NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『出会いは宝』

〜受賞のその後〜

大野 葵 おおの あおいさん

1943年生まれ、無職、福岡県在住
精神障害(不安障害)
70歳の時に第48回(2013年)矢野賞受賞

大野 葵さんのその後のあゆみ

『出会いは宝』

授賞式の大野さんの写真

NHK障害福祉賞受賞から2年近くが過ぎたが、まだあの時の興奮状態の余韻が残っている。
 受賞式の前日、カウンセラーと上京、生まれ育ち、良くも悪くも思い出いっぱいの神田の町を歩いた。50年前に住んでいたところ、小学校、中学校の跡地を訪ね、昔を思い、今の自分を思い、胸が熱くなった。
 子どものころから、自分は他の人とは違う世界にいるようで、いつも一人だった。「おまえはいらない」と言われ、訳の分からない生きづらさをいっぱい抱え、それはすべて親のせいだと思い、恨みや憎しみの中で生きていた。
 親から逃げて九州に来てからも、人の中に入っていけず、自分の気持ちを言葉で伝えることもできないまま、家族にしがみついていた。
 普通になりたい…と願いながら叶わない現実に失望しながらも生活や子育てに追われ、自分を抑えて生きていた。

更なる苦難、そして一歩前へ

娘が精神の病気になった時、もうこれですべてが終わり……と思ったが、死からも見放された私はそこで初めて助けを求めた。
 カウンセリングや自助グループにつながり、過去と向き合い、整理をしていく。
 親への憎しみから少しずつ解放されていく中で家族会や市の支援にも支えられ、心が軽くなっていった。
 そんな時、たまたま目にしたチラシとの不思議な出会いで夜間学級に通うようになり、人との関わりが苦手だった私にともに学ぶ仲間ができた。そこでは、少しずつ素の自分を出せるようになり、様々な体験が自信になり、変わっていく自分を感じるようになった。
 自分を「生きている」……と感じられることが何より嬉しかった。
 そんな中でのNHK障害福祉賞への応募だった。しかも、まさか!の入賞である。自分の書いたものが活字になり、本になる。人生、捨てたものではない。この年になってこんなことが起こるとは。

夜間学級が明日を生きる力

体育の授業(卓球)
体育の授業(卓球)の写真
英語の授業
英語の授業の写真
家庭科の授業(調理実習)の写真
家庭科の授業(調理実習)

夜間学級に出会って7年目に入った。
 夜7時、城南中学校「夜間学級」の灯が迎えてくれる。「こんばんは!」「アニョハセヨ!」の声が響く。
 様々な事情で学ぶことが出来なかった人たちが集い、楽しく学習している。
 若い人から80代まで幅広い年代の30人余り、韓国の人や中国の人もいて国際色豊かである。
 1時間目は課題学習、それぞれのレベルにあわせてマンツーマンでの学習で、英語や漢字など用意されたプリントをしたり、私は漢字検定を目指して覚えの悪い頭を振りしぼっているが、そんな自分が嬉しい。
 2時間目は各教科の勉強で、9教科を担当の先生が教材やプリント等工夫して楽しく学べるように考えてくださる。課外授業や遠足、合宿、文化祭、夏休みには毎年韓国の「ナザレ園」を訪ねる旅もある。一昨年の15周年には、全員の言葉を入れた学級歌を作り、一文字ずつ銅板に彫り、昨年新築された教室に飾ってある。
 現役の先生、元教師、一般のボランティアさんの温かい愛情にあふれ、家族のような仲間とのきずなの中で学べる夜間学級に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいである。
 どんなに疲れていても学級に行くとシャキッとなる、不思議な力をもった学級である。
 年なりに体も頭も衰えているけれど、毎日学級に行くことが、明日を生きる力になっている。

中学校で話す

昨年(2014年)2月、夜間学級のスタッフでもある先生から、先生が勤務する中学校の「立志式」に招かれた。夜間学級の代表の先生と2人で行った。
 広い体育館で先生、生徒、父兄の前で生徒会の人と一緒に「夜間学級のうた」を歌い、「学ぶことは生きること」というテーマで話した。小中学校時代、複雑な家庭で育ち、学校になじめず孤立し、人と接することが苦手だったこと。そんな私が50年以上経って、引き寄せられるように夜間学級に出会ったこと。愛情あふれる学級の中で少しずつ人への怖さもなくなって、変わっていく自分を感じられるようになったこと。そんな私のこれまでのことを話した。
 厳粛な空気の中で緊張し、涙も出てしまったけれど、大きな拍手をいただいた。
 この時も、壇上で話している私を、もう一人の私が横で眺めているような不思議な感覚になった。自分の変化に追いつけない昔の私が戸惑っているのだろうか。

自分史づくり

自分史の表紙写真

カウンセラーと出会って12年になる。
 不安症の治療と並行して、カウンセリングに通っていた。私の不安と緊張のもとを辿り、自分を変えて娘を支えなくては…との思いだった。
 全てのことに自信が持てず、自分の全てを否定していた私の話を、ひたすら受け止めてもらえることが嬉しかった。心の中を出す度に心が軽くなるのを感じた。カウンセラーの紹介で書き方の先生とも出会うことができた。言葉に表すことが苦手な私に先生は文章を書く事を勧めてくださり、過去を振り返り書くと、次回までにプリントアウトしてくださった。
 そうして気がつけば10年近い時が経っていた。障害福祉賞への応募はそんな頃だった。「せっかくなので、これまで書いてきたものを形にしませんか」とカウンセラーに言われ、障害福祉賞の受賞に背中を押されるように取り組みはじめた。カウンセラーも初めてのことで、気持ちのままに書いた文章を見直したり、写真や絵を入れたりと手探りしながらで半年くらいかかった。
 家庭用のコピー機で片面ずつ印刷する。色が入らなかったり、インクで髪が汚れたりとパソコン等ができない私の知らないところでずいぶんと苦労をかけてしまったようだ。題字もカウンセラーに書いていただき、最後の製本だけを業者に頼んだ。2014年10月に完成!

出来上がった手作り感満載の自分史を手に取り、2人とも言葉にならず涙があふれた。
 今日につながる可能性の芽を見つけ、引き出し、私の世界をこんなにも広げて下さったカウンセラーに感謝の気持ちでいっぱいです。

今日このごろ

自分史の完成で少々気が抜けていたころ、不注意から肩の骨を折り、それまで続けていたストレッチができなくなったことで、急に背中が曲がり、歩くことがつらくなって今は杖を使っている。それでも、週5日の夜間学級には6年間ほとんど休むことなく通っている。
 夕方、一緒に暮らす息子の食事の支度をして5時には家を出る。学級での楽しい学習を終えて、帰り着くのは9時半くらいになる。
 今の私は、この夜間学級に通うことが明日への力の源になっている。

70歳を過ぎた今、こうして仲間の中で楽しく過ごせる場に出会えたこと、そして今、それができる状況にあることを心から感謝している。
 気力と体力の続く限り、人生死ぬまで成長できると信じて、今日も夜間学級に行ってきます!

福祉賞50年委員からのメッセージ

受賞された時が2013年で70歳。その10年前までを知る人なら、きっと大野さんの変化に驚かれるでしょう。入選作品を読み進んだ私の感想も「すごい。年を重ねても人は変われるものだ」「あっぱれ」でした。母親を許すことで、ご自身の解放の助けになったと言われたが、はたして私なら出来るだろうかと思います。「時の流れとは有難いもの」という言葉にすべてを受け入れた人の強さを感じます。
過去を取り戻したい、とは言わない。今、そして未来に向いている姿勢が、大野さんに接する多くの人に幸をもたらすことでしょう。

鈴木 ひとみ(ユニバーサルデザイン啓発講師)

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