『自分の中の新たな発見』
〜受賞のその後〜
-
樺沢 忍 さん 1963年生まれ、主婦、東京都在住
脳性まひ
42歳の時に第41回(2006年)佳作受賞
樺沢 忍さんのその後のあゆみ
『自分の中の新たな発見』
私を母にしてくれた息子に感謝
受賞から9年、子どもたちがある程度育った今に感謝です。
上の子が生まれて、1才のある日、私は音楽教室に通わせようとしました。一日体験があり行ったところ、タイコの音、タンバリンの音がびっくりで大泣きをされてしまいました。その時、しっかり私のヒザの上にのり、肩をしっかりつかんではなれませんでした。その時私は母なんだと実感をさせてもらえたのは、感謝でした。その後の母としての生活には、新たな発見がいくつもあったような気がします。
中学の時に息子が学校に行きたくないと言った時がありました。「学校では勉強できないから、家でやる!」と言うのです。私はこれが続いて不登校になったらどうしようとの思いで、勇気を出して学校に相談に行きました。校長先生は、話をきいてくれましたが「お母さんみたいな親ごさんは、はじめてです。今の親ごさんは、生徒をしかると、なんで家の子をしかった、と教師の方がしかられるんです」という答えでした。私は「今の親ってすごいんだなー」と考える半面、「やはり私じゃダメかー、ていよくかえされて」と思いました。でも息子に通じたのか、それから学校は休まず行ってくれました。
高校にはいり、いよいよお弁当作りです。主人には作っていたけど母として毎日作るのは、初めてです。おいしさは別として、3年間、楽しかったです。
母としての発見がいろいろ出来、息子に感謝です・・・。
その息子も、今は大学生、沖縄で一人くらしです。目ざすはドクターです。がんばってほしいです。
母としてより多くの経験をさせてくれた次男
私自身は、小、中、高と養護学校でした。普通校なんてこわくて行こうとは思わなかった私が普通校に出向くようになったのは、私と同じ障害がある息子の一言でした。「にいに(兄)と同じ小学校に行く!」と言ったのが始まりでした。
大人の付き添いが通学の条件なのでボランティア探しです。何もかも私にとっては、初めての体験でした。最初は社会福祉協議会に相談したけれど見つからず、自分でチラシを作って近所のスーパーに貼らせてもらいました。これを見た近所の人がボランティアをしてくれることになったときは、地域のやさしさにふれられてうれしかったです。ボランティアさんがいない時は私がつきそいます。教室の中にいるとなつかしい感じがしました。養護学校より生徒は多いし大変そう!という印しょうでした。給食が一緒にたべられたのはうれしいひとときでした。
ある日、ボランティアさんが見つからず私も歩くのが大変で担任に相談したところ「お母さん、まじめにちゃんとボランティア見つけてるし、ボクも協力するよ」って言ってくださり、子どもを休ませないですんだのはとても感謝でした。
息子は学校でお友だちと会うのが大好きなので、休ませたくはなかったのです。介助員制度を週2日にしてもらえたのもありがたかったことでした。ボランティアさんは、長い人では小学校の6年間続けてくれました。今も近所で会うと声をかけてくれる人もいます。息子が小学2年生になった頃、せっかく息子を通わせてもらってるんだから障害の事をわかってもらおう!と思い、○○通信という新聞をはじめました。進級してクラスや担任の先生が変わった時に、息子の紹介を書いたり、リハビリでいい変化があったときにその報告を書いたりしました。いろんな人に許可をえて配布にこぎつけました。はじめてのこころみでしたが、新聞の発行を楽しみにしてくれたり、息子の成長を一緒に喜んでくれるお母さんもでてきて嬉しかったです。
そんなこんなをしていると息子は、高学年になって、いじめの対象になっていました。息子に何回か、もう支援学校に行く?と聞きましたが、「この学校で卒業証書もらうの」と言うので卒業まで通わせました。母としていろんな体験をさせてくれた息子に感謝です。
もうひとつ感謝することがあります。それは、車の運転が出来るようになった事です。
免許はあったのですがペーパードライバーでした。上の子が生まれても電車と歩きで行動出来たので、さほど必要性は感じませんでした。
ところが下の子が生まれて6か月ごろから、病院に連れていく生活がはじまりました。
それから、友人にペーパー脱出のお手伝いをしてもらいましたが、結局教習所に行くことにしました。教習も一通り終わり、実践あるのみです。今も運転は楽しんでます。息子のためとはいえ、運転によって私の行動範囲が広くなったので、息子に感謝しています。
その息子も今は特別支援学校の高3で卒業の年です。スーパーの店員さんになりたいそうです。人との出会いが好きな息子、いろいろ出会いを経験してほしいと思う今日このごろです。
私のあらたなステータス
私は、電動車いすで傾聴ボランティアの活動を行っています。カウンセリングというか、相手の話を聞いたりする活動です。以前から時々していましたが、子どもたちがある程度育った今、活動の時間がとれるようになりました。最初は自分の勉強のつもりでやっていましたが、今は私が行くのを楽しみにしてくれている人もいて、まさに人生でたどりついたステータスです。活動を行なっているといろいろな人に出あえます。「がんばっているねー、こんな明るい障害者いたんだー」なんて声をかけてくれるので、逆に元気をもらうことも多いです。これからもさまざまな出会いを通して、また自分の中の新たな発見をして、感謝をしてはげみたいと思っています。
福祉賞50年委員からのメッセージ
かつて、樺沢さんの「障害観」を大きく変えた旦那様との出会い。その後を綴る今回の手記には、その旦那様が登場しません。医師を目指す長男と、支援学校の卒業を控えた次男、そして樺沢さん自身が「ステータス」だと語る傾聴ボランティアで出会う人々ばかりが語られます。樺沢さんの中で、「出会い」が連鎖し、人生の根が着実に広がり続けていることを感じさせてくれました。
玉井 邦夫(大正大学教授)