NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『自分らしく生きたいね』

〜受賞のその後〜

石川 照茂 いしかわ てるしげさん

1955年生まれ、NPO職員、佐賀県在住
脳性まひ
40歳の時に第29回(1994年)佳作受賞

石川 照茂さんのその後のあゆみ

『自分らしく生きたいね』

研修会に集まっている人たちの写真
研修会参加

私が障害福祉賞入賞の後、一番力を入れているのが、NPOの活動の一環として行っている障害当事者の支援です。特に特別支援学校時からの自立支援をメインにしています。文部科学省・厚生労働省の調査では、支援学校(肢体不自由)の卒業生の約80%が施設入所と聞きます。
 2014年10月には、母校である佐賀県立金立特別支援学校で講演する機会がありました。話を聞いてくれたのは高等部2、3年生とその保護者と先生方です。
 このときの原稿が、私が自分の経験を生かして活動している様子をお伝えするのにふさわしいと思い、その時の内容を一部紹介しながら、私のその後を綴りたいと思います。

後輩たちに伝えたこと〜どのように生きていくか〜

あなたは誰と住みますか? あなたはどこに住みますか? この質問の答えで「これからの準備や自分が向かう方向」が変わってきます。
 自立して一人暮らしを始めるのか、その時は働いているのか? 親と暮らすのか、その時は働いているのか? それともグループホームやケアホームに行き、仲間同士の生活を選ぶのか、施設に入るという選択もありますね。
 どこで、誰と住むにしても、収入、介助、家はどうする? 職場への通勤の手段はどうする・・・?
 考えなければならない事は山ほど出てきます。それは今からでは遅いかも知れません。
 収入は20歳になれば「障害基礎年金」が障害者手帳1〜3級の人には出ますが、とてもその金額だけで生活していく事は不可能です。あとは働く事が出来なければ「生活保護」という方法がありますが、1級年金と特別障害者手当をもらっていれば、佐賀県で生活保護受給資格を満たせるのは「佐賀市」だけです。金銭だけでなく直接生活を支えてくれるのが在宅での居宅介護サービスと言うことになりますが、これも「障害支援区分」によって受けられるサービスが変わってきます。
 さて、ここで言う「社会に出てから役立つこと」とは何なのかと言うことです。
 私も施設を経験していますので、「学校で何を習ったのか」と言われた経験を持っています。
 私なりに考えると、社会生活に置いて数学は必要ではなく、算数が必要なこと。理科は必要ではなく、国語は必要なのです。例えば、方程式が出来ても買い物の時のお金の計算には役に立ちません。
 ここで必要なのは算数の足し算・引き算なのです。また、ある時は理科の科学記号よりも、本を読むための「あいうえお」が読めることが大切になってきます。
 それともう一つは、どうにか時間をかければ字を書ける人がいるとします。「この人には社会に出たら読み書きは必要だから、字を書く練習をさせておかなければいけない」と思い、字を書く事に専念させました。そしたら字は書けるようになりましたが、漢字が読めません。どうしたらいいのでしょうか?
 ここに大きな問題が隠れています。今は字を書けなくても、パソコンや意思伝達装置と言った物があります。この人は字が読めればパソコンを使い、仕事が出来たかもしれません。
 要はその人の残存機能を見極めて、「この人には字を書くことより読む方を教えて、難しい漢字でも読めるだけの能力をつけさせて、書く方は他の方法を考えよう」と思えるかどうかです。
 「可能性」をどう導き出せるか・・・?
 それが大事になってきます。そうすると一人で見てもわかりません。周りの先生方や親、時には同じ障害を持った当事者に相談することもよいアドバイスを得ることが出来ると思います。
 そんな時のために、先生方には多くのチャンネルを持っていただきたいと思います。
 そのチャンネルが多ければ多いほど、その子の可能性を伸ばせるチャンスは広がります。それが「学校で学んだことが、社会で役に立っていない」と言わせない方法の一つだと思います。
 
 親御さんも「子供をどう自立させるか?」も考えて行かなければならないと思います。
 自立とは自分で何でも出来る事ではありません。自律(自分で決めて、人を使っても自分の思う生活を送る)=自分を律する、と言う意味が大きい事を覚えておいてください。
 ヘルパーを使いながら生活する。それも選択肢の一つとして考えてください。
 私達障がい者が自立(律)を考える時、往々にして大きな障害となるものが「親」という時があります。親としては、自分が亡き後の事を考えての事でしょうが、子供の人生は子供のモノであり、決して親のモノではありません。デンマークやスウェーデンでは、子供が18歳になれば障害があろうと無かろうと親元から独立します。それがノーマライゼーションの理念です。自立(律)できる計画を学校時代に考えて、授業の中に自立(律)生活をしている先輩(ロールモデル)となる人の話(ピアカウンセラー)が必要だと思います。
 親御さんも話を聞いてください。
 制度は相談支援専門員を活用してください(出来れば当事者)。もっと当事者も親御さんも勉強しましょう。
 皆で勉強会の場を作り、将来の事を考えて行く事がこれからは大切です。

施設を出て地域で暮らす

石川さんとご家族の写真

さて、以前、障害福祉賞に応募した頃は、私は新しい家族との生活を始めるため、それまでの人生の半分以上を過ごした施設を出るところでした。
 施設を出て半年もしないうちに、子供が生まれ、その子が1歳の誕生日を迎えた数か月後に、父が癌で他界。波瀾万丈の1年を過ごし、私も少しでも自分で動けるように手動車いすを電動車いすに変える手続きをし、母には子供の面倒を見てもらう機会が多くなりました。
 収入は、私の年金と特別障害者手当と特別児童扶養手当と、父が母に残した恩給だけとなりました。妻のムッちゃんは、私の介助があるので仕事に出ることが出来ません。どうにか生活だけは出来るだけの収入でした。
 子供が保育園に行きだした頃に「明日の福祉」というテレビ番組で、「自立生活センターと重度障害者の自立」という番組をたまたま見かけ、その理念に大きな共感を受けました。「近くにセンターがないか」と必死で探し、佐賀市に近い福岡県筑後市に在ることが分かりました。早速連絡をし、お話を伺う事が出来ました。そして1か月間研修を受け入れて頂きました。「障害者の介助は障害当事者の事業所が派遣する」という理念で、まだ介護事業の始まる前の1998年頃だったと思います。そこから佐賀でも「そんな集まりを作ろう」と考えたのですが、私は施設生活が長かったため、在宅の障害者を知りません。特別支援学校の先生に紹介して貰ったり、友達を訪ねたりしながら準備を進めて2003年の夏にやっとNPO法人の資格を取得し、その年に福祉系大学を卒業した数人の学生をヘルパーとして、私の介助費を資金源として「事業所」をスタートさせました。
 障害福祉賞に入選した時に生まれた息子も順調に成長してくれ、今は社会人として順調に歩んでくれています。来年、成人式ですよ・・・。

今もムッちゃんとともに

石川さんを先頭に街の視察をするNPO利用者の写真
利用者との町の視察

妻ムッちゃんは、今も同じ仕事場で私の「職場介護人」として、NPO発足の時から行動を共にして奔走してくれています。彼女は、准看護師の資格を持っていたので、介護の世界では「ヘルパー1級」と同等になるんです。ここまでやってこられたのも、ムッちゃんの支えがあったからだと思います。いくら感謝してもしきれないぐらいです。この場を借りて「ありがとう」を言います。
 私もその後は、NPOの経営者としてではなく「当事者の相談員」として、障害者支援法の事業に係る、障害・介護・就労等3部門に関する「サービス管理責任者」の資格を取得、その後さらに「相談支援専門員・福祉用具専門相談員」の資格も取得しました。現在は相談支援センターに勤め、特別支援学校や在宅の障害児から障害者まで、幅広い年齢層に(実際はそんなに無い)対応しています。
 今後は「高齢障害者」も視野に入れ、「ケアマネジャーの資格取得」も考えながら、今の「当事者による当事者の支援」の初心を忘れず、自分の体と相談しつつ、やれる年齢までは頑張るつもりです。

福祉賞50年委員からのメッセージ

「愛は力を与えてくれる」を地で行っている石川さん。受賞時から20年経った現在を楽しみにしていました。前回がホップ・ステップなら、その20年後の今は大ジャンプに思えました。職業人として、また障害をもつ後輩、特別支援学校の生徒さんへの指導。石川さんというロールモデルを近くで見て、話を聞ける後輩たちにとって、自立という目標は夢ではなく実現可能なものだと、心強く励まされることでしょう。

鈴木 ひとみ(ユニバーサルデザイン啓発講師)

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