『13年間の定点生活』
〜受賞のその後〜
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天野 英一郎 さん 1948年生まれ、無職、岡山県在住
クーゲルベルグ・ベランダー病
55歳の時に第38回(2003年)最優秀受賞
天野 英一郎さんのその後のあゆみ
『13年間の定点生活』
定点生活
3年前の夏、旅行をしたとき妻が「星空を見たのはひさしぶり」と言ったのを憶えている。まさに、わが家の生活ぶりが示されている。朝6時15分にヘルパーさんが来られ、夜10時15分に帰られる生活が続いている。ヘルパーさんが夕方来られないと、夕食が食べられない。朝、来られないと起きられない。風呂は365日、午後7時から9時に入るのだ。旅行でもしない限り、体力の低下から仕事を辞めて13年間、このパターンが崩れることはなかった。日常生活で星空を見ることはできないのだ。以前、太平洋の一定地点で船が規則正しく気象観測をしていたのと、わが家の生活は、時間が一定な点がよく似ている。
このような定点観測のような生活は、味気ない面もある。反面、確かな日常をつないでいくことは、生きてくうえで、もっとも大切なことだろう。また、そうしないと生活がくずれてしまう。
ヘルパーさん
現在、1週間に延べ40名以上のヘルパーさんが来られている。ヘルパーさんは、家族のようなものであり、来てもらうための苦労もたくさんある。一番困るのは、辞められることだ。頼りにしている人であればあるほど、そのショックは大きい。そして、次に来てもらえる人を探すことになる。最近、介護職の人材不足がいわれている。そのことも、ヒシヒシと感じている。そして、新しいヘルパーさんが見つかると、一から信頼関係を築くことになる。また、茶わん一つの置き場所さえも、憶えてもらわねばならない。ときには涙の別れもある。推測するに「この障害を持った2人がうまく生活していけるのだろうか、心配だ」のような複雑な気持ちだろう。
週刊メニュー表
この13年間の定点生活で、ほとんど休まなかった作業がある。毎週、水曜日に次の週の献立、調理法、冷蔵庫の在庫、買い物などを妻と共同で考えることだ。金曜日にパソコンに入力、土曜日に残りを手書きする。ヘルパーさんに、スムーズに仕事をしてもらうための最低限の作業だ。メニューは健康と栄養を考えて、野菜が中心だ。
我が家の台所に関して、ほこれるところは、妻のきれい好き、片づけ好きもあって、ピカピカなことだ。包丁、まな板、食器、冷蔵庫の中など整理整頓について妻がヘルパーさんに指示している。この13年間、台所や部屋が散らかっていることは、なかった。唯一の例外は私の机の上だろうか。40名もの人が入るのに、このピカピカ度は、すごいと思う。
自立生活への挑戦と支える制度
障害者の自立した生活は、本人の自立への強い意志と制度に支えられている。私の体力の限界による退職と妻の障害が重度化したのが、13年前の春だった。それと重なるように、介護保険と障害者自立支援法の黎明期になった。そのころは、シルバー人材センターの人、夜間ボランティアの学生などに頼っていた。これらの制度がなかったら、マンパワーや費用の面から、自立の生活は無理だったかもしれない。自立と言うのは簡単だが、日々さまざまな問題が生じる。この13年間で、制度がしばしば変わった。行政の解釈によって「これでは生活できない」となることもある。そうなると市役所や県庁に相談に行く。問題が解決するまで、話し合う。やり抜く強い気持ちも必要だ。
体調・医療
退職して13年、NHK障害福祉賞を受賞して11年、66歳となった。加齢と障害による体力のいっそうの低下はいなめない。日々、生活の質が低下することとの闘いだ。どうしてもサプリメントに頼ってしまう、今は、食後20錠ちかく飲んでいる。目が疲れやすくなり、パソコンの長時間の使用が困難になった。このため、10年前に開設したホームページ「グルメツアーバリアフリー岡山・倉敷」を最近、閉鎖した。このホームページは、実際に食事をして、その店の段差や通路の幅、障害者への態度などを書いたものだった。定点生活のため、ランチのみだった。数年前、たまたまホームページを見てくれた車いすの小田原の松本さんが訪ねて来てくれた。また目の調子が良くなったら再開したい。
神経系の筋疾患になって40年になる。数年前iPS細胞の関連で、一つの知見が発表された。「カシューナッツの皮に含まれるアナカルジン酸が、類似の筋疾患に有効かもしれない」という知見だ。医学の進歩は日進月歩だ。私の筋疾患も原因の究明と治療法が、そのうち確立するだろう。若い人に「私は間に合わないだろうが、君らの世代は治る時代がくる」と言っている。もう少しだ。
「オープンはあと」
第38回NHK障害福祉賞の受賞を機に、全国に9名の友人ができた。応募者有志で会誌「オープンはあと」を出したのだ。1年に1回発行し10号になった。文章から、性格や生活が伝わってくる。東京で同窓会もやった。その中の1人、芦屋の山本由美子さんが、昨年7月に亡くなられた。一家言もたれていた山本さんの逝去が、残念でならない。
詩のA6ノート27冊
13年前の退職後、詩を書き始めた。書きためた詩はA6ノート27冊、約2300ぐらいだろうか。定点生活の家のなかでは、なかなか納得するものができにくい。その点、週2回の外出で、人波や雲の動き風のそよぎなどを感じると、時々よい詩ができることがある。詩の中に「星空、ネオン、赤ちょうちん」などの言葉がほとんどない。定点生活のため午後5時以降外出できないのだ。
詩を書くのは、ほめてくれる人がいるから前に進む。ケアマネ、新聞記者の「1つ読んだだけで涙が出てきた」、学生の「癒される。もっと書いてください」、ブログで「どれもこれもいい。1つを紹介する」などだ。これまで、手作りで「詩集 プクプクプクプク」、自費出版で「詩集 ハレバレ高気圧圏」を出した。これらの2冊の詩集は、ローカルの新聞で5回、テレビで3回報道された。もっともっと多くの人に読んでもらいたい。
現在、次に述べるノートなどの影響もあり、詩の言葉が出やすくなった。さらに進化させて良い詩を作りたい。
書きとめA5ノート24冊
この13年間でA5ノート24冊に、いろいろと書きとめてきた。読んだ本、俳句、短歌、新聞記事などだ。詩を書くには、美しい言葉、心を打つ言葉、その人の内面から出る言葉が重要だ。「少しでも良い詩を書きたい」との思いがある。これらのノートは、毎年2冊ぐらいずつ増えている。肝心なのは、これらのノートが、定点生活のなかで、毎日少しずつ読み返されていることだ。最初のころは冊数が少なく、1年間に何回も読み返していた。今では、読み返した回数が、20回を超えたノートもある。現在、冊数が増えたため、読み返しは年2回ぐらいになった。これらの積み重ねが、詩の創作につながればと思う。
詩をひとつ紹介する。
雨のきそうな午後
日常とは
雨のきそうな午後
けだるさと望みがいり混じる
何をしてもありふれた光景だ
自分だけがとか
世界の中でとか
思うことはない
午後に雨が降りそうなのだ
これから
11年前にNHK障害福祉賞を受賞した文で「明日の生活がどうなるかも分からない」と書いた。それから11年間、定点生活をかたくなに守り、栄養に気を付け、無事この文章を書けるゴールにたどりついた。今、11年前と同じく「明日の生活さえもガラガラと崩れるかもしれない」と言える。それでも、この定点生活がずっと続くと信じたい。
今の生活は、多くの人々、社会に支えられている。感謝したい。
福祉賞50年委員からのメッセージ
お互いに、重度の障がいを持つご夫妻の生活は、尊敬に値するものです。また、40人のヘルパーさんを管理する事は、中小企業の経営者と同じくらいのご苦労があると思います。逆に天野さんご夫婦に夜空をまともに見られないような生活を強いている国や自治体の制度の未発達さが浮き彫りになっていると感じました。
貝谷 嘉洋(NPO法人日本バリアフリー協会代表理事)