『夢を追う私―詩集「おもい」に寄せて―』
〜受賞のその後〜
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村上 美帆子 さん 1959年生まれ、施設入所、埼玉県在住
脳性まひ
52歳の時に第46回(2011年)優秀受賞
村上 美帆子さんのその後のあゆみ
『夢を追う私―詩集「おもい」に寄せて―』
親元を離れて入所施設へ
私はいま障害者支援施設で生活をしています。ここに入るきっかけは精神的な自立をしたかったからです。親と家から離れれば、少しは自立できるかなと思い入所することにしました。しかし結局は今でも親には心配ばかりかけています。それでも知らない人の中で生活をしてきて、自分では少しは成長したかなとも思います。私にとって、ここでの生活はいろいろな経験をすることができ、また多くの出会いもありました。
入所した時は正直言ってどうやって生活していけばいいのか分かりませんでした。家を離れた淋しさに、恥ずかしいけれど何回か泣いたこともありました。
ここは2人部屋で、知らない人と一緒に暮らすことに不安を感じました。最初の人は私より年がずっと上で、私は言語障害、その人は難聴で、どうしたら日常のコミュニケーションがとれるか、いろいろと考えました。最初のうちは紙にワープロを打って会話をしていましたが、ワープロを打つのが大変で、その頃私はまだ足が動いていたので、床の上に足で字を書いて見てもらい、何とかコミュニケーションをとることができました。そうして、その方とは一番の親友になる事ができたのです。
その方から沢山のことを学ぶことができましたが、8年前に突然病で亡くなられてしまいました。ショックで心にぽっかり穴があいて、悲しみと淋しさにどうしようもありませんでした。その人は沢山の素敵な思い出を残してくれました。二人でお茶を飲んだり、買い物に行ったり、クラブ活動で一緒にいろいろな物を作ったりしました。時には意見が合わずに言い合いをしたこともありましたが、充実した生活を送ることができました。あの方の一言が忘れられません。「あなたと一緒の部屋になれてよかった。あなたと出会えて本当に幸せでした」と。
施設での生活は辛いこともありますが、楽しいことも沢山あります。家に居ては経験できないクラブ活動や、年中行事「秋まつり」「日帰り旅行」など数えきれないほどのことを体験することができ、また、沢山の出会いもありました。
新たな生きがいを見つける
私が36歳のときです。私は絵を描くことが大好きで、油絵を足で描いていたのですが、足の機能が次第に衰えてきて、一人で描くことが難しくなったのです。それでも描きたくて、キャンバスを押さえてくれる人を探してもらい、Nさんというとても良いボランティアさんが見つかりました。そのおかげで、また絵を描くことができました。それは私の生きがいとなり、絵を描いているときが幸せいっぱいの時でした。私が42歳のとき作品の個展を開くことができたのはその人のお陰でした。でも、個展が終わった頃から足が殆ど動かなくなり、絵が描けなくなってしまったのです。私が落ち込んでいるとき、その人が言ってくれました。「絵を描くことだけじゃないでしょう。考えることができるのだから、考えていることを文章にして本にしたらどうですか」と。
「でも、言葉が不自由な私に、本なんて書くことができるかしら」と私は言いました。「ゆっくり書いていけばいいでしょう」と書くことをすすめて下さいましたが、何を書いたら良いのか分かりません。「貴女が今まで生きてきたことをそのまま書いたらどうでしょう」と励まされ、思いきって書いてみることにしました。
子供の頃のことは両親に聞いたり、日記を見たり、記憶をたどりながら、Nさんに、私の分かりにくい言葉を根気よく、一言ずつ確かめながら書き取って頂きました。そうして6年かけ一冊の本「足さんありがとうー夢にかけた両足ー」が完成しました。その時の喜びは今でも忘れられません。家族への思い、楽しかった学校時代、恋をしたことなど、書ききれないほどの私の思いがたくさん詰まっています。聞き取りにくい口述を書きとって下さったNさんあっての結果です。
その後も童話を書いたり、沢山の詩を作ったりしました。Nさんとの出会いがなければ今の私はなかったでしょう。
そして、たまたま目に入ったのが、施設の掲示板に貼られていた「NHK障害福祉賞」の応募用紙でした。また書きたいという気持ちが大きく膨らんでいきました。でも、あまり時間がありませんでしたが、実習生を中心に職員の方やボランティアさんの応援で書きはじめ、何とか間に合うことが出来ました。結果はどうあれ一生懸命書いたことに満足できました。
数か月たって賞に入ったことを職員の方から突然知らされました。びっくりしました。私の作品が全国の方に読んで頂けるのは恥ずかしいと思う気持はありましたが、喜びはしゃいで皆に知らせました。
夢の実現 詩集の完成
賞を頂いたことは、私の人生を少し変えたような気がします。その年の12月にNHKのラジオ放送「ともに生きる」のなかで、アナウンサーの方と詩について話し合い、励まされたことが詩集をつくる意欲をわかせてくれました。放送を聞いて下さった多くの方から、お褒めと励ましの言葉を頂きました。
そうして、最も嬉しかったのは、夢であった詩集を作ることが実現したことです。多くの方たちに手伝って頂き、沢山の詩の中から私の思いが詰まった詩を選びました。賞で頂いたお金を使って、詩集「おもい」が出来上がったのです。200部作り親しい方や親戚の皆さんに贈りました。
障害福祉賞受賞のことと合わせて、職員の方が近所の高校まで行き、この本を紹介してくれたこともあります。生徒さんから感動しましたとの感想文を沢山もらいました。
私にとって優秀賞を頂いたことが、新たな自分を見つけ出したようで、また、書くことに少し自信が持てたような気がします。これからもいろいろなものを書いていきたいと思います。
詩集の中から、私の詩に対する思いを綴った作品を紹介させてください。
詩をかくこと
私にとって 詩を かくことは
ありったけの胸の中を さらけ出す
今の私は 詩を書くことで
気持ちを豊かにしている
かく ことは 難しい
大変なことだけれど
やはり 詩を 書いていたい
それが 今 私にできることだから
私は今年で56歳になります。だんだん言葉が上手く話すことが出来なくなっています。けれど、できるだけ努力をして、私にしかできない後悔しない人生を送っていきたいと思っています。
この原稿を書くにあたって、聞き取りにくい私の言葉を、根気よく時間をかけて書き取って下さった実習生の方、支えて下さったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、ここに入って沢山の夢をかなえることが出来ました。いつまでも、私の夢を追って生きていきたいと思っています。
口述筆記 平野渚(埼玉福祉専門学校実習生)
福祉賞50年委員からのメッセージ
絵画、文字、料理・・・村上さんは、足で人生を豊かに変え続けてきました。受賞作品の最後には、病状の変化によりその足が動かなくなる現実に向き合い、足に感謝する思いが綴られていました。受賞は村上さんに詩集の出版という夢をかなえることになりました。手が無理なら足で。足が無理ならば聞き取ってくれる人の力で。夢を追う村上さんの「おもい」は、形を変えながらずっと続いているのです。
玉井 邦夫(大正大学教授)