NHK厚生文化事業団 「私の生きてきた道 50のものがたり」 障害福祉賞50年 - 受賞者のその後

『失敗の中で』

〜受賞のその後〜

近藤 己順 こんどう みのぶさん

1982年生まれ、アルバイト、大阪府在住
アスペルガー症候群
24歳の時に第42回(2007年)佳作受賞

近藤 己順さんのその後のあゆみ

『失敗の中で』

私がNHK障害福祉賞で佳作を頂いたのは24歳の時。その当時アスペルガー障害と診断され2年がたち、あふれ出て止まらない気持ちを文章に表現した。現在私は32歳。診断されてから10年が経とうとしている。今も悩んだり、苦しんだりしているけれど、できるだけ落ち着いた穏やかな毎日を過ごそうとしている。

障害を分かったつもりだった自分

受賞後、障害者職業訓練センターを卒業し、短時間だけど働けることになった。ドラッグストアの品出しの仕事だ。初めて働かせてもらい、自信と嬉しさでいっぱいだった。新聞やテレビ等に出演させてもらい、その姿を映してもらったりした。いろいろな形で、アスペルガー障害を知ってほしいと訴えかけた。自分にはそれができるという自信があった。何もかもわかったような気がしていた。

けれど私は、そのころまだ自分で自分をコントロールする力がなかった。だから、自分の思い通りにいかないと自分や周りを傷つけてしまうひどく自分勝手な人間だった。あの文章を書かせていただいた後も、恥ずかしいことに、トラブルばかり起きた。当たり前だけれど周囲は私を責めた。責めて怒られるから、また傷つく。そんな悪循環を繰り返していた。
 小さい頃に経験した強い悲しみや恨み、怒りはそう簡単に消えてくれてはいなかった。今思えば、もっとゆっくり傷を癒し、二次障害をきちんと良くしてから、社会に出たり、障害のことを話していくべきだったのかもしれない。

そんなある時
「身体が痛い」
 そう言い寝込む日が出てきた。どんなことをしても良くならない。けれどどこを検査しても悪いところは見つからない。調べに調べて行き着いた病院で、慢性疼痛症と診断された。主にストレスが原因で身体が痛くなるのだという。私はお世話になった職場を泣く泣く去る事にした。

変化〜 一歩一歩前へ

人生2回目の療養生活が26歳の時に始まった。痛みで寝込む毎日。疲れ果てていた。けれどその頃から、ようやく親と本音で話せるようになった。カウンセリングや薬の効果が現れてきた。支援センターにも通い詰め何度も何度も自分と向き合った。私が昔やってしまったことを知っても、友人だと言ってくれる人が現れた。それらをきっかけに立ち直りたいと思った。生きたいと思った。私はいろいろな人に支えられている。感謝の気持ちをもった。私を助けてくれたのは、私の味方でいてくれる人たちだった。

二年近くかかったけれど慢性疼痛や精神疾患を多数の薬で抑えられるようになった。再び仕事を探し、障害者雇用で短時間働くことになった。今度は事務の仕事だ。前職の時も働くときだけは一生懸命頑張っていた。でも新しい職場では、あのころよりもっと頑張って働こう、そして大切にしようと思った。働くことを中心に毎日を過ごしていった。

旅行先での近藤さんの写真

職場に恵まれ、みんな私でもわかるような説明をしてくれる。困ることができるだけないようにしてくれる。一つずつ丁寧に説明をしてくれたり、一つの仕事が終わってから次の仕事を指示してくれたり。焦らないようにしてくれる。だから私もますます頑張ろうと思える。思い切り仕事をしようと思える。もうすぐ働き始めて4年目になる。失敗も多いけれど、ほんの少しでも役に立てるようできる限りの努力をしたい。

また家族にも変化が起きた。私が新しい職場で働き始めた頃、妹が結婚をし、姪が産まれた。私は現在二人いる姪を宝物の様に大切に想っている。ここまで心から誰かのために何かをしたいと思ったことはなかった。そんな気持ちが自分にあったことが嬉しかった。

現在は仕事をし、帰ってきたら姪達と遊ぶ。家事をしたり、友人と遊んだり、家族と旅行に行ったりしている。小さい頃にはとても思い描けなかった、素晴らしい毎日がそこにある。もちろんもっと自立できたらと思うけれど、焦らず一歩一歩進んでいる。人生で今が今までで一番まともだと思っている。

失敗から学び、成長する

もちろん順調な事ばかりではない。トラブルが起こっていた頃のことをフラッシュバックするときがある。学生時代の夢を見て恐ろしくなるときがある。精神疾患も痛みも沢山の薬で抑えているだけで、まだまだつらい。身体は常に調子が悪くやはり毎日生きているだけで大変と思うときが多い。気持ちのコントロールも難しくパニックになり泣き出してしまうときもある。以前に比べたらマシだけれど、課題は多い。

障害のこともよく考え、悩む。私はアスペルガー障害という障害をきちんと理解していないのではないかと思う時がある。だから自分にできることとできないことがわからなかったり、キャパを越えてしまうことが多い。定型の方(発達障害のない人)と比べてできないことに落ち込んでしまったり、必要以上に気にしたりしてしまう。正直そんな自分がいる。考えれば考えるほどわからないことだらけと感じてしまう。こんなんでよくアスペルガー障害を自信満々に語ろうとしていたなあと思ってしまうくらいである。

また、同じ障害の方でも、私とは逆で 「定型の人たちの気持ちを理解しようとしてみよう」 と言ってくれた方がいた。私は自分の気持ちを訴えるばかりで、定型の人たちや、他の人たちの事をわかろうとしていなかったことに気がついた。私は他人を思いやる気持ちに欠けていた。だから傷つけてしまっていたのだと思った。
今も自分の事で精一杯だし、自分の気持ちを第一に考えてしまう勝手な所はある。でもできる限り、周りの事も考えていきたいと心から思っている。

私は成長が人より遅い。だからみんながもっと早く、若いうちに気がつくことを今頃になって気がついた。日々の生活をきちんと送ることの難しさ。現状を維持することの大変さ。みんなの当たり前は一人一人の頑張りによって成り立っていること。人を大切にすること。自立したいと思う気持ち。自分からどんどん動くことの大切さ。他にもたくさんある。遅いかもしれないけれど私の世界は確実に広がっている。希望を持ちたいと思う。

近藤さんの写真

私は決して佳作を頂いた頃の自分を否定ばかりはしない。あの頃幸せに向かって確実に頑張っていた自分がいる。幼さからその後つまずいたし、絶望に陥った事もあったけれど、あの受賞が、部屋に飾っている賞状が、つらいときの励みになった。大きな自信になった。それをきっかけになかなかできない経験もたくさんさせてもらった。そこから学んだことを私は決して忘れない。感謝の気持ちでいっぱいである。

福祉賞50年委員からのメッセージ

人間関係がうまく築けないということは、子どもでも大人でも生きづらさをもたらす原因となるものですね。近藤さんが第42回佳作賞を受けられた時の手記と、10年近く経って「その後」を書かれた今回の手記を合わせ読むことによって、いまだに一般にはよく理解されていないアスペルガー症候群の人の苦しみと、そういう人を周囲や社会がどう受け容れるべきかが、はっきりと見えてきたと思いました。なかでも理解ある友と暖かく支えてくれる職場との出会いは、近藤さんが生きなおすとても大事な条件になったに違いないと感じました。

柳田 邦男(ノンフィクション作家)

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