NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『笑顔を胸に』

〜受賞のその後〜

今野 清子 こんの きよこさん

1931年生まれ、美容師、宮城県在住
小児まひ
76歳の時に第42回(2007年)優秀受賞

今野 清子さんのその後のあゆみ

『笑顔を胸に』

東日本大震災の発生

東日本大震災2011年3月11日とそれからの日々は、恐怖、痛み、喪失、苦悩のくり返し。私だけではなく、被災された人達の心の奥に今もとどまり続けるそれらを、忘れようとしても決して忘れる事が出来ないほどにつらく悲しい体験をしてしまったのです。
 「年なんだから身体には充分気をつけるんだよ」との言葉を残し、その数時間後、52年間苦楽を共にした夫は何の前触れもなく突然天国へ。それから7年、地震発生の3日後に、七回忌の法要が控えていたのです。しかし、ライフラインが止まるなか繰り返される強い余震に打つ手は無く、特に4月7日の震度6強の地震は大切な我が家を大規模半壊にしただけでなく、沿岸近くにあった会社をも全壊としたのです。
 偶然という重なりでしょうか。傘寿の祝いに人生の岐路に遭遇することになったのです。主人亡き後何事にも耐えてきたという自信はもろくも崩れ去り、心を平静にと努力するも、のしかかった重圧の大きさに心が怯み立ち上がれずにいました。
 「どうして・・・」、「こんなことに・・・」と自問自答しているだけのそんな私を奮い立たせてくれたのは、ボランティア活動の様子を報道している映像でした。災害を我が事と受け止めいち早く現場に駆けつけ、足の踏み場もない瓦礫の撤去に汗を流し泥にまみれながら一生懸命働いている青年達のかけがえのない姿に感銘を受けた私は、1日も早く避難所でこれまで実践してきた活動をしようと考えました。しかし、そう思えば思うほど不安が付きまとい、一歩が踏み出せずにいました。多くの困難にも動ぜずに歩み続けて培った実践活動35年の学びもなくなっていました。

私を動かした一通の手紙

そんな無気力だけの私に一通の手紙が届いたのです。
【ビューティーケア支援お願いします。震災後1か月が経ち、最低限の生活レベルは確保し、避難されている方も今の生活に慣れて来たように感じています。ただ、今後の生活を考えると不安に思っている方も多く、心身共にケアする必要性がある段階を感じています。又、退所時には生きる気概を持って未来に向かって行って欲しいという希望を与える事が必要だと思っています。ぜひ皆さんの貴重な技術をこちらで活かして頂ければ大変助かります。】

全国赤十字ビューティーケアボランティア活動の様子 全国赤十字ビューティーケアボランティア活動の様子

ある避難所からの依頼状でした。今置かれている環境のみに一喜一憂し、他者の痛みを思いやる余裕が無かった私に、今やるべきことを気付かせた魔法のお便りだったのです。
 ビューティーケアは1960年に英国赤十字社が始めた心理療法で、顔、首、手へのリラクゼーションと化粧を通し、互いのコミュニケーションを豊かにし安心感をもたらすと共に、リラクゼーションからこころのケアに繋がる活動です。
 この活動を、福祉や医療、災害時の支援などに役立たせる事を願い、2009年10月に念願であった全国赤十字ビューティーケアボランティア連絡協議会を発足させていました。
 しかし、誰も経験したことも無い過酷な状況下におかれた人たちへのケアを行うのは初めてです。参加する団員達とミーティングを重ね、4月14日に避難所へ。そこは家族ごとに布団が敷かれており、生活の場となっている事に胸が痛みました。私達は「ことば」や所作に気をつけながら、
 「こんにちは、お体の具合はいかがですか」
と声をかけてみます。足の痛みを訴えた70代の女性は、見ると足だけでなく全身がむくんでいるかのようです。椅子に掛けてもらい片足を私の膝に乗せ、なで・さするを繰り返すうちに、硬く張っていたふくらはぎも柔らかくなり気持ちよさそうです。突然私の手を取り、
「主人が津波で流されたまま見つかっていないのです。私達には子供もなく老後のため3年前に新築した家も流されてしまいました。これからどうして良いのか悲しく悔しさでいっぱいです」
涙と共に話す彼女ですが、やがて顔には安らぎの表情が浮かんできます。このような時に受けたケアがうれしく、それまで抑えていた感情が溢れて涙となり、それが心を癒してくれたのでしょう。美しい笑顔を頂きました。

 また、
 「何も分かりもせず、バカにするな」
 突然怒鳴り出す男性もいました。その顔は苦渋に満ちています。
 「ごめんなさいね、気分をこわしてしまい申し訳ありません。実は私も被災してしまい、これからどうしたら良いのか毎日悩んでいます」
 笑顔で話す私の言葉に、
 「そうだったのか、お互い頑張るより仕方ないね」
 日常の会話にさえ耐えられぬ程人々の心に深く傷を残したまま去って行った大自然の脅威は、私達に何を伝えようとしているのでしょうか?

美容師として今日をいきる

その後も続いたボランティア活動。
 福島や宮城の被災者に対し、ふんわり温もりが伝わるような気持ちで接して行うケアは大変喜ばれ、笑顔の花で心がいっぱいになります。
 震災から4年。思いおこせば後ろを振り返る余裕すらなく、次々に起こる事柄に神経を張り巡らせて対処しつつ前を向いて歩いて来たような気がします。活動の拠点となった避難所での実践中に体調の変化に気づき受診すると、間質性肺炎との診断でした。原因は、空気中に飛んでいる粉塵と疲れに加え、高齢も関係しているとのこと。「私は大丈夫」と家族からの忠告にも耳をかさず先頭に立ち、活動した結果だったのです。(走ってばかりいないで少し休養しなさい)と亡き夫から届いたメッセージだと思い、体調を整えることに専念する事にしました。
 2015年3月14日〜18日まで国連防災世界会議が仙台で開催され、世界193か国の代表5000人以上が参加して、国際的な防災戦略を議論する会議が行われました。今後ますます発生するであろう災害に対し、震災を経験した私達はどんな視点でどのように対処すればいいのでしょうか。そう考えると、何をすべきかとはやる気持ちを抑える事が出来なくなります。

 3才の時の病気がもとで障害が残ったが故に導かれた美容師への道。その道は私をビューティーケアヘといざない、私を励まし続けています。平成15年に痛みに耐えられずに手術した股関節は、耐久年数15年と聞き安心して活動の普及に力を注いできました。しかし、時間の経過と共に表れた側弩症がいま私を苦しめています。
 それでも私を支えてくれる松葉杖に助けられ、今日も美容師として若いスタッフ達と楽しく仕事が出来る事に感謝しています。また、全国赤十字ビューティーケアボランティア連絡協議会会長として活動の普及に努め、1人でも多くの方々に笑顔の花を届けられるよう努力しています。

赤十字のエプロンをした笑顔の今野さんの写真

ビューティーケアの魅力に取りつかれ、夢にまで見たケアの方法に出会い、84歳になるまで我を忘れて取り組んだ40年。今、ビューティーケアは、年代を超え受け継がれ希望の花を咲かせています。苦しい時は精進の時期と受け止め、与えられた使命を果たすまで健康に気をつけ、これからも笑顔を胸に続けられるよう前を向いて行きたいと思っています。

福祉賞50年委員からのメッセージ

「ビューティーケア」という新たな道を切り開いている今野さんの生き方に、感銘を受けました。
障がいのあるなしに関わらず本当に助けが必要な人の為に奮闘する姿には感動させられました。
今後も長生きをして多くの人々を励ましていって頂きたいと思います。

貝谷 嘉洋(NPO法人日本バリアフリー協会代表理事)

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