『二つの難病と生きる人生』
〜受賞のその後〜
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野上 奈津 さん 1962年生まれ、主婦、東京都在住
筋ジストロフィー(顔面肩甲上腕型)、特発性血小板減少性紫斑病
44歳の時に第42回(2007年)佳作受賞
野上 奈津さんのその後のあゆみ
『二つの難病と生きる人生』
「ハートをつなごう」
2007年、私は「第42回 NHK障害福祉賞」に入選した。この入選が、間違いなく私の人生のターニングポイントになる。
入選の知らせが届いて間もなくのことだった。
家の電話のベルが鳴った。表示された番号は見知らぬものだ。受話器を取ると、
「NHKの『ハートをつなごう』という番組を作っているSと申します」
と、番組のディレクターからの電話だった。私の作品をもとにしたドキュメンタリー番組を作りたいとの申し出だった。自分のドキュメンタリー番組なんて生まれて初めてのことなのだ。気分は高揚した。
ディレクターは、とても丁寧に番組を作ってくれた。これまで私の筋ジストロフィーのことを知らなかった人にも、充分に内容が伝わったようで嬉しかった。とても有意義な経験になった。
翌年の秋、同じディレクターから再び電話があった。
「今年も『ハートをつなごう』に出演して頂けませんか?今年の障害福祉賞の最優秀賞は、奈津さんと同じ筋ジストロフィーの女性なんですよ」
「com-pass 女性筋疾患患者の会」誕生
私はたまらなく嬉しかった。病院の外来などで、これまで自分と同じ筋ジストロフィーの女性とは会ったことがない。筋ジストロフィーとして代表的なデュシェンヌ型は、ほとんどが男性であるためだろう。45年生きてきて、ようやく同病の女性と会えるのだ。
収録日当日。NHKの楽屋で、Sディレクターに西岡 奈緒子氏を紹介された。彼女は私よりも17歳若い。色白の透明な肌に真っ黒な髪と、大きな瞳が印象的だった。
この日の出会いがきっかけで、私たちは「com-pass 女性筋疾患患者の会」を起ち上げた。
男女で構成される筋ジストロフィーの会は既に存在している。それならば、私たちが出会うまでに何年もかかったことを考えて、女性だけの会を作ろう。そんな思いだった。
彼女との出会いは、私の人生を大きく変えることになる。
com-passは「貴女(あなた)は一人ではありません」をモットーに活動を続け、現在では170名に及ぶ会員さんで構成されている。
「ハートをつなごう」という番組がきっかけで、現在、NHK福祉ポータルサイト「ハートネットピープル」で「野上奈津&西岡奈緒子」として月に一度、エッセイを連載させて頂いている。筋ジストロフィー患者の思いを発信するチャンスがあるということに、心より感謝をしているのだ。
再発
障害福祉賞の入選から9年がたって私の病状も変化した。
顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーは、未だ治る見込みのない難病なのだ。進行性の疾患は残酷だ。筋ジストロフィーは、筋線維の破壊と再生を繰り返しながら、次第に筋萎縮と筋力低下が進行していく筋疾患だ。
2007年当時は一本杖で歩いていた。それが今では、電動車椅子で移動をするようになった。右足だけにつけていた補装具は左足にも必要になった。身体中の筋力が弱って、「これまでできたこと」が、できなくなってきた。顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーの性質上、受け入れて生きていくしか方法はない。
進行の恐怖に思い悩む時、支えてくれるのがまた、com-passなのだ。
私は二つの難病とともに生きている。筋ジストロフィーと、特発性血小板減少性紫斑病(血小板が減少し、出血しやすくなる疾患。以下、ITP)だ。
2001年3月、38歳の時に発症した。しかし、脾臓を摘出したことによって自然寛解したものだと思っていた。
2011年2月27日。日中の空気に春の気配を感じるようになっていた。けれど、晩にはまだ冷え込んで、夫婦で肩を寄せ合ってドラマを見るには厚手の毛布が必要だった。テレビの画面からは白血病のヒロインが、病気を再発させるシーンが流れていた。
ドラマも半分が過ぎたころ、私は口の中に違和感を覚えた。生臭い血の匂いが口の中に広がって、生ぬるい感触に満たされる。それは気のせいではなかった。ティッシュを広げて口の中のものを吐き出すと、そこには鮮血があふれ出た。
まさか、と思う。ITPは2001年に自然寛解したはずだ。けれど、歯茎全体からにじみ出る血の量は、段々とその量を増していく。夫は信じられない、という表情で私を見つめていた。
深夜の救急外来
大学病院と私の電話のやり取りを聞いていた夫は、急いで車を走らせてくれた。深夜1時になっていた。
私は車の中でも血を吐き続けたが、1時間ほどで病院に着いた。ER(救急外来)の灯りは私を安堵させる。もう大丈夫。ここでなら、何があっても死ぬことはないだろう。
救急で血を吐きながら、採血の結果をひたすら待っていた。3時間が経とうとして、ようやく血液内科の当直医が現れた。
「特発性血小板減少性紫斑病の再発ですね。血小板は1万を切っています。健康な人の血小板は20万から30万です。今、あなたは生命の危機にあると言ってもいい状態です。このまますぐに入院して下さい」
右腕に輸血のルートを刺したままで、私は「1万」という数字をぼんやりと考えていた。
輸血と経口ステロイドが効果を発揮して、血小板は一応の安定を見せ、私は1週間で退院した。
葛藤
退院から1か月。随分と長い間(のように私には感じた)、絶望の中にいた。足に力が入らない。家の中の伝い歩きさえ、まともにできないのだ。
リハビリは、頑張る気持ちさえあれば成果はあがるものだと思い込んでいた。けれど違った。気持ちだけではどうにもならないのだ。
筋ジストロフィー患者にとって、たった1週間の入院がもたらした結果。入院生活の全てを車椅子に委ねた結果。分かっていたはずだ。このわずかな時間が、私の足から「歩く機能」を奪っていた。
病院の理学療法士に指示された室内でのリハビリメニューと家の中の歩行訓練が日課となった。歩行訓練は一進一退を繰り返す。自分の心との戦いだ。
「人生に無駄なことは何もないのよ」
そう言った友達の言葉を心に浮かべる。
希望
ある日の夕食後、夫が言った。
「今日は桜が満開だよ。ちょっと見に行ってみない?」
もう遅い時間だ。そして、「私は今、歩くことができないのに」という否定的な思いが気持ちを暗くした。
けれど、この春に咲いた桜を見たかった。夜空の下の桜を見たくなった。
補装具をつけて玄関を出る。身体を支える杖は心もとないし、歩行はままならない。夜の闇と得体のしれない不安が一つになって、胸が締め付けられる。
夫は一本の桜の樹の下で車を停めた。
桜はただ、そこに咲いていた。理由など、ない。あるとすれば「春」だから。
音のない夜空に浮かぶ白い桜を見て思う。
「焦りすぎなのかなぁ」
桜は黙って咲いている。
夜のドライブに連れ出してくれた夫に、心のなかで「有難う」とつぶやいた。
長かったトンネルに、ようやく光の見えた瞬間だった。
この後、再発から2年5か月をかけて、病状は落ち着いている。
原因も根治的治療も確立されていないITP、原因は解明されているが治療法のない顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー。
家族、友人、主治医、大勢の温かな人たちに見守られていることを実感する。感謝の日々だ。
これからも、私はこの二つの難病と生きていく。
福祉賞50年委員からのメッセージ
野上さんが伴侶に支えられたように、他の誰かを支える。また、筋ジス病棟の患者さんの夢を聞いた時に至った感動の境地を、別の人にも知ってもらう。com-passは同じ苦しみの中にある人達の気持ちに寄り添えるよう、情報発信するコミュニティ。そのHPの中で、今、この瞬間も病気の進行が止まらないことへの不安、それでも自分を鼓舞しながら揺れ動いている気持ちが分かりました。「いつも元気」「難病でも笑顔で頑張る私」ばかりではない、素の感情が現われる文章は、障害を持つ人の心に届くでしょう。
鈴木 ひとみ(ユニバーサルデザイン啓発講師)