『わたしと白杖』
〜受賞のその後〜
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田中 聞多 さん 1935年生まれ、元盲学校教師、福岡県在住
視覚障害
68歳の時に第38回(2003年)佳作受賞
田中 聞多さんのその後のあゆみ
『わたしと白杖』
聖書から外出する勇気を得る
中学生のころ失明したわたしは、当時寄宿舎で夕食後に開かれていた輪読会で聖書に親しむようになった。
新約聖書には二人のよく知られた盲人の物乞いがいる。シロアムの池の傍に座っている盲人と、エリコの街のバルティマイである。
シロアムの盲人については、弟子たちが「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と訊ねるのにたいしてイエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と応えて、地面に唾をして、唾で土をこねて、その人の目に塗り「シロアムの池に行って洗いなさい」といわれ、その男が行って洗うと、目が見えるようになるという奇跡である。
失明を通して神の業があらわれるというメッセージは、開眼の奇跡を信じる程の信仰を持たないわたしにも、心の支えとなった。
一方、バルティマイは最初から積極的である。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒にエリコを出て行こうとされたとき、道端に座っていた彼は、ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始める。
多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます叫び続ける。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われると彼は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言う。その彼にイエスは「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われる。
静止する群衆をかき分けてでも前に出て行く彼の勇気は、失明して他人の目に曝されることを恥じて、家に隠りがちだったわたしに、白杖を持って外出する決心を促した。そのときの一歩が今のわたしの生活の基盤となっている。
視覚障害者の移動手段に関する考察
視覚障害者の移動・歩行の中心は白杖による単独歩行である、というのがわたしの信念である。但し、他の歩行の方法を否定するものではない。
わが国の視覚障害者の数はおよそ31万人で、そのうち62パーセント、19万人余が1、2級の障害者で、その移動・歩行の方法には盲導犬による歩行、ガイドヘルパーや同行援護従事者の誘導による歩行、白杖による単独歩行があるなかで、主流が白杖による歩行であるというわたしの確信の理由は、次の通りである。
まず、盲導犬を使うには、一月あまり施設での犬と生活を共にする訓練が必要で、犬の実働年数は10年足らずであるから、犬が替わるごとに訓練を受けるのは定職を持つものには容易ではない。その上、盲導犬の数にも限りがあって、およそ19万人のうち、盲導犬使用者は1パーセントにも満たない数である。
ガイドヘルパーをお願いするには、行政からの補助があるため、経済活動には利用できないとか、利用時間に制限があるなどのほか、前もって申し込む必要があり、厳密な意味での自由な外出・移動の保証ということにはならない。
いかなる外的な条件にも煩わされないで、その気になったときに、いつでも自由に外に出るというのは、人間が自然に持って生まれた本能の一つである。
国連で採択され、日本でも批准された障害者の権利条約で保証される基本的な人権の一つが自己決定権である。
白杖は助けを求めるシグナル
パチンコ屋であれ、焼き鳥屋であれ、行きたいときに、他人の意向や外的条件に煩わされることなく、いつでも気軽に出かけるのが、健常者が日常行っている自己決定権の行使としての外出であって、それが障害者にも可能な社会がノーマライゼーションの理想である。
白杖で一人で歩いているとき、しばしば健常者の助けを必要とすることがある。
爪先立って背を伸ばせば80歳にもとどくわたしが、学校を出て、常勤・非常勤を含め50年近く教壇に立てたのも、白杖で一人歩きができたからで、その間数えきれない程の人たちの助けを受けた。
人通りの多い街では声をかけて救助を求められるから問題はないが、人通りの少ない場所や、他に乗客のいないバス停などで目を必要とすることがある。そのような場所で、不特定多数の人に向けて、「助けてください」という意思を伝える手段の一つが、わたしが所属する団体が提唱して全国に広げようとしている白杖シグナル運動で、杖の取っ手を、頭上およそ50センチメートルの高さにかかげる方法である。白杖のことを世の中の人たちにもっと知って欲しいと考える者がいる反面、白杖を持つことに抵抗を感じている視覚障害者が少なくないことを、この度の運動を通して知った。
あるとき、メールを開いたら、視覚障害者の歩行・移動を支援するアプリの紹介が入っていた。行きたい施設を入力すれば、そこまでの方向・距離、通過ポイントなどを震動や音声で案内するというのである。科学技術は日進月歩する。あまり遠くない将来、GPSなどを利用した安全な無人の視覚障害者用誘導アプリが開発されることになろう。
脚本家の山田太一さんの作品に「春日原まで一枚」というテレビドラマがある。
春日原は、福岡市の中心部からあまり遠くない私鉄の駅で、近くに福祉関係の事務所や点字図書館、研修室などを持つクローバー・プラザという建物がある。重度の吃音の青年が券売所で「春日原まで1枚」がいえないで悩むというのがそのドラマのタイトルである。
今はそんな悩みはいらない。券売機がある。行き先が表示されたパネルの部分を押せば切符が出てくる。吃音の青年も、一言も発せずに表示板を押せば乗車券を購入できて、颯爽と電車に乗れる。
一見、これで吃音者の問題は落着したように見えるが、山田さんは「吃音から生じる悩みや苦しみと向き合うことなしに、本当の意味で吃音が克服できるのか?」と問いかけている。
態度上の障壁を取り除くには
障害者の権利条約の前文で、障害を「障害が機能障害のある人と、態度上および環境上の障壁との相互作用であって、機能障害のある人が他の者との平等を基礎として社会に完全且つ、効果的に参加することを妨げる物から生ずる・・・」と定義している。「障害が、機能障害のある人と、環境上の障壁との相互作用」だけから生じるものなら、科学技術の進歩が限りなくその障壁をゼロに近づけることになるだろう。
しかし、「態度上の障壁」は、障害を持たない人達と障害者との間の障壁で、障害者が自らの障害に向かう姿勢や生き方との関係から生じるもので、障害のない人に対する障害理解の教育と共に、障害者自身の障害理解にかかっている。
少年のころ、ことあるごとに「目が見える人にはたてつかず、愛される盲人になれ」と諭され、それによって障害を持たない人達との態度上の障壁を回避してきた。「障害者の権利条約」は、われわれ障害者が「他の者との平等を基礎として社会に完全且つ、効果的に参加すること」を保障している。
障害を隠蔽することなく、機能の欠如から来る社会的不利は避けがたい事実として認め援助を求めながらも、一個の人格としての品位を身につけることが求められている。
券売機の導入は環境的障壁を取り除くことになったが、それによって顕在化を免れた吃音の問題は未解決で残っている。
GPSを利用したアプリが外出・歩行の問題を解消し、電子機器が読み書きの問題をなくしても、何らかの形で視覚障害者が自らの障害を潜在化させないでそれに正面から立ち向かう必要がある。
わたしの場合、バルティマイがその機会を与えてくれた。
福祉賞50年委員からのメッセージ
田中さんの思索は深いですね。哲学的な深彫りと言ってもよいと思います。点字ブロックがあるのに自転車を止めておく健常者の感性の低さと傲慢さを気づかせてくれた12年前の作品を書いた背景には、とても深い問題があることを、今回の便りで知りました。科学技術の進歩は、確かに環境的障害を取り除くことに貢献し、それなりに福音をもたらしはするが、そのことがかえって障害者の障害を見えにくくし、「態度上の障害」を未解決のまま先送りにしかねないとは、障害者と障害の問題の本質的な問いだと思います。
柳田 邦男(ノンフィクション作家)