『私は私の人生の主人公』
〜受賞のその後〜
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江上 幸 さん 1977年生まれ、主婦、埼玉県在住
統合失調症
32歳の時に第45回(2010年)佳作受賞
江上 幸さんのその後のあゆみ
『私は私の人生の主人公』
転機
私は現在、埼玉県に住んでいます。
受賞当時は愛知県の両親の元で生活しながら、アルバイト、自助グループ、そして「こころらじお」の活動に明け暮れていました。こういう生活がこの先もずっと続いていくのだろう、と思っていました。
転機が訪れたのは2011年。5年ほど前から交際していた男性と一緒に生活するため、実家を離れて埼玉県へ引っ越したのです。相手の男性も私と同じく統合失調症で、治療をしながら働いています。
一緒に暮らすという話が持ち上がったとき、両親はいい顔をしませんでした。私が統合失調症を発症したのが実家を離れて結婚生活を送っていたときだったということと、何かあっても(大きく体調を崩すような事があっても)すぐに駆けつけることのできる距離ではないから、という2つの理由が大きかったようです。もう一つは、相手も同じ病気であること。共倒れになりはしないか、と心配だったようです。そんな両親の思いを少なからず知っていたので、無理に話を進めることはしませんでした。両親に「埼玉に行かせてもいい」と思ってもらうために一番効果があるのは、私が頭の中で考え抜いた言葉で話すのではなく、日々の生活や仕事などから自然にでてくる態度や言葉なのだろうと考えました。
言葉ではなく態度で
なぜそう考えたのか——それは、「こころらじお」での経験が大きいと感じます。ラジオで取り上げる事のほとんどは、経験に基づいた話です。経験に裏打ちされた言葉は、どんな素晴らしい言い回しよりも説得力があり相手に伝わります。そんな場面に収録のたびに遭遇し、驚き、そして納得していました。
だからこそ、両親の気持ちをうわべの言葉だけで変化させることなんてできるわけがないと知り、焦らずゆっくり時間をかけて両親が「行ってもいい」と了承するまで待ったのです。
一緒に住むことに納得してもらい、引っ越してからも「2〜3ヶ月に一度は顔を見せにきて欲しい」という両親の願いをうけ、年に5〜6回は帰省するようにしていました。帰省した際、両親から「調子が悪いのでは?」と指摘されたこともあります。確かにそう言われるときは少し調子が悪いときでした。そんな時は埼玉に帰宅後、とくに注意して過ごし、それ以上調子を悪くして両親や共に生活する彼の心配をできるだけ軽くするように心がけました。
引っ越して1年経つ頃に愛知の自助グループを新しく代表になる方に完全に引き継ぎ、生活基盤を徐々に埼玉に移していきました。その間も、「こころらじお」の収録を続けました。ただ、スタッフがそれぞれ就職したり私のように新たな生活を始めたり・・・と忙しく、次の放送収録までにかなりの時間が空いてしまうこともありました。それでも、今でも「こころらじお」は続けています。最近では、統合失調症の患者同士の結婚について、メリットとデメリット・苦労したこと・悩んだこと、などについて取りあげました。次は記念すべき20回目の放送分を収録する予定です。
私は「こころらじお」以外にも、色々と活動の幅を広げています。近くで開催される自助グループの集まりに顔を出したり、元気に過ごすためのワークショップを開催したり・・・そして自宅では主婦として日々忙しくしています。愛知県の実家にいたときとあまり変わらない生活をしているんじゃないか、と感じています。
そして、埼玉県での生活が充実してくると、実家へ帰省する回数も徐々に減っていきました。今では年2〜3回帰省するくらいです。それでも両親は何も言いません。帰省するときの私の言動が、両親をある程度安心させているのかもしれません。やはり生活の充実度合いなどは、言動に大きく影響するようです。
活かす経験・人生の目標
しかし、引っ越してきてからの約4年間で大きく変化したこともあります。関節症性乾癬(かんせん)という、新たな人生のパートナーが現れました。皮膚病である乾癬に加え、それが原因で関節痛や関節破壊が起こるという病気です。ひどいときには手指が腫れてこわばり、動かすと痛いので何も出来ません。そしてこの病気も、統合失調症と同じく現代の医学では完治という言葉が存在しないのです。
それでも絶望しませんでした。痛いのは嫌です。できれば痛くないほうがいいです。関節破壊が起きて指などが変形してしまうかもしれない、という恐怖もあります。でも私は、20代の頃に統合失調症を発症してつらいことも悲しいことも・・・色んなことをたくさん経験してきました。その経験を本当の意味で活かす時がきたんだな、と思うのです。
今の私の目標は、一緒に生活している彼との入籍です。前述のように以前の結婚生活の中で統合失調症を発症したため、両親はいまだ入籍には首を縦に振りません。そんな両親の不安を受け止めつつ、私自身と彼、そして私の家族と彼の家族が笑顔でいられるような道をこれからも模索し続けていきます。
道のりは長いかもしれません。けれど、私の人生の主人公は、他の誰でもなく、私です。
ハッピーエンドでカーテンコールを迎えられるよう、一歩一歩進んでいきたいと思います。
福祉賞50年委員からのメッセージ
同じ障害をもつ人同士が、互いに、情報交換して励まし合うことが、生きる希望に大きく影響するものだと知りました。それが「こころらじお」です。運営する障害を持つ当事者が、社会復帰への勇気を取り戻し、さらに視聴者の希望へと繋がっている。現在の江上さんはパートナーとの結婚をご両親に認めてもらうことを目指しておられますが、その方法は「言葉ではなく態度で」と言う。それは、自分の心に向き合うことや、江上さんの経験を他の障害者に活かしてもらうことを意味するのでしょう。どうぞ、ご自身のペースで、人生の目標を手に入れてください。
鈴木 ひとみ(ユニバーサルデザイン啓発講師)