『オープンで働こう』
〜受賞のその後〜
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北村 庄子 さん 1964年生まれ、物流会社勤務、大阪府在住
統合失調症
38歳の時に第37回(2002年)優秀受賞
北村 庄子さんのその後のあゆみ
『オープンで働こう』
奇跡の就職から5年
昨日、春分の日は、休日出勤だった。
就職をするということは、偶然と偶然が重なり、小さな奇跡の運というものだなと昨日は思った。
現在の職場である大阪の物流会社の人気のある靴の倉庫で働きはじめて、今年(2015年)の9月で5年目に突入する。
障害をオープンにして働くことが、精神的にもこんなにも、ラクだとは思わなかった。
そもそも、ハローワークの障害者枠で、16社目で採用された求人だった。働くことが1年続けば、夫サトルもひとり娘のアヤもおんのじという甘い考えだった。
薬は今も25錠飲んでいる。優秀賞を受賞した時働いていた生命保険会社は、長くは続かなかった。ピアヘルパー2級の資格を取得するからと、退社した。
ある団体が主催する、こころの悩みセンターに通い、2006年にピアヘルパーとホームヘルパー2級を修了した。
早速、家の近くの介護付き老人ホームの面接に行った時、
「私はタバコ吸うから休憩時間には家に帰りたい」と言ってしまい不採用。
そこで、携帯の占いサイトで「今日は禁煙に良い日、成功する」とあり、豊中のさわ病院の禁煙外来の扉をたたいた。
NHKでの授賞式の時も、緊張のあまりにタバコを何本も吸っていたのだ。
禁煙に成功!
絶対に禁煙出来ないと思っていた。しかしライターと灰皿は捨てて、タバコはアヤに水浸しにされた上、お習字で「禁煙」と書いて目につくところに貼られた。
精神障害者の喫煙率は高い。ニコチンが精神安定剤の代わりにもなっていたのだと思う。
だが、いざ禁煙活動をはじめると、それは楽しいものだった。毎晩禁煙日記に吸ったタバコ0本と書くのだが、0・0・0が続くと嬉しくなってきた。
ニコチンパッチを貼り、喫茶店や居酒屋も行かないことにした。
朗報!2007年の大晦日から現在も、禁煙に成功している。もう私のことは、「精神障害者」ではなく、「禁煙成功者」という肩書をつけてもらいたいものだ。
禁煙を達成した私は怖いものはなかった。
今まで百貨店や、104の番号案内や写真の現像やら、カバンやTシャツの企画メーカーなど転々と仕事をしてきたが、まず休憩時間にタバコが吸えるやろうか?が働く決め手。しかも障害についてクローズして働くので最後にはノイローゼになり辞めてしまう。
しかし、禁煙したらお弁当と薬とペットボトルを持って、身一つで出勤出来る。
障害をオープンにして求職する
特別養護老人ホームで、3年近く障害者枠で働いていたが、3.11の東日本大震災の事で私の病気の統合失調症が酷くなり、突然辞めた。
だが、特養の施設長が雇用保険に加入していてくれて、再就職手当が30万近く貰えるとの事。欲が出てしまった私はハローワークの障害者求人を探した。
デイサービスは「僕たちも福祉の仕事をしていますが、スタッフの障害者のケアまでは無理です」
と、お断り。車の免許もないのも、お断り。
ハローワークの障害者担当の人は、アパレルの検品など向いていると服の倉庫の仕事を2社紹介してくれた。が、面接中に緊張のあまりに、過呼吸になってしまったのだ。
と言うのも、精神障害者を初めて雇う人事部のひとたちに、裸にされているように質問攻めにあったのだから、無理もない。
「精神障害者てどの様な人だろう?」と興味津々。私は悪いこともしていない、ただこころが繊細で弱いだけだ。
そんな就職活動をしていて、震災があった年の8月末。履歴書を郵送したことも忘れていた物流倉庫会社から電話があり、「明日面接来れますか?」との事。即答で「行きます!」とその夜、夫サトルと倉庫の下見にまで行った。
とにかく、ニコニコ笑顔で面接に臨んだ。
パソコンで作った履歴書と職務経歴書に禁煙達成したことをPRして、ちょっと可愛いく見えるように修正した証明写真を添付して送ったのだ。
人気のある靴メーカーの倉庫だった。
「北村さんは笑顔の多い、ほがらかな方ですね」
と、言われたが、社交辞令と思っていた。翌日、採用するとの電話がかかり、友達やら夫サトルやらに、「採用されたで!」と連絡しまくった。
靴を仕分けし、梱包して出荷する。入庫してきた新製品をかごのついた車に載せる。同じことの繰り返しだが、靴には四季があり月日が過ぎて行く。
4年も同じ職場で、働くのは初めてだ。
障害をオープンにして得られた幸せ
ひょんなことからSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を始め、高校時代の同級生が絡んだ交友が続き、私は毎朝3人前のお弁当をUPしている。友達は80名近くになった。
奇数月に童話教室にも通い、作品を書いてもいる。
外食することが怖い。隣の席の他人を人間観察してしまうのだ。だから朝5時起きでお弁当と朝昼晩の食事をアヤと作っている。
アヤも18歳。この春、高校を卒業し近場に就職した。
昨年、夫サトルが糖尿病になり、入院。
無事退院して10年以上、ねじの問屋で働いている。このひとと出逢えて良かったと思う。夫サトルにもオープンで結婚した。
「そんなこころの病、俺が治したる」
と、言ってくれたから。
6月で20年目の結婚記念日。幸せになりたい努力はしたと思う。今年は初めて梅干しを漬けるよ!お弁当箱に入れたいので。
オープンで働くことには大賛成。クローズだと「変わっている」と思われるが、後で精神障害があるとわかると、「やっぱり」と納得される。こんなつらいことはない。
「私は精神障害者です」と言う必要もない。周りが人事のひとから小耳に挟むくらいの事。
オープンで働く、結構おススメです。
福祉賞50年委員からのメッセージ
精神障がいというなかなか周囲に理解してもらえない障がいをもちつつも、常に前向きなのに感銘を受けます。「オープンにすること」、他の障がいにもメッセージ性がある。コミュニケーションをとるためには、お互いのことを知るところからスタートする必要がある。
また、禁煙は単純にすごいことだと思った。今後もいいメッセージを発し続けてもらいたい。
貝谷 嘉洋(NPO法人日本バリアフリー協会代表理事)