NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『私らしく生きるー共生社会への架け橋としてー』

〜受賞のその後〜

高梨 憲司 たかなし けんじさん

1949年生まれ、元福祉施設役員、千葉県在住
視覚障害
48歳の時に第31回(1997年)優秀受賞

高梨 憲司さんのその後のあゆみ

『私らしく生きるー共生社会への架け橋としてー』

障害者の相談支援の道を歩んで

私は66歳の男性、妻と2人の子ども、それに4人の孫のいるごく平均的な一市民です。ただ他の人には少ない「視覚障害」という属性がプラスされています。「障害」をマイナスの属性として否定的にとらえる人が多いようですが、一般の人には少ない属性である以上、私はこれをプラスとして活かしつつ普通に生きること、それを人生の最大の目標として生きてきました。そして今、残り少なくなった人生を共生社会の実現のために燃やし尽くしたいと考えています。

 私は生まれつきの弱視でしたが、小学2年生の時の怪我が原因で次第に視力が低下し、高校生で完全失明しました。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という母の戒めを胸に、教師への夢を抱いて盲学校から大学に進学したものの、障害ゆえに学業がままならず、卒業後にようやくたどり着いた職場が重度重複障害児施設でした。しかし、そこで出会った懸命に生きる障害児の姿が私を福祉教育のボランティアへと掻き立てる原点になったのでした。そしてまた、妻との出会いから「障害を他人にはない長所として生かしつつ、ありのままに生きる」ことの大切さを学んだのです。

授賞式での高梨さんの写真

私は、長年、障害者施設の管理職として施設運営と法人経営に携わってきましたが、その中心は常に障害者の自立に向けた相談支援活動でした。43年9ヶ月にわたる支援活動を支えてくれたのは最重度の障害児とその家族がくださった教訓にあります。彼らと共に過ごす中で、「命の輝きに共感する豊かな感性を持った人々を育てること、そして、いつの日か訪れるであろう『障害のある人もない人も当たり前にいる』という国民文化(共生社会)を醸成すること」、それが私に課せられた人生で最大の責務ということに気付かされたのでした。

全国初の障害者差別禁止条例づくりに参加

20世紀後半におけるノーマライゼイション思想の普及によって障害者に対する人々の理解は大きく進展しました。しかし、依然として偏見や誤解のために社会生活の様々な場面で不利益を余儀なくされたり、悲しい思いをしている障害者は決して少なくありません。私も学生時代に「視覚障害者は出火する危険がある」との偏見からアパートを貸してもらえず、23軒もの不動産屋を回った経験があります。
 国連は2001年にわが国に対し差別禁止法を制定するよう勧告していましたが、当時、わが国では国レベルでも自治体レベルでも障害者の差別を具体的に禁止する法制度はありませんでした。そこで、千葉県では新たな地域福祉像として、「誰もが、ありのままに、その人らしく地域で暮らす」ことを掲げ、そうした地域社会づくりのために、2004年、第三次千葉県障害者計画において、国に障害者差別禁止法の制定を働きかけると共に、千葉県独自の条例制定を目指すことになりました。2005年1月、差別の解消に向けた具体的な検討を行なうため、公募による29名の委員からなる「障害者差別をなくすための研究会」を設置。私は副座長として研究会に参加し、県民から寄せられた「差別と思われる事例」800余について、その背景の分析に取り組みました。その結果、差別や偏見の多くが、県民が障害特性を知らないために生じた事例であることが明らかになりました。「障害者は何もできないのではないか」という先入観念や、外見からだけでは障害者とわからない人たちに対する誤解、障害のある人とない人との互いの思いのすれ違いなどです。こうした誤解に苦しんでいるのは障害者だけではありません。異文化・異言語の社会で暮らす外国人も同じ思いではないでしょうか。こうした誤解を解消するにはどのように対応したらよいのか、障害者問題に対する共通の理解とルールが必要です。
 そこで、研究会では誰もがありのままに暮らすことのできる地域社会づくりのために、障害者問題を社会のあらゆる差別を無くす出発点と捉え、差別をする側、対、差別をされる側という対立構図ではなく、障害のある人もない人も「すべての人が暮らしやすい社会を作るためにはどうすればよいか」という問題意識を共有することによって、「障害のある人もない人も当たり前にいる」という県民文化を醸成することを目指して条例案づくりに取り組んだのです。2006年10月、ついに障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現を目指した『障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例』という全国初の障害者差別禁止条例が制定されました。私は条例の施行に先立って設置された「障害のある人の相談に関する調整委員会(千葉県行政組織条例に基づく知事の付属機関)」の副委員長に就任、条例の理念の普及と推進にかかわることとなりました。
 この条例では、制度や習慣・慣行などが背景にあって構造的に繰り返される差別問題の解決に向けた具体的な方策の検討・実践を行っています。
 一例を紹介すると、多くの金融機関が社内規定で代筆を禁じていたために、視覚障害者にとっては自分で預金の出し入れができなかったり、ATMが操作できないために窓口で振込みをすると、ATMの場合よりも高い手数料を支払わねばならないという問題がありました。全国各地の視覚障害者団体が改善を求めていたことでもありますが、容易に進んでいませんでした。そこで、条例の事務局である千葉県障害福祉課権利擁護推進室と、障害のある人の相談に関する調整委員会の副委員長である私が調整役となって、視覚障害当事者と県内に本店のある地元銀行代表者とが直接話し合う場を設けました。その結果、手続きに関する社内規定を整備して、行員が代筆・代読できるようになり、窓口での振り込みもATMと同額の手数料で利用できるようになりました。視覚障害者の利便性の向上を図ることができたのです。その後、金融庁の通知によって、千葉県同様の取り組みが全国の金融機関に波及しています。
 2011年には委員長に就任、全国各地に広がりつつある条例制定のための支援活動にも奔走してきました。こうした関係者の熱意が国に届いたのでしょうか。2013年6月、ついに「障害者差別解消法」が制定され、さらに2014年1月には日本政府が世界141番目の国として「障害者権利条約」を批准、障害者が障害のない人たちと対等な権利と義務を有する共生社会の一員であることが法的にも明記されたのです。

 誰もが望むユニバーサルな社会、それはどうしたら築けるのでしょうか。地域社会の中で偏見や差別のためにいつも悲しくつらい思いをしている障害者を初めとする少数派の人々、彼らこそがその方法を知っているのです。かつて、障害者福祉の大先輩である重症心身障害児施設「びわこ学園」の創設者 糸賀一雄氏が、福祉関係者の進むべき目標として「この子らを社会の光に」と言われました。まさに、社会の中で最も厳しい状況にある人たちが、ありのままに自分らしい生活を実現できる社会であれば、全ての人々にとっても暮らしやすい社会であるはずです。千葉県の条例では障害のある県民の役割として、「障害のある県民およびその関係者は、障害のあることによる生活上の困難を周囲の人に対して積極的に伝える」ことを求めています。ハード面ばかりでなく、障害のある人もない人も自然にありのままの付き合いのできる心のバリアフリーこそが、21世紀に期待されるユニバーサル社会ということではないでしょうか。
 こう考えると、私たち障害者にはやらねばならないことがたくさんあります。少数派の思いを多数派に知ってもらわねば社会は変わりません。誰もが望むユニバーサルな社会を創造するために、今や私たちはサービスの客体としてではなく、主体者として社会づくりに貢献しなければなりません。

自分にできることで貢献せよ

ご家族と高梨さんの写真

私は昨年まで、ささやかではありますが、ネパール連邦共和国の視覚障害者支援の活動をしてきました。途上国の現状に目を転ずると、恵まれた日本に生活する者としてやらねばならないことが沢山あります。叶わぬ夢かもしれませんが、妻が同意してくれれば、人生の最期くらい途上国の人たちのために何か貢献できればとも考えています。そう思うと、私の人生には終りがないのかもしれません。

 最後に、己の障害を嘆き・苦しんでいる若い人たちに次のメッセージを贈ります。
 「夢は大きく持たれよ。そして、夢に向かってたゆまず歩き続けよ。その道程を登山に例えるならば、必ずしも最高峰を目指して最短距離を登る必要はない。時には回り道をした方が良いこともある。だが、自分の夢の実現のために他人と勝負をするな、自分の怠惰に打ち勝て。他人の援助を受けることに引け目を感じる必要はない。その代わりに自分のできることで他の人や社会のために貢献せよ」

福祉賞50年委員からのメッセージ

高梨さんの受賞作品の中にある重症心身障害児施設「びわこ学園」の創設者・糸賀一雄は「社会福祉の父」といわれます。高梨さんが体感された「人の価値とは、生きているそのこと、尊厳的価値こそが真の人の価値ではないか」は、糸賀の言う「いのちの絶対的価値」と同じで、有名な「この子らを世の光に」に通じます。糸賀のいう「光」は障害当事者だけでなく「他者実現とともにある自己実現」を願う支援者でもあります。 それは受賞後20年近い日々を、先駆的な千葉の条例づくりや調整委員会にとりくむ高梨さんの人生の「光」とオーバーラップするようです。

薗部 英夫(全国障害者問題研究会事務局長)

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