NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『受賞後の日々』

〜受賞のその後〜

嶋崎 とし子 しまさき としこさん

1959年生まれ、主婦、静岡県在住
筋ジストロフィー
32歳の時に第26回(1991年)優秀、36歳の時に第30回(1995年)優秀
45歳の時に第39回(2004年)優秀、50歳の時に第44回(2009年)優秀受賞

嶋崎 とし子さんのその後のあゆみ

『受賞後の日々』

症状の変化、生活の変化

床走行式の移乗リフトで釣りあげられる嶋崎さん

初めて受賞した第26回当時、私はまだ勤めていた。辛うじて伝い歩きをすることができて、何とか車の運転もしていた。あれから、もう24年が過ぎたなんてビックリ! 筋ジストロフィーという病気の性質上、その後も、身体機能は日々低下の一途を辿っている。できるだけのことは、自分でやろうと、試行錯誤してきたが、少しずつできないことが増えて行った。そして、私が限界を迎えたことから順に、人の手を借りるようになって行った。
 最近の私は、こんな風に一日を終える。夜11時を回ると、電動車椅子を洗面所にピットイン。夫の介助によるその日最後のトイレタイムである。夫が「床走行式の移乗リフト」で私を釣り上げてから、ゴロゴロとリフトを押してトイレまで私を運ぶ。この時、ヘンテコな掛け声で景気付けるのが、最近の夫のマイブームである。夫は介助している間、冗談を言ったり、ふざけたりしている。それは夫の「元気のバロメーター」でもある。私たちの会話の一例を挙げてみる。「ウエストのクビレテルところがちょっとカユイ〜」と私が言うと、「ウエストにクビレテルところはありません。あ、あった、あった。3段もあります。どれでしょ〜か?」ざっとこんな感じ(失礼な!)。次に、夫はリフトで私をベッドに下ろしてから、私の足のリハビリ運動をし、薬を塗り、寝る体勢を整える。やっぱりふざけるので賑やかなものだ。最後に、私の左手にベッドのリモコンを握らせ、(冬は)首まで布団を掛けて、エアマットレスの設定を確認すると、夫の介護の仕事が終了し、私の一日は終わる。
 私は、仰向けに寝ると呼吸が苦しいので、殆どベッドの背を上げて座って眠る。手足は動かない。鼻の横がモショモショとくすぐったくても触れないし、オデコが痒くても掻けない。暑くなっても掛け布団を捲ることもできない。それでも、エアマットレスを導入するまで、体の痛みで夜中に何度も夫に寝返り介助をしてもらっていたことを思うと、そのために夫を起こさずに済むようになっただけでも本当に嬉しい。
 以前、私の母が、私たち家族を支えてくれていた時期が6年ほどあった。しかし一昨年頃から母が要介護者になったために、夫が、働きながら、家事全般から私の介護まで一人でするようになった。母の介護に関することにも積極的に関わる。車椅子で一人暮らしをしている息子のサポートにも、月に2回のペースで私を連れて出掛ける。私がいれば余計に面倒だろうけど、私は当たり前のように同行する。私が夫の立場なら、とっくに音を上げたり愚痴を言ったりしていると思うけれど、夫は余り文句を言わない。これまでも私の病気の進行に応じて、二人でアイデアを捻って、工夫して、改善して、切り抜けてきた。「頑張らない」が夫のモットーなので、夫は、家事の負担が増えても手順や効率を考えて自分流を見つける。本当に夫の底力を日々実感している。こうして、夫は私に、「日常」を与え続けてくれる。

生活の改革と新たな出会い

私は、一昨年から訪問入浴、訪問(身体)介護サービスを利用し始めた。本音を言うと、私はそもそもヨソの人が家に入ることは元より、ヨソの人に身体介護をしてもらうなんて考えたこともなくて、とても不安だった。しかし、いざサービスが開始されると不安は一掃された。交代で出入りするヘルパーさんたちは、皆、真面目で優しい。皆の思いやりと、さり気ない配慮のお陰で私は自尊心を保てている。一人ひとりの資質は尊敬に値する。また私の健康管理や安全管理でも、皆が情報を共有して工夫してくれるので本当に有難い。ヘルパーさんたちの個性も楽しい。明るくて、面白くて、たまにズッコケていて、大笑いすることもある。オシャベリの内容も世代や関心事によって異なり、話題は尽きない。閉じ籠りがちな私の生活の中に、日々「世の中」が訪ねて来てくれるような活気を味わっている。

アカペラコンサートで嶋崎を囲むヘルパーさんの写真

ヘルパーさんたちは、私の趣味の合唱も応援してくれた。昨年の「アカペラコンサート」には、都合のついた皆さんが友人として聴きに来てくれて、有志より花束までいただいた。本当に嬉しかった。私はこのコンサートには、直前まで自宅で自主練習をして(譜面をうまくめくれないので)全曲暗譜して臨んだ。本番では高揚感や達成感を味わえて幸せだったが、その後の疲労感は半端なものではなかった。その9か月後に、私はその合唱団を退団した。やはり夜練習に行くのは体力的な負担も大きく、他にも諸々の事情が重なって、気力的にも限界を感じてしまったからである。20代で埼玉の合唱団に入り、40歳で地元に戻って合唱を続けた(よく子連れで練習に行ったっけ)。いつの間にか30年以上の合唱歴になっていた。病気の進行とともにいろいろなことを諦めて来た私が、かろうじて続けてきたことだったので、退団は一大決心だった。今振り返ってコンサートの時の写真を見ると、まるであの日の皆の花束が「引退の花道」を飾ってくれたみたいだったな。

新たなチャレンジ(?)

友人の弾くピアノにあわせて歌う嶋崎さんの写真

私の15年来の友人に音楽の先生がいる。第26回の入選がなかったら、私は彼女とは出会っていなかった。入選をきっかけに、我が家のドキュメンタリーが放送され、その後、いくつかの講演会でお話しする機会をいただいた。彼女の学校も講演者として私たち夫婦を招いてくれた。〝ビビビ〟と来たその出会い以来、私たちは友情をゆっくりと温めて来た。
 友人は、出会った頃から私の合唱活動を応援してくれた。昨年の「アカペラコンサート」に出ようか迷っていた時には、彼女が「絶対に聞きに行くよ」と強く背中を押してくれたことが大きな力になった。友人は、私が合唱団を休むようになった頃から、「たまには歌いたいでしょ」と言って時々訪ねて来てくれるようになった。多忙な音楽活動の合間に、片道1時間半もかけて来てくれる。充実した楽しい時間だと言ってくれるので、心苦しさも吹き飛んで一緒に歌う時間を満喫してしまう。私は子どもの頃からハモることが大好きだから、ホントに楽しい。合唱団を止めたことを告げた後は、今度、(母のデイの休みの日に)母を招いて30分ぐらいのミニホームコンサートをしようかという話にもなって盛り上がってくれた。以前、オフタイムのヘルパーさん(一名)をやや強引に観客に仕立ててミニミニライブをしたという実績もあるし……。この方向でこれから何をしようかと考えるだけでも、ちょっとワクワクする。チャレンジと言うほどのことでもないけどネ。

受賞から「今」へ繋がる思い

私は第26回から、人生の節目ごとに心の中の様々な想いを綴ってきた。奇跡的に4回も入賞できたが、実は、第49回までの23年間に9回も応募している。
なぜまた書くのか……。初めて自分の手記が入賞した時は、自ら応募しながら(矛盾しているようだが)手記が公開されることに戸惑いを感じていた。しかし同時に、受容し難かった自分の人生が、誰かにそっと肯定されたような不思議な気持ちにもなった。だからその後も、その誰かと受賞後出会った人々に、自分の足跡を伝えたくて書くのかも知れない。手記は、「メール」とも「ブログやSNS」とも少し違う。書くテーマがあるからかな。書くことで自分の中に少しずつ客観的な視点が培われて、それが、その後の人生でいろいろなことを乗り越えたり受容したりする大きな助けとなってくれているような気がする。

 これからも、病気は進行し、ついでに歳もとり、まだまだ新たな問題が生じ続けるだろう。「ありのまま」「自分らしく」と言うけれど、機能も、能力も失う一方で、最後に何が残るのだろうと考える。実感しているのは、「失ったところに人の優しさが沁みてくる」ということ。大好きな夫や息子、周囲の人々の優しさが……。夫が守ってくれている「ありふれた日常」は「有り難い奇跡」の積み重ねだと思う。社会の役に立つことはできなくても、隣にいる人たちのために、私にまだ残っている役割を果たして行きたい。そのためにまず、前向きで柔軟な心で「ちゃんと幸せを感じて、私も優しくなりたい」と思っている。

福祉賞50年委員からのメッセージ

嶋崎さんは、おそらく本賞の最多入選回数者でしょう。一体、自分自身を書くとは、どんな意味があるのか。今回で本人がはっきりとその意義を記しています。「書くことで自分の中に少しずつ客観的な視点が培われて、それが、その後の人生でいろいろなことを乗り越えたり受容したりする大きな助けとなってくれている」と。これはがんや難病などの患者がなぜ闘病記を書くのかという問題にも共通する大事なポイントです。書くことで、渾沌(カオス)状態だった心の中を少しずつ整理して客観的に見ることができるようになり、しかも誰かに読まれることで自己肯定感も生まれてくる。書き続けると、その循環がより一層膨らんでくる。嶋崎さんは病気が進行するのに、精神的には質の高いものになっていることが、「その後」の便りから伝わってきます。これからもぜひ寄稿してください。

柳田 邦男(ノンフィクション作家)

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