。コニーは、11歳まで私の目になって、盲導犬として働きました。引退しそれからの老後を死にいたるまで、お世話をしていただきました。このように皆様のご支援があって、私の今日があると思っております。この場をお借りして、心からの感謝を申し上げます」

 ここまで話を続け、ふっと小さく息をつきました。話は続きます。

 「これまで失明する経緯の中で、正直、心の葛藤がありました。それに身体が目が見えないことを受け入れられなくて、何度も怪我をしました。それでも生きなければ、と私を励まし続けたのは、盲導犬として私の傍らにいた、コニー、パピィ、そしてホルンでした。それから、訓練にたずさわった皆さんの励ましが、ハーネスを通して聞こえてくるのです。光を失っても一人ではない…。あたたかい励ましに包まれていました。そしてコニー、パピィは盲導犬として懸命に働き、生涯を終えました。ホルンは今日私の傍らにいて会場の皆さんを見つめていることでしょう…」

 会場は、しーんとしています。
 その時です。私の心の中に電車の踏切の「カーン、カーン、カーン」という音が聞こえてきました。
 一瞬、私が26歳の時に戻りました。
 その日は、初めて白い杖をつきました。6か月になった娘をおんぶして、電車に乗って出かけなければなりませんでした。まだ見えているつもりで歩きました。
 「カーン、カーン、カーン」警告音がしました。それなのに踏切はもっと先だなと思って、歩き出しました。
 ところがです。「ガ―――」と、地面が深い所でうなり声を上げているような、ものすごい音が近づいてくるではありませんか。身体全体が揺れるような振動です。気がついた時には、線路の上に立っていたのです。身動きもできません。目から、涙というか、身体中の水分がボトボトと地面に流れ落ちました。娘とともに死ぬのだと思いました。
 その時です。40代くらいの主婦の方が、危険もかえりみず、遮断機のところまで連れ戻してくれたのです。恐ろしさに気も動転し、震えていた私は、命を助けていただいたのに「ありがとうございました」の一言が言えませんでした。
 それからというもの、心からの感謝の気持ちを「ありがとう」にこめて生きてきました。命を助けてくださったその方に、きっとこの思いが届きますように、と願いながら…。
 私の心の中から「カーン、カーン、カーン」という音が遠ざかって行きました。

 ここでゆっくりと、会場の皆様のもとへ、目を移しました。そして再び話し始めました。
「ところで、今日着て参りましたベストとスカートですが、私の手編みです」
 会場が、ざわざわしています。

 「私は完全に光を失いました。それでも編み物をあきらめることができませんでした。見えていた頃は編み物が大好きで、身につけるものはほとんど手編みのものでした。失明したからといって、すべてをあきらめたくなかったのです。どこかにかすかでもいい、可能性を見出したかった…。そうでないと、光のない世界に押しつぶされそうでした。
 最初は、太い棒針で目を作りました。まったく編めません。(どうして編めないのだろう。やっぱり目が見えていないと無理なのだろうか…)ぽろぽろと涙が頬を伝い、握っている棒針の上に落ちました。そこで考えました。以前どんなに編み物が出来たからといって、それは過去のことなのです。そうだ。今日から編み物を始めたとしよう。そうしたら、編めないのが当たり前です。過去ではなく、見えなくなったそこから出発しよう、と決意しました。
 するとどうでしょう。たった1目編めてもうれしいのです。そして1段そして2段、少しずつ編めるようになってきました。忘れもしません。初めて編んだのは、小学1年生になった娘のマフラーでした。
 その時に気がついたのです。失われた過去のことばかりを悔やむより、前を見つめよう、と。今では大作も編めるようになりました。
 編み物を通して学びました。すべてのことにおいて、今おかれているなかで可能性を最大限に広げ、自分なりに目標を持って、一歩、一歩、歩み出した時、見えないはずの前方にひとすじの光が見えたような気がしました。もちろん、いつも盲導犬が寄り添い、私を見守ってくれていたことは言うまでもありません」

 ここまで話し、私は身をかがめてホルンの頭をやさしく撫でました。
 講演の結びには、目の不自由な人に出会ったら、『視線』ではなく『まなざし』で見守ってくださるように、実際に声のかけかた等をお話ししました…。

それぞれの道を歩む

中村さんと娘さんの子供2人と一緒の写真

障害のある私と、今は亡くなりましたが、病気で入退院を繰り返す夫とを見て育った娘は、2人の子供の母親になりました。娘は子供を育てながら、看護師として懸命に、日々を過ごしています。
 私はというと、マッサージ治療院を開業する傍ら、視覚障害者の方のパソコンの指導と、講演の依頼に応じ、毎日忙しい日々を送っています。
 娘は私にとってかけがえのない存在ですが、互いの生活を尊重しあって、離れて暮らしています。それぞれの道を歩んでいるのです。娘が2人の孫を連れて我が家を訪れる時、すべての光を失った私が温かい光に包まれます。

 私の受賞作は、受賞の翌年にNHK厚生文化事業団が発行した『雨のち曇りそして晴れ』にも掲載されました。私はこの本をいつでも手の届くところに置いています。表紙に指をすべらせると、とっても伸びやかな気持ちになります。まさに私の人生のテーマである、『私らしく生きる』ことの強い味方になっています。この原稿を書いた時のことを振り返ると、まるでそれはごつごつした大きな岩をぬって水しぶきを上げている川の上流から、水がゆったりと下流へと流れるように、いつしか心おだやかな気持ちになって書いていました。
 これからも機会あるごとに、生きることへの喜びを書き、そして語り続けたい、と願っています。

福祉賞50年委員からのメッセージ

47歳で佳作、57歳で優秀受賞の中村さんの文章は「素直な、やさしい言葉」で「非常な強さを思う」と羽田澄子監督。柳田邦男さんは「その人生の歩みは、人間が生きることの意味を語っている」と評しました。何度読んでもこころが揺さぶられます。
今回「その後の歩み」では、盲導犬との出会いを綴られています。盲導犬には1歳になるまで愛情を持って育てる「パピーウォーカー」が、引退後、死にいたるまで世話をする「老犬ボランティア」がいる。「光を失っても一人ではない」とハーネスを通して聞こえてくるという中村さんは、人と人、そして生き物たちとの支えあい、生きることへの喜びに感謝されている。読者のわたしたちも感謝です。

薗部 英夫(全国障害者問題研究会事務局長)

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