NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『笑顔を求めて』

〜受賞のその後〜

萩原 猶治 はぎわら なおじさん

1932年生まれ、無職、埼玉県
肢体不自由(多発性硬化症)
72歳の時に第39回(2004年)佳作受賞

萩原 猶治さんのその後のあゆみ

『笑顔を求めて』

1. 自主トレで怖い思いが?

昭和55年(47歳)の時、難病の多発性硬化症という神経の病を発症、不全四肢麻痺と診断され、一時は寝たきりの状態になったが、17回の入退院を繰り返したある日、「俺の出番はきっとくる」という歌を聞いて発奮、動きの鈍い手足を少しずつ動かし、自主トレを主体にリハビリを続ける日が続いた。体を動かす機会が少ないため、退院後、家にいる時は少しでも体を動かすには散歩を続けることだと思い、車椅子生活を続けながら実施した。
 平成10年12月の日曜日の午後、家の近くにある緩やかな上り坂が100メートル続く所へ行った。坂を上り始めてから坂上を見ると、3人の体格のよい男子学生が私の方を見ながら何か話をしていた。まず思ったのは、全国的に中学生の暴力問題が報じられていたので、危害を加えられるのではないかという恐怖心だった。彼らと目を合わせないように全身の力を振り絞り、少しずつ上っていった。上り切ろうとした時、3人の内の1人が私の方に向かってきた。『きたきた、もう駄目だ』と思った時、『押しましょうか?』と言われ、わが耳を疑った。私は素直に『ありがとう、助かります』と言ってお願いした。車椅子を押してもらいながら、車椅子を押す場合の注意事項、つまり走らない、歩道のない所は歩行者と同じで右側を歩くなどを話しながら1キロ程押してもらった。この3人は柔道の練習を終えての帰り道だった。天気のよい日には1人で散歩に出るが、このように声を掛けられたのは10年間で3回。道路が凸凹の場所を通る時は困難の連続で、そんな時でも見て見ぬふりをされる。

2. 書店での悲しい想い出

家から50分離れた大型スーパーの中にある書店に行った。陳列してある書棚をゆっくり見て回った。ある場所に行くと書棚の下に書籍などが積んであり、その書籍に車椅子が接触したため、5冊ほど下に落ちてしまった。私は落ちた書籍に手を伸ばし拾おうとしたが、指先が触れるだけで拾うことができなかった。無理して手を延ばすと車椅子から転落する危険があったので、拾えそうな書籍に手を伸ばしていたが、私の両側には若い学生風の人達が5名ほどいた。本が落ちるドサッとした音がしたので、状況はわかっていたのに、見て見ぬふりをしていた時に、書籍が落ちる音を聞いた店員さんが飛んで来て、『いいですよ、いいですよ』と言いながら全てを拾ってくれた。私の両側の2メートル以内には若い人がいながら拾ってもらえなかった悔しさと情けない気持で悔し涙が出た。

3. 5歳くらいの男の子に助けられる

上記のスーパーへ1人で行き、2階の本屋さんへ行くためエレベーターの方に向かっていると、前に手をつないで歩いていた親子連れ3人(左手に2歳くらいの男の子、右手に5歳くらいの男の子)がいた。エレベーターの中に入ると、5歳くらいの男の子が私を見て素早くドアを「つっかえ棒」のように体を斜めにして押さえてくれた。その男の子にとっては全身の力で扉を押さえてくれたと思う。エレベーターの中に入ってから男の子に向かって、『ありがとうね』と言って顔を見ると、何もなかったような顔をしていた。
 今まで1人で外に出ることは何度もあるが、幼い子に助けられたことは全く初めてで、聞いたこともなかった。

4. 小さな手助け

近くへ買い物に行った帰り道、反対側の歩道でお婆さんが転んだらしく、道路に四つん這いになり、起き上がることができずにいた。通り掛かりの若い女性が、お婆さんの手を引っ張ったりして起き上がらせようとしていたが、駄目だった。私は素早く道路を渡り、お婆さんの真ん前に行き、車椅子の肘掛けに『手を乗せられますか?』と聞くと、片手ずつ手を乗せた。若い女性がお婆さんの腰を持ち上げると簡単に立つことができた。車椅子の私に「小さな手助け」が初めてできた出来事だった。

5. 車椅子ダンスは心まで動かすのですね

萩原さんが車椅子ダンスをしている写真 萩原さんが手話ダンスをしている写真

平成20年に仲間の会員13名で、さいたま市内にある「敬寿園」という特別養護老人ホームへ慰問に行った時のこと。老人ホームに入所しているお年寄り50名の前で、日頃、練習を積み重ねている「車椅子ダンスと手話ダンス」を披露した時、100歳になるお婆さんが笑顔で両手を曲に合わせて上にあげ、左右に振り子のように動かしていた。私はダンスを踊りながら、お婆さんをチラチラと見ていたが、私も自然に笑顔になっていた。
 ダンスの披露が終わった時に、担当職員が私の所にきて、『驚きました。あのお婆さんは、日頃、喜怒哀楽を顔に出さず、能面のような顔で過ごしているので、あのように楽しそうな笑顔を見たことがありません。車椅子ダンスは人の心まで動かすのですね、感動しました』と言われた。
 これがきっかけで、定期的に年に1回訪問することになった。3年前からは年に2回になった。

6. 軽度の認知症の人の笑顔が素晴らしい

笑顔の萩原さんと握手する認知症のお婆さん

昨年10月に定例の上記「敬寿園」へ慰問に行った。スケジュールの最後は恒例の「三百六十五歩のマーチ」で、入所者を車椅子に乗せ、車椅子の前後に安全のために仲間が付いて踊ると、毎回、嬉しそうな笑顔が見られる。このときは施設の担当者と話し合って、軽度の認知症の人6名に特に参加してもらった。同じように車椅子に乗せて踊ると、4名が満面の笑顔になった。担当の介護士によると、日頃見た事がない笑顔が多く出ていて驚きました、と言われた。
 全てのダンスが終わると、恒例で仲間1人1人に花をプレゼントしてくれる。私は後ろの方に1人でいると、1人の認知症のお婆さんが椅子から立ち上がり、プレゼント用の花を置いてある机に行き、1つを持ってきて私にくれた。たぶん、私が皆から離れた場所にいたので、お婆さんは花をもらえないと思ったのだろう、と私は思い、それによる判断に頭が下がった。こんなこと全く今までなかったので感動した。

 現在、老人ホームへの慰問は年間9か所で行っている。今後、このときのように軽度の認知症の人達に、少しでも笑顔になってほしいとの思いで、各老人ホームへ訪問した時には、同じように認知症の方と一緒にダンスを続けていきたいと思っている。

福祉賞50年委員からのメッセージ

施設で暮らす高齢者の方との2ショットの笑顔が素敵なのが印象的でした。人と人とをつなぐ愛というのは、どのような場面でもとても感動するものだと思いました。
多くの人の愛が結集して素晴らしい社会が出来ていけばいいなと感じました。
そのような社会では障がいは消えるのではないでしょうか。

貝谷 嘉洋(NPO法人日本バリアフリー協会代表理事)

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